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漫画家まどの一哉ブログ

   
カテゴリー「読書日記」の記事一覧
読書

「カンディード」

ヴォルテール 作

これは18世紀の作品だが、近代文学のようなリアリズムがなくったって面白いものはいくらでもある。

疑う事を知らない純粋な主人公カンディードが過酷な運命に翻弄され世界各地を放浪するのだが、同行する仲間の人物達もかなり悲惨な生涯を生きる人々ばかりだ。

これは何故かというと「カンディードまたは最善説」というタイトルからもわかるように、この作品全体がオプティミスムに対する批判として書かれているからで、この場合のオプティミスムとは現代でいうところの楽天主義ではなく、当時支配的であったライプニッツの最善説というものである。神様の作った世界であるからには、世の中で起きる事は悪い事も含めてすべて最善の結果として現れているという考え。造物主という前提がなければとても納得できない説だが、1755年にリスボン大地震が起きて3万人が犠牲となってからは、ヴォルテールはいよいよこの考えに異議を唱える気になったようだ。

そんなわけで主人公カンディードは波瀾万丈の冒険をくりかえしながら、いつまでたってもお人好しなのだ。最後の最後に仲間と流れ着いた土地でささやかな畑を耕して生きていく。ようやく虚しい哲学的思弁  を捨て、実直な日々の労働に幸福を見出すという結末は、なるほど人生哲学として正解だが、ただしこれはあくまで平凡な人間の喜びの一面であって、曲者ヴォルテールがこれをもってすべて解決としていたわけではあるまい。

同時代のルソーが「告白」を書いたように冗談抜きで自己をそのままさらけ出して真実を訴えたのとは違って、ヴォルテールのように自身の思いを直裁に物語化することが照れくさく、どうしてもコントの体裁をとってしまうのは、自分もおおいに共感できる所です。もっともルソーの「孤独な散歩者の夢想」は本人がマジな分、読んでるほうは爆笑してしまうという傑作だった。

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読書
「白鳥の歌/貝の音」

井伏鱒二 作

この短編集には純粋な空想による時代劇なども数作含まれているが、自分としては作者が日常の中で出会った出来事を繋いでいったような作品が好みだ。けっこう題材として愉快なことがあるもんだ。

「白鳥の歌」:瀬戸内の因島にある医院の二階に下宿している学生時代の作者。港町の劇場付きの下宿には、旅の一座が背負った借金のカタに、後桐という女形が置き止めをくらっていた。モルヒネ中毒の発作でよく医院へ飛び込んでくるこの男に頼まれ、チェーホフの「白鳥の歌」を歌舞伎風に翻案することになってしまう。

「下足番」:早稲田江戸川橋にあった娘義太夫の定席によく気のつく下足番がいたが、最近行ったある料理屋旅館の番頭によく似た男がおり、問うてみると果たして本人だった。山形の田舎出身の彼は、実は村の川にかかる橋を爆破して逃げてきたいきさつがあった。

「病中所見」:作者は甲州へアンゴラ兎を買い付けにいって突然ギックリ腰を発症してしまう。なじみの旅館までタクシーでのりつけて、女将や女中に教わったとおりに腰をいたわりながら過ごした数日の話。

土地の旦那からなじみの芸者を隠す話や、女将が世話を焼いているぼんやりした見習い青年の話など。

どの話も市井の人々の飾らない会話を読んでいるだけで楽しい。現代の教養ある都市生活者の日常じゃこの楽しさは出ない。

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読書
「五里霧」 大西巨人 作

長編作家として知られる大西巨人の短編集。いつもながらヘンに堅苦しくてゴリゴリとしている愉快な文体で短編を読むと、味わいもないまま終了してしまう。と思ったらそれはそれで情感も豊かで、やはり純粋な日本文学であることに今さらながら気付くしだい。

「立冬紀」:1937年、鹿児島から福岡の家へ戻る汽車の中、主人公は八代駅であわてて二箱弁当を買ったが、開けてみるとどちらもおかずばかりで飯はなかった。この失敗で同席の人達の笑いを誘い仲良くなった。同席のうち二人の女性は「あき子ねえしゃん」と「としえしゃん」。一人の男性は巡洋艦足柄の乗組員で帰艦命令を受けて戻るところだ。おりしも盧溝橋事件が起き、いよいよ本格的な戦争に突入するのだろうかという不安入り混じる会話が続くが、主人公は実は福岡にナイトショーの映画「白き処女地」を見に行くために帰るところなのだ。九州弁が実に心地よく響く。

