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漫画家まどの一哉ブログ

   
読書
「嘔吐」サルトル 作


新訳が出ているようだが旧訳の方を読んだ。

存在とは何か。重要な哲学的テーマを文学の力を借りて表現した代表作。この野心的な試みが全シーンにわたって展開されているわけではなく、有名なマロニエの木の根っこを見て吐き気を催すシーンはかなり哲学的な内容に直接切り込んでいて、そうかと思えば彼女との再会などふつうに小説的だし、混淆した感がある。

サルトルはメスカリンの力を借りて幻覚状態を体験しているようだが、主人公が身の回りの諸々の具体性から離れて存在自体にとらわれていく感覚、この遊離感は、ちょっとした脳の誤作動みたいなもので、案外誰にでもあるものかもしれない。

小説全体としてこの構成が必要だったかどうかわからない。哲学と文学の直接的な融合ということで、小説としてはやや生硬なニュアンスが出てしまっている気がする。しかし彼女と別れていよいよ暮らし慣れた街を離れようとする最後のレストランでのシーンなど、お気に入りのジャズをかけてもらいながら、本を書くことによって過去の自分を認めようと決意するところは、小説の醍醐味が十分に味わえる感動的な名分で、この人やっぱりうまいんだなと思った。

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読書
「MIND(心の哲学)」
ジョン・R・サール 著


生物学的自然主義を基本に人間の主体的意識・心の正体に迫る哲学入門書。
まず文体が非常に読みやすい。外国語の構文をそのまま日本語のそれに入れ替えたような翻訳文くささがなく、はじめから日本語で書かれているような読みやすさがある。素直に文を追って行けば論理の展開がわかる。だからといって内容が理解できるとは限らないが。

たとえば「志向性」という概念はやはり何度読んでもそのイメージがつかめない。イメージで考えるのが間違っているのかもしれないが、ほかに手がかりが持てない。

二元論の誤謬は納得出来るにしても、ニューロンやシナプスの働きが意識を生むと考えれば、うっかり唯物論でも正解なような気がするが、まてまてそれでは本書のテーマである意識の一人称性を見逃してしまう。意識は必ず主体的なものであり、三人称的に証明しても仕方がない。行為の理由は因果的にはっきりしていなくても自分が行為したという感覚はあり、自分は明日明後日にも必ず持続して自分であるとわかっており、「私が私であると感じるようななにかが、確かに存在している」。考えてみれば古今東西すべての人間の厖大な意識はそんな主体的な意識しかなかったんだな。そうやって生きて死んでいったんだ。

神経生物学的にそのときの脳状態によって決定される意識が、なぜ一人称的なのか、なぜ志向性を持つのか。この謎について多角的に迫り、「心的因果」「自由意志」「無意識と行動」などの視点で語られるとおおいに興奮してしまう。やはり哲学といっても生物学的自然主義に立脚してくれているおかげで自分でもなんとかついて行ける次第。

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読書
「カフカの父親」
トンマーゾ・ランドルフィ 作


ランドルフィは以前「月ノ石」という長編を読んで、なんとも美しく幻想的な味わいに酔いしれたが、この短編集はナンセンスな作風で集められたもの。どの短編もありえない出来事を描いて放り投げたままという自由な印象で、痛快な感じはないがうっすらと笑える。

「カフカの父親」:表題作はごく短いものだが、毒虫ならぬ大蜘蛛はカフカの親父さんなのだから、天才作家もおおいに遊ばれている。

「ゴーゴリの妻」:文豪の奥さんがなんとポンプで空気を送り込んでふくらませるゴム人形で、しかもかなり手の込んだ造りになっている。天下の文豪もここまで遊ばれては形無しだが、ゴーゴリはいかにもゴーゴリらしくて愉快愉快。

「幽霊」:お屋敷の主人や召使たち全員で幽霊役を設定して夜中に大騒ぎして遊んでいる。そこへ泥棒がまんまと幽霊の一人に扮して忍び込み、屋敷の人々の秘密を覗き見るという設定。このなかで本当は愛しているのだが頑なに拒否する若き女のセリフが奇妙だ。愛と拒絶の間をいったりきたりする、興奮した矛盾の塊のような内容が実に珍しく、常軌を逸していて、よくこんなセリフを書けるもんだと感心した。

