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漫画家まどの一哉ブログ

   

「転落」
カミュ 作
(光文社古典新訳文庫・前山悠 訳)

自信に満ち溢れて悠々と生きていたはずの弁護士の男は、いかにして落ちぶれたか。その半生を本人が滔々と語る一人称小説。

語り手の男は弱き者のため献身を惜しまぬヒーローとして喝采を受ける毎日。その誇り高き姿は、実は自己愛を動機とする浅はかなものであることがしだいに明らかにされる。ほんとうに困難な人を思いやっているのではなく計算ずくで、周りの礼賛に酔いしれているのだ。
この前半から3分の2くらいまでの進行が、どちらかというと冗長でやや飽きてくる。彼の薄っぺらな人格はすっかりお見通しでなのだから、もっとどんどん進んでくれてけっこうだ。カミュにはいつもそんな感想を持ってしまう。

男はこの悠々たる人生がしだいに自身でも不安になり、この嘘で仕上げた自分に疑問と不安を抱き始めるが、これはたぶん年齢と共に起きてくる現象であろう。誰だってそうだ。そして死が近づくにつれてこの大嘘を抱えたままで黙って死んでしまうのは耐えられない。このあたりからこの作品は一気に加速度をつけて面白くなる。しかしこれは「転落」というほどのことではないと思う。

文庫解説によると当時サルトル・カミュ論争が盛んで、この論争に負けたカミュの鬱屈と憤懣が作品に影響しているらしい。私は小説家としては圧倒的にサルトルを推すが、マルクス主義に寄り添った実存主義なるものは端的につまらないので、カミュにも同情してしまう。

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「死霊の恋/化身」ゴーチェ恋愛奇譚集
テオフィル・ゴーチェ 
(光文社古典新訳文庫・永田千奈 訳)

19世紀後半フランス幻想文学のエース、ゴーチェの恋愛をテーマにした代表的3編を収録。

久しぶりにゴーチェを読んで、さすがに安定した面白さだった。文庫解説によるとゴーチェは単に作家であるだけでなくジャーナリスティックな仕事を多くした人で、芸術分野の公的な役職にもついている。そう言われてみれば、ゴーチェの作品は冷静に計算された落ち着いた作風であり、社会的異端者による狂気を孕んだタイプではない。この点は以前は気付かなかった。

この本は全て男性主人公が魅惑的な女性に恋をする話である。これはこの時代のこの手の設定の定番、あるいは上流有閑階級が舞台であるせいかもしれないが、女性への恋がほとんど容姿への執着であり、いかに優れた他に類を見ない絶世の美貌であるかが筆を尽くして語られる。それだけで主人公の男性にとっては一生をかけてその女性の愛を得る理由になるのだ。
これは女性のトータルな人格を無視した、あまりにも失礼な女性観と言えるが、はたしてまだまだ社会がそういう時代だったのか、小説ゆえのおなじみのパターンだったのかわからない。

「死霊の恋」は悪霊・吸血鬼譚、「アッリア・マルケッラ」はタイムスリップ譚で、どちらもその後の怪奇小説のベースとなった作品かもしれない。「化身」のラストは果たしてハッピーエンドなのか、呪術使いの邪心ある医師のみが得をしている気がする。

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「火山の下」
マルカム・ラウリー 作
(白水社)

1938年メキシコ。酒に溺れて破綻した生活を送る元英国領事。その破滅に至る1日を匂い立つ文体で綴る悪夢的傑作長編。

主な登場人物は主人公の領事と一度別れたが戻ってきた妻のイヴォンヌ。そしてイヴォンヌが一時身を寄せていた領事の弟ヒューの3人である。領事は最愛の妻が戻ってきたのに、一度自分の元を去った彼女に対して素直な喜びを表現できない。感情面でまだまだリスタートに踏み出せないのだ。

領事はアルコール中毒でありながらも日常生活はなんとか送れるのだが、身の回りの認識にところどころ幻視幻覚が混ざり、彼の行動を追って読んでいるだけでこちらも酔っているような感覚になる。
何をするにも先ず一杯飲まないと始められないし、言動は基本的にダウナーで、行動原理に合理性が乏しく迷走感満載だ。

この領事の浮遊感に魅入られてしまい、現実離れしながら生きていく楽しさと確実に破滅へ向かうであろう虚しさに引き込まれて止まらない。たとえば弟ヒューの人生を振り返ったエピソードも多く登場するが、これは素面の人間の格闘でありいわば普通である。それに比べて酒と共に生きる領事が現実を失っているのにそのまま話の主軸であるのが奇跡的であり、これも一種の幻想文学の傑作と言っていいかもしれない。

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「ザイム真理教」
森永卓郎 著
(三五館シンシャ)

頑なに財政均衡主義を守り、税収削減を一歩たりとも許さない財務省。長年に渡り日本人を支配してきた財務省のカルト戦略を明らかにする話題の書。

国の借金というものをわれわれ個人や企業一般のそれと同じに考えてよいか?このあたりは普段からよくわからない問題で、自分の知識では考えを進めることができない。
さて、財務省の吹聴する財政赤字というものは保有資産を無視しており、これを勘案すると日本はそれほど多大な借金を抱えているわけではないようである。(またその負債が国民一人一人の肩にかかっているかのように脅すのも姑息だ)

