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漫画家まどの一哉ブログ

   
カテゴリー「手塚治虫雑感」の記事一覧
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mixi過去日記より
デフォルメと記号

手塚の脳にはむかし漫画が獲得した、ギャグのためのデフォルメが自然と染み付いていて、のがれられなかったかもしれない。極端に怒るとか、泣叫ぶとかの場面でまだ出てくる。笑いのためのシーンならまあ許せるけど、かなりシリアスなシーンで使われると、残念な気持ちになる。例えば別れの盃を酌み交わすときに、大口へ上から滝のように落としこむなど…。

手塚は自分の漫画を記号で出来ていると自覚していたようだが、さすがに後期大人向け作品はリアリズムを意識してはいる。ただ記号表現も漫画を描く楽しみのひとつだとは思うので、ボクなんかはもう少し昇華できないかと考えている。岡田史子がやったような表現主義的な方法はひとつの回答だと思うが、岡田史子以外にそれを引き継いだ人間はいない。なかなか出来るもんじゃないか?

でも考えてみたら記号なのはデフォルメされた部分だけじゃなくて、キャラクターもその行動もそのセリフも、全てストーリーを説明するための記号に過ぎないのかもしれない…。まあ全てとは言わないけど、ストーリー性が濃い作品の場合、限られたページ数の中でどうしても読者に説明しなければいけないから、一見記号とは気付かないが、その実記号なのでしょう。それがくり返されるうちに、所謂お約束に発展してしまうのかもしれません。

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mixi過去日記より
コマ割りと時間

こうしてみると手塚漫画のコマ割りはけっこう細かい。オーソドックスな漫画の場合、コマ割りとは時間の流し方のことだから、コマ割りが細かいと言うより、カット割りが細かいということ。ところが手塚作品は時間の流し方に特徴があって、かなり大胆に展開する内容が小さな数コマで終わったかと思うと、表情の変化だけを何コマも使って追っていく。すると作品時間が不思議な感覚で伸び縮みする。これがよく言われてきた手塚の映画的手法というやつか?ボクには未だによくわからない…。単に細かいコマを多用する漫画家も多いが、手塚のような時間の流れは感じないし…。

ボクが親しんできた水木・つげラインの漫画はわりと単純なコマ割りだが、別に不足もない。つげ忠男や勝又進はほとんど同じ大きさのコマを単調にくり返すが、ストーリーに頼らない内容だから、全く退屈しない。ようするにコマとは内容によって必然的に決定されるものだ。漫画の特徴はコマ割だと考えて、あえて作為的な割り方をした人もいるが、児戯に等しいと思う。

とっくの昔に漫画はコマ展開によって時間を追っていくことから解放されていて、林静一から始まって、鈴木翁二・菅野修・斉藤種魚に至るまで、コマを追っても(少なくとも単線的には)時間が進まない。時間は行きつ戻りつするし、ある場合には時間そのものがない。自由だ。

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「地球を呑む
1968〜1969年作品

壮大なスケールで描く近未来超大作とかいう部類のものは、リアリティにおいて許せるか許せないかのギリギリのところがあって、SF的設定を含むとより危険だ。この作品は近未来ではないが、手塚治虫が得意とするその手のハナシ。
誰にでも簡単に変装できる「人工皮膚デルモイド」により犯罪が多発して防ぎ得なくなる。という設定はいろんな事件が起こりそうで愉快。だがこの話では、人工皮膚が全世界に氾濫して手が付けられなくなる。加えて無尽蔵にまき散らされる金塊により、金の価値が暴落。世界経済が破綻して文明が衰退し、産業革命以前の状態にまで戻るというのは、なんぼなんでもそりゃないやろ。という気がする。

この文明破壊計画を密かに遂行するのが、「ゼフィルス」という絶世の人工皮膚美人たちで、それも母親の復讐のためなのだが、この女は魅力的。おそろしくエロティックで、あらゆる男をたらし込むのも魅力的。そんな女が、関五本松という大酒飲みの主人公のみに心を奪われてしまうところが、いちばん面白い。
結局大スケールのパニック劇でも、男と女の話があればこそで、作者もそこを描いてるのが気持ちいいんじゃないかな?

荒唐無稽な設定でも、手塚治虫の昔ながらの表現だと「マンガだから別にいいか」と思えてしまう。これはリアリズムとは逆方向の成立の仕方だが、現代漫画も多くはこの「マンガだから別にいいか」を追いかけているのだと思う。その快感を得るために表現が発達してきた。現実の束縛を忘れられる気楽さや痛快感を得た上で、感動を得るために。

それをしなかった人が、つげ義春。(どこかにつづく)

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mixi過去日記より
ドラマ

あり余るほどのストーリーの大サービス。今の漫画家ならだらだらとコミックスで20巻くらいになる内容が上下巻にぎっしり。いや今こんなに起伏にとんだ大ドラマ描く人いないですよね。今の人は漫画表現が緻密(リアリズムとは別)になってきたぶん、スケールの小さな世界でぐだぐだやってる気がしますね。問題はストーリー以外のところにあり。でも自分はストーリーが大好き。(つづく)
(この雑感は、つげ忠男や安部慎一の長篇を念頭に置きながら、「MW」「奇子」など手塚の大人漫画を読み返してのものです。)

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mixi過去日記より
キャラ

手塚の大人漫画はワキのキャラクターが秀逸。さすがにエンタテイメントだから主人公は美男美女キャラだが、まわりに出て来る有象無象となると、顔立ちがしつこくて味わいがある。たぶん実写から人物を起こしていると思われるが、デフォルメぐあいもマンガとしてのヌケがあって楽しい。凡百の漫画家は頭が漫画の中だけで完結しているから、自分の思い入れのあるカッコいいキャラを動かしているだけ。
エンタテイメントであるにもかかわらず、つげ忠男より見た目リアルなキャラを自由自在に動かせるということは、ニヒリスト手塚は現実世界をリアルに見ながら、エンターテイメントとしてのご都合主義に走れる才能の持ち主ということなのか?このスタンスとは?(つづく)
(この雑感は「MW」「奇子」など手塚の大人漫画を読み返してのものです。)

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mixi過去日記より

アウトロー
手塚はアウトロー描けてないな。当然、極道者や社会の底辺にいる人々が登場するが、リアリティないですね。なにか人間のヨゴレを感じない。先ず画質がキレイすぎるのもあるけど、手塚の育ちがそうさせるのか、滲み出るものがない。キャラクターシステムの延長なのか、ヤクザが登場する必要があるから、役者がヤクザの役をやっているにすぎない。やはりストーリーを進行させるためだけのセリフしかしゃべらない。エンターテイメントだから仕方ないか…。
つげ忠男は与太者やアウトローの何気ない日常を描いて、迫真のリアリズムを持つ。これは作者の経験にもよるけど、人間観や資質に大いに左右される。手塚なりの人間への絶望を読みたい。

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