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漫画家まどの一哉ブログ

   
読書
「破れた繭」耳の物語1 開高健 作
(岩波文庫)

開高健の自伝小説前編。幼い頃から戦中・戦後の貧困生活、学生の身でありながら結婚するまでを語る。

私にとって開高健はあまり親しんでいる作家ではなく、「日本三文オペラ」のように面白いものもあるが途中で投げ出したものもある。描かれていることの多くがもっぱらの現実で、逃れられない現実がこれでもかと連続する印象だ。私のように自身と現実の間に多くの妄想が挟まっている人間にとってこれはつらい。たいていの青春体験小説を読んでも「ああそうなの」くらいの感想しか持てないのがふつうだ。ところがこの作品は何気なくふと読んでみた数行で脳内にじんわりと快感が走り、連続する言葉の魅力に掴まった。

基本的に開高はあらゆる現実に対応出来る気力・体力の持ち主で、困窮する中でも好奇心旺盛に学校の勉強もするし、さまざまなバイトも次々と経験する。へなちょこなところがない。妄想では生きていけない戦後の現実があるとはいえ、体験型のタフな作風というタイプを感じる。
とは言ってもこの自伝小説がほんとうに面白くなるのは、フランス語の私塾のようなところで谷沢永一と出会うころからであって、その後の谷沢主催の同人誌の集まりで向井敏や牧羊子が登場するといよいよ加速。牧羊子の計略?により妊娠・結婚へとなだれ込むあたりは爆笑級の面白さ。自分は大阪出身で土地勘もあるので楽しく読めた。そういえばサントリー文化というものがあったなと思い出したが、後編で触れられるかもしれない。

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読書
「ポンス・ピラト」ほか R・カイヨワ 作
(景文館書店)


ローマ皇帝支配下ユダヤ人地区の総督ポンス・ピラトは、イエス・キリスト逮捕の報告を受けて悩む。はたして簡単に無実のイエスを処刑してしまっていいものだろうか。イエスが刑死されずに生き延びた場合、今日に続くキリスト教は生まれなかったかもしれない。歴史のもしを再現する小説。

ピラトは官吏としては平凡な男で、文人であり、優柔不断ではあるがまっとうな正義感を持っている。ただ、事なかれ主義者としても今回の件は判断がむずかしい。

ひとつはメネニウスの進言。囚人のうち一人が恩赦を受ける祭日にあたり、民衆はイエス以外のほうを選んだ。よってやむなくイエスを処刑するというもの。責任を免れるとともに、一般受刑者と同時に処刑を行いイエスの聖性を除去する。手を洗う儀式も行って穢れも除去。いかにも政治的な方法。

また預言者マルドゥクは未来を知っていてイエスの処刑を示唆する。処刑によりローマの権力を超えてはるかに強力な教えが誕生すること。これはやむをえない未来。十字軍の運命やそれを描いたドラクロアやボードレールの文章まで予言するからおもしろい。

そしてユダ。ピラトに言いよる裏切り者のユダは、じつはキリスト教の誕生を画策する男であって、イエスが十字架に架けられて殉教することによって初めて神の子・救い主となる。無実の罪で犠牲となることで、人間の贖いが成立する。ユダとピラトの汚名によって人間は救われると、ピラトに処刑を求める。このユダの真意には驚いた。他にもユダをこう描いた作品はあったかもしれないが自分にとっては新鮮だった。

