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漫画家まどの一哉ブログ

   
読書
「秘密の武器」コルタサル 作

コルタサルは恐怖と戦慄の幻想文学として紹介されているようだが、どうも以前からそんな気がしない。多少不思議なことも起きるが、文庫本2冊読んだだけの印象で恐縮だが、幻想文学と呼べるものは1割くらいで現実を揺さぶられるような驚きはなかった。
かといって面白くないわけではなく、短編小説としてはぞんぶんに面白い。

「女中勤め」:夫に先立たれた後、お屋敷に女中奉公をして暮らしている女性。臨時に雇われたと思ったら飼い犬6匹のお守りだったり、パーティーで知り合った裕福な青年の葬式で母親役になったり。彼女のやさしい細やかな心の動きが縷々描かれて味わい深い。

「追い求める男」:チャーリー・パーカーをモデルに天才サックス奏者の日常と内面を描写。いわゆるインテリ層の言葉を持たない、音楽を通じて表現するプレーヤーにこれだけ言葉を語らせた小説も珍しいのではないか。よく書けるなと感心する。時間の感覚が不思議で、演奏中に「この曲は明日やった曲だろ!」とか言い出す。言葉ではとらえきれない哲学的な感覚を言葉にしている感覚。

「秘密の武器」:恋人同士で別荘に行くが、語り手の男は自分でも知らない妙な記憶を抱いている。しだいに過去のいまわしい事件の人物に乗り移られてゆく男。というとオカルトみたいだが、全くそうではなく現実は渾然と書かれている。これぞ恐怖と戦慄の幻想文学。

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読書
「辺境を歩いた人々」
宮本常一 著


菅江真澄、松浦武四郎など、江戸時代から明治にかけて、東北・北海道・樺太・千島列島・八丈島・沖縄・奄美・石垣島など未開の地域を精力的に探検した人々の物語。頻繁に出没するロシア船及び諸外国の圧力に危機感を感じ、国土防衛の意識から辺境を調査・記録しようとした人も多かったようだ。資本と手を組んだ藩や地方官僚による辺境への進出は、実際にはアイヌや沖縄県民など土地の人々への詐欺的支配であったのだが、ここに登場する探検家たちの意識は国防と地域住民への慈愛がイコールで結ばれていて、無私の人格者として描かれているのが特徴。

ずいぶん平易な読みやすい文章だなと思ったら、「こういう話は少年少女のみなさんにすべきことではないかもわかりません」とあり、なんだこれは子供たちのために書かれた本だったのか。それでも平易すぎて飽きてしまう文章ではなく、他の宮本作品と同じように興味深く読める。親本は1966年刊行だが、なんとなく子供たちに向けて、版図を広げてゆく近代日本の興隆を誇らしげに書いている印象はある。確かに自分の子供の頃の出版物を省みてもそういう雰囲気はあった。それでも基本的に宮本の視点は辺境に生きる漂白の民への親愛と平等観で貫かれているのは変わらないのが感じられた。

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読書
「サロメ」ワイルド 作


数々の絵画作品で目にするサロメの物語。元ネタの新約聖書に関する知識はまったくないが、ビアズレーの挿絵で有名なオスカー・ワイルドの戯曲を読んでみた。話自体は聖書の逸話をふくらませてもいないのでかなり短く、起伏の少ない単線的な構成のまま、あっという間に終わってしまう。それでもおもしろかった。

父親である王様エロドがふつうの人間・普通の現世的な権力者として描かれているのにくらべ、娘サロメのほうは淫蕩で耽美的な雰囲気をただよわせているいかにも創作上の人物である。原典ではサロメは母親エロディアスのいいつけでヨハネ(ヨカナーン)の首を求めたようだが、ワイルド作ではサロメ自身がヨカナーンを気に入り、その首を求め口づけをするという、おどろおどろしい味付けとなっている。大人たちの政治的な思惑で動く無垢な娘ではなく、悪魔的でエロティックなヒロインとなっているところがこの劇作のおもしろさ。

