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漫画家まどの一哉ブログ

   
カテゴリー「読書日記」の記事一覧

読書

「おはん」 宇野千代 作

 

情念といわれると、なにか非常にしつこい重く暗い感情を思い浮かべる。人生の紆余曲折の中で離れられない男女の愛情や恋情など、丁寧に描いてゆけばたちどころに情念の世界が完成するだろう。この小説にそれほどの重さを感じないのは、二人の女にひかれる主体性のない男のどうしょうもない感情を綴っているからだと思う。しかしこれも情念と言えばそうなのかもしれない。女の方はいかにも弱気な元妻と、いかにも気の強い愛人で、性格的にはわかりやすく、それだけに煮え切らない男の態度が際立つ仕掛けなのだろうか。

 

二人の女どちらにもずるずるといい顔をして、いよいよことが露呈して破滅するのではというスリル。ドキドキして続けて読めずに何度も本を閉じた。全編この男の独白というスタイルで、まといつくような関西弁の捕まえたら離さない口語体が、意志の弱い男の感情をそのままに伝える気がした。高尚なことや深い思索などは全くないのだが、感情の表現は緻密で、これぞ芸術のおもしろさ、むずかしいことはいらない。この文章さえあれば酔える。

 

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読書

「宇宙戦争」 HG・ウェルズ 作

映画は未見のまま作者ウェルズを信じて読んだ。

なんといっても火星からの侵略者に襲われたロンドンは汽車と馬車の時代。そんな時代に金属製でピカピカと光る大型戦闘マシーンが現れるのだから、その落差たるや現代SFの比ではない。火星人の大型戦闘マシーンは三本足の乗り物で、ヒュンヒュンと地上を走り回る。火星には車輪という概念がないという設定なのだが、今でこそ人間が乗り込んでの巨大ロボは数多溢れるけれど、これはウェルズがまっ先に考えたアイデアではないかとも思う。乗り込んでるのは火星人だけど。

 

自分にとっておもしろい初期SFは、現実社会の描写がしっかりとリアリティを感じさせるもの。幻想小説のつもりで楽しんでいるので、現実をきっちり書いてもらった方がより空想が映えるというものだ。ウェルズの短編はみなおもしろい。こういう長編でも飽きずに読めるのは、戦闘自体を描こうとしていないからだろう。だいたい火星人と当時の人類では力の差がありすぎて戦闘にならないから、地球人はただ逃げ惑うばかり。そこを多く描いたパニック小説と言えるかもしれない。英雄が出てこないから読めた。

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読書

「幽霊たち」 ポール・オースター 作

主人公ブルーがホワイトから任された仕事はブラックという男を見張って報告するというものだった。以来ブルーはブラックの住む部屋が見える隣のマンションの一室に陣取り、ひたすらブラックの行動を監視する日々が始まった。ところがブラックは毎日ただただ机に向かって書き物をするのがもっぱらで、ほかにこれといった行動をしないのだ。なんとも退屈な尾行作業が続く。 業を煮やしたブルーはいろいろと変装を試みてブラックと会話。するとブラックは自分の仕事はある男を終日見張ることだというのだ。やがてとうとうブラックの部屋に忍び込んだブルー。そこで彼が見たブラックの原稿は、ブルーの書いた報告書だった。ついにブルーはブラックと直接対峙するが …。

 

ブルーもホワイトもブラックも、ほんとうは何者なのか得体の知れない人間たちによって、輪郭の茫漠とした物語が語られる。徒労とも思える監視作業ははなはだ不条理なので、逆に興味をそそられる具合だ。もちろん最終的に謎解きがあるようなたぐいの小説ではないことは読んでいて解るので、おそらく種明かしはないだろうと思っていると、最後に銃や殴打などアクションも出てくるにせよ果たして謎のままだった。なんと不思議な話だろう。ただブルーの困惑と懊悩が他人事ではないので読んでしまう。純粋なエンターテイメントだと全部他人事なのでこうはいかない。

