忍者ブログ

漫画家まどの一哉ブログ

   
読書
「流刑」 パヴェーゼ 作


1935年北イタリアトリノ。反ファシズム運動の罪で逮捕された作者は、イタリア半島南端、長靴の先っぽの街プランカレオーネに流刑囚として送られる。
流刑地というと自分などは遥か沖島を想像してしまうが、地続きの村へ列車で到着するのである。なにもない田舎町。もちろん自然は豊かで、主人公(作者モデル)は毎日海へ出て泳ぎ、またぼんやりと水平線を眺めて過ごすのであった。


酒場に集まる男達や街で働く女達との交流。不安な境遇で悩みを抱える彼らとの友情や、熱を帯びた情交がひとしきりあって、やがて主人公は村を去ってゆくのだった。
大きな事件は起らないが、孤独な主人公のさまざまな思いと、移りゆく自然の情景描写が実に美しく心をうつ作品。つまり詩文であって深く意味を解読する能力も自分にはないが、文章を追ってゆくことに沁み入るような快感がある。
解説にもあったが、たしかに叙情詩と叙事詩を混ぜ合わせたような作風で、南国の太陽の下にいながら心地よい寂しさを味わうことができる。

拍手[0回]

PR
読書
「みずうみ」川端康成 作

川端康成は、いわく言いがたい気味悪さがあってあまり読んでいないが、これは輪をかけた不気味な小説。というのも主人公はストーカーで、彼の心理をそのままなぞってゆく形で話が進行するからだ。それこそストーカーならではの身勝手な思考で、何の関係もない行きずりの美少女を見とがめると、まさに自分のために現れたかのような天恵を受けて後をつける。彼にとっては見知らぬ美少女と自分とは既に無縁の仲ではないのだ。そして少女の方でもわざと自分に後をつけさせていると妄想するところまで発展している。これはいかにも気持ちが悪い。


小説は主人公が少年時から抱いてきた女性に対する執着を、彼の心のままに行きつ戻りつしながら進んでいく。彼が教職を追われることとなった女子生徒との交際は現実である。しかし自分にはそんな美少女よりも、話の最後におでん屋で酒を飲むことになった行きずりのうらぶれた不美人な女性との交流がいちばん現実味があってよかった。


川端康成の美しさというのは、伝統的な日本美というより、もっとなにかぬらぬらした感触があって気味が悪い。その気味悪さの正体がなにかよくわからない。実は性的なものがあけすけになっているのかもしれない。この作品もひょっとしたら異端の名作・奇書の部類に入るかもしれない。

拍手[0回]

読書
「風立ちぬ」堀 辰雄 作


ピュアな恋愛物語のように思って手を出していなかったのだが違った。死を前にした恋人とのサナトリウムでの静謐な毎日を描いた、幸福についてのノートのようなもの。二人の心のやり取りはひじょうにスタティックで、思いが伝わる伝わらないといったような日常的な心理のレベルは描かれていない。男女の愛の物語ではないのだ。


重篤な病に冒されたからこそ得られた、すべてが終わるところから始まっている二人の生活。こういう状況で必要以上になされるべきことはなく、大自然に囲まれて移りゆく季節を感じながら、それこそ風に揺らぐ蘆のように生きていくことしか、そもそも人間にはないのではないか。じつはそれが人間の幸福のありかたではなかったか。


主人公(作者)はかつて未来の恋人との今のような暮らしを理想としていたのであり、それが現実となった今、そんな過去の理想をふりかえる自分と、それを小説に書くことで満たされる自分がある。過去の理想・現在の幸福・そのことを書かれた小説の中の自分。そうやって時間を多重に追いかけることにで今感じている幸福が微妙にずれていく。幸福の感じ方も揺らいでいるのだ。


小説の構成は、サナトリウムでの静かな毎日が描かれた後、最終章では彼女が亡くなった後の作者の孤独な日々が描かれて終わる。直接死を描いた部分はなく、簡単に涙腺を刺激するような仕掛けは排除されているのが心に残る。
それにしても自然の情景描写だけでよくこれだけ美しい飽きさせない文章を繋いでゆけるものだ。これも世界文学だ。

