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漫画家まどの一哉ブログ

   

読書
「コンビニ人間」村田沙耶香 作
(文春文庫)

生まれつき自然な人間の感情を欠いている彼女は、コンビニ店員となることによってのみ、人間社会の仲間入りができるのだった。人格障害者の日常を描いた恐ろしい小説。

素人なので軽々しくは言えないが、ある種の人格障害・情性欠如型の人間が、ふつうの人間と思われるためにコンビニに身も心も捧げてしまう恐ろしい人生。彼女の情動・情緒はすべて周りの人間の口調やクセの模倣であり、本心は乾いた合理的なものでしかない。

彼女は自分の性格に悩むでもなく、これが自然だとばかりに部屋に男を飼ったりする。通俗小説の部類であればサイコパスの主人公が粛々と犯罪を犯す過程を描くところだが、全く違うこんなかたちで感情が欠落した人間の生きて行く様子を書けるとは、身も凍るような文学世界だ。

ほんとうの人格障害ではないにしても、子供の頃から「みんながなんで笑っているかよくわからない」「放っておけば一人でずっと絵を描いている」「人の言葉の背後には気持ちというものがあることを大人になってから知る」などという傾向のある自分のような者には他人事でない。冷や汗が出る思いで読んだ。

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読書
「小川洋子の陶酔短篇箱」小川洋子 編著
(河出書房新社)

新旧日本文学の中から珠玉の短編を選び、小川洋子が独自のエッセイをプラス。魅力マシマシのアンソロジー。

選ばれた短編のおもしろさはもとより、添えられたエッセイが単なる解説ではなく、作品の気になる部分を継いでさらに押し広げた小品となっていて、夢心地が覚めない感覚である。

「愛撫」梶井基次郎:猫を眺めて浮かんだ妄想を、実に綺麗につないで仕上げた硬質の短編。この仕上がりの格好よさはやはり著者ならではのもの。
「牧神の春」中井英夫:微生物の名前を呪文のように唱えているうちに半身が山羊となってしまった話。動物園でニンフと出会う。この作家がこんなに詩的で夢幻的だったとは。
「逢びき」木山捷平:戦後の物資不足の中、畑を作って懸命にやりくりする奥さん。くらべて復員したダンナの方はなんとものんきで、このダンナの逆らわない性格がほのぼのして良い。のんびりする。
「雨の中で最初に濡れる」魚住陽子:母娘共に、不思議なセールスレディの勧めるものを言われるがままに買ってしまうが、よかったよかったと言って喜んでいる。なにか浮遊感のある奇妙な現実が進行する。
「流山寺」小池真理子:死んだはずの夫が幽霊となって帰ってきた。嬉しい。妻はなんとかそしらぬふりをして、そのまま二人の生活を続けようとするが…。儚き熱愛が痛々しく迫る。

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読書
「黄色い部屋の謎」ガストン・ルルー 作
(創元推理文庫)

完全なる密室に響き渡る悲鳴と銃声。ようやくドアをこじ開けた室内には襲われた女性以外には誰もいなかった!犯人はどこへ?密室トリックの古典的名作。

ふだん推理小説を読む習慣はないが、「オペラ座の怪人」の作者ガストン・ルルーの傑作という案内にひかれて読んでみた。訳者は現代読者にとっての読みやすさと古典の味わいの両立を心がけたそうだが、たしかに古風で魅力的な書きっぷりだった。

この作品が発表された1908年時点で、作中で言及されるポー「モルグ街の殺人」から約70年、コナン・ドイル「まだらの紐」から約20年経っている。世に推理小説の下地は十分行き渡って、こなれていたであろうところに出現した密室ミステリーというところか。

ルルーの筆致がそのミステリーの枠内に収まるものか、そうでないのかわからない。自分などは全くトリックや真犯人を考えてみようともしないで読んだが、探偵小説を読んで犯人を追っているだけではない面白さがあった。
古城で起きた事件とはいえあまり暗さがなく、むしろ軽快なリズムで話が進んで行く心地よさを感じた。

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読書
「その話は今日はやめておきましょう」
井上荒野 作
(毎日文庫)

老夫婦は夫の怪我をきっかけに、自転車屋で知り合った青年を家政夫のかわりとして雇う。誠実に働いていた青年だったが、やがて家庭は少しずつ思わぬ危険へと滑り出してゆく。