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読書

「トモスイ」 高樹のぶ子 作

一度は読みたいと思っていた高樹のぶ子。この本はアジア各国の文学者を尋ね、作者自身も触発されて短編を書くというプロジェクトの結果出来た小説をまとめたもので、ふだんの長編とはかなり違うだろうと推測するがこれはこれで面白く読めた。

 

「トモスイ」:夜釣りに出かけて、トモスイとよばれる何やら裸の貝のようなものを釣り上げる。それは地元の名物で、突起物と反対側の穴との両方から口を付けて、ちゅるちゅると内容物を吸うととても旨いといういささか気味の悪いお話。

 

「天の穴」:台風の夜、運転中に少年に接触しそうになるが、彼は台風の目を追いかけているのだった。車に乗せてみると気象天文にやたら詳しい。やがて見つけた台風の目のむこうに見える渦巻銀河。彼を残して死んでいった肉親たちは、いつの日か台風の目からこの世に落ちてくるという。

 

「どしゃぶり麻玲」:なにもかも運命と捉える少女麻玲。雨宿りのデパートの玄関で出会った彼女に案内され、同行した写真展は彼女の父親の遺作展だった。だが実は麻玲はすでにこの世の人ではなく、主人公の私の心の中で生きる娘なのだ。

 

「唐辛子姉妹」:そもそも韓国の唐辛子は、豊臣秀吉によって伝えられたという伝説を語り合う姉唐辛子と妹唐辛子。二人はやがて摘み取られ、麻袋に入り、そのあと瓶に詰め込まれて赤くなった。二ヵ月後あるレストランでいっしょにペーストとなり、人間の腹の中へ。間もなく大阪へ渡り、真っ赤な水となって排泄されたのだった。

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読書

「雨の中の蜜蜂」 カルロス・デ・オリヴェイラ 作

1953年発表、ポルトガル・ネオリアリズム文芸の代表作。 商人兼農場主の主人公は、なにやら常にくよくよと悩んでいる男で、自分がこれまで犯した罪と呼べるほどでもない罪を、神父に懺悔するばかりでは足らず、地元の新聞に記事として発表しようとする。このおかしな行動は阻止されるが、そもそも落ちぶれた名門の出身である自分の妻を、この行為に巻き込んで恥をさらしてやろうとする下心もある。そんな主人公は大酒を喰らって酔いつぶれ、妻に寝室から追い出しをくうが、明くる早朝自分の雇っている御者と、近所の陶工の娘との逢い引きを知ることとなり、これを陶工に密告。怒った陶工は弟子と組んで御者を撲殺してしまい、密告した主人公はますます良心の痛みに苦しむこととなるという粗筋。

悲劇と言えば悲劇に違いないが、主人公の情けなさが可笑しいので全編気持ちよいユーモアに満ちている。主人公はいるものの、上流から下層までいろんな住民が登場する集団劇でもあって、ストーリーよりは人物描写が小説の中心となる。

また主人公は基本的に死の恐怖にとらわれていて、雨に打たれて死んでいく蜜蜂の如く人間の行く末のはかなさに日々思いをはせているが、けっして達観しているわけではなく、その恐怖におののいているのだ。まことにキリスト教徒にしては人間として正直だ。神父は彼の信頼を勝ち得ていない。この小心でちっぽけな人間が、酔っぱらいながらおろおろと過ごす、実はたった2日間が描かれている小説なのである。

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読書

「無銭優雅」 山田詠美 作

恋愛小説という分野が苦手でふだんとんと手を出さないワタクシであるが、これは面白かった。主人公の二人は45歳同士で大人の恋愛なのだが、大人の恋愛ときいて思い浮かべる格好の良さとはかけ離れた、子供のように愉快なふたりなのである。全編に渡って語り手である主人公の彼女が、いかに相手の男が自分にとって理想の男であるか、その楽しさを語りまくる。ただそれだけで小説一本が仕上がっていて、最後に少しばかりの波乱があるものの劇的なストーリーはなく、彼女ののろけ話を聞かされているのが実に愉しい。 彼氏の方は乗り物が苦手で行動範囲も狭い、なんとなく頼りなげな予備校講師なのだが、彼女の言わんとするところををまさにピンポイントで受け止める希有の存在。やっと見つけた理想の男性。自分を全部わかって受け止めてくれる男と過ごせる、これぞ恋愛の極みといった話。