訳文なのでほんとうのところはなんとも言えないが、文章のリズムが良くて思わず読み進んでしまう。カイヨワが小説を書く人とは知らなかった。表題作ほか短編。

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読書
「モロイ」サミュエル・ベケット 作
集英社

ベケットをして不条理文学と紹介されるのはけっして間違いではないのだが、カフカやカミュのそれとは著しく違った感触がある。不条理と言われた場合、素直に考えればわれわれが置かれているこの世界の道理のなさ、運命の気ままさに翻弄される様を思うが、ベケットの場合この世界自体は穏やかである。反対に主人公本人がまったく非合理で無計画で、なにをやっているのか何故そんなことをするのか皆目説明がつかない。大概は足が不自由でそのハンディは仕方がないにしても、お金もなく、思考も緩慢、欲もなく希望も絶望もない。かと言って悟っているわけでもない。常に不潔でのろのろとしていて、現代資本主義世界では生産性のなさを非難されてしまいそうだが、本人は楽しげである。
通常の意味での人間存在のあり方が無化されている。しかし虚無主義といったものとはちょっと違う。ただただナンセンスであり、精密に描かれたバカボンの親父のようなものだ。

さて第1部で主人公モロイの無軌道ぶりが描かれたあと、第2部に変わると意外にも主人公は刑事ジャック・モランに変わり、なにかしらモロイが事件になっているようだ。これはベケットにしては珍しい展開でわくわくとしたが、始まってみるとこのモランという男がモロイに勝るとも劣らぬ脱落者で、なんのことはないいつものベケットだった。家庭内では行動に脈絡のない小人物。だいたい捜査に行くのになぜ長男を連れて行く?遠くなのになぜ歩いていくのか?結局この男も生活者一般から落ちこぼれてしてしまう。最終的にはやはり足を患い、なぜか庭で暮らす困窮生活。併録の短編作品「追放された者」「終焉」の人物もみな同じだ。作中過去作の主人公(自分の読んだ中ではワットやマーフィ)の行く末が案じられているのが面白かった。

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読書
「魔法使いの弟子」ジョルジュ・バタイユ 著
(景文館書店)

たしかに激しい恋愛は人生において最も魅惑的な時間であり、偶然と運命に身を任せた、打算と計算を排除した本来的な喜びである。バタイユは次々と燃えるような恋愛をくり返した人だそうだが、たいがいの人はそうもいくまい。あっても一生に一度、わるくすれば一度も燃えるような恋愛を体験せずに生涯を終える人も多いと考える。そして人生の多くの時間は恋愛以外の、意図された生産に使われて終わるのも仕方のないことである。愛しあう二人が初期の燃え上がる心を、燠火のごとく静かに燃やし続けながら寄り添いあっていければ幸せであろう。

それにしてもこの原理を一体性という手がかりを元に社会全体へと敷衍していくのはどうだろうか。確かに原始共同体の宗教的な儀式における一体感と恍惚といったものはそれだろうが、硬直沈滞した社会が見失っていたものを突きつける意味はあるのかもしれない。

いずれにせよ人生は生きがいなどであがなえるものではないのは確かだ。

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読書
回想「子規・漱石」高浜虚子 著
(岩波文庫)

松山での出会いから終生の地まで。7歳年上の二人の文学者との交流を振り返る。

子規という人は自分の早世を悟っていたのか、常に何事にも積極的にエネルギッシュに生きた人である。「仰臥漫録」を見る限りでは病床にあっても食欲旺盛である。近代俳句・短歌をリードした人だけに慕ってくる後輩には口うるさき先生のような存在だったようだ。虚子こそ自分の後継者とみなしていたが、道灌山の話し合いで決裂。「もっと勉強せよ、なぜしないか?」と詰め寄る子規に、「自分は本は読みたくない。勉強する気はない」と虚子がはっきりと拒絶。人それぞれ向き不向きがあるから、本を読んで勉強するタイプでなければ正直にそういったほうがいい。

いきなり1500部売れた虚子編集の「ホトトギス」だが、漱石の「我輩は猫である」によってさらに部数を延ばす。もっとちゃんとした原稿料を払って正式な雑誌にしたい漱石と、あくまでも自分たちの書きたいものを書く同人誌としての位置付けを守りたい若手たちの間で両方の意をくんだ編集方針を続ける虚子。セミプロ漫画同人にからむ自分としても、この辺りの呼吸は両方の気持ちがわかる。
漱石が「猫」や「坊ちゃん」が評判になってからも、かなり親密に「ホトトギス」の同人仲間として参加していたのは意外だった。そんな漱石も朝日新聞の社員となった頃から、さすがにプロ作家として人生をまっとうする覚悟を決めたようで、虚子や「ホトトギス」との交流も減っていったようだ。