ここに登場する青年は勤め先の自転車屋の店主を殴って職を失ったまま、確固とした未来を思い描くわけでもなく、半フリーターとして生きているが、とくべつ悪人でもない平凡な青年である。
老夫婦はゆとりある老後を送っているわけだが、この作品では隣家住人やその他登場する若者から、70歳以上の老人は生きている意味のない存在として、ことさら馬鹿にされている設定だ。

青年の意図したわけでもない軽犯罪をきっかけに、平穏な家庭が事件へと傾いていく様子はスリリングで、井上光晴を読んでいるような感触がある。
とは言っても言いようのない齟齬や不安、得体の知れない不穏な雰囲気というものではなく、青年とその悪友による悪意がはっきりとあるのだから、その意味では安心して読める作品だ。まあ、こんな若い奴はいるだろうし、順当に生きてきた老夫婦も世間に対して甘いなという感想を持ってしまった。


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読書
「東京の三十年」田山花袋 作
(岩波文庫)

11歳で初めて東京へ出てきた明治14年から数えて30年。大きく変わった街の様子。小説家として立つ野心を抱いて苦闘した青春。紅葉、鴎外、独歩、藤村ら文人たちとの交流を描く明治文壇史。

田山花袋は小説もさることながらエッセイが面白く、飾らない素直な人柄が表れて読んで心地がよい。当然作家としての瑞々しい感受性の持ち主だが、社会人としてはすこぶる常識的で温厚な人物で、芸術家風の奇矯で扱いにくいところなどはないようだ。

30年の間の都心の激変は高度成長期以上のものがあったのかもしれない。いわゆる江戸情緒というものが一切顧みられることなく壊されていく。昔の面影を見つけることが難しく、やがて電車が走るようになると近代都市東京の姿が完成される。

紅葉率いる硯友社から始まって、鴎外その他新たな動きや、対立する冊子とグループ。自然主義が花袋らによって完成されていくと思ったら、それもまた次の時代に乗り越えられていく。政宗白鳥の登場によって明治以前の風合いをまとった文学は完全に終わったという視点がおもしろかった。

「KとT」は親友国木田独歩と小説作品を完成させるべく、日光の寺へ泊まり込んだ数ヶ月のエピソードで、若い二人の友情が偲ばれて心温まる。その独歩も早くに亡くなり、後年40歳を超えた花袋が単身廃寺となった同じ寺へ泊まり込んで自炊生活をするところはやはり寂しい。

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読書
「王の没落」イェンセン 作
(岩波文庫)

16世紀激動のデンマーク。暴君クリスチャン2世に寄り添って生きた迷える傭兵ミッケル。ミッケルとはただならぬ因縁の軽佻浮薄な青年アクセル。しだいに衰える哀しき人生の物語。

作者は20世紀のノーベル賞作家。
文庫前説によると、この時代の北欧は分離併合を繰り返す戦乱の時代。しかしそういった大きな歴史は描かれず、移りゆく時代の中で主人公たちの迷いや暴力や人生の選択をたどっていく。スウェーデンを大量虐殺によって侵略したのち敗北したクリスチャン2世も、物語の後半になってようやく悲しい姿で多く登場する。

主人公ミッケルの若き時代から老いて死ぬまでが話の主軸である。やや投げやりなのか感情のまま行方定まらぬ人生だが、クリスチャン2世の運命が下り坂にかかる頃、ようやく王の側につく役割となる。
同じ傭兵仲間の青年アクセルは、受け継いだ秘宝の存在を誰にでも気軽に喋ってしまう浅慮な性格。女性に対しても移り気で無責任。当然かもしれないが彼の人生も悲惨な結果となった。そして力を失った凶王クリスチャン2世は、幽閉された城内で毎日を精一杯生きているのだった。
やはりこれは歴史小説ではなく、人生の哀しみを巧みに絵にした作品ではないだろうか。

外科医ザカリアスによる脳手術により、機能が拡張され膨れ上がった脳を持つ奇形児など、この発想はやはり現代文学だ。

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読書
「人間の限界」霜山徳爾 著
(岩波新書 1975年)

限りある人間の営みを、まなざし・歩み・漂白など様々な局面から、古今の名言を手掛かりに切り取った随想集。

著者霜山徳爾(1919-2009)は著名な臨床心理学者であり、フランクルの「夜と霧」の翻訳者でもあるが不明にして知らなかった。
本書は専門の臨床心理学の知見も活かしながら、必ず終わる人生の意味と限界を、手・足、立つこと・歩くこと、地平・蒼穹など、多様な条件下で問い直し最後の告別まで至る覚書である。

古今東西の典籍を引用しながらしだいに思いを深めていくが、とうぜん革新的な結論に達するわけではく、長い歴史の中で人間がなんとなく残してきた思いの輪郭をなぞるだけかもしれない。しかしそれもまたありだ。