舞台である彼氏の住む古い日本家屋と雑草生い茂る中庭。そこで出される旨そうな料理のあれこれ。それらもこの小説を盛り上げる愉しい道具立てだ。また彼女の家は二世帯住宅で兄家族と両親もいっしょに住んでいる大家族で、そのメンバーたちのそれぞれ違った性格ゆえの事件。こんなところも話を膨らませてくれる。それに彼女は花屋で働いていて、花屋でのエピソードもちらほら。また作中世界の名作文学から、これぞというべき恋愛名文句が引用されていて、それが区切りとなっている仕掛けも効果的だ。

 

とにかく二人が幸せで過ごしているから、読む方としてはこのまま幸せが続いてくれるのか不安になってしまうくらいだが、そんな泣かせるような展開もなくてよかったよかった。やっぱ恋愛小説に安っぽいドラマは要らないよねえ。

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読書

「ダマセーノ・モンテイロの失われた首」 アントニオ・タブッキ 作

ポルトガルの地方都市が舞台。ある朝ジプシーたちが住む草原で首なし死体が発見された。大衆新聞の若手記者フィルミーノは、早速社命によって現地入りし取材活動を開始。犯人不明のまま手探りで取材を進めるうち、電話で匿名の情報を受ける。

殺されたダマセーノ・モンテイロは、仕事先で輸入している精密機器に麻薬が忍び込まされていることに気付き、これを密かに横取りして儲けようと企んだのだ。ところがこの麻薬密輸入は国家警備隊員によるものであり、秘密を知ったモンテイロは、哀れ拷問されて殺されてしまったのだった。

この官憲による犯罪をなんとか証明し、犯人の国家警備隊員たちに有罪の判決を下すため、記者フィルミーノは地元の老弁護士ドン・フェルナンドと手を組む。博覧強記の個性派弁護士フェルナンドは独特の哲学的な論証で国家警備隊員の犯罪を証拠立てようとするが…。

 

幻想文学の語り手として、タブッキはかつて自分も読んだことがあるが、この作品はかなり傾向の違うものだ。実際の事件をもとにして書かれた社会派小説とも言うべきものである。ミステリー仕立てで進むためわくわくとしながら読めるが、老弁護士ドン・フェルナンドの口を借りて社会哲学のようなものが縷々語られるところは、ミステリー一般とはほど遠いこの小説ならではの醍醐味である。一にも二にもこの小説の面白さは、難事件に立ち向かう若手記者フィルミーノの行動力、そしてフィルミーノに指示を出す老弁護士ドン・フェルナンドの頭脳と蘊蓄。このふたりのタッグにあった。それでもあくまでミステリーではなく社会派小説だからおもしろかったのだ。もっと読もうタブッキ。

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読書

「風音」 目取真 俊 作

 

沖縄文学。森に囲まれ河口に面して連なる断崖。その一部平らになったところは古来より伝わる風葬場だった。戦後石の階段が取り外され、今では昼顔の蔓草を伝って崖をよじ上っていくしかたどり着けない場所だ。その崖の上ではかつての特攻隊員の頭蓋骨が虚しく空を見上げ、風が吹くたび泣くような音を立てるのだった。子どもたちは勇気を試す為にここを訪れ、大人たちは沖縄戦を象徴するものとして、この頭蓋骨をルポ番組にしようとしている。敗戦間際、なぜここに特攻隊員の死体があったか。そのいきさつを知る男とその家族の過去と現在を巡るおはなし。

小説としては伝統的な文学の王道を行く構成で、落ち着いて読める。

 

芥川賞受賞作の「水滴」は男の片足が異常に肥大して足先から水を噴き出し、夜な夜な喉を涸らした戦死者の亡霊がその水を飲みにくるという、いささかグロテスクなはなしで、ちょっと構造が出来過ぎている気がして、わたしは「風音」のほうが素直に読めた。

