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漫画家まどの一哉ブログ

   
読書
「魔法の樽」マラマッド 作
(岩波文庫)

ニューヨークやイタリアを舞台に底辺で商売に生きる人々を描いた珠玉の短編集。その多くが不遇なるユダヤ人。

ドラマ性の濃い短編ばかりで、面白くすることに躊躇がない。文章自体はごくわかりやすいもので、登場人物の言動がそのまま伝わればいい書き方。映画やテレビドラマを見ている感覚で読める。作者の両親がユダヤ移民で雑貨店を営んでいたので、同じような設定が多く出てくる。破滅に至らないまでもうまくいかない人生の悲哀を描いて悲しい。

「天使レヴィン」:人生の危機に際して、信仰心厚い男は神に祈るが、現れたのは黒人の天使だった。なぜ黒人かというとたまたま順番がそうだったから。この天使と自称する男の言い分を信じていいのだろうか。
「ほら、鍵だ」:若きイタリア史研究者一家がローマに移り住んで住まい探し。予算もなく、なかなか条件に合う物件にめぐり合わないでいるところ、フリーの不動産仲介業の男にふりまわされる。喜劇であり悲劇であるがなかなかにリアル。みな大変だ。
「請求書」:マンション管理人の男は、向かいにある老ユダヤ人夫婦が営む雑貨店でツケで買い物ができることに気付き、おおいに買い物するがいっこうに支払う様子がない。全く無計画な男。いったい何がしたいのだろう。

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読書
「エドウィン・ドルードの謎」
チャールズ・ディケンズ 作
(白水Uブックス)

絶筆となった未完の長編。ある日忽然と姿を消した青年の行方を追って、虚実入り混じる著者渾身のミステリー。

殺人事件の犯人と思しき男の異常な性格が次第にあらわになり、いよいよ得体の知れない探偵登場というところで終わっているのだが、それでも細かい活字の新書本で400ページ近くある本格長編小説。
未完とはいえここまでがあまりに面白く、さすがにただのミステリーではない。その登場人物のなまなましさたるや、悪人および卑小・下劣な人間を書かせたら文豪の中でもディケンズは抜きん出ているかもしれない。

甥っ子に異常な愛を注ぎ、若い娘には一方的な恋情を寄せるアヘン中毒者の聖歌隊長。子供に石を投げつけられても平気の、頑健な風来坊の石工の男。薄っぺらな名誉と支配欲に余念がない町長。正義漢だが血気盛んで直情的なため、犯人と間違えられてしまう青年。冷静なその妹。カタブツだが着実に少女を救うべく手を打つ老法律家。その他石投げ不良少年やアヘン密売女など、善悪入り乱れてこれでもかとばかりに色濃いキャラクター揃いの、不滅のエンターテイメント。これぞディケンズ。

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読書
「ポオ評論集」
(岩波文庫)

怪異幻想小説の書き手であるが、いたって理論的で明晰な方法論を持つポオが、同時代の文芸作品を論評。ただしかなり気を使っている印象。

いろいろな雑誌を渡り歩いて生活の糧としていたポオの文芸評論。雑誌連載なので、構えることなくその時のノリを大切に書かれたようで、楽しんで読むことができる。ディケンズやホーソーンの仕事に対しても、タイトルの付け方がどうだとか、あの人物は殺してしまわない方がよかったとか、直截なコメントが楽しい。

一方ワーズワーズの仕事を批評しながら、詩の詩たるいちばんの由縁を解説。事実でも道徳でもなく、審美眼に足るものでなければならないことを縷々説くがもっともな内容で、散文とは違う詩のあり方が納得できるというもの。そしてポオがまったく冷静でロジカルに詩作品を作り上げていく実例が「大鴉」を題材に解説されている。

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読書
「ブラス・クーバスの死後の回想」
マシャード・ジ・アシス 作
(光文社古典新訳文庫)

名家の生まれながら何事もなしえなっかた人生を、死んでから作家となって振り返る。19世紀ブラジル文学。

カバにさらわれる幻想。自分が死んだところから始まるなど、いささか奇妙な味わいはあるが、自伝文学の体裁をとって少年の頃より追って行きだすと、どうしてもよくある読書感覚になってしまう。

