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漫画家まどの一哉ブログ

   
読書
「アダムとイヴ/至福郷」 
ブルガーコフ 作

大好きなブルガーコフだが、戯曲を読むのは小説とはまた違って、どうしてもやや大味な感を受ける。内面に深く切り込むような作品でなく、社会の外貌を描くアイロニカルな作風だし、相変わらずとぼけた笑いもあって、いささかコント芝居のような印象を勝手に描いてしまう。ブルガーコフの友人ザミャーチンやチェコのチャペックの例をみても、社会主義黎明期は科学技術の画期でもあったのか、初期SFの設定がおもしろい。


「アダムとイヴ」:敵国の毒ガス攻撃によって一瞬にして壊滅したレニングラード。エフロシーモフ博士の開発したカメラから発する光線を浴びた数人の人々だけが生き残った。残された共産党員代表として統率を図ろうとするアダム。だが唯一の女性イヴの恋心はアダムからエフロシーモフへと移り変わっていく。そんな中、残された者の期待をのせて飛び立った仲間の飛行機が戻ってきたが…。


「至福郷」:天才技術者レイン曰く、時間は虚構で過去も未来も存在しない。この理論を実践するカタチで生み出された時間飛翔機。イワン雷帝を過去から呼び出し、自身は他の人間とともに2222年へとタイムスリップしてしまう。ところがその中に病的窃盗狂のミロフラーフスキーが混じっていた。はたして未来のソビエト至福郷の世界とは?

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読書
「上海」 横光利一 作


やはりスタイリッシュというのがいちばん合っているのだろうか?これぞ新感覚派という作品。既成の概念に沿って物事を整理しない、視覚・聴覚・嗅覚の感じるままに描くという点では、みごとに面白さが出ていると思う。1925年当時の猥雑な上海の様子が手に取るように伝わってきて、文章の魅力・迫力を存分に感じた。もちろん当時の上海を知らないから言えるのであるが。


五感で感じられるものの描写は申し分が無いのだが、それは内面を描かない方法であるとも言えるわけで、人物のリアリティが感じられず読んでいて虚しかった。主人公は貿易商社のかっこいいビジネスマン2人で、こいつらが虚無主義者なのであるが、なぜ虚無主義者なのかがわからない。長身で体つきもよく、トルコ風呂やダンスホールに女友達もいる。そんなどこかニヒルな商社マンという設定は、よく出来たエンターテイメントの主人公でしかなく、相手役のヒロインには夜の街で働く頭のキレる女や娼婦へと身を持ち崩す哀れな女、はては中国の美人革命家まで登場するが、役どころ以上の生々しさがない。まさに娯楽映画としてみれば申し分ない配役なわけで、映画的という意味では、それこそ五感に直接うったえる新感覚派ならではの狙いどおりの出来映えであった。


それだけになにを読まされているのかわからなくなってくる。5.30事件の排日・排英騒擾の展開はなかなかにスペクタクルで、街はたいへんなことになっているので読んでしまうのだが、いかんせん登場人物に上滑り感があり、では社会派小説かというとこれも表面的。文体自体はリズム感も緊張感もあって楽しいのに、なんだろうこの不毛な感じ。マルロー「人間の条件」にも虚無的なテロリストが登場するがこんなじゃなかった。

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読書
「暗室」 吉行淳之介 作


吉行なので言わずと知れた肉体関係の話だと思っていたら、はたしてそうであった。
それでも最初のほうのエピソードでは、主人公の青年時代に田舎の親戚の子だくさんの家で何日か静養していると、白痴に近い少女がひっそりと屋根裏部屋で暮らしているのに気付く。その少女は実はある有名な理学博士の妹で、若くして博士号をとった天才理学博士は、卑劣過ぎると噂される人間なのだ。
まるで横溝正史のようなおどろおどろしい話がこのあとどう繋がるのだろうかと期待していると、この話はこれっきりなのである。そしてけっきょく主人公と複数の女との愛をともなわない肉体のああだこうだだけがつながって行き、やはり吉行は得意なものしか書かないのかなと思った。