拍手[1回]

読書
「ゴドーを待ちながら」 サミュエル・ベケット 作


あまりにも有名な戯曲ながら、舞台を見たことも無ければ読んだことも無かった。不条理演劇の代名詞という謳い文句はもちろん承知だが、なんだふつうにおもしろいではないか。今まで読んだわずかな小説作品と変わらない。ナンセンスも腰を据えてやりだすとこうなるという気がする。


笑えるか笑えないかは読者が勝手に反応すればよいのだが、コメディやコントの世界は笑えるようにリズムが仕掛けてあるので、安心して笑ってしまうし、笑いのために登場人物もおかしなやつの周りにはちゃんとまともなやつがいる。そういうコメディのお約束はベケットの作品には当然ないのだけど、実際舞台を見れば役者の演技によって笑ってしまうかもしれない。


登場人物は全員おかしなやつばかり。道化役といえばそうだが、それならまったく他人事としてへらへら笑って見ていられるかというと、そんな気はしないのが不思議なところで、どうやらコメディの範囲で描かれるわかりやすい道化ではないようだ。おかしな連中だが、根っこでは我々と同じものを抱えているのがわかるし、それがまた痛々しいほどに不遇だから他人事ではない気がする。そんな人物が筋の通らぬ意味不明な言動に終始していて、なにもかもが圧倒的に思いのままにならない。手探り状態で訳も解らないままこの世界に投げ込まれているカンジ。もうこれは実にわれわれの人生そのものですよ。ああ、なんて不条理なことでしょう。

拍手[0回]

読書
「サードマン」 ジョン・ガイガー


雪山や深海・極地・大洋などで死に瀕した冒険家が、ふと自分の他にもう一人の存在に気付く。それは明らかに人間なのだけれど茫漠としていて、少し離れたところから自分を静かに見守っているのだ。この不思議な存在から冒険家は大きな安心と生き残る確信を得てついに生還を果たす。世界各地で数多く体験されている「サードマン」現象。それは守護天使あるいは実在する神なのだろうか。この謎に科学的な知見を駆使して挑んだルポルタージュ。


医学的な立場から言えば、血中グルコース濃度低下や高所脳浮腫、低温ストレスなどの作用で脳が見せる幻影であるとの説がある。また人間は自然界から常に多くの情報を得るようにできているので、大雪原や大海原など極めて変化の少ない、何日進んでも情景の変わらないような単調な環境では、逆に世界をスクリーンとして脳内のイメージを投影してしまうそうだ。


だがそんな過酷な状況でなくとも、肉親の死など強いストレスを受けた場合、「サードマン」は現れる。脳科学的な研究によれば左側頭頭頂接合部に電気刺激を与えることで「サードマン」現象が起きるという。この部分は自分を身体的に認識することや、世界と自分の区分にかかわるという非常に基礎的な働きをする箇所で、いわゆる宗教体験での宇宙との一体感や、症状としてのドッペルゲンガーなども、なんらかのかたちでこの部分の誤作動のようなものであるらしい。
それで思い出したのは、臨死体験の実験で左側頭葉を刺激した時に感じた遊体離脱や、お花畑体験での幸福感だ。臨死体験は死の恐怖を和らげるための脳のシステムであるという説と、「サードマン」現象の安心感は同じものかもしれない。


もっとも「サードマン」に導かれて無事帰還できた冒険家より、導かれながらも死に至った冒険家のほうが多いかもしれないので安心はできない。古代の人間は常に右脳から「サードマン」の導きを受けていて、これが神の存在につながったという有名な説もあるそうで、人間の脳のやらかすことはまだまだ得体がしれない。

拍手[0回]

読書
「ジュリアとバズーカ」 アンナ・カヴァン 作 


短編連作ながら、どれも作者自身の境遇をモデルに描いた共通した内容。テニスプレーヤーとしての少女時代であり、ヘロイン中毒患者であり、その状態のまま車を猛スピードで走らせる車好きであり、世界から疎外されながらも唯一の理解者である恋人との恋愛を語り、その結果としての破局を嘆き、幽霊までも見てしまう。それらの要素が入れ替わり立ち代わり、叫ぶようにたたきつけられ容赦がない。
平穏無事な日常にまったく安住していないところが魅力だ。