日銀(中央銀行)というものの理解が難しく、国債を日銀が直接買うことで何が行われたことになるのかがイメージできない。この負債は返済期限がくるたびに借り換えを繰り返し続けても問題はないらしい。
実際2022年にオーストラリアの中央銀行で純資産がマイナスになっていたが、中央銀行はお金を作る能力があるため支払いに何の問題も起きなかった。また日本で2020年に新型コロナ対策で80兆円もの赤字が出てプライマリーバランスがおおきく崩れても、ハイパーインフレも国債の暴落も起きていない。こういう具体例を示されると納得してしまう。

それならば増大する社会保障費対策と称して消費税を上げていくのは国民生活を無視した愚策であり、財政出動も少ししかしないのであれば我々の貧困化は避け難いものだ。これもザイム真理教による財政均衡主義の布教が徹底して国民に行き渡っている成果である。

本書では国民生活をかえりみないザイム真理教の活動の結果であり目的でもある富裕層の優雅な人生設計が紹介される。またこの本を出版することが困難であったエピソードも面白いが笑い事ではないのだ。
もとよりしっかり理解できているわけではないが、スラスラと楽しく読めた。

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「圧力とダイヤモンド」
ビルヒリオ・ピニェーラ 作
(水声社・山辺弦 訳)

国民の多くが得体の知れない圧力に怯え、収縮や雲隠れ・人工冬眠などの手段で人生を捨ててしまう。ただ1人圧力者の正体に立ち向かった宝石バイヤーの運命やいかに?キューバ文学。

解説を読んで作者ピニェーラが生前はキューバ政権のスターリニズムに弾圧されて陽の目を見ないまま亡くなったことを知ったが、そうするとこの作品の主題である目に見えない圧力とは政権の弾圧のことだったかとも思う。

しかしそう単純にとらえなくても、この不思議な作品は楽しんで読むことができる。最初から地球を脱出した人々の話題まで出てくるが全く解説されない。
主人公は宝石仲買人でそれなりの会社の一員だが、宝石仲買人とは自身は庶民ながら富裕層と接触できる面白い立場だ。それを活かして噂の宝石をめぐる競合会社との争いをもっと描いて欲しかった。会社の社長一族まで登場しながら、話はどんどん外れて巨大なカードゲームビルや、人工冬眠装置などへ進んでしまう。
このあたり話全体のバランスで言うと、あまり話を広げず、宝石売買の通俗的おもしろさを保ちながら奇怪な圧力の正体に迫ることはできなかったか?なんとなく、とっ散らかった印象があるのでそう思ったが、作者はもっと大きな世界を考えていたようだ。空想力の勝利だ。

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「死と乙女」
アリエル・ドルフマン 作
(岩波文庫・飯島みどり 訳)

ピノチェト独裁政権失脚後の不安定な政情の中、民主化を推し進める南米チリ。かつて自分を拷問した医師にめぐりあった女性パウリナのとった行動とは…。世界中で公演された傑作戯曲。

登場人物は3人のみの室内劇ながら息を呑む驚くべき展開。世界中に絶えることのない独裁政権が監禁した反対勢力者に対していかに非道な拷問を行うか。なかなか現代日本で暮らしていて身近に知ることはできないがこれが真実であろう。


またそれが平凡で善良な人間(この作品では医師)によってたやすく行われてしまうのも人間の真実である。

拷問・強姦を経て生き残ったパウリナの大胆な復讐劇が開始されるが、問題の医師はあくまでもしらを切り続け、民主化を目指す新政権で重要な役割を担う弁護士の夫はことを荒立てまいと必死。たしかにこの3人がいればこの舞台は充分出来上がる。起きていることはたったひとつだが実にスリリング。この緊張感がたまらない。

それにしても軍事独裁政権が倒れても、すっかり全部が民主化勢力と入れ替わるわけではい。旧政権側は単に少数派になっただけで議員は解任されたわけでもなく官僚たちも残っている。支持者勢力も温存されている。この条件で舵取りせねばならない民主化の難しさ。これが世界中で繰り返されてきたのだと気づいた。

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「犬と独裁者」
鈴木アツト 作
(而立書房)

スターリン下の弾圧の時代、なんとか自身の作品を舞台に上げるため苦闘する作家ブルガーコフを描いた戯曲作品。2023年公演。

ブルガーコフを主人公にしたこと自体が非常に興味深いが、それだけに難しいと思う。なによりブルガーコフが稀有の幻想文学者であり他の何者でもない人間でならねばならず、単にスターリンの独裁に苦しみもがいている表現者一般で終わってはならない。
その点ではもうひとつブルガーコフならではの人格が描かれているとも思わないが、幻想性という面ではソソという名の幻覚的人物が現れるのが面白い。ソソは最初、犬のような人間のような存在だが、次第にロシア語を覚えプーシキンの詩を暗唱するようにり、革命と暴力を讃えブルガーコフの運命を翻弄するような存在となっていく。