次々と引用される過去の幅広い著作・名言の豊かさと美しさ。それらを組み込んで語られる一文の心地よさが格別で、心に沁みる名文だ。私が言うのもおこがましいが歴史に残る名随筆だと思う。
古い本だが読んでみないと分からない。

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読書
「爆弾魔」スティーヴンソン
(国書刊行会)

上流階級ながらいささか困窮ぎみの3青年。それぞれ思い切って現実社会での冒険へと飛び込むが、爆弾騒ぎに巻き込まれる中で、気丈で破天荒な経験を持つ女性ばかりと出会う。

巻末解説にもあるとおり、スティーヴンソンとその妻ファニーとの合作のせいか、波乱万丈の冒険体験は女性ばかり。世慣れぬ凡庸な青年男子はいいように翻弄されるという筋立て。
この女性達の体験が開拓時代のアメリカ荒野、キューバの奴隷社会など、日常を離れた世界で繰り広げられ、その展開の自由自在さが心地よく、さすがにスティーヴンソン。読んでいて脳が解放されるばかりだ。

登場する女性がパターン的な添え物でなく、個性的で行動的で主役であるのも古典としては珍しく、家庭内で収束する良妻賢母的な女性の生き方とは正反対。この女性像も実はファニー・スティーヴンソンの社会に対する内心の不満の表れかもしれませんね。

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読書
「星の時」クラリッセ・リスペクトル 作
(河出書房新社)

地方からリオへやってきた瘦せぎすで貧困な女マカベーア。不遇な身の上だが自身の不幸を意識せず、欲望も持たず、コーラとホットドッグで生きてゆく。ブラジル文学。

語り手は一人称で登場する男性作家ロドリーゴという設定で、語られるのがマカベーアという女性の生涯。「マカベーアは」「彼女は」という主語で彼女とその周辺が逐一見てきたように語られるが、本来それは物語の作者の視点だからこそ可能なはず。ところがときどき「ぼくは」という主語で語り手の作家自身の日常が顔をだすという不思議な感覚に当初とまどった。

主人公マカベーアはあるべき幸福を初めから知らないまま、無欲で与えられた人生を生きて行く人間。見かけも発言も薄く空気のような存在だ。一時の恋人や恋敵など、肉体的にも精神的にも欲望のままにエネルギッシュで虚妄にまみれた平凡な人間も登場するが、その正反対に思えるマカベーアにも案外実在感を感じた。ここまで極端でなくともこういう人間もいるものだ。そしてそんな彼女でも隠れている性欲は強いものがあるというのも、命あるものとしての納得感があった。

語り方の二重構造を気にしなければ、充分平易で素直に読める。マカベーアの人生は悲劇ではあるが平穏で、これは読み手が人生の基準をどこに置いているかで印象が違ってくる気がした。

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読書
「田園交響楽」ジッド 作
(新潮文庫)

キリスト者としての使命感から、孤児となった盲目の少女を引き取った牧師。批判的であった妻も協力するが、少女が成長するにつれしだいに牧師自身も気づかなかった愛が見えてくる。

ジッドは信念を持ったプロテスタントであるが、この作品の中でもカトリックとの相克・問題提議が多く見られる。牧師の長男が頑なな性格で律法による信仰を旨とする立場をとり、プロテスタンティズムに疑義を投げかけるが、それでも自身の自由な愛と信仰を捨てない牧師。これらの問題提議がパウロやキリスト自身の言葉を引きながら繰り返される。「もし盲目なりせば、罪なかりしならん」(キリスト)対して「いましめによりて罪さらに猛しくなれり」(パウロ)などなど…。
そして1匹の迷える子羊(盲目の少女)を救うために、他の子羊(自身の子供達)を山に残すのは正しいのかという問いも、妻からの問題提議として物語のはじめから未解決だ。
前半「第1の手紙」を、そのあたりを巡りながら読んでいると、なんだか不穏な雲行きが…。

そして後半「第2の手紙」になると、実は牧師自身も気づかず、彼の妻は見抜いていたほんとうの問題。彼による少女への恋愛、少女から彼への愛がしだいにあきらかになり、信仰の問題と重ねてどんな解決を選ぶのが人として正しいのか、混乱のなかでいっきに悲劇へと突き進んで終わってしまう。文学作品としての面白さここにあり。これはジッドの人生をモデルに作品化されているとのことだが、実際のジッドの人生の方がかなりたいへんだぞ。

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