ところが作者も心得たもので、ごく短い章立てが160章まであり、しばしばエッセイのように気軽に書き手である現在の主人公が顔を出すので、読むほうも気がまぎれる。そうやって読んでしまうが、この登場人物に財力があるおかげか、あまり切迫した事件はなく、おもしろいのは密かに進む不倫のスリルぐらいだ。

この作品はそれまでのブラジル文学の画期となる記念碑的作品で、作者がブラジル文学史を代表する所以でもあるらしいが、今われわれがそれを知らずに読む限りでは、そこまでのいきさつはわからない。肩の凝らない純文学といった印象だった。

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読書
「巫女」ラーゲルクヴィスト 作
(岩波文庫)

ギリシャのデルフォイ。アポロン神殿が見える丘に一人住む老女が語る、巫女として神に仕えた運命と格闘の物語。

ラーゲルクヴィストは1951年ノーベル文学賞受賞のスウェーデン作家。
話の前半はふとしたことで神の悪意を買った男が歩んだ惨憺たる人生を、丘に住む元巫女の老女に訴える内容。そして大部分を占める後半が、応えとして語られる巫女の苦闘の半生である。

ここに登場する神は手に負えない荒ぶる神で、人間に対して容赦なく破壊的で横暴であり、暴君に魅入られるようなものである。正義や善意を旨としないものに、人間は支配されて生きていかねばならない。あんまりな解釈であるがそのじつ宗教の果たしている現実はそうなのかもしれない。

全く現代社会とかけ離れた設定ながら、宗教団体の経済がなりたっているシステムは現代社会そのままである。古代ギリシャを舞台としたいかにも作為的な設定で、老女の一人語りだけながら、単なる寓意小説でもなく多彩な出来事と喜怒哀楽で読み応え充分の傑作。

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読書
「左利き」レスコフ作品集1
(群像者)

1880年代に相次いで書かれたロシアの作家レスコフの短編集。ジャーナリストの目で見抜かれた民衆のしたたかな人生。

先に作品集2を読んで面白かったので1も読んだ。クセのある人間ばかり登場する濃厚な作品群。そして彼らの人生にふりかかる劇的な運命。いかにも短編小説。

「じゃこう牛」:本書中半分のページを占める中編。じゃこう牛とあだ名される主人公は、偏屈で無礼者だが誠実で弱者を思いやる修道僧の男。儀礼的なマナーや上下関係、エゴイズムとは無縁の風来坊のような暮らしで、どこでどうしているのやら神出鬼没である。この人物造形が実に魅力的で目が離せない。そして彼の人生が敗北に終わることも悲しい。

「ニヒリストとの旅」:急進主義者・革命家をニヒリストと呼んで、おおいに偏見の目で見ているのがおかしい。しかし勘違いされる側はたまったものではない。

「老いたる天才」:金持ちのくせに人から安易に金を借りて返さない。そんないいかげんな人間はたしかにいつの世にもいるよね。最後の最後にいかにギャフンと言わせるか。

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読書
「庭」小山田浩子 作
(新潮文庫)

ふとしたはずみに日常がちょっとずれて不思議なことが顔を出す。様々な異世界を様々な方法で描いた15の短篇集。解説吉田知子。

解説で吉田知子は日常が嫌いで家族小説が苦手と言っていたが、これはまさに我が意を得たりという心地だ。ところがこの短編集の中には現代の平均的な若い家族のなにげない日常が、これでもかというばかりに続く作品がいくつかあり、そこは我慢して読んでいくと、なんとかラストでグラグラっと非日常が出現して救われる。ただこういう最後に不思議な非日常というパターンが多い気がした。

「名犬」:温泉旅行と実家の両親のようすなどが連続し、続いて露天風呂のばあさんたちの会話へと進み、どこが名犬かと思っていると、後半ようやく犬を飼うことになる。この回りくどい展開がおもしろく、他にも話が2段階・3段階とステップしてゆくものがあった気がする。

