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漫画家まどの一哉ブログ

   
読書
「三四郎」夏目漱石 作
(新潮文庫)

前期三部作の一つめ。

主人公三四郎は受け身な性格とはいえ、あまりにもぼんやりしている印象だ。地方から出てきて始めて東京の文物・風俗に出会い、大いに驚いた旨は書かれているが、そこから能動的に考えてみることはしない性格のようだ。
人から意見を求められても、何も感じなかった・どうとも思わなかったということが多いが、それはたぶんよく分からなかったということだろう。
しかし当時希少な東京大学への新入生、しかも文学部でありながら絵画を見ても音楽を聴いてもよくわからないといったとぼけた感覚でいいのだろうか?もう少し文化的な分野についてこう思う、こうしたいといった知的好奇心はないのだろうか?

主人公がとりわけ内省的でもなく、近代日本社会の矛盾を問題意識にもしていないので、軽快でポップな青春小説といった趣がある。センテンスが短く軽快な弾むような読書感。時代を忘れてまるで現代の学生だと思って読んでも違和感はないと思う。

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読書
「連邦区マドリード」
J.J.アルマス・マルセロ
(水声社)

ポロックを真似る画家「私」のまわりに徘徊する夢破れた人々。一流の映画監督を目指して挫折する男。人々の運命を操る伝説の大佐。うねるように繰り返すマドリードの悪夢。

主人公の「私」をはじめ、画家、音楽家、映画監督、踊り子など。登場する多くの芸術家は皆一流を夢見ているが花ひらかずに終わる。なかでも自作映画の主役を依頼しようとスティーブ・マックィーンに会いに行ったり、作品の映画化を画策してポール・ボウルズに会いにいっては断られ、全て挫折する男。妻にも逃げられ酒と薬に溺れて齢を重ねるこの男が作品の色調を決めていている。いい味がある。

結局男は全員小物であり、全てにおいて失敗するのである。女は魅力的な女ばかりだが、するりと男を乗り換えて世渡りを繰り返していて男たちの手には負えない。結局、語り手の「私」と映画に挫折した男の妄想と執念を延々聞かされているのだ。

匂うような、まといつくような、汗かきのねっとりとした文体で、同じことがこれでもかと繰り返し描写され、長編でありながらほとんど物語が進行することはない。巻き起こることは全て伝説の男の仕組んだ運命の操作だとするも、裏付けがあるわけでもなく、不思議なことが描かれているのはそれだけなのに、作品全体から発酵する空気と舌触りはまるで幻想文学の味わいであるという不思議な作品。

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読書
「水車小屋攻撃」エミール・ゾラ 作
(岩波文庫)

短編作家としても屈指の面白さを持つゾラ。変幻自在の自由な作風の中から選りすぐりの8編を収録。

光文社古典新訳文庫でも読んだが、ゾラはなにが面白いか知っている作家。飽きさせない。人間模様を描くのに展開の妙味を外さない。

「水車小屋攻撃」:「風車小屋だより」ならぬ「水車小屋攻撃」。タイトルから想像つかなかったが、普仏世相時に臨時にフランス軍の前線基地とされた農家の悲惨な物語。危うく危機を脱して主人公たちが助かるのか?と思いきや戦争とゾラは容赦がない。

「ジャック・ダムール」:戦死扱いにされていた男が帰ってきても居所がない。このあいだ読んだルドゥレダの「ダイヤモンド広場」でもそうだったが、なぜ男は勇んで戦争に参加したがるのか?帰って来た主人公がしだいに諦念に至るところが切ない。

「一夜の愛のために」:窓辺の淑女に恋焦がれる純朴な青年。途中までは内気なあまりに恋愛を理想化しすぎる青年のよくある話だが、彼女と知り合ってからは一転サディスティックで異常な世界へ突入。さすがに素朴な者にそのままでは平和は訪れない。

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読書
「消えた心臓/マグヌス伯爵」
M.R. ジェイムズ 作
(光文社古典新訳文庫)

イギリス怪奇小説の本流を行く古典短編集。

「物語そのものは、さして価値のあるものではない」と作者のジェイムズ自身が紹介しているが、もちろん気軽に楽しんで読むもので、作者も本業ではなく余技として書いているゆえの謙遜であろう。

それはそれでよいが怪奇小説の出来は、怪異自体をどこまで具体的に書くかによって決まるところがあり、書きすぎるとどうしてもしらけてしまう。
この作家の場合そこはギリギリの部分があって、悪魔的なやつの仕業で異変が起きるのだが、その悪魔的なやつ(モンスター)は闇に潜むように黒い毛むくじゃらの痩せこけた姿を垣間見せたりする。ここがやや残念なところで、はっきり見えないまま終わるところはまだ許せるが、そのモンスターがいるという怪異の理由自体がつまらないと思う。
悪魔はいてもいいが何が悪魔かわからない。あるいは人間の心理的な作用で出現してしまう。といったほうが迫真性を感じる。ここは多分に趣味的なものだが仕方がない。人間の外にある悪魔の仕業にしてしまうところが幼稚な感じがして、それなら宇宙人だってかまわないわけだから。もっともそこを楽しむのがエンターテイメントだといえばそうなので、要は出来不出来と読む側の都合だけなのかもしれない。