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読書
「チャンドス卿の手紙/アンドレアス」
ホーフマンスタール 作


「第672夜のメールヘン」:裕福な商人の息子は4人の召使とともに一人で暮らしてるが、ある日別荘の庭に出て休んでいるとき、常に自分が召使たちに見られているのを感じる。監視されているわけではないが意識されているという息苦しさ。これが異常な感覚。後半になると不愉快な手紙をもらってイラついたまま一人で街へ出かけ、下町に迷い込んで馬に蹴られるという不条理小説の逸品。

「バソンピエール元帥の経験」:これは読んだことがあった。元帥と丁寧に挨拶をかわす間柄の小間物屋の女主人と場を設定して会うことになるが、それが即肉体関係というのが身分制度のなせるものなのか奇妙な感じだ。そして後日指定された家に行ってみると死体しかないという幻想文学の逸品。

「アンドレアス」:はるかヴェネチアでの一人旅で、いろいろな体験を経て成長していく青年アンドレアスを描いた未完の中編。これは教養小説の部類に入り、世紀末感はない健全な読み物である。泊まった宿には魅力的な少女がいて、周辺には下品な男がうろついているという設定が繰り返される。この下品なクズ野郎を描くのが実にうまくてイヤな感じに満ち溢れている。

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読書
「宝石/遺産」モーパッサン傑作選



モーパッサンの短編はずいぶん読んでいるはずだが、やはり面白い(ほんとうは実体験に基づいた怪談がいちばん面白い)。この短編集でも自意識過剰のインテリや作者の日常を反映した人物などは登場せず、もっぱら感情本意で行動する等身大の一般大衆が主人公で、しかも金に絡んだ話だからウケないはずはない。欲望や見栄や嫉妬など、わかりやすい原理で行動するから目が離せなくなる。

どの作品もアイディアが豊富で小話としてオチをつけることもできそうだが、そうしないところが読後感のよさになっているのだろう。「遺産」と「パラン氏」の中編2編がよかった。

「遺産」:莫大な遺産を目当てに結婚したが、フタをあけてみると相続は生まれてくる子どもへとなっていて、これがなかなか生まれない。この設定でもうロクなことにならなさそう。
「パラン氏」:金はあるが度胸のない男。子供を溺愛していたが、実は妻に裏切られ子どもも実の子ではなかった。離婚後の長い人生がただただ孤独になすすべもなくビヤホールで終日過ごすだけだけというのが痛ましいが真実味がある。

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読書
「イン・ザ・ペニー・アーケード」
スティーヴン・ミルハウザー 作


「アウグスト・エッシェンブルク」:写真が発明された頃。時代から忘れ去られようとしているからくり仕掛け人形。若き時計職人アウグストは驚異的な人形技術でおおいに注目を集める。芸術性を追求しようとする主人公と、常に興行としての大衆性を求める周囲との対立を描く。現実離れした人形の仕掛けと時代の雰囲気が心地良い中編。

「イン・ザ・ペニー・アーケード」:子供の頃興奮した遊園地や興業施設もすこし大人になってみるともうあの日には帰れないもの。ところが立ち入り禁止のロープを越えると、捨て置かれたはずの見世物や仕掛けがひそかに蘇る。これも郷愁をさそうおなじみの設定。夕方のわくわく感がある。

「東方の国」:むかしむかしはるか東方の帝国。帝のまわりをめぐる不思議な人々やものごとを散文詩的にひとつひとつ紹介。砂時計・鏡・小人・瞼絵など…聊斎志異のごとし。

ミルハウザーは「ナイフ投げ師」でもそうだが、見世物・サーカス・大道芸などを素材に不思議な話を書くと、幻想文学の王道を行く味わいがあるのだが、それ以外に現代人の人生の一瞬や人間交差点的な部分を描いた作品もある。こちらも人気はあるのかもしれないが個人的には苦手です。

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読書
「心はどこにあるのか」
ダニエル・C・デネット 著


志向性という哲学用語を基礎にしているのか、「志向的」システムというのがキー概念になっている。この用語に不慣れなので、文中でも触れられていた「意図的な」という言葉で代用して考えるとズバリではないがなんとなく分かった気になれる。また知覚という概念も幅広いので、植物や動物のどの程度のものを知覚とよんでいるのか迷ってしまった。