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読書
「大寺学校・ゆく年」
久保田万太郎 作(岩波文庫)

以前「末枯・続末枯・露芝」を読んだ時、しっとりとした美しい文章に心奪われたが、その情緒・情感はこの戯曲でも変わらない。失われつつある江戸言葉とはいえ、人物の感情に即したあまりにリアルなセリフのやり取りに創作であることを忘れるほどだ。実に細やかである。

とくに「大寺学校」は浅草下町で20年続いた私設小学校の記念式典と行く末にまつわる話で、校長や教師たちの心の動きは現代の私たちでも素直に共感できるものだ。
「ゆく年」のほうはこれも浅草下町で魚屋や旅館業を手がける一族の愛憎渦巻く話だが、こちらはほんとうのべらんめえ口調なので、そのまま感情移入は難しいかもしれない。やや古風な感触はある。

どちらも単なる人情話としてオチをつけたようなものではなく、時代の流れる中で、解決策もないままに不安ながらも人生の営みを続けていく市井の人々を描いて秀逸なものであります。

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読書
「ヒロシマの人々の物語」G・バタイユ 著 酒井健 訳
(景文館書店)

世界を驚かせたジョン・ハーシーのルポルタージュ「ヒロシマ」(1946)。このルポに触発されたバタイユがすかさず発表した論考。
原爆が一瞬にして大勢の人間の命を奪う恐ろしさに着目するも、毎年5千万人死んでいく人類全体のシステムへと話が展開していくところが奇妙な気がする。そのうち宗教者の瞑想やニーチェの永劫回帰など「感性のきわめて重要な体験」へと進んでいくとどこへ連れて行かれるのやらとまどってしまう。バタイユの使う独自の用語をこの小論を読んだだけで正確に把握するのは無理というもの。

訳者による丁寧な解説があってようやく助かった。この解説にあるようにバタイユの消費の概念「普遍経済学」の視点を知っていなければこの小論考はわからないかもしれない。とりわけ訳者が提出した北条民雄「いのちの初夜」を引用しての読み解きはきわめて有効で、人間であることが剥ぎ取られた悲惨な状況にあっても揺らぐことのない生命の存在に気づかされる。現代で言えば相模原の事件にみられるように、有用性から人間を判断することへの批判が明らかになる。

ところがバタイユのわかりにくさは、どうしてもヒロシマの原爆被害そのものへの論述を期待するからで、まさか「普遍経済学」その他の概念が展開されているとは思わないからではないか。原爆という圧倒的な悲劇を前にして、もう少し核兵器自体について語られるはずという思い込みがあった。そこが甘かった!

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読書
「チェコSF短編小説集」
ヤロスラフ・オルシャ・jr.

第一次世界大戦以降現在まで、チェコで生み出された、日本人があまり知らないSF小説集。チャペックはいうまでもないが、チャペック以外にも多彩な才能が累々。
こうやってまとめられたものを見ると、ユーモラスな小話・落とし噺、全体主義の近未来ディストピア小説、ソラリスばりの火星冒険記など、特にチェコだからといったものは感じられない。全人類共通のしごくまっとうなSFである。個人的にはハウゼロヴァー「わがアゴニーにて」が突出した出来。