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読書
「差別はいけない」とみんないうけれど。
綿野恵太 著
平凡社

しばしば鬱陶しがられる「ポリティカル・コレクトネス」。ここを糸口に差別の構造をアイデンティティとシチズンシップの対立から考察。現代社会の見取り図的好著。

どちらかといえばアイデンティティというものに昔から疑義を抱いているので、やはりシチズンシップの立場を肯定してしまう。まだまだ「ポリティカル・コレクトネス」しかないと思う。

統治功利主義の考え方から、科学的に裏付けられたマイノリティの低い能力と差異の解消にかかるコストの問題があるにしても、われわれが日常経験する職場やその他組織はしょせん100人以下の少人数であり、その中では個体差の方が圧倒的に大きく、能力の高い黒人や女性はざらに存在するので、ここに口実としての基本的差異を当てはめることはなにより差別的で非効率だ。

「ポリティカル・コレクトネス」に問題があり、仮に反差別に反対する理由が道徳的に公正であったとしても、今現在起きている過酷な差別被害をくい止めることが緊急の課題である。なにより差別する側の卑劣さや暴力性をみると、大きな問題として差別の理由を考察しているレベルとは別の気味の悪い現実がある。

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読書
「ろまん燈籠」太宰治 作
(新潮文庫)

1941~44年にかけて書かれた短編作品を収録。平和に暮らす作家の身辺にもしだいに戦時下の緊張が高まる中、いよいよ筆が冴えてくる。

私小説の伝統がある日本文学では、エッセイのごとく身の回りのことを書いてそのまま小説であると言っても許されるようだが、さすがに太宰は身辺を描いたどの短編をとってもどうしたってれっきとした小説である。基本的には道化で韜晦であるのだが、読み物としての分をわきまえているので気持ち良く読める。公の場所での服装のTPOを失敗する話題が多く、身なりはかなり気にしていたようだ。

私にとって太宰は心地よく読める名人であって、「人間失格」その他主要な作品も少しは読んだが、巷間評価される過度の自虐や嘆き節、その他「太宰の気持ちがわかるのは自分だけ」と言ったような読後感を持ったことはない。作家自身を貶めたり持ち上げたりしても、これくらいなら普通じゃないかという印象だ。

太宰は戦後無頼派として認識していたが、すでに戦中に佳作短編を安定して発表していた。作品の傾向もだんだんお国のための晴れがましい気持ちが描かれてくるようになり、これも時勢というものだろうか。

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読書
「ダイヤモンド広場」
マルセー・ルドゥレダ
 作
(岩波文庫)

バルセロナに暮らす一人の平凡な女性の半生。結婚し子供を産み、夫が飼い始めた大量の鳩を育て、お屋敷に出かけては家政婦として働く。やがて内戦となり夫は戦場へ。戦後の新しい人生を迷いながらも歩んでいく。

旦那は結婚前から昔ながらの男性優位主義っぽいところがあって、なんでも自分が決めるが仕事以外は全部彼女に任せっきり。まあ、そんなもんだろう。
話の半分までは大事件も起こらず、生活のひとつひとつが細やかに優しい文体で描かれていて、気持ち良く落ち着いて読める。そんな彼女たちの暮らしを追っているだけではわからなかったが、いつのまにか内戦の世の中となっていて、やがて夫は民兵となって勇んで戦場へ。ふだん通りの暮らしが変わらない間は内戦なんて感じられない。それがだんだんと仕事が途絶え、食べるものにも不足するようになってきてまさに戦争なんだとわかる。これは作品だからこその描写か、現実にそんなものなのか。彼女の人生は大きく変わった。

戦後新しい連れ合いと新しい人生が始まり、子供たちも青年に。そこまで進んでもかつての夫との生活の亡霊のようなものに苛まれる屈折した心情が痛々しく、日々無為に迷い歩くところが出色の出来だ。これはなかなか書けないと思う。そんな彼女が少しずつ過去を乗り越えて心の安定に向かうようすが、読んでいてほっとする。

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読書
「資本主義に出口はあるか」
荒谷大輔 著
(講談社現代新書)

社会の構造を「ロックvsルソー」の切り口で捉え直し、その歴史的変遷を明らかにする。はたして現代社会のあとにどんな社会を作ればいいのか?

