漫画家まどの一哉ブログ
- 2023.12.01 「ジム・スマイリーの跳び蛙」 マーク・トウェイン傑作選
- 2023.11.29 「運は遺伝する」 橘玲・安藤寿康
- 2023.11.27 「動物農場」 ジョージ・オーウェル
- 2023.11.25 「アルフィエーリ悲劇選 フィリッポ サウル」 ヴィットリーオ・アルフィエーリ
- 2023.11.22 「翼」李箱作品集 李箱(イ・サン)
- 2023.11.20 「悲しみを聴く石」 アティーク・ラヒーミー
- 2023.11.18 「ここまでわかった甲賀忍者」 甲賀流忍者調査団
- 2023.11.15 「ペレアスとメリザンド」 メーテルランク
- 2023.11.13 「オペラ座の怪人」 ガストン・ルルー
- 2023.11.08 「ムシェ 小さな英雄の物語」 キルメン・ウリベ
「ジム・スマイリーの跳び蛙」
マーク・トウェイン傑作選
(新潮文庫・柴田元幸 訳)
小説家・エッセイスト・ジャーナリストなど多岐にわたって活躍したマーク・トウェイン。ユーモア小説を中心に集めた短編・小品集。
マーク・トウェインがここまでナンセンスで愉快な短編を書くとは知らなかった。ちょっとニンマリといったレベルではなく本気で笑える。読んでいてウキウキとして楽しい。文豪が愉快な物を書くと必ず風刺小説といった意味づけをするのは悪習である。
ほとんどの証人が事実とかけ離れた無関係な話ばかりする裁判記録。賭け事中毒の男が仕組んだ跳び蛙の高さ比べ。農業について全く無知な人間が代筆した農業新聞のトンデモ記事。経済論の執筆に集中する間にアンテナ詐欺に引っかかってゆくインテリ。などなど全編この種のユーモア短編で編集してもらっても私的にはよかった。
「盗まれた白い像」はやや中編だが象が象ならぬ怪物的な存在で、街に出てゴジラレベルの破壊の限りを尽くす。ありえないナンセンスな出来事が続き、対応する警察のほんとうの目論見がミソなのだが、もう少し短くてもいいかと思う。
「失敗に終わった行軍の個人史」も中編で、南北戦争に参加はしたが全然戦う気もなく逃げ回っていた南軍の村人たちの話。事実こんなものかもしれないが、やや冗長な気がした。
基本的にマーク・トウェインはあまり深刻ぶらず自由に空想の羽を伸ばすタイプの作風なのかな。
「運は遺伝する」
橘玲・安藤寿康 対談
(NHK出版新書)
行動遺伝学の最新の知見に基づいて、人生や社会の多岐にわたる遺伝の影響を徹底対談。残酷だが見過ごせない事実とは。
ヒトゲノム解析テクノロジーGWAS(ジーワス)の驚異的威力。単一の遺伝子(モノジェニック)な診断ではなく、多数の遺伝子(ポリジェニック)の関わりから診断する遺伝的影響。巻頭このあたりの詳しい内容を理解することが先ず一つのハードルだが、世帯収入と大学卒業率との経済格差を反映したグラフと、同じ内容(世帯収入と大学卒業率)を純粋に遺伝子のみを調べた結果のグラフが一致するのを見せられるとさすがに驚いてしまう。
「運は遺伝する」と言うが、偶然運悪く事故に遭った人がいたとしても、その人が遺伝的に落ち着きがないとか注意力散漫だった場合、第三者はその人をそもそも運が悪いとは思わないのではないか?