 

「風音」にしても「水滴」にしてもテーマ小説のように、沖縄と戦争の問題が書かれるが、作者は1960年生まれなので、当然実体験ではなく考えて仕組んだ小説であり、ここらへんを素直に受け取れるか、リアルを感じないかは読む側にある。

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読書

「ベロニカは死ぬことにした」 パウロ・コエーリョ 作

旧ユーゴスラビアから独立した小国スロベニア。中心都市リュブリャーナで有名なヴィレットと呼ばれる精神病院が舞台。ある日睡眠薬による自殺を試みた娘ベロニカが目を覚ますと、たくさんのチューブに繋がれて病院のベッドによこたわる自分がいた。自殺は失敗だった。しかも元々弱い心臓に負担がかかり、余命あと一週間ばかりであると医師から告げられる。残されたわずかな時間をこの病院の中でどうやって過ごせばいいのだろう。

ベロニカはこの病院の中で幾人かのわずかな話し相手を得る。それはあと数日で退院となるが、インシュリンショックによる治療の結果、一時的に魂となってさまよいだす経験を持つ鬱病の女ゼドカ。有能な弁護士として活躍しながらある日エルサルバドルの貧困を描いた映画を見て以降、精神のバランスを失いパニック症候に苦しむこととなったマリー。そしてベロニカが夜中に引続けるピアノのそばでじっと耳を傾ける多重人格障害の青年エドアード。これらの人々が外の世界でぶつかり思い悩んできた様々なことがらが語られながら、死を目前にしたベロニカは生きることへのまっすぐな態度を獲得していくのだった。

人間精神の病んだ部分をみつめて解きほぐしていく話がじつに読みやすい。いたずらに人生の意義を説くわけでもなく、スピリチュアルな世界を前提とするわけでもない。登場人物は極端な狂気を病んでいるわけではなく、誰にでも身近な混乱を抱いているところが親しみやすい。じつに素直に彼らの内面にシンクロして行ける。病める現代人の心を追いながらも、安心して落ち着いて読めるのは、経験からくる作者の人間性への信頼にあるのかもしれない。

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読書

「人間失格」 太宰治 作

これは人格障害者の半生記である。純粋な私小説ではなく、作者をモデルにしたモデル小説なのだが、あきらかに主人公は太宰だ。人格障害とはいわゆる神経症・精神病ではないのだが、いかんせん人生を平穏に送るにはいささか問題ある性格ということで、異常性格の分類と同じものかもしれない。

この主人公の場合、相手の感情を害することを極端に恐れ、全く自分を偽って相手の意向に会わせ、そのために終始道化を演じている。自分ではちっとも楽しくなくても世間が喜んでいれば、そこにかろうじて安心を見つけることができるが、基本的に世間及び他人は恐怖の対象である。少年時よりそういった企みの成功と失敗が語られ、長じては世間全体といったものの本質が、実は一人一人の他人がいるに過ぎないことに気付いていささか落ちつきはするものの、結局身の回りの問題からは逃げ回って酒ばかり飲んでいる、まことに情けない実例の数々が披瀝されるわけだ。 まさに「人間失格」だが、人格障害ゆえの人生をそういうなら、いろんなタイプの人格障害者は皆そう言って正解なわけで、このタイトル自体をさほど大げさに考える必要は無い。 

ここに心弱く純粋で真剣な精神が、理解なき世間と闘って敗北していく構造を読み取るのは、いささか美化しすぎだと思う。真剣であることは立派なことだが、作者の場合けっきょく酒に逃げているだけであり、読者はその弱さを同情しながら楽しめばよいので、弱いことを別の言葉で正しいことに転化させるのは一種卑劣ではないか。そういう意味で文庫本(新潮文庫)の奥野健男解説はむかしながらの文学者聖人説であって、弱き美しきかなしき純粋な魂という捉え方は聖化しすぎで、やはり簡単に人格障害だと言ってしまうほうが解りやすいのではないか。

ところでこの小説自体はウンザリするほど面白い。

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