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漫画家まどの一哉ブログ

   

「父の娘」たちー森茉莉とアナイス・ニン
矢川澄子 著
(新潮社・1997年)

父、鴎外の溺愛を受けて育ち、鴎外が亡くなった年齢から作家となった森茉莉。離れた父親に見つけてもらうために日記を書き始め、やがて性愛に至るアナイス・ニン。「父の娘」として生きた二人を追う。

森茉莉が好きで読み始めたが、恥ずかしながら著者矢川澄子のことをよく知らず、その知性あふれる格調高い文章に驚いた。短いものでも脳内に電流が走る思いだ。

森茉莉は54歳でデビューした初めから森茉莉以外の何者でもない完成された世界を持っていて、これも全て鴎外に溺愛され完璧なる幸福で満たされた世界で育ち、びくともしない自己肯定感を得た結果である。過保護がこれほど人生にプラスになっている例はめったにないのではないか。そもそも我々凡人とは環境が違うが、鴎外亡き世界に不安はなかったのだろうか。

アナイス・ニンも自分は全く知らず、その世界文学の名作とされる日記作品を読んでみなければなんとも言えない。ただ父親を慕うあまり近親相姦者となり、同時に多数の男性とも関係を結んでいく奔放な生き方にはあまり関心が持てない。
「父の娘」といえばそうだが、森茉莉とあまりに違い、併録する必要はなかったのではないか。

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「ザ・ロード」
ジャック・ロンドン 著
(ちくま文庫・川本三郎 訳)

大陸横断鉄道に無賃乗車して旅を続けるホーボー(放浪者)たち。著者若き頃の実体験を綴ったスリリングなアメリカ放浪記。

ジャック・ロンドンを読むたびに同じことを思うが、やはり部屋の中でじっとしていられない、体が先に動いてしまう行動型作家ならではの作品だ。
ホーボーと呼ばれる鉄道タダ乗り放浪者の存在はまったく知らなかったが、文庫本図版を見る限り列車の連結部や客車の下、天井など、かなり危険な部分に飛び乗り・飛び降りを繰り返している命懸けの旅である。それでも物乞いを続けながら自由に彷徨う喜びには換えられないというわけ。

日本でも山頭火や井月など彷徨う人はいるが、ホーボーは仏教的な無常感ではなくいかにもアメリカ的な明るさがある。ヨーロッパでもこんな奔放な訳にはいくまい。やはり新しい国ならではのフロンティア精神の余波のようなものかもしれない。
とりあえずジャック・ロンドンを嚆矢としてヘミングウェイや日本では開高健にしても、基本的に体が丈夫な作家の描く世界という認識であります。

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「小説作法」
小島信夫 著
(中公文庫)

小説を書くとはどういうことか。古今の作家と自身の創作の秘密をめぐってその謎を解き明かすエッセイ集。

小島信夫はなんとも不思議な作家で、いかにもこういうことを書いたというわかりやすいイメージを得られない。本書の融通無碍な行方知らずの文体もなにやら細い脇道を彷徨うようでどこへ連れて行かれるのやらわからない。だがその謎は小説の面白さを解き明かしていく過程でしだいに明らかにされる。

脇道へ逸れること、つぎつぎと話が脱線していくことを厭わず、むしろそれを優先して拾っていく。そこをあえて大切にする。トークや講演などを読んでいると、けっして理路整然としていないわけではないが、非常に細かい頭の中の揺らぎが手に取るようにわかり、しかもそれが面白いのだからこれは作家の資質ならではなのかもしれない。

カフカの作品ではその時代の精神構造を具体化するような、いかにもほんとうに生きているような人物は造形されず、それはKなる象徴的な人物によって代表される。この言わば抽象的な表現にもかかわらず、時代精神や人間性はひしひしと伝わってくる。それはやはりカフカが批評家ではなく小説家であるせいで、イメージから出発してそのまま論理を介在させずに展開してゆくからこそ成立するのだ。それでなくてはわれわれは楽しむことはできない。

この辺りの秘密は小島信夫作品が何を書いたのかはわからないがめっぽう面白いことのヒントになるかもしれない。小島はけっして抽象的ではなく、むしろ自然主義的なリアリズムを大切にするが、読んでいるとこれはほんとうにリアリズムなのかケムに巻かれたようなフワフワした印象を持つ。

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「母なるもの」
遠藤周作 作
(新潮文庫)

隠れ切支丹の里やエルサレムを巡り、自身の屈折した信仰体験を赤裸々に語る。長編作品に劣らないキリスト教文学の傑作短編集。

長崎での講演会の後、ティーパーティーに参加していた外人神父が「基督教は我々にとって宗教じゃありませんよ。国や民族を超えた真理ですよ」と一言。なるほどキリスト教は宗教以上の絶対的なものなのだ。全く相対化しようとしない。これが世俗化されない本来の宗教の姿だとは思うが、これでは他宗教・他民族へのジェノサイドもなんの痛痒も感じないであろう。