遺伝率と共有環境(コントロール可能なもの)・非共有環境(コントロール不可能なもの)基本的にこの三つをあらゆる事象にあてはめて考えてゆく。一見非共有環境に見えることも、どのような社会集団・友人を選ぶかなどは自覚がなくても遺伝的な支配を受けており、多くの面で遺伝率は高いようだ。
協調性や外交性・内向性などのパーソナリティはもとより、タブー視されてきた知能や容姿まで含めて人間が遺伝子に支配されていることを考えると、「誰でも努力すれば同じように学力を上げることができる」や「犯罪を繰り返す人でも教育によって必ず更生できる」などの平等理念もそのままでは通用しない。残酷なようだがそこは直視して誰をもケアできる社会を考えるべきだと自分も思う。
「動物農場」
ジョージ・オーウェル 作
(ハヤカワepi文庫・山形浩生 訳)
自らの奴隷状態を翻し農場主の地位を人間から奪い取った動物たち。だが楽園となるはずの農場は、しだいにリーダーであるブタの支配する独裁国へと変質してゆく。風刺文学の名作。
ふだんから寓意小説や風刺文学というものをあまり読もうとしなかった。笑うための単純な構造が見えたらつまらないし、動物を使うと児童文学の感触なのではと疑ってしまう。
ところがこの有名な作品を読み出してみると、動物たちがあまりに人間的にリアルで話の内容も痛々しく、まさに人間社会そのものの縮図で読むのも辛かった。
そもそもこの作品は社会主義革命後、その理想を離れて独裁化していくスターリン政権下のソビエトを忠実に風刺したもの。確かにそうなのだろうが、遥か時代を経た今となってみれば、この作品はソビエト批判に限定されるものではなく、一応現在民主主義国とされる体制でも同様の事態は容易に起こり得るし、今まさに起きているのではないだろうか。
それほど権力の腐敗・独裁化は共通の過程を経るものであって、この動物農場の如く住民が主体性を持たず、政治について考えることも発言することも放棄してお任せ状態にあると、容易に同じことが起きる。それが読んで身に染みる。
併載の「動物農場序文案」ではロシアがイギリスと同盟を組んで対ナチス戦線に参加したとたんに、スターリン政権批判を全くしなくなったマスコミへの作者オーウェルの憤りが読める。
「アルフィエーリ悲劇選 フィリッポ サウル」
ヴィットリーオ・アルフィエーリ 作
(幻戯書房ルリユール叢書・菅野類 訳)
18世紀イタリアでサスペンスを含む劇的な作風を立ち上げたアルフィエーリ。ロマン主義の先駆的作品2話を収録。
巻末には現代評論の抜粋や訳者による丁寧な解説があって、アルフィエーリ作品の革新性と歴史的経緯がよくわかるが、今となってはごく普通の表現なので我々はただ楽しんで読むことができる。
頑迷なる国王の権力がいかに恐ろしいか、善意だけでは打ち勝てない悲劇を描いて、ロマン主義の魅力たっぷりの作品だ。
「フィリッポ」:フィリッポとは全盛期のスペイン国王フェリペ2世のこと。王子カルロは許嫁であったイサベッラを父親であるフィリッポに奪われても逆らうこともできない。史実ではカルロ(カルロス)とイサベッラ(エリザベート)は相次いで死んでいるのだが、作者はこの史実を元に権力者フィリッポの嫉妬と実子にも容赦ない非情ぶりを作り上げた。恐ろしい話だ。
「サウル」:旧約聖書を下敷きに、イスラエル王サウルの晩年の混乱と勇者ダヴィット(ダビテ)の困惑を描く。サウルは追従者の中傷に簡単に左右されて命令は二転三転である。「国を手に入れるために、兄は弟を殺し、子供は母親を殺し、夫は妻を殺し、息子は父親を殺す……。血と、残虐の座なのだよ、王座とは。」このサウルのセリフが権力の本質を雄弁に物語る。
「翼」李箱作品集
李箱(イ・サン) 作
(光文社古典新訳文庫・斎藤真理子 訳)
1937年東京で夭折した朝鮮を代表するモダニズム作家李箱(イ・サン)。多岐にわたる活動の中から小説・詩・エッセイなどを収録。
当時の朝鮮半島の文学運動やファシズムへの道をひた走る東京へ移住した朝鮮人作家たちの集まり。そして彼らの戦後と李箱の評価など、文庫解説ではじめて分かることも多いが、それらを知らなくても一読して多彩な才能を楽しめる作家だ。
小説「翼」:妻に一部屋明け渡し、性的な労働によって生活をささえてもらいながら、そのことに漠然としか気づかない、あまりにも無為な人生を送る主人公。いくらなんでもここまでボンヤリした人間がいるだろうか。