「底付き」:1931年、相良と妻やすのの家では博多人形を売って暮らしている。花札勝負に明け暮れるルンペンプロレタリアートの旦那銀之助が大阪へ商用で行ったきり帰ってこないのを心配した見世(みよ)は相良夫妻宅へ相談に訪れたが、どうやら銀之助が運んだ博多人形は「ソコツキ」といわれる裏面に卑猥な細工を施した特殊なものであったらしい。もちろん「底付き」とは女性器に対する一種の秘語でもある。

「連絡船」;1941年、門司の下関対岸にあたるところに和布刈神社というのがあって、大阪日々新聞福岡支社で雇い員を勤める桜井は、恋人である未亡人の華子とたびたび訪れていた。そこは関門海峡の連絡船乗り場でもあるわけだが、「人は精神の、魂の、連絡船を持つべきであるが、数年このかたまるでそれを持たない」と思う桜井。華子も桜井もともに人生に落莫の風を感じて生きている。そんな中とうとう出征となった桜井は、家庭の窮迫で学業をあきらめることになったある少女の支援を華子に托そうとする。

この短編集には現代を舞台にした作品も多く含まれているが、自分が気に入ったのは戦前の話ばかりだ。ドラマがある。それに九州弁の小説が大好きなのだ。

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読書
「夢小説」 
シュニッツラー
 作

医師フリトリンは、愛していながらも実は揺れ動いている妻アルベルティーネの本心を打ち明けられて、夫婦間の愛に虚無的なものを覚えた。彼を慕っていた患者宅の娘を袖にして、下町の娼婦と一夜を共にするが、それでもまだ心は晴れない。

そんなとき旧友のピアニストに再開し、秘密の仮想舞踏会が開かれていることを知る。旧友に頼み込んで合い言葉を教えてもらい、自身も仮装してこっそりとその仮想舞踏会にまぎれ込んでみると、男達はほとんど仮面をつけた僧服姿。そして女達は顔に仮面と薄いヴェールをつけたほかは一糸まとわぬ姿のまま、ダンスパーティーが始まったのだった。

そのとき医師フリトリンは一人の女性に「ここにいては危険だからすぐに逃げるように」と再三忠告されるのだが、全裸の女性にそんなことささやかれても冷静でいられないよねえ。結局フリトリンが闖入者であることはバレるが、その謎の女性が身代わりとなって、彼は暴力も受けずに会場から追い出されただけですんだ。

その後懸命に謎の仮想舞踏会の正体を探ろうとするが、身の危険をおぼえるだけで結果は得られず、しかも謎の女性は死を持って報われたかもしれず、謎は謎のまま再び日常が始まろうとするのだった。

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読書
「真昼の暗黒」 
アーサー・ケストラー 作


アーサー・ケストラーといえば「偶然の本質」などスピリチュアル研究者だと思っていたが、こんな壮絶な内容の小説を書いていたとは。まさにソビエトにおいてスターリンの独裁体制が確立してゆく、その粛正の恐ろしさをブハーリンの運命をモデルに描いた社会小説。革命後の政権にあって枢要な役割を演じた主人公ルバショフ(ブハーリン)もナンバー・ワン(スターリン)の容赦ない権謀によって独房に監禁されている。始めから終わりまでこの独房生活が話の中心だがまったく退屈しない。壁をコツコツとたたく回数でアルファベットを現す秘密の暗号があり、独房同士はこの方法で通信することが出来る。監獄での出来事は一斉に伝わるのだ。


主人公ルバショフと同じ革命世代の幹部は、反革命的計画を自白することによって、まんまと極刑を免れる方策を彼に示唆した。だが時代は既に変わっていて、革命前夜を知らない若い指導者達は彼ら旧世代を一掃する意味で容赦なく死刑を宣告していく。若い世代の信念はこうだ。「歴史の中でたった一国立ち上がった社会主義国ソビエト。これはほんとうの世界革命が成就するまでなんとしても倒れてはならない。ナンバー・ワンのもとに結集しプロレタリア独裁・共産党政権を絶対守り抜かなければならない。」だが、そうやって死守した国家はもはや後世に残すべき意味のない醜悪なものに成り果てていたわけだった。連日連夜の尋問で主人公が自白に至る過程はリアル。そして暗黒裁判へと進む。


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読書
「文藝春秋・短編小説館」


1991年発行の当時「文藝春秋」に掲載された作品を集めた短編集。作家は丸谷才一、安岡章太郎、藤沢周平、大江健三郎、吉行淳之介、村上春樹、三浦哲郎、田久保英夫、大庭みな子、遠藤周作、河野多恵子、瀬戸内寂聴、古井由吉、日野啓三、吉村昭。