かつて先頭を切って発達した名誉革命後のイギリス産業社会。ジョン・ロックの唱えた自由とジャン・ジャック・ルソーの掲げた平等の間を行き来してきた西欧近代社会が良く見える。そしてスミス、オウエン、マルクスまで「ロックvsルソー」の間で揺れ動く世界経済。といってもそれは学習である。まるでかつて民族的理想状態があったかのごとく、それを意識的に取り戻そうとするロマン主義の発達が個人的に興味深かった。

話題が現代社会に近づき、アメリカのリベラル対保守の話からネオリベラリズム、金融工学とリーマンショック、日銀の買支えとアベノミクスにまで進むと、理解も学習から離れ新聞記事を読むかのごとく活き活きと進む。はたしてわれわれの社会はこの後どんな出口へ向かうか?

ところが終章に入るとそれまでの経済的リアリズムの話とはうって変わって、デカルトの我を疑う哲学的な話になってしまう。映画「マトリックス」を例に、われわれが自明のごとく共有している枠組みを離れ、新たな社会のゼロ地点へいったん帰るべきだとの着地は、いつのまにか違う教室へ移動していたかのような終わりかただった。

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読書
「郵便局と蛇」A・E・コッパード 作
(ちくま文庫)

寓話・ファンタジーから怪奇編まで、独特の味わいを持つ幻想短編集。

文庫本巻末の小伝によると、作者コッパードは仕立屋職人の家に生まれ、様々な職業を転々としながら成長するにしたがって小説を書き始めた人。ろくに学校に行っていないし、文化的な素養のある人々との交流も人生後半になってからである。投稿と落選をくり返すうち執念が実って世にでることとなるが、それが上質の幻想文学だからたいしたものだ。実に階層と才能は無関係だ。巧拙がよくわからない晦渋な修辞ということだが、情景描写などなかなかに凝っていて味わい深い。

「ポリー・モーガン」:ふと犯した間違いが負い目となって、やがて幽霊を見ることになる女性。幽霊自体はかそけき風が窓を揺らすくらいだが、それが彼女にとっては幽霊となる。人間心理の複雑で悲しい作用を描いた傑作。幽霊譚として一級品の出来。

「シオンへの行進」:放浪する修道士と世界の王に会うために旅を続ける男ミカエル。この修道士が曲者で、悪人を簡単に殺すし倫理観がない。やがて同行する流浪のクリスチャン女性がまったく浮世離れしていて彼らはついていけない。キリスト教と付かず離れずにいた作者のポジションが垣間見える。

「幼子は迷いけり」:両親に溺愛されながらも、幼い頃から積極的になにかに興味を持つことのない少年。主体的になにもしようとしないまま、成人すると酒浸りなっていくが、それだけでなんの解決もない。

「王女と太鼓」:鳥獲りの老人に育てられた孤児の少年は、ついに決意して巣立ちする。旅先で巨人に出会い、幽閉された王女を見張るようにと鍵を渡されるが、王女は取り巻きの悪意で女王になることが出来ず、やたら太鼓をたたいて日々を過ごすのだった。少年の巣立ちは失敗する。

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読書
「深夜の酒宴/美しい女」
椎名麟三 作
(講談社文芸文庫)

「美しい女」:電車の車掌であり運転士でもある男。彼の人生には次々と常軌を逸した狂気に近い女性が現れる。しかし男は常に心の奥底に理想とする「美しい女」の幻想を抱き続け、けして凡人の道を踏み外さない。

ユーモア小説という解説もあるが、とんでもない暗黒小説。
登場する女性たちが平穏な人間性を捨て去っている。最初に登場する娼婦として生きる女性はかなり自暴自棄だが、それがなぜかはわからぬうちに気が違ってしまう。妻となる女性は常に頑なな態度で言動が強く、ひとときもくつろがない。最後に心を寄せてくる女性もふわふわと主体性がなく不可解な行動をとり不気味だ。
かたや主人公の男は電車の仕事を愛する自分から一歩も出ようとはせず、崩れゆく家庭や混乱する労働の現場をどうしようとも思わない。耐えるというのでもない。ただ幻想の「美しい女」の面影を心に抱くばかりだ。

したがってこの作品に登場する人物には普通の意味での共感出来る人生や生活というものがなく、奇態な人生が進行するばかりで、まさに地獄を行くような、読んでいてまったく快活としない暗澹たる思いに苛まれる。どういう意図があって作者はこれらの人物を設定したのか?

これはもしかしたらキリスト教思想の仮想実験であるかもしれず、そうだとすればいよいよわからない。
梅崎の「幻化」や藤枝の「空気頭」など得体の知れない傑作はあるが、この作品もその仲間かもしれない。とりあえず稀に見る奇作だと思う。

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