著者は熱心なカトリック信者である母の教えのもと、幼き頃より信者として生きて来たが、その信仰人生は自身のもつ劣情や卑俗な一般性との矛盾と戦いであった。そしてこの葛藤の存在を見ようとしない日本のキリスト教社会に常に居心地の悪さを感じて来たようだ。エルサレムで出会った日本人学生の聖地巡礼団や指導する著名な日本人神学者などの、きれいなもののみを追いかける表面的な態度に著者は馴染めない。
かつて付き合いで入った青線の部屋で、娼婦の勧めたかき氷にすら汚さを感じて手も触れずに逃げ出した若き著者。その時は信仰を守ったつもりでも、彼女を蔑んだ行為はキリスト者としてどうだったのか?ただ汚れから離れて身を守ることが正しきクリスチャンなのか。この葛藤があるのが誠実さというものだろう。

エルサレムでもピラトの官邸やヘロデの館、カヤパの家など、イエスを裏切ったり裁いたりした人間の跡を追う。本来のカトリックとはかけ離れたものになっていた隠れ切支丹の跡を訪ねるのも、正当な信仰への後ろめたさと疑義を感じていたゆえかもしれない。しかしこれこそが敬虔というものではないか。
キリスト教のことなどなにも知らずにいうけど…。

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「義とされた罪人の手記と告白」
ジェイムズ・ホッグ 作
(白水Uブックス・髙橋和久 訳)

自分を神に選ばれた者と信ずる頑なな信徒ロバート。いつのまにか不思議な力を持つ友人の意のままになり悲劇へと突き進んでいく。信仰の欺瞞と悪魔の企み。世界怪奇幻想文学の傑作。

熱心なキリスト信者である母の影響を受けて、狂信的とも言える信仰を振りかざす青年ロバート。母とは別に平凡な父親の元で育った兄ジョージを堕落した精神の代表であるかの如く執拗に批判し付け回す。一見ロバートのみが世間から仲間はずれにされても正義を貫く聖人のように見える。
しかしこの主人公ロバートが実は極めて臆病で卑劣な人間であり、だからこそ自分が神に約束された人間であると信じることで自分守っているのだ。なにせ彼の奉じる「道徳律廃棄論」では神に選ばれた人間は現世で徳を積む必要はなく、いかなる悪事を働いても末は天国が約束されているのだから。
この自己欺瞞的な生き方こそが悪魔に取り込まれるもってこいの条件であり、悪魔は友人のふりをして近づき、しだいに彼を連続殺人者へと仕立て上げてゆく。

悲しいかな人間とはなんと弱いものだろう。悪魔の振る舞いを通じて容赦無く展開される悲劇に息を呑む思い。悪魔の技は確かに不思議ではあるが、描写はあくまで現実的あり詩的でもシュルレアリスムでもなく地についた感覚で、サスペンスを読むように楽しめる。肩の凝らない通俗性がある。
全体の構造は単純と言えばそうだが、悪魔に操られて破滅へと突き進んでいく様子があまりに面白く(恐ろしく)、間違いなく怪奇幻想文学の埋もれた傑作である。もし世界怪奇長編小説アンソロジーがあるのなら外せない名品であると思う。

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「戦後フランス思想」
伊藤直 著
(中公新書)

サルトル・カミュ・ボーヴォワール・メルロ=ポンティ・バタイユなど冷戦の時代をリードしたフランス思想家5人の足跡をふりかえる。

実存は本質に先立つサルトルの哲学を紹介されるとなんとも懐かしい気がするが、自分などはよくわかってないにもかかわらず実存主義が好きで、実存という自由であいまいな人間味のある概念に親しみを持つ。
ただサルトルと論争を巻き起こしたカミュの不条理の哲学、不可避である死を決定づけられながらも、抗いながら生きるありかたにも大いに共感を持つ。

ところが自分はカミュの文章が性に合わないらしく、短いものでも挫折したものがいくつかある。ひきかえサルトルの小説作品は絶品と言えるほどのみずみずしさと面白さ。アンガージュマン(政治的社会参加)は結構だが、小説だけ書いていてもらっても充分かまわない。おそらくしだいにマルクス主義を擁護・接近するのも、どことなく希望的な甘さがあって、小説の面白さと繋がっている気がする。

メルロ=ポンティは若い頃「眼と精神」だけ読んだがさっぱり理解できなかった。ここで「知覚の現象学」を解説されるとまったく感心するばかりだ。そしてボーヴォワールこそが今現在も最も必要とされる現役の思想であろう。私の手に余るバタイユも小説は破壊的に面白い。

著者が紹介書・案内書というこの著作は平易で読みやすく、しかも退屈しない筆致でスラスラと読んでしまった。





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「鷲か太陽か?」
オクタビオ・パス 作
(岩波文庫・野谷文昭 訳)

韻律の支配を逃れて解き放たれたシュルレアリスム散文詩と短編。

そもそも詩魂のない自分だが散文詩は好きで、散文詩か音楽的韻律に基づいた古典的な詩が馴染みやすい。ところがシュルレアリスム散文詩となると言葉の意味の齟齬につまづいてしまってなかなか素直には読み進めなかった。もちろんオクタビオ・パスの作風に限ってのことだが…。