カヴァンの作品はたしかに創作なのだけれど、ただならぬ切迫感があって、今にも破滅しそうなぎりぎりの叫びがたまらなく良い。いわゆる日本の私小説は苦悩を描いてみせる作家の作為が読みどころなので、それはそれでおもしろいが、カヴァンの場合私小説に見られるような作為的な余裕がまるで感じられなくて、作者と作品に距離が無い。まさに荒れ狂っている印象だ。


表題作のバズーカというのは常に持ち歩いているヘロインの注射器のこと。だからといってヘロイン中毒自体が直接描かれているわけではなく、あくまで主題は世界に居場所を見つけられない苦しみだ。こんな狂乱を抱えた状態でもきっちりと創作されているのが持ち味というか、持って生まれた資質というものだろう。捨てがたい。捨てないけど。

拍手[0回]

読書
「消しゴム」 ロブ=グリエ 作


1953年発表当時、ヌーヴォー・ロマンの嚆矢として世界を震撼させた作品とのこと。
未遂に終わった殺人計画、被害者はそれをいいことに自分を死んだことにして姿をくらます。派遣された主人公の特別捜査官は、真相を究明するため被害者の住んでいた屋敷を中心に街中を西へ東へ一日中歩き回るが、手がかりらしきものは何も見つからない。とは言ってもまるで散歩しているような捜査で、切迫した様子はちっとも感じられない。謎は謎のままほったらかしだし、主人公はあちこちで消しゴムを買う。ヘマをした犯人と冷徹なボス。自殺説にこだわる凡人警察署長。一つの事件がいろいろな人間の思惑で解説されるうち、犯行現場に戻った被害者と捜査官が偶然にも未遂事件を完結させてしまう。


といった推理小説仕立てでまことに面白い。語り手も時間も重なり合うように行きつ戻りつ進むので、わかりやすい単線的な時間軸はない。またさほどではないが、人間の主観を離れて客観的事物をそのまま描写する作者おなじみの「視線派」スタイルもある。そういった諸々が発表当時はたいへん新しい試みであっただろうが、現在の我々が読むと、言われなければ気付かないくらい自然だ。人間中心の実存主義に反旗を翻したとされたスタイルも、すでに多彩な表現の一種として認知されているのか、それともその意味を失ったのか。そういう文学史的な役どころに感動しなくても楽しさは充分にあります。

拍手[1回]

読書
「赤い橋の殺人」 バルバラ
 作


150年間忘れ去られていた作家シャルル・バルバラの代表作。
貧窮にあえいでいたクレマンとロザリの夫婦。クレマンは実は無神論者なのだがそれを隠したまま、教会の世話で仕事を引き受け、以来急速に裕福になる。だが二人の精神生活はまるで落ちつきがなく、つねになにかにおびえている様子。それはかつて雇われていた証券仲買人の死が原因していた。彼の犯した犯罪とは?


ミステリー小説の嚆矢とも称される作品で、犯罪の実態が明らかになってゆくところは確かに面白いが、謎解き自体を目的とした作品ではないので、ミステリーの構造はいたって単純・ストレートである。むしろ完全犯罪をなしとげた男が、余裕綽々かと思いきや良心の叫びに打ちふるえる毎日をおくっているところがおそろしい。神を否定する無宗教の男にしてそうなのである。もとより共犯者の妻は精神が疲弊し、身体自体は健康体なのに日々衰弱していく。おまけに生まれた子供が自分達が殺した相手にそっくりであるという恐怖。男の哲学的煩悶が読み応えのある小説になっている。追われるように善行を積むが心の安寧は得られないのだ。

拍手[0回]