この後あれよあれよという間に何人も死んでいく。多くが晩年の作品だ。

さすがに才能豊かな作家も晩年になると想像力が失われてしまうのか、小説といっても身辺雑記的なものが多い。この短編集の中でも安岡「叔父の墓地」、吉行「蝙蝠傘」、瀬戸内寂聴「木枯」など全くその類いでエッセイというならば申しぶんないのだが、これを小説といわれると違和感がある。伝統的に私小説という分野があるにしても、自己の生き様に迫るといったギリギリ感もない。もっとも安岡の文章は自分にとっては絶品というやつだ。


河野多恵子「怒れぬ理由」なども、あまりにも細々とした私生活が描かれていて、他人にとってはまったくどうでもいいハナシだ。社会階層も私とは違っていて困ったもんだ。ただ作者特有の霊魂観がおもしろくて要約すると、「霊魂は多分に無機的な電気の一極のような性質を持っていて、縁あった生者が故人のことを思い出したり語ったりすると、それに反応して電流が通じる。これを感知できるのは生者の側だけである。生者がしだいに亡くなって故人を偲ぶ人が誰もいなくなれば、霊魂は消滅する。」というものである。


この顔ぶれの中では一番若い村上春樹「トニー滝谷」がいちばん小説らしい小説で面白かった。

村上春樹「トニー滝谷」:ジャズミュージシャンの父親にトニーという名を付けられた主人公。テクニカルイラストレーターの腕を活かしてひとりぼっちの人生を歩んできた彼。初めて惚れて結婚した女は狂ったように洋服を買ってしまう女。彼女が亡くなった後、残された山のような洋服の中で本当の孤独が胸にせまる。

三浦哲郎「添い寝」:温泉地で働く巴。彼女の仕事は70歳以上の老人男性限定で一晩添い寝するという変わったものだ。朝起きると隣の老人が冷たくなっていることもある。そんなある日、むかし東京の出版社で働いていたときの同僚が訪ねてくるが、彼女はまったくさばさばしたものである。人生の変転を描くもユーモラスな一品。

遠藤周作「取材旅行」:作者は取材のため土地の人間ですら知らない戦国時代の城跡や屋敷後をめぐる。若き秀吉が仲間の蜂須賀小六たちと奮闘した、小牧・犬山あたりの小城主達とのかけひきが明らかにされて興味深い。


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読書
「モーパン嬢」 
テオフィル・ゴーチェ 作


詩人ダルベールは理想の女性を追い求めてやまない青年だ。女性に対する美学には大変厳しいものがある。ロゼッタは完璧には理想の女性ではないが充分魅力的な女性で、彼らは付き合ってはいたが、本心では愛し合ってはいないことがだんだんと明らかになってきた。そんな時に現れた騎士テオドール。彼はロゼッタがずっと心慕っていた永遠の恋人であり、ダルベールにとっては男ながら虜にされる程の魅力的な紳士だった。それもそのはず騎士テオドールとは、実は男勝りの令嬢マドレーヌ・ド・モーパンその人なのである。しかも連れている小性すらが男装の少女なのだ。この摩訶不思議な恋愛模様の結末やいかに!


というわけで、ほんとうは恋愛ものはさしたる興味もないのだけど、展開が面白くて読んでしまった。ふつうの地の文もあるが、手紙の形式で書かれた章や、セリフで綴られた章など、手を替え品を替えの工夫満載だ。主人公のモーパン嬢が男に変装しているので、バレやしないかとこちらはドキドキする仕掛けになっているのだ。


この時代(19世紀フランス)に男性的な気質を持つ女性を登場させたゴーチェの人間観が鋭い。女同士のキスや触れあいなどのからみもあるが、結局モーパンはダルベールに身体(処女)を捧げ、ベッドシーンの描写もちゃんとある。

実はこの小説、長過ぎる序文がくっついていて、そのなかでゴーチェは昨今の文芸評論家の道徳家主義を猛批判している。小説や芝居には強姦も殺人もあってあたりまえで、説教臭いこと言うな。といった論旨。そんなわけでこの作品もしっかり性愛を描いているのです。でもあんまり売れなかったそうです。とほほです。


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読書
「信長 あるいは戴冠せるアンドロギュヌス」

宇月原晴明 作


ローマの変態皇帝ヘリオガバルスによって奉じられた牛頭人身の両性具有神バール。このシリアの荒ぶる古代神は、尾州津島の牛頭天王(ごずてんのう)と同体であり、1千年後織田信長によって奉られたのではないか?そして実はヘリオガバルスも織田信長も両性具有者(アンドロギュヌス)だったのではないのか?ベルリンで謎の日本人青年の訪問を受けた前衛詩人アントナン・アルトー。二人はこの信長伝説を証明するべく、しだいに親交を深めていく。だが実はそこにはナチスとヒットラーによる罠が仕掛けられていたのだ。