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読書
「硝子戸の中」
夏目漱石 著

年にひと月は病気に伏せるようになっていた漱石。去来する人々や懐かしい思い出をふりかえった随想集。
まだ老境というほどの年でもなく、この著作の後も名作長編をものにするわけだから悟ったようなところはない。それでも則天去私を理想とする漱石だから、人間関係における明朗さや偽らぬ真の心の交流を追い求めているようだ。しかし著名人として一読者など初見の人々とも触れ合わねばならないの立場では、これがいかに難しいか。つねに悩みの種といった有様である。

それとはべつに幼い頃のかすかな思い出を、小さな手がかりを元に探り当てようとする。当時から見ても東京の街はおおいに変わっていて、漱石が子供の頃の風情は既に失われてゆく風物。通った寄席や手にした本などを思い起こす。盛衰激し。

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読書
「父と私 恋愛のようなもの」森茉莉 著


森茉莉のエッセイは雑貨へのこだわりや貧乏暮らしなどを面白おかしく書いたものを読む事が多いが、このように最愛の父鴎外の思い出を丁寧に綴ったものを読むと、その文章の美しさに脳がとろける思いだ。

「乙女椿、過ぎ去った夏の日に、海岸で拾った桜貝が何枚となく集まって、私をおどかそうとして秘密に重なり、夜の内に出来ていた、そんなようにも見える乙女椿も、あった。」などなど…。

鴎外は茉莉をひざの上に乗せて溺愛するが、茉莉たち兄弟姉妹は鴎外が50歳を過ぎてから生まれた子供であったため、親子というよりは祖父と孫の感覚だったのだろうか。自分は鴎外も好きで幾つか読んだが、物静かで綺麗好きで繊細でやさしい、そんな鴎外の人柄がよくわかる。

森茉莉に言わせると鴎外の本質は詩人で、偉大なる名翻訳家。小説は膨大な学問の力と怜悧な頭脳でこしらえたそんなに面白くないもの、きちんとしすぎているものらしい。森茉莉のほうが父鴎外より享楽的なタイプだったかもしれないです。

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読書
「身体知性」佐藤友亮 著


サブタイトルに「医師が見つけた身体と感情の深いつながり」とあり、合気道家でもある医師の著者が説く、西洋医学と東洋医学を身体知性から横断する論考。

まず西洋医学が基本的に分析的である事。肉眼解剖学の発達によってもたらされた身体の部分的理解とその限界。次に実際の医療現場でわからないことを解決する直感的な思考・医師の経験からくる身体感覚的判断。ここまでは素直に理解出来る。
新鮮だったのは神経生理学者アントニオ・ダマシオの「ソマティック・マーカー仮説」。感情の揺らぎによって起きてしまうヒューマンエラーの話から始まって、「身体を通して受け入れる感覚刺激が感情(脳の機能)を作り出し、それが人間に意思判断決定を起こさせる」ことを解説。ダマシオの著書『デカルトの誤り』をひもときながら、「考える」という事(精神・脳の働き)は「生物学的有機体としての身体」なくしては生まれるものではないことが説かれる。これはちょっと目ウロコだった。

そのあとは身体を通して感情を整える東洋的な身体知性のはなしとなるが、これも部分的分析的な把握ではなく、総合的な身体の把握が大切なところ。合気道を介して説かれる内容は、確かにこの本を読んでいる上では理解出来るものの、やはり実際体験して初めてわかる知性だろう。

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読書
「エリザベス・コステロ」
J・M・クッツェー
 作


オーストラリア在住の世界的作家エリザベス・コステロ。彼女は世界各地で講演を頼まれ、いそいそと出かけては論争を巻き起こして疲弊と後悔の連続となる。「こんな講演引き受けるんじゃなかった。こんなところへ来るんじゃなかった。どうせやっかいなバアサンと思われているだろう……。」

作家と作品のあり方を問う文芸談義だけで構成された珍しい小説。
アフリカの作家とは西欧社会でどういう位置付けで呼ばれているのか。神を捨てた人文学とあくまでキリスト教徒として生きる立場の違い。小説の中で悪を描写するとき、たとえ事実でも蓋をして触れないほうが賢明なこともあるんじゃないか。そしてことさらカフカ的な不条理をわかりやすく揃える事への門前での抵抗。などなど。