肉体以外の関係を持とうとしない男と女の心情を理解できる自分ではないので、ここからこの主人公の男(作者)の虚無と孤独を感じられるのかと言えば正直わからない。主人公は欲望のままに女の体を貪っていても、ああ楽しい楽しいというわけではない。相手の人格ごと愛することができないのだから、結局孤独感しか得られないのはあたりまえで、自慰行為と同じ理屈だ。そして実はほんとうは誰しもそうなのかもしれない…というところが実に吉行文学であるわけで、なんとも虚しい営みではある。


吉行の性的描写はエロチシズムとはまるで違う寒々としたものだから、耽美小説を読むようなノリでは歯が立たないのだが、この人間観に同意できるとすれば読む側の体質であるしかない。子供を作って人生を建設していくこととは真逆の、虚無を確認するためのようなセックスを読ませられて読んでしまう。それが楽しいわけではないから不思議なものである。

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読書
「倫敦塔・幻影の盾」 夏目漱石 作


ご承知のとおり漱石はロンドンに留学していたわけで、この短編集はロンドンを舞台にした作品を集めたものかと思っていたら、ふつうに明治日本の話もあり、要するに初期作品集であるらしい。それでも紀行文形式でロンドンを描いた「倫敦塔」や「カーライル博物館」はおもしろかった。「カーライルの顔は決して四角ではなかった。彼は寧ろ懸崖の中途が陥落して草原の上に伏しかかった様な容貌であった。細君は上出来の辣韮(らっきょう)の様に見受けらるる。今余の案内をして居る婆さんはあんぱんの如く丸るい。」はっはっは愉快愉快。


「幻影の盾」は不思議な魔力を宿す盾をもって、敵味方になってしまった愛する姫君を救い出さんとする若き騎士の話。幻想文学の王道を行かんとするような設定だが、結局盾は話の中であまり役割がなく、やはり幻想文学は漱石の得意とする範囲ではないと思われる。
漱石はアーサー王と円卓の騎士の話をおもしろがっていて、「薤露行」も「幻影の盾」もこの有名な物語を下敷きとして書かれているらしい。元ネタを知っていたほうがスラスラ読めただろうと思う。ランスロットの名前くらいしか知らなかった。


これら海外を舞台にした作品と比べて、近代日本の生活を描いた作品は、なかなかに描写がしつこく、そこをまだ書くかという偏執狂的なこだわりようだ。漱石は現実に即した作風で観念的な世界は出てこず、心理描写も常識的に理解できる内容だが、あっさりとは書かれておらず、いくら言葉にしてもまだまだ足りぬといった粘着質が感じらた。でも読んでいて飽きるということはない。

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読書
「淫女と豪傑」 武田泰淳 作

少ない読書体験で申し訳ないが、武田泰淳はなにを読んでも面白いな。ここに集められた中国を題材にした短編は、近代的な人権思想に目覚める以前の、残忍で欲望に忠実な、動物的な生命力にあふれた人間達が登場して痛快なおもしろさに満ちている。淫女と言うより烈女であって、あっさりと人を殺してしまうから、いきおい作品も物語的になる。


そうは言ってもいちばん良かったのは「盧州風景」という作品だった。やがて儚く死んでいく一看護婦の大陸での暮らしが、盧州の風景描写とともに綴られるのだが、その描写がなんとも寂しく美しい。遥か故郷を遠く離れて生きていく医師と看護士。べつに野心があってそうしているわけでもなく、これが与えられた運命なのだが、まさに人生は漂白だなあと思わされる。大陸にいると大きな歴史の流れに漂う人間の運命が、よりまざまざと感じられるのかもしれない。主人公は淫女でも烈女でもないが、楊(ヤン)さんという同僚の看護士が対照的にたくましい女性で、この人にとっては盧州も地元だからだろうか。