ナチスが台頭するドイツと、戦国時代の日本を往還して進行する奇想天外なストーリー。東西の古代神話をひもときながら仮説どうしを結びつけていく作業は、しょせんエンターテイメント上のこじつけであり、そのまま語られても退屈なものになりがちだが、どうしてナチとアルトーのスペクタクルなんかも取り混ぜてあって、なかなかに面白い。

それよりも半分以上を占める信長vs戦国大名のせめぎ合いが、ふつうのエンターテイメント歴史小説として出色の出来でわくわくする。司馬遼太郎と山田風太郎の忍法帳シリーズを合わせたような楽しさがあった。


これだけの奇想小説だが、あくまで娯楽のために計算されて仕掛けられているので、奇書といった感じはしなかった。小説における文体は漫画における画質と同じで、エンターテイメント小説には個人的に受け付けないものが多いのだけれど、この文体は気持ちよく読めた。と、これはあくまで個人的な話。



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読書
「モルヒネ」 ミハイル A. ブルガーコフ
 作


ブルガーコフは短く書き散らしたものでも、メモのようなルポでも、なんでも面白い。短い中にも変化があって、セリフも多様で飽きない。この短編集は、白軍が敗退し、まさにソビエト連邦が立ち上がろうとしている混乱の時期を生きた彼の全人生が背景となっている。地方勤務医としてスタートし、就職したソビエト政治人民委員会政治啓蒙機関文学部門(リト)解散に至る頃までの苦難の経験の数々。作者が見たものは社会の矛盾や人間の卑小なあり方。それがつねに風刺の対象となっているのです。


「話す犬」:長編「犬の心臓」でも人語を操る犬が出てくるが、ブルガーコフはこのモチーフが好きなようだ。サーカスの舞台に登場した話す犬に驚いて高値で買い取るが、残念ながらだまされているのだった。


「ある医師の異常な体験」:ブルガーコフは基本的に反革命軍の軍医だったわけだが、戦乱の中で身分が保障されるわけではなく、その時の勢力に従いながらあちらこちらへ放浪する。藁を積んだ二輪馬車に揺られながら、北カフカス・チェチェン地方を行く話。


「カフスに書いたメモ」:作者はモスクワで職を得るため、リト(政治人民委員会政治啓蒙機関文学部門)に応募して書記として採用される。これが事務所に2人しかいない状態で、職を得るのが早い者勝ちなのがヘンだ。あとからも数人詩人が応募して定員となるが、はたして給料はちゃんと出るのか?まるでいいかげんなソビエト黎明期。


表題作「モルヒネ」は以前別の訳で読んだが、本人の中毒体験をもとにした痛々しい話で、やっぱり名作だ。



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読書
「短編小説日和」 西崎憲 


英国異色傑作選というサブタイトルがついているだけあって幻想味豊かな小品集。

いわゆる文豪ではない作家が多く、自分などは初めて読む作家がほとんど。自分の苦手なオチでびっくり的作品もあるにはあったが、多種多様で楽しかった。

ところで文庫巻末の短編小説論は大枠はつかみながら、面白さの根幹には迫っていない気がした。この論考の中にあるように、AI(人工知能)に文学的構造をもとにある主題を与え、短編小説を書かせて、それを例えばチェーホフ風にアレンジさせることは簡単にできるかもしれない。ただその場合、作者は誰になるのか?などという問題より、作品自体が絶対面白くならないと思う。なぜならそれは経験知しか材料がなく、プロットや文体以外の予測がつかない部分が何もないからだ。小説も漫画もそこが面白いのだし、他人には容易に解説できない(作者本人にも)部分がキモなのです。


「豚の島の女王」ジェラルド・カーシュ:無人島で新種の人類かと見紛う不思議な遺骨が発見される。孤島に漂着したサーカスのフリークス達は、いかなる最後を遂げたのか。異色の発想。


「看板描きと水晶の魚」マージョリー・ボウエン:水晶で出来たうつくしい魚の置物が2体あり、河に放すとキラキラと泳ぐ。ジェームズ卿は看板描きを殺害して水晶の魚を奪ったのだが、婚礼の日に殺されたはずの看板描きに自分も殺された。と思うと死んだジェームズ卿は川岸で女と看板描きの行方を見ているのであった。なんとも夢幻的な世界。


「小さな吹雪の国の冒険」F・アンスティー:おもちゃ屋でスノードームに見入っているうちに、おとぎの国に迷い込み、囚われの身となっている王女を竜から救い出すこととなるファンタジー。竜と対決するのに弁護士としての訴訟能力を最大限発揮しようとする主人公と、王女様とのズレっぷりがおかしい。


「輝く草地」アンナ・カヴァン:なぜ危険なロープと滑車を使ってまで、切り立つ崖に生い茂る雑草を刈らねばならないのか。荒涼たるカヴァン的心象風景。


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