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漫画家まどの一哉ブログ

   

「サハマンション」
チョ・ナムジュ 作
(筑摩書房・斉藤真理子 訳)

少数の資本家が国民を支配する独立都市国家「タウン』。取り壊し寸前の「サハマンション」に暮らす国家から捨てられた人々。その果敢なる人生と絶望を描く近未来ディストピア小説。

冒頭でこの異常な独裁国家と分断された住民の設定を全部説明してしまって、さて個々の人々の話が始まると、暴力や殺人など劇的な出来事の連続である。いかにもエンターテイメントの方法を裏切らないので、ついていけるか心配したが内容はそれだけではない。

救われるのは単線的なストーリー展開になっていないところで、「サハマンション」に暮らす人々の苦難の人生が、入れ替わり立ち替わり30年の時間を行きつ戻りつしながら描かれる。
基本的人権の対象とはならず、電気や水道などの社会的インフラ、医療や教育なども自分たちでなんとかしなければならない。国家から捨てられた人々(棄民)は、実際世界中に今現在も存在するだろう。
そのありさまがしっかりと描かれていて、社会派小説として充分の読み応えがある。

ところがやはりこれは近未来ディストピアファンタジーで、最終章に近づくと思い出したように、研究室で実験対象にされる人々や、国家中枢へ侵入するクライマックスなど、SFバイオレンスに変身する。その辺りはジャンルにとらわれない異色作(?)である。

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「あなたまかせのお話」
レーモン・クノー 作
(国書刊行会・塩塚秀一郎 訳 2008年)

小説に限らず戯曲・エッセイなど、雑誌等に掲載された小品を集めた短編集。巻末にラジオ対談「レーモン・クノーとの対話」を収録。

なにかふんわりした、完成されているのに完成感のない不思議な手触り。就寝前に聞かされているおとぎ話のような浮遊感がある。
「ディノ」「森のはずれに」:この連作ではディノという人語を操るというか人間と変わらぬ知性と感情を持つ犬が現れたり消えたり、いるのかいないのかわからない。ところでディノの声を聞けるのは語り手の男だけである。ディノは冷静な落着いたやつである。

「トロイの馬」「エミール・ボーウェン著『カクテルの本』の序文」:ここでは馬が人間と同じように喋るんだけども、こちらはディノと違って酒場で話しかけてくる気のいい酔っ払いで、ちょっとめんどくさいけど悪いやつじゃない。どこにでもいるやつ。所作はリアルに馬なのだが、それ以外の人間たちの日常風景は雰囲気のあるリアリズム作品で楽しい。

という具合でどこかとぼけている作品が多いが、同じ内容を人物をそっくり入れ替えてくりかえす戯曲「通りすがりに」や街中で聞きかじった会話を集めた「パリ近郊のよもやま話」、読み手が次に続くフレーズを自由に選択して繋いでゆく「あなたまかせのお話」など実験的な作品も多く、けむに巻かれる印象だった。
巻末とはいえ全体の3分の1もあるラジオ対談「レーモン・クノーとの対話」は好きな部分だけ読んだ。

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「防雪林・不在地主」
小林多喜二 作
(岩波文庫)

二重三重にも搾取され不作にあえぐ小作農たち。地主階級との闘争は都市労働者とも連対して大きなうねりとなってゆく「不在地主」。その下敷きとなった未発表作「防雪林」を併載。

「防雪林」の冒頭主人公源吉の母や妹、幼い弟たちの家の中での様子が実にいきいきとして魅力的で、また深夜に鮭の密漁に繰り出す情景などもその空気感まで伝わって来る。テーマ以前にこの冒頭だけで心躍る名品だ。
源吉が野生的な単独行動者で、組織的な運動による解決を選ばないが、そういうところもかえって良い。

この時代すでに札幌・小樽などは近代的大都会で、舞台である開拓された寒村とあまりの差に驚く。搾取されていることにも気付かない村人(小作人)の、地主様への精神的隷属はまるで現在の自民党信者と瓜二つ。

「不在地主」は未発表作「防雪林」に比べて確かにしっかりした階級的視点、プロレタリア文学作家としての積極性が感じられるが、反面小作争議の展開が図式的で説明くさいと言えば確かにそうかもしれない。ではつまらないかというとそんなことはなく、簡潔でサクサク進む面白さがあり運動が盛り上がっていく様は興奮して読んだ。