読書
「月と六ペンス」 サマセット・モーム
 作


昔読んでたいへん面白く、新訳(金原瑞人)が出たので読んでみたがやはりたいへん面白かった。こんな小説が読みたかったのだ。
かのゴーギャンをモデルにして書かれた話だが、実際のゴーギャンはこの主人公ストリックランドのような人物ではなかろう。創作だからそれはそうだろう。ストリックランドもその妻も友人の画家ストルーヴェも愛妻ブランチもそれぞれ極端に違った個性で誇張されて描かれているので、愛憎劇がすこぶる面白くなっている。


しかしその点では疑問もある。
先ずストリックランドの我が儘で他を省みない野性的な性格だが、それは彼が画家を志す前の平凡な株式仲買人として穏やかな家庭を築いていたときもそうだったはずで、あまりに落差がありすぎて不自然な設定に思える。
また友人の画家ストルーヴェは、お人好しで裏心の無い愛すべき道化としての役どころで、絵は売れるが実に平凡で没個性的なものばかり。ところがこんな男が審美眼だけは秀でていて、いち早くストリックランドの天才性を見抜くのだが、実際そんな背反する能力があるだろうか。まあ、無くはないか…。
ストルーヴェの愛妻ブランチが最初直感的に絶対拒否していた野人ストリックランドに、結局は心奪われてしまって、凡人の夫ストルーヴェを捨ててしまうのは、心配していたとおり(笑)で、こういうことはあるもんだ。


つまりゴーギャンの生涯をなぞってはいるが、話として面白くする為に人物の役どころが誇張されているのでいささかムリな展開もあるのだろう。しかし実に興奮するようにできている。


語り手「かりにあなたにまったく才能がないとして、それでもすべてを捨てる価値があるんですか?ほかの仕事なら、多少出来が悪くてもかまわないでしょう。ほどほどにやっていれば、十分楽しく暮らしていけます。だけど芸術家という職業は違う」
ストリックランド「きみは大ばか者だな。おれは、描かなくてはいけない、といってるんだ。描かずにはいられないんだ。川に落ちれば、泳ぎのうまい下手は関係ない。岸に上がるか溺れるか、ふたつにひとつだ」
これこれ、これですよ!
ちなみに自分はゴーギャン大好きです。

拍手[0回]

読書
「アレクサンドル・プーシキン/バトゥーム」

ミハイル・ブルガーコフ 作


ブルガーコフの戯曲2題。歴史的英雄に捧げられた作品で、しごくまっとうな内容であり幻想味やSF的な道具立ては無い。もっとも「バトゥーム」の英雄とはスターリンだが。


「アレクサンドル・プーシキン」:プーシキンは若くして国民的人気を勝ち取っていたが、夫人の愛人問題を理由とする決闘で命を落としてしまう。この作品にはプーシキン本人は登場せず、決闘に至るまでのいきさつと周りの人々の動揺が描かれている。
海外文学を読んでいると、夜会などでよく詩が朗読されるし、有名な詩作品が国民に愛誦されているが、こういう詩の大きな役割が実感としてよくわからない。この作品ではプーシキンの死に際して暴動まで起きている。


「バトゥーム」:バトゥームとは若きスターリンが革命家として活動を開始した土地。何故かブルガーコフはスターリンとは親交があったようで、革命後、芸術家として食っていく道をいろいろと頼み込んでいたそうだ。さすがに大革命の指導者だけあって、若い頃のスターリンはただものではない頼れる男である。といったオハナシ。

拍手[0回]

  
カレンダー
03 2025/04 05
S M T W T F S
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30
フリーエリア

「世の終りのためのお伽噺」
アックスストア
「洞窟ゲーム」
アックスストア 西遊
「西遊」
amazon ヨドバシ.com
アックス75号
アックスストア

祭り前

秘密諜報家
最新コメント
[08/13 筒井ヒロミ]
[02/24 おんちみどり]
[05/10 まどの]
[05/10 西野空男]
[01/19 斎藤潤一郎]
最新トラックバック
プロフィール
HN:
madonokazuya
性別:
非公開
自己紹介:
漫画家
バーコード
ブログ内検索
カウンター
アクセス解析
カウンター
カウンター
フリーエリア
Copyright ©  -- まどの一哉 「絵空事ノート」 --  All Rights Reserved

Design by CriCri / powered by NINJA TOOLS / 忍者ブログ / [PR]