巻末に「淫女と豪傑」という短い評論があって、同じ事件でも豪傑の側から書いたのが「水滸伝」、淫女の側から書いたのが「金瓶梅」ということらしい。やはり「金瓶梅」のほうがおもしろそうだ。

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読書
「未来の回想」

ジギズムンド・クルジジャノフスキイ 作


80年以上前に書かれて現代によみがえった、まさに作品自体がそれである独自のタイムマシン小説。いわゆるSF小説の範疇に間違いなく属するにしても、まったく痛快な読み物ではなく、どちらかというと詩的言語を駆使して展開される世界は、読みにくいものだ。「トラックは蒸留酒を飲むのをやめると、酒臭い口臭を吐き出していた。屋根の勾配の上では、ラジオの音が、針金製の蜘蛛の巣を編みはじめていた。円口類の伝声管が周囲に何千という貪欲な耳殻を集めていた。バスの雄牛が、膝のスプリングを痛めながら、窪みから窪みへと体を揺らしていた。」など、けっして悪くはないが情景描写をことごとく何らかの比喩で表現しなければならないとも思わない。


それより時間に関する物理学的・数学的論理展開にもページが割かれており、その辺りは小説に馴染んでいる感じはまったくせず、自分などはおおいに苦労した。それでも通常の小説のように、主人公がタイムマシンを仕上げるまでの世間的苦労、金銭的苦労は、ソビエト革命へと移り変わる歴史的背景の中で面白く描かれていて、そこは読み慣れた小説のたのしみがある。


まさに混淆といったおもむきで、なんとか読み終えることができたものの、個人的には初めて食った外国料理のようなもので、咀嚼に時間がかかる。

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読書
「かつて描かれたことのない境地」

残雪(ツァンシュエ


幻想文学好きの自分としては、ポーやホフマンに繋がる者としてエリアーデやブルガーコフを愛読するところだが、この残雪も欠かせない作家だ。カフカ的という言葉でしばしば寓意的な小説が意味されるが、これは小説の意図を理解しようとする悪癖からくる解釈であって、不必要な評価だ。残雪こそ本来的な意味でカフカ的世界に寄添う作家だと思う。と言うより残雪はカフカと並んでまったくオリジナルな幻想世界を持つ作家である。


なにかしら常に暗闇の中を歩くような、周囲の状況が曖昧で判然としない、まさに夢の中の出来事のような作風。理不尽な状況。これこそ世界に投げ込まれている人間の生々しい感触ではないか。

「ライオン」:動物園からライオンが逃げ出して街の中にいるはずで、非常に恐ろしいのだがはっきりしない。ある人の家でライオンが飼われているのを見たとか、ある人が襲われて死んだとか噂を聞くが、なんとなく街のどこかにいそうだというだけで日常が進んでいく。
「少年小正」:山中の野草を食べることで超人的な能力を身につけた先生は、部屋の中で大きな模型飛行機を少年に作らせるが、その飛行機の中には甲虫のたくさん入った細口壜が仕込まれている。彼の父親は不思議なことに飛行機を壊さずに、その細口壜を取り出すことができる。飛行機は完成しても飛ぶことはなかった。
そろばん」:故郷の者だという見覚えのない男に連れられてホテルで会話してみると、故郷は水害にあったという。もともと炭坑の街だったが彼はまったく故郷のことを覚えていない。いつのまにかポケットに小さなそろばんが入っていて、どうやらそれが唯一の故郷と繋がる証拠らしい。彼は地下室に連れていかれ難詰されるのだった。


どうにも納得いかない状況ばかりが連続して、出口がない日常がくりかえされる。

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読書
「転△生」 甲野酉漫画全集1



甲野酉作品はそのおとなしい地味な表現ゆえに、ひょっとして私漫画のような文学的な世界を予想すると違うのである。いかにも漫画ならではの面白さで構成された短編ばかりで、幻想的で奇怪な事件が起り、解決されないままさらにエスカレートして終わるといった作風。わかりやすい漫画的記号によるデフォルメやキャラクターデザインがなくても、漫画ならではの楽しさを得ることは可能なことが解る。「受験霊」「ある病院にて」など、とぼけた妖怪や精霊が出てくる話が愉しい。