やはりソビエトという新しい社会で詩人は何を書くべきかという問題があるが、ラスト近くで革命やテロリズムなど話が大きく広がって、実際舞台を見ていたら大いに興奮したかも知れない。
周辺人物は少数で、妻と元妻の確執が多く描かれるが、個人的にはこの辺りの下世話な内容はほんの少し匂わせるくらいでよかった。スターリンが電話のみで登場するが、なかなか面白いのでもっとたびたび出てほしい。

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「海の乙女の惜しみなさ」
デニス・ジョンソン 作
(白水社EXLIBRIS 藤井光 訳)

現代最高のアメリカ人作家と評価される著者の遺作短編集。

一人称で書かれた文体が生き生きと感情豊か。出来事がすべて面白く、追うように読まされてしまう。

「アイダホのスターライト」:アルコール依存症治療センターに入所中の主人公が、あらゆる知人に手紙を書く。どうやら家族揃って破滅型なようだが、手紙の宛先は支援者からドクター、パウロ法王、サタンにまで及び、感謝と戦いの告白が続く。
「首絞めボブ」:刑務所で暮らす自分とイカれた同僚連中の生き様を独白。「アイダホのスターライト」と並んでワイルドな世界を、これもやや乱暴な言葉で描いて愉快。

「墓に対する勝利」:都会を離れて牧場で暮らしているらしい老作家。その生存を確認するために訪れると、彼は死者の幻と共に生きていた。並行して病院で死を迎えようとする知人の最期の日々が描かれ、やがて皆死んでいく思い出の日々。生との端境で死とともに生きる。これがいちばんの傑作だ。

「ドッペルゲンガー・ポルダーガイスト」:エルヴィス・プレスリーには実は死産した双子の兄弟がいて、本当は生きていたその兄弟が、本物のエルヴィスと入れ替わっていた。この大胆な仮説を信じ、自身の詩作を放擲して謎の証明に人生を費やす才能ある詩人。この分身と亡霊の種明かしは語り手自身にも及ぶ。ミステリアスにかなり仕込まれている。

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「ホーム・ラン」
スティーヴン・ミルハウザー 作
(白水社 柴田元幸 訳)

奇想短編小説の名手ミルハウザーによる短編集。幻想味溢れる作品以外にも現実的なもの、観念的なものなど多彩。

「私たちの町で生じた最近の混乱に関する報告」「Elsewhere」など、街全体に不思議な事態が少しずつ起きてだんだん如実になってゆくという展開は、ショートSFの定番かもしれない。
「息子たちと母たち」は久々に実家を訪ねてみると老いた母が認知症らしいという珍しく現実的な作品だが案外良い。

「十三人の妻」:自分の十三人もの妻のそれぞれの個性と自分にとっての役割を順に紹介。といってもその妻たちは現実離れしたかなり観念的な存在で、常にほかの若い男と一緒にいる妻や、剣を隔てて触れ合うことがままならない妻はまだいいとしても、宙に浮かんでいる妻や、起こらなかったことの総和である妻、記憶にはあるが不可視の妻など、あまりに逸脱していておもしろい。

「若きガウタマの快楽と苦悩」:ガウタマとはゴータマ・シッダールタであり、ブッダが王子としての身を捨て国を捨て、求道者として目覚めるまでの物語である。この作品がいちばんワクワクと読めた。彼は父親である王によってかなり過保護に囲われ、城の領域外の世界へ出られず生老病死から遠ざけられている状態。大掛かりな映画のセットの中に置かれているようなもの。これがありえないほど極端で空想的なので、この作品を砕けた気持ちで読むことができる。

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「昼と夜 絶対の愛」
アルフレッド・ジャリ 作
(幻戯書房ルリユール叢書・佐原怜 訳)

20世紀文学を導いた、シュールレアリスムの先駆けとなるフランス前衛文学の始祖ジャリの小説作品2題。

「昼と夜」:自身の兵役体験を描いた小説だが、大半は病者として陸軍病院に入院しているで入院小説と言ってもよい。しかも兵役にしても患者としても事実自体への拘泥はあまりなく、基本的に観念小説。軍隊や病院で起きていることはわかるのだが、描写は現実を離れて夢幻的に飛躍してゆく。
したがって通常の意味での小説とは違うものだが、その文章の品と格調たるやさすがに俗がなく、難解ながらも身の引き締まる思いだ。
たしかに軍隊というところが愚鈍化された場所であるにしても、作者にとって小説として書くべきはそもそも観念やイメージであり、読者も凡庸な頭で現実を読み取ろうとすると殴られる。

「絶対の愛」:解説を読んで初めて話の流れがわかった次第。主人公をイエスに見立てて母親マリアとその周辺の物語だと解釈して読んでいた。主人公が実質的に神でありオールマイティな存在なので、なにが起きていても不思議ではない。とはいえこれも現実的なことはあまり起こらず、文章は基本的に幻想的味付けで彫琢されてなければならない具合なので、通常の小説作品とは異質すぎるほど異質である。一読しただけでこの構成を理解するのは自分には無理というもの。3読くらい必要だ。

幻想表現の内容自体に踏み込まない拙い感想だがこれが限界であります。

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