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「チョムスキー入門」生成文法の謎を解く
町田健 著
(光文社新書・2006年)

言語学を革新したチョムスキーの生成文法。わかりやすく解説するとともにその問題点を多く指摘。

言語学はおろか他分野にも広く学術的影響を与えたとされる「生成文法」について、基礎的な知識とその広がりを、主著に接することなく簡単に得たいと思い購入。しかし正真正銘言語学のみの内容だった。

文の句構造標識とその置き換えなどを丁寧に解説するとともに、その問題点・矛盾点をも逐一指摘。当然ながらほとんどのページはその展開に終始し、とくに深層構造と表層構造についてはその歴史的経緯を含めて、移動や変形の連続また連続だ。
これはノートを取りながら逐一追って行けば必ずわかる話であるが、雑学的興味で読んでいる身としてはそこまでの集中力はなかった。もちろん脳内で完璧に整理しながら読める人も多くいるだろうが、なにより例題はすべて英語なので、簡単なものといっても自分には自然な親しみはない。

全ての人間が生得的に持っている普遍文法という考え方はあまりに魅力的なのでどうしても興味をそそられるが、本書の指摘をみるとかなり怪しいものに思えてくる。どうだろうか。

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「覚える」と「わかる」
知の仕組みとその可能性
信原幸弘 著
(ちくまプリマー新書)

様々な状況における様々な理解と学習。「わかる」こととはどういう心と体の働きなのか、平易な例を豊富にあげて解説。

覚えること、わかること、状況を把握すること。あらためて言葉にするとあたりまえのことが丁寧に解説される。漢文素読から始まって身体知やクオリア。直感・アジャイル・フレーム問題。本来はもっと奥が深いであろう問題が誰にでもわかる範囲で書かれている。やはり若者向けの入門書シリーズ「ちくまプリマー新書」ならではの内容だった。人間の知覚を有効に支配する情動の仕組みなど面白かった。

「実存的感情」状況に応じて様々に変化する喜びや悲しみなどの情動や知覚。ところがそれらとは違ってその背後に一貫して存続するこころの働きがある。世界に対する根本的な親しみ。それが「実存的感情」である。実存という言葉はひさしぶりに聞いたが、まさ正鵠を射た感がある。この感覚はおおいに肯けるところがあって、ここをもっと掘り下げてもらいたかった。

徳について、正義・勇気・節制・慈愛などの倫理的徳と知的勇気・好奇心・粘り強さなどの知的徳に分けて語られている。徳は卓越した性格だが適度な中庸を保つことができるものである。種々具体例があげられてそれはそうだが、ではそもそもなぜ人間に徳のあるなしがあるのだろうか。頭の良さとは違うものだと思うが、それはやはり生来のものなのだろうか。その辺りが謎だ

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「アンダー、サンダー、テンダー」
チョン・セラン 作
(クオン・吉田凪 訳)

毎朝同じバスで高校へ通う仲間。やがて映画美術を職業にした彼女がかつてを振り返りながら、友人たちの様々な生き方を綴る現代韓国文学。

2014年の作品なのでまさに現代日本ともシンクロしている世界。大半は高校時代の話で、休みや放課後にどうやって過ごすか。なにげない日常風景が読んでいて心地よく、楽しいことが起こらなくても楽しく読める。

女子高生なので本来はかなりはしゃいでいるのかもしれないが、語り手の彼女の落ち着いた性格もあってか、大人の感覚と変わらない。当然大人になってから当時の自分たちを振り返っているので、それだけの人間観が反映されている。そこが年齢を超えた味わいとなっていて、20代でも90代でも読んで心に響く作品だと思う。

10代を共有した同い年の人間はいくつになっても分かり合えるものかもしれない。

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「死者にこそふさわしいその場所」
吉村萬壱 作
(文藝春秋)