学校という空間は、人間関係の距離の取り方や社会の中での自身のポジショニングなどを、露骨なカタチで浮かび上がらせるところだからだろうか。甲野酉作品には学園ものが多い(学園ものという言い方で想像されるモノとはかなり違うけれども)。作者は社会と独特な距離感を持っていて、まるで自分が仮面をつけた存在であるかの如く、自身をも社会をも客観視している。この立場から見た世界が活きてくるのが学校という題材なのかもしれないが、ほんとうのところはよくわからない。


ところで学園漫画は教室の机・椅子を正確なパースで描くのが面倒そうですが、教室という設定を最初に解らせてしまえば、あとはほとんど背景がなくても全く不自由しないことに気付きました。


購入はnisinosorao@yahoo.co.jpまで







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読書
「ピサへの道」七つのゴシック物語1 イサク・ディネセン 作


不思議なことや奇抜なことがあれば幻想文学かというとそうではなくて、幻想文学のつもりで読んでないのに何やら不思議な感覚を得るというぐらいがよい。この短編集はそのあたりがちょうど心地よく、落ち着いた味わい深い描写を楽しむことができる。ストーリー上の大きな仕掛けは要らないくらいだが、なんとどの作品も最後にどんでん返しがあって驚いてしまう。


「猿」:猿をはじめ、院長がいろいろな動物を飼っている修道院。ある貴族の若者が古城に暮らす令嬢に結婚を申し込むが、彼女は非婚主義を貫く。この結婚話をぜひとも成功させようと修道院長は企画する。このなりゆきは面白いが猿は全く出てこない。と思ったら最後に意外なカタチで猿登場!


「ノルデナイの大洪水」:国中の人の尊敬を集める枢機卿は、洪水で被災したノルデナイの街で支援活動に励み、取り残された人達に混じって救出までの夜を明かす。残された4人が交替に語る過去の人生は波瀾万丈だ。そしてそのまとめ役たる枢機卿にはとんでもない秘密があった。これもビックリ。


ストーリー自体も面白いがそれは大筋であり、この大筋以外の小筋などはなく、心にしみ込む語り口ばかりがある。登場人物も類型的なところがなく、ただならない人間性を描いていて読み捨てにできない。キャラクターといったお手軽なものとは無縁で情景描写も美しい。それでも物語があってオチがあるという不思議な手ざわりの二重構造を持った作風。これもアリ。

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読書
「困ってるひと」 大野更紗 著


重度の自己免疫疾患に見舞われて、数々の症状を併発。国内でも非常に珍しい難病の体験者となった著者の悲しくも明るい闘病記。


かのブッダ言うところの人間の4つの苦しみ、生・病・老・死。これらはみな自分の意志とは無関係にやってくるモノなのである。こればっかしはどうにもならない。そして病気というヤツは、これも自分の予測に反してやってきて、人生行路の諸段階を激変させてしまうのである。実に困ったもんだ。


その病気との闘いがあまりに明るいタッチで書かれており、わくわくと楽しい気分で読んでしまう。病いそのものはもとより、医者や福祉制度との格闘も様々だ。しかしその実非常に過酷な話であって、病院生活の後半、だんだんと自身の孤独を知り、恋する人を想うあたりは、どうしても本をなんどか中断しなければ読めなかった。それだけ辛く重い中身なのであるが、それさえもこんな明るい描写に変えてしまうところに、著者の資質とはいえ絶望を乗り越えた人の強さを感じた。


人間明るく笑って過ごしたほうが免疫力が上がって病気にならないもんだが、自己免疫疾患の場合、免疫がアップすると病気が悪化するならば、この矛盾をどうしたもんだろう。

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