「庭声」:時代は近代。友人宅に風来坊の父親が中国人の女を連れて帰ってきて、変な小屋を建てた庭には鶴が平然と住み着いていたりするのだが、始めから架空の日常と幻想的なイメージに包まれた作品でこれがいちばんよかった。

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読書
「19世紀イタリア怪奇幻想短篇集」
(光文社古典新訳文庫)

今まであまりなかった19世紀のイタリア幻想文学アンソロジー。幽霊譚や心理小説・寓意小説まで様々。本邦初訳。

「黒のビショップ」アッリーゴ・ボイト:チェスの駒が黒と白であることを利用して、名人である白人と秀才の黒人とのチェス対戦を描く。まだまだ黒人への偏見が強い社会で優秀な黒人をとりあげるが社会派的な作品ではない。黒人トムの異様に研ぎ澄まされた心理が鬼気に迫って悪夢的な迫力がある。

「夢遊病の一症例」ルイージ・カプアーナ:警察本部に努める主人公が、真夜中に自覚のないまま書いたある事件の報告書。これが実際の事件の予知夢となっている。夢遊病が巻き起こすいざこざと、推理サスペンスを混ぜ合わせた二重仕掛けの構成。全体が病的心理学の症例報告の形を取っていて不気味だ。

「死後の告解」レミージョ・ゼーナ:深夜、何者かに操られるように向かった先で、死んだばかりの人間の最後の告解を聞く。それだけの話だが派手な着想がない分、暗く静かで落ち着いた雰囲気があって良い。

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読書
「狭き門」ジッド 作
(新潮文庫)

言わずと知れた世界名作文学。

あまり知らなかったジッドをもう少し読んでみるべく、代表作を手にとってみたが後半ほぼ挫折したようなものだった。このアリサという女性の信仰と恋愛のジレンマは容易には理解できない。

この二人は遠距離という条件はあるものの、もう少し日常的な平凡な触れ合いを重ねてみるべきだと思う。二人にとって至高の愛を思いつめるから、それが天上への愛との相克になるのではないだろうか。キリスト教での神への忠誠がそんなにも排中的なものなのかはわからないが、アリサはそもそもが修道院に入る以外方法がないタイプの人間だろう。文庫本巻末の石川淳の跋文にもあるとおり、ジッドの生家である「プロテスタントの風丰(ふうぼう)」あらわす性格で、苦しむことこそ神への忠誠である。

彼女は自分の存在が恋人ジェロームの信仰を邪魔するものと思いつめてしまうが、やはりこの狂信こそが真の宗教なのか。神から脅迫を受けて人生をスタートさせたようなものである。あまりに狭い、狭き狭き門である。

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読書
「それはあくまで偶然です」と迷信の統計学
ジェフリー・S・ローゼンタール 著
(早川書房)

ついつい意味を見いだしがちな運・不運。しかしそれは単なる偶然に過ぎず、隠された意味はなにもないことを縷々解き明かす統計学エッセイ。

自分は数学が苦手なくせに運や偶然を扱った統計学の読み物があるとどうしても買ってしまう。人生の数奇な巡り合わせや不思議な偶然等、ついついその理由を考えてしまいそうになるが、実はそうではなく、たまたまそんなこともあることを裏付けてくれるのが統計学だ。自分の人生から神秘的な運命論を取り除きたい。

個人的には、世界中にこれだけ多くの人間がいれば、中にはとてもラッキーな人もアンラッキーなひともごくわずかいて、それはすごく目立つもの。可もなく不可もない出来事が真ん中にあるきれいな山の形をしたグラフのままだろうと思って生きている。
たしかに運不運とは別の不思議な体験もあるが、それらは現在科学的に未踏なだけであって、やがて解明されるであろうと思う。

この著書は「運の罠」をキーワードに、散弾銃効果・特大の的・下手な鉄砲も…など、運に関して特別視される出来事のあれこれをチェック。「P値(有意確率)」を計算して、出来事が真実か、たまたまそうなっただけか解き明かしてゆく。
かなり気楽に読めるエッセイだった。

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