とある街に生きる人々の日常が狂気を含んでどす黒く変質していく。しだいにすべてが繋がっていく短編連作。

巻頭話を読んだ限りでは不倫の設定で書かれた男と女の話で、トーンは暗いものの狂気をはらんだものではない。ぬるぬるとした感触だが実際あるかもしれない話である。それが2話、3話と進むうちに無人のアパートで終日ドアも窓も開け放して裸で虫にたかられる男や、精神病院で患者を演じる仕事、暴力を受けることを聖なる痛みと感謝する宗教者など、明らかに異常な事態が続出して異世界へ連れ込まれてしまう。

全編通じて人間の晴れやかで健康的な面は現れない。もちろんそれぞれ悩みは抱えているものの通常のそれではなく、なにか得体の知れない不気味な内心と挙動。作者特有のグロテスクで救いようのない世界観にのまれて読んでいると暗澹とした気分になる。以前も感じた通り自分のなかでは暗黒小説の旗手といった印象だ。恐ろしいものだ。

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短編集「買い物かご」
キンキントゥー 作
(大同生命国際文化基金 2014年)

現代ミャンマー小説。市場や路上、船、鉄道でものを売る人々。また買い物に集まる人々。貧しい中でやりくりして生きていく買い物あれこれを綴った短編集。

野菜や魚、菓子など食料品や衣類、食器、洗剤などの日用品。日常生活で必要なあらゆる細かなものが登場。売り手と買い手を挟んで切実な価格のやりとりが開始される。どの作品でも価格は具体的に表現されているので臨場感がある。

作者は大学を出て教職についているが実家の商売を手伝っていた経験もあり、売る側の内情にも詳しい。商店や市場と言っても良くて小さな小屋を利用している程度で、屋台・露天が多く、台車を引いて街を巡る売り手も登場。過酷なのは満員の列車内に商品を入れた籠を頭に乗せて乗り込む売り子の女性たちだ。

買い物だけに焦点を絞った小説というのは日本でも珍しいのではないか。これも一種の経済小説かもしれないが、描かれるのは貧しい人々、それも主に女性たちである。
面白かった箇所(ネタバレ):体の不調を白馬神(精霊)のしわざと理解している女性に診療所の受診を勧めると「西洋医学のお医者さんが白馬神をどうしてくれるというのです?」との返事。

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「百年と一日」
柴崎友香 作
(筑摩書房)

年の流れとともに変わってゆく街や人々。様々な人生の長い長い移りゆきを集めた小品集。

時代は次々と過ぎゆきて、あっという間に百年くらいは経つ。かと思えば過去へ過去へとさかのぼり、賑やかな街もかつては草はらしかない…。長くても6ページくらいの中に、平凡な人々の身に起きた出来事がさらさらと書かれて静かな余韻を残す。

描写はあくまで出来事の連鎖で内心や感情に深く切り込むことはしないが、それがかえって一人の人生や人々の営みを達観したような、落ち着いた感慨を得ることができる。神の視点というとおおげさだが、百年くらいをまとめてみれば山も谷も小さなものだ。

それにしても膨らませれば長編にでもできるような様々なドラマが、ごく短い形いくらでも続く。それだけで感心してしまう。

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「止島(とめじま)」
小川国夫 作
講談社 2008年

戦前から戦後の藤枝を舞台に、土地に生きる人々を描いた遺作短編集。

全編ほとんどをセリフの連続のみで繋いでゆく。これが晩年の小川国夫の到達した表現なのか。地の文が少ないせいか語り手の私を含めて登場人物がいきいきと立ち上がってくる印象だ。そのセリフも多くは1行くらいでごく短く簡潔。素直に作品世界に引き込まれてしまうが、ここにはおおいに作者のうまさがあると思う。

短編のうちいくつかは同じ人物たちの登場する連作で舞台は藤枝。語り手の私は土地ではわりと上層階層の少年で成績は優秀。同学年で学校へ来なくなり歌劇団へ憧れる少女。俥引きの彼女の祖父。そして家族や友人たち。
俥引きの男や少女は当然下働きの階層で、語り手の青年は彼らを使う家柄。往時の地方社会の基本的な成り立ちがよくわかるし、やがて土地を離れて東京の大学へ通う、ごく一部の優秀でめぐまれた立場の青年たちの人生もいろいろなことがある。というより当然だが作者の当時の葛藤が投影されているのだろう。

セリフで表現されるので直接的な内面の描写は少ないが、その分余計に人物が身近に感じられる。これもこの作風ならではの風味というものだ。

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