自分の中のもうひとつの自分に言及する作品がくりかえし見られる。文庫解説によると本来自分の中にいるはずの他者、自我と他者に分裂する以前の本源的存在を取り戻す意味があるらしい。この他者は客観的な社会的存在としての自分という簡単な意味とは違うのだろうか。あるいは自我確立以前の幼児の頃の自分だろうか。

そんなふうに分析するのも野暮なもので「音節的韻律法の体系に対する反逆」自体はまったくかまわない。作者の繰り出すイメージのつながりをどう楽しむか?二度三度読み返す必要がありそうだ。





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「塵に訊け」
ジョン・ファンテ 作
(未知谷・栗原俊英 訳)

ロサンゼルスの安ホテルでひたすら小説家を目指す主人公。カフェで働くメキシコ移民の女性に惚れ込み、成就せぬ恋に悩みながらしだいに作品を積み上げてゆく。

今まで読んだ未知谷のファンテシリーズは「ロサンゼルスへの道」「犬と負け犬」の2冊だが、この作品も相変わらず饒舌で痛快で破滅的で面白いことこの上ない。情景や内面の描写に多くを割くことはなく、あってもわかりやすく簡単で、行動と会話で話がどんどん進むところは漫画を読んでいるような感覚だ。

主人公アルトゥーロは貧乏暮らしのくせにたまに金が入ると、いきなり富豪になったような感覚で散財してしまう。釣り銭は受け取らないし、2重3重に料金を多く払って気にしていない。この堅実性のかけらもない性格がさらに話を暴走させる。彼がなぜ教養もないメキシコ娘のカミラに惚れ込んでしまうのかはっきりしないが、彼女よりも突然やってきた大きな傷を負った女ヴェラのほうがずっと魅力的だった。

「なぜって神がどうしようもなくいやらしい詐欺師だから、どこまでも浅ましい卑劣漢だから、あの女をあんな目にあわせた張本人だから。天国からおりてこい、おい神よ、おりてこい、ロサンゼルスの町全体が見てる前でお前の顔をハンマーで叩いてやる、ぜったいに許さないぞ、このあわれでみじめないたずら者め。ーーー」ヴェラの運命と神への怒りはやがて作品へと結実する。





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「(霊媒の話より)題未定」
安部公房初期短編集
(新潮文庫)

19歳の処女作を始め、デビュー作「壁ーS・カルマ氏の犯罪」前後の未発表作を集めて作家の原型を探る。

もとより安部公房であるから伝統的な日本文学的情感はないとしても、その描写はまだまだ魅力までには至っていない気がした。安部文学の愛好者であればその端緒と文体が育まれていく経緯を楽しめるかもしれないが、そうではない私には面白さ以前の生硬さを感じて閉口した。

「(霊媒の話より)題未定」:この巻頭表題作が過度に観念的でなく、設定も面白くてよかった。サーカス暮らしを抜け出して安定を得ようと辿り着いたのが、霊媒師のふりをして住み込むというなんとも後ろめたい存在。生活の問題を離れないのが親しみやすかった。

「虚妄」:夫を捨てて別の男性の元へ…。またその相手も顧みずに語り手である自分のもとへ…。簡単に相手を変えてなにも考えていないかに見える女性の周りで、あれやこれやと膨大な憶測を積み重ねていく男の葛藤。彼らの心情に寄り添うことは全くできないが、考え過ぎることの不毛と徒労を感じる。

「キンドル氏とねこ」:未完の小品だが、巻末のこの作品のみが軽妙で読みやすく楽しい。観念的な言葉を弄ぶところは全くなく誰でも読める。多数の読者を獲得できるものへ幅が広がってきた感じだ。






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「19世紀イタリア怪奇幻想短篇集」
(光文社古典新訳文庫・橋本勝雄 編・訳)

あまり盛んでなかった19世紀のイタリア幻想文学。知られなかった作品に光を当て、その魅力を探り出す。

全9作品中、アッリーゴ・ボイト「黒のビショップ」だけはどこかのアンソロジーで読んだ記憶があるが、他は珍しい感触を得た。どこのどの時代でもそうだが、典型的な怪奇幻想とは外れたものが面白い。

「黒のビショップ」アッリーゴ・ボイト:どう教育しても所詮知能が低く、乱暴者で動物に等しいとされていた黒人たち。その中で珍しく優秀さを認められ重用されたトム。とあるホテルロビーで、チェスのチャンピオンであるアメリカ白人アンダーセンとチェスの死闘をくりひろげることになるが悲劇的な結果が待っていた。怪奇ではないが捨てがたい名作。

「クリスマスの夜」カミッロ・ボイト:ジョルジュは亡くした恋人エミリアの面影が残るお針子の跡を追いかけるが、ほんとうに彼女はエミリアに似ているのだろうか?そしてその人格はエミリアに比べると…?美しいロマンスのまま終わらない珍しい話。これも幻想文学かも。

「夢遊病の一症例」ルイージ・カプアーナ:ある屋敷で起きた大量殺人事件をめぐるミステリー。ところが主人の夢