なるほど考えてみれば動物は言葉を持っていないので、意識があるにしても我々人間からはどんなものなのか類推できない。動物は例えば逃げている時に「自分は逃げている」とは考えていないと言われるとあらためて驚く。微生物からチンパンジーまで脳が進化するにしたがってだんだんと主体や意図というものが発達してくる段階が手に取るように分かっておもしろい。
ながながとそんな話があって、さて「心はどこにあるのか」というと結論はない。だが確かにどこかに全てを統括して意識している中心的な「心」の存在を考えるのではなく、「心」はいろいろな部分の積み重ね全体であることがわかってくる。

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読書
「狂気と天才」サルトル 作


大デュマの原作をもとに書かれた戯曲作品。主人公キーンは大人気役者ながら生活は乱脈で金遣いがあらく多大な借金をかかえる身分。ただし女性ファンは多く、デンマークの伯爵夫人やチーズ会社の社長令嬢などが恋に絡んで登場。また伯爵やプリンス オブ ウェールズも登場して、原作以上の三角関係・四角関係がくりひろげられる。といっても原作を知らないので、どのあたりが大デュマならぬサルトルの趣向かわからないが。

おもしろいのは主人公が舞台俳優なので、舞台上で演技の上でのセリフと、それを逸脱して桟敷席の登場人物に本音で喋っていることが重なってくる仕掛け。この時点で他の一般客にとっては舞台は破壊されているがウケている。という設定を実際この作品が上演された時にはどうやっていたのか、気になるところ。二重三重のメタ芝居だ。
自分が気に入ったのは付き人でありプロンプターでもある男との楽屋でのやりとりで、リズム感のあるセリフ回しがとてもおもしろく、これはサルトルの才能だろう。

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読書
「聖愚者ラヴル」
エヴゲーニー・ヴォドラスキン 作


15世紀ロシア北西部。墓地の傍の家で薬草と医術の技を祖父から受け継いだ若き医師アルセーニー。ペスト禍を逃れてきた娘を密かに伴侶とするも、出産の過程で母子とも亡くしてしまい、その贖罪の人生を歩む。しだいに医師としての名声は上がるが、栄達と安住を捨てエルサレムへ巡礼の旅に出発。やがて村に戻った彼は老いて聖愚者となる。

れっきとした現代文学であるが中世を舞台としているせいもあって、すこぶるオーソドックスな古典的名作のような味わいがある。聖愚者とは乞食僧のような良寛さんのような存在だが、主人公は子供の頃から浮世離れしていて、利己心が無く信仰篤く人々に尽くそうとする人格。平凡なわれわれの人生とはまるで違うが、あまりに純粋な生き方に思わず感情移入してしまう。

旅の途中では悪人も多く登場し、ストーリーも起伏に富んだものになっていて飽きさせない。共に旅する友人は預言者でしばしば現代社会の夢を見て、未来から自分たちの行く末をふりかえる。パン屋の目の前で盗んだパンを村人にこぼしながら分け与える他の聖愚者も愉快。モスクワはるか北のベロゼルスクからリトアニア、ポーランド、アルプスを抜けて地中海への旅も壮大で心踊る冒険譚でもある。

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読書
「火の書」
ステファン・グラビンスキー 作

ポーランドを代表する恐怖小説作家の怪奇幻想短編集。四大元素のひとつである火にまつわる不思議な物語を収録。住宅火災をモチーフにした話が多く、勇敢な消防士と悪魔的な火との戦いなどわくわくと面白く読める。
エンターテイメント的なわかりやすさもありながら、作者は神秘的なものを信じているので、そこは本気度というものが窺える。そのせいか幻想文学としての味わいがあってここちがよい。やはり作者が安全圏にいて単に趣味的に書いているのでは迫真性が足りず、こちらも付き合おうという気にはならないものだ。
その点が実はこの短編種は微妙なところもあって、作者の内奥からやむなく出てきたというよりはやや作為が感じられるものもある。これは巻末のインタビューやエッセイでも触れられている天下のポーと比べてのことだが…。それとも耽美性の度合いによるのかもしれない。たとえば聖なるものの顕現をテーマとしたエリアーデの迫真性と比べると、大衆的に仕上がっている感じだ。比べてばかりでなんですけど…。

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