ノンフィクションかエッセイかと物議を醸した問題作らしいが、れっきとした小説である。文学論など一般読者にとってはどうでもいい内容のはずだが、主人公の作家と周辺人物のエピソードがおもしろく、ドラマとしてきっちり仕込んであるしセリフややりとりも存分に楽しめる。世界的作家もそれなりにたいへんだね。

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読書
「歴史への感情旅行」安岡章太郎 著

またも読んでしまった安岡章太郎のエッセイ集。1995年刊。

「事実と真実ー井伏鱒二『黒い雨』」:作者井伏鱒二によると代表作「黒い雨」は小説ではなく、いくつかの被曝日記や体験談をもとに構成されたドキュメントであるとのこと。たしかに基調となった閑間重松の被曝日記がそのまま活用されているにしても、この作品が高い評価を受けているのは、作者の目が原爆そのものより人間の罪業に向けられているからではないかとの考察。

「島崎藤村と『夜明け前』」:もっと古い時代の小説かと思っていたら「夜明け前」の連載開始は1929年だ。安岡曰く、この年に藤村が明治維新前後をふりかえるのは、我々(安岡)が昭和をふりかえるように、作者にとってうんと近い時代の感覚ではないか。ましてや木曽の山中。この作品の主人公は青山半蔵ではなく、地域の歴史そのものだろうという話。

「菊池寛と仇討」:仇討の話ばかりを集めた短編集「仇討新八景」より「下郎元右衛門」という作品を紹介。極貧生活の中で当主の仇を討とうという嫡男達。見捨てずに奉公を続ける元右衛門が悪事に揺らいでいくストーリーが解説されるが、これがあっと驚く面白さ。

『梨の花』ー記憶の作用:政治的関心のない安岡がどうして中野重治を愛読するようになったか。また裕福な農家出身で東大まで出た中野にとって左翼とはなんであったか。彼の資質に迫った講演録。

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読書
「黒い魔術」
ポール・モラン 作

1920年代にモダニズム小説で一世を風靡したポール・モラン。そのこと自体を知らなかったが、そのモランが都会的な作風とはうって変わって、アフリカ・アメリカ・中米を舞台にムラート達を主人公とする短編集を書いた(1928年刊行)。黒人と白人の混血をクレオールだと勘違いしていたがムラートというのが正解のようだ。もともとは侮蔑的な意味があったらしい。

一見白人に見えても一滴でも黒人の血が混じっていると猛烈な差別を受けた時代。その境遇に抗いながら自身の力で築き上げた地位を守ろうと格闘する人々が登場する。作者はアフリカンの体に流れる土俗的・呪術的な血を、近代文明と白人社会の価値観に対するアンチテーゼとしてしばしば登場させるようだ。それを肯定的に描いているのか、それとも創作上の手段としてただ利用しているのかはわからなかった。ひとつのパターンとなっていた。ただ作品としてはどの短編もおもしろく、飽きさせるような下手なことはない。

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読書
「お前らの墓につばを吐いてやる」
ボリス・ヴィアン 作


ボリス・ヴィアンが偽名で発表したピカレスク・ロマン。実は黒人の血が混じる主人公は、人種差別によって殺された弟の復習のため白人への報復を企む。

この主人公の義憤や屈折をもっと丁寧に書いてくれればよかったが、そのへんはあっさりしていて、ただ歌もギターもダンスも運転もうまいマッチョなやつとして描かれている。エンターテイメントとしてはそれで充分なのかもしれないが、これでは感情移入ができない。ストーリーは大半が10代の少女たちとセックスに明け暮れ、機会を得てようやく近づけた金持ちの姉妹との接触もひたすら酒とセックスの描写で、これは個人的な趣味だがまったくつまらない。

全体から見ればラスト10%くらいでようやく殺人。そして警察とのチェイスをへて破滅へと至るわけだが、この辺りは筆がノっていて息もつかせぬ面白さ。残酷だが下品ではないさすがの出来映えだ。
それだけに全体の構成がなぜこうなっているのか惜しまれる。

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