この作品以前に書かれた「蜘蛛、豚に会う」は同じような設定ながら、男は当たり前のように悩んだり羨んだり、行動的でもある。ここでは彼は普通の人間だ。
比べて「翼」の主人公の現実味のなさは恐るべきもので、ほぼ毎日が人生を高めるようなことはなにもせず終わり、かと言って達観しているわけでもない。このカリカチュア的な人物造形が面白くて、現実離れした傑作となっている。
散文詩「失楽園」:「私はときおり二、三人の天使に会う。みんなあっさり私にキスしてくれる。しかし忽然とその場で死んでしまう。まるで雄蜂のようにー」「秒針を包囲したガラスのかたまりに残った指紋は蘇生されねばならないーあの悲壮なる学者の注意を喚起するために」などなど散文詩好きな私にはモダニズム以上の快感がある。
紀行文「山村余情」:「何ガロンもの薄暗い空気の中に針葉樹が一本、生き生きと、青々と茂っています」情景描写はひたひたと心に染みる美しさなのだが加えて「ランプの灯芯を上げて火を灯し、備忘録に鉄筆で群青色の苗を植えていきます。不幸せな人口が苗の上に一人ずつ誕生します。稠密なる人口がー」「夜の悲しい空気を原稿用紙の上に敷きのべて、青ざめた友への手紙を書いています。そこには私自身の訃報も同封してあるのです」など紀行以上に詩魂があふれる。
「悲しみを聴く石」
アティーク・ラヒーミー 作
(白水社エクスリブリス・関口涼子 訳)
内戦化のアフガニスタンらしき土地。植物人間となって帰った元兵士の夫を世話しながら密かに生きる女性のモノローグ。この国で女として生きる困難と不条理が浮かび上がる。
この女性は植物人間となって動かない夫の世話をしながら、自分が少女の頃からこの男の妻となり、子供を産み育て、疑いもなく献身してきたことを振り返るがあまりに痛々しく悲しい。
やはり社会自体が伝統的な男性中心主義で、この夫も典型的な戦争好きな男。「昔の格言は本当ね。〈武器のもたらす快楽を知るものを決して頼みにするべからず〉って」などの名言も。
彼女の姉は12歳で父親の借金のカタに四十男に嫁がされ、その時幼い彼女も自分の運命を知る。
何も知らないまま初めて夫に体を捧げて以来、夫は彼女の心中を思いやることはなくただただ自己中心的な性行為をくりかえすのみ。彼女が過酷な過去を振り返るモノローグはしだいしだいに高揚して、自身の人生の真実が露わになり、この辛い読書も息を呑んだまま引き込まれていく。
もちろん全ての女性が封建的な生活に耐え忍んでいる訳ではなく、彼女が慕う叔母は呪われた運命に反旗を翻し戦って身を隠した人。多様な女性が多様なそれぞれの人生を生きようとしているのだ。
リアリズムながらもはっきりと物語はあり、終盤若い兵士が彼女の体を求めて通うようになってかなり劇的なラストを迎える。やはりドラマではある。
「女は男の胸から手を離す。立ち上がり部屋を離れる。」など、地の文は視覚情報に限定して描かれる初期のアラン・ロブ=グリエふうの文体。シナリオのようだが、この著者もロブ=グリエも映画も撮る作家の共通点だろうか。
「ここまでわかった甲賀忍者」
甲賀流忍者調査団・畑中英二 著
(滋賀県甲賀市・サンライズ出版)
近年進んだ新たな研究成果を踏まえて監修された小冊子。甲賀忍者のユニークな実像を多くの画像とともに楽しく紹介。
甲賀という土地は近江国に属しながらも六角氏の支配下になく、伊賀のように守護大名を頂いている訳でもない、「甲賀郡中惣」という自治組織であったところが意外でおもしろい。戦国の世も仕事次第でどちら側にも付いて行き抜き、しかもゲリラ活動だから敵か味方かわからない。寝返りもする。自主独立の気風強く、仕事の都合上、敵・味方に分かれてもどこかの大名や重臣の家来となることは固く拒む。政治的敗者も甲賀に逃げ込んでしまえば追手が及ばなかったようだ。
有名な忍術書「万川集海」以外にも多くの文献・資料を駆使して甲賀忍者の動向、忍法、城館・城塁が解説され、たとえば島原の乱では反乱軍の城内に忍び込み、あわや命からがらで逃げ帰ったエピソード。赤穂藩改易事件(忠臣蔵)の情報収集。得意の毒薬や火術に関する秘伝の数々。など図版と共に解説されていて楽しい。甲賀の里を文献と共にめぐる観光案内も。
「ペレアスとメリザンド」
メーテルランク 作