ヤン・バルタ「再教育された人々」:ハクスリーやオーウェルに先んじて書かれた近未来のアンチユートピア小説。生まれた子供はすぐさま国家に取り上げられる家族というものが否定された世界。容赦ない筆致で抜粋ながら背筋が凍る恐ろしさ。
ヨゼフ・ネスヴァドバ「裏目に出た発明」:オートマットなる世紀の発明を成し遂げ人間を労働から解放した男。栄誉と大金を手にして後は快楽人生をおくろうとするが、労働や通貨が廃止された世界は一種のディストピアだった。オートマットのしくみをまったく解説しないざっくりした書き方が面白い。
エヴァ・ハウゼロヴァー「わがアゴニーにて」:54年生まれの女性作家。巨大団地生活を未来のコロニーに見立てたバイオパンク小説。妊娠・子育て・介護・不倫など暮らしのリアリズムが、エネルギー生成機・顔面シールド・上流階層の住むコスモポリスなどSF的設定と融合した稀有の世界。女性の人生に巻き起こる数々の問題がしっかりと書かれているのに、近未来SFとしての面白さがちゃんとある傑作。主人公女性の一人称の語りに引き込まれる。

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読書
「新・東海道五十三次」武田泰淳 著

1969年、百合子の運転する日産ブルーバードを駆って、なんども行ったり来たりしながら品川から琵琶湖一周まで完遂した東海道ドライブ小説。作者は小説と銘打っているが、すべて実体験の名所旅行記。

泰淳・百合子はなにを読んでもおもしろい。日数をかけているとはいえ、当時の車(2代目 410型系ブルーバード)でこの距離はかなりの強行軍だ。運転する百合子は相当疲れたと思う。開通したばかりの東名高速も今よりは空いていたかもしれないが、一般道でのMAPとのにらめっこや駐車場さがしなど、その苦労がしのばれる。
寺に生まれた泰淳が各地の仏閣に興味があるのは当然としても、その他神社や名所旧跡、自動車工場なども物見遊山気分でどんどん見学。大気汚染など公害状況にさしたる批判的意見を差し挟むでもなく、のんきな髪結いの亭主的な役どころに終始している。
もちろん泰淳の筆は読んでいて心地のいいものだが、やはりこの旅行記は百合子がいるから面白いので、世間とのあけすけな関わり合いは百合子ならではの持ち味であろう。

自分も東京・大阪間を4~5回走ったことがあるが、疲れた夕刻など意識が朦朧とした。自分の出身と体験から、伊賀上野・伊勢神宮・三井寺・石山寺など興味深く読んだ。

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読書
「天皇陛下にささぐる言葉」
坂口安吾 著

「天皇陛下にささぐる言葉」「堕落論」「天皇小論」「もう軍備はいらない」
安吾の随筆四編をまとめたブックレット。

戦後1946年から始まり1954年まで行われた昭和天皇の国内行幸。石もて追われるかと危惧されたが、各地で国民の熱狂的歓迎をうける。この有り様を見て安吾の落胆・危惧は当然である。徹底した皇民化教育の恐ろしさよ。国中焼け野原にされて原爆まで落とされたにもかかわらず、軍部に騙されたとは考えても、天皇の神格化まではまるで相対化できない民衆のあほらしさ。
安吾の言うほんの少し敬意を払われるくらいの皇室との接し方(往来で出会ったら会釈するくらい)は、ちょうど北欧での王室への態度と似通ったものくらいかしら。いずれにせよ安吾の嘆いた時代から現在まで日本人はそんなに進化していないようだ。皮肉なことに最近は現政権より皇室の方が民主的だが、安吾の危惧が杞憂に終わらないことを祈る。

戦争は天災ではないのだから、軍備を厚くすることしか国を守る手立てがないなんてことはないのは、まったく安吾の言うとおりで、まさにこれも今日的という以上に現在差し迫った問題だ。生活自体を豊かなものにすれば、どこかに攻め込んでくる凶悪犯罪者がいるといった脅し文句も怖くはないのだ。

こんなにも安吾の警告がそのまま生きてくる時代が来ようとは、なんとも嘆かわしい事態だが、いずれにせよもう一度安吾の自由独立の精神を噛みしめてみる必要があります。

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