(岩波文庫・杉本秀太郎 訳)
王子ゴローが森で出会った不思議な女性メリザンド。妻となった彼女は城内でゴローの弟ペレアスと心を寄せ合うようになるが…。「青い鳥」のメーテルランクの戯曲作品。
読み始めると夢の中にいるような妙な味わいがあって、引き込まれてしまった。森の中の川のそばで泣いていたメリザンドという女性が、どこから来た何者なのか?肝心な謎が最後までいっこう解明されない。
また彼女は城内の泉に軽率に指輪を落としてしまうし、そのいきさつについても嘘をつく。ヒロインとしては欠陥のある人間だが、あくまで美しく魅力的な女性として描かれる。
ゴローとは歳の離れた弟ペレアスとメリザンドは、まだまだ子供扱いされているが密かに逢瀬を重ねている。はっきり言って赦されない恋なのだがメリザンドがふわふわした実体感のない人間なので、リアルな悲劇感がまるでない。これは作者メーテルランクがそもそもリアリズムとはかけ離れた童話的な作風を得意とするからなのか。文庫解説ではメリザンドは水の精だということだが、作中ではなにも解説されない。
当然のごとく悲惨な結末となるが、ヒロインが人間離れしているので、おとぎ話を聞かされたような味わいだった。よく知らなかったがメーテルランク(メーテルリンク)はユイスマンスやリラダン繋がる象徴主義作家らしいので、自分の守備範囲といえるかもしれない。
「オペラ座の怪人」
ガストン・ルルー 作
(新潮文庫・村松潔 訳)
パリ・オペラ座に頻出する奇怪な事件。地下に潜むと噂される不思議な怪人の存在。若き子爵と歌姫のままならない恋愛をめぐって、怪人の暗躍が解き明かされてゆく。
物語半ばまでは誰もいない場所から声が聞こえたり、人間が急に消えたりあり得ない出来事が連続し、怪人はどう考えても悪霊的存在で、怪奇小説として読まざるを得ない。
ところが半ばを過ぎるにつれ一つまた一つとトリックが解明されて、怪人もその姿を現わし、しだいに謎解きを含む推理冒険小説の形をとってくる。まさに怪奇・推理小説の先駆的名作とよばれる所以である。
全体の構成もやや変わっていて、まず前文「はじめに」で作者が怪人の存在を確信したいきさつに触れ、本編後半クライマックス部分は終盤に登場するペルシャ人の手記によって進行する。この謎のペルシャ人が物語を推理冒険ドラマへと導く重要人物なのだが終盤近くになってようやく登場するのだ。なにせ主人公の若き青年子爵では感情的すぎて謎解きは不可能である。
ドラマの大半は子爵と歌姫の恋が果たして成就するのか、その苦難の道行が描かれ、やはりどうしても若き恋愛物語になってしまうのかとも思った。個人的には怪人の存在を全否定する支配人たちの混乱ぶりがおもしろく、その周辺の人々を巻き込んだオペラ界全体にスポットが当たっているシーンの方が好みだ。
推理小説というジャンルが固定化される前のこうした古典的エンターテイメントには、お約束にしばられない面白さがあるのかもしれない。
「ムシェ 小さな英雄の物語」
キルメン・ウリベ 作
(白水社エクスリブリス・金子奈美 訳)
スペイン内戦下、戦火を逃れてベルギーへ疎開した少女を引き取ったムシェ。その後反ナチス運動へ身を投じた彼の過酷な運命をたどる、丹念な取材をもとに書かれた実話小説。
スペイン・バスク地方から来た少女を引き取ったことから始まって、やがて少女はバスクへ帰り、ムシェ自身は結婚して女の子が生まれる。その後ナチスに抵抗するマルクス主義者として地下活動へ入り、逮捕されて過酷な収容所生活へ。
この運命の変転を時系列に従って単線的に書けば、ストーリーの起伏に胸躍らせて読むことができよう。
しかし作者はその方法は取らず、ルポルタージュ的に行きつ戻りつしながら淡々と出来事の推移を書き留めてゆく。非常に静かな落ち着いた筆致で、事実はより深く我々読者の心奥に届く印象だ。
オートリアリズムと呼ばれる方法のようだが、作者ウリベの第1作「ビルバオ-ニューヨーク-ビルバオ」を私は2016年に読んでいて、その時もバスク地方出身の自身を丁寧に追って、深みのあるエッセイのような読後感を得たものだった。
主人公ムシェは特別な存在ではなく、疎開してきた子供たちを引き取った人々は他にもいて、みな小さな英雄である。とりわけムシェは真面目で誠実な人柄で、ナチスと戦う過程で妻子と離れ悲惨な運命に身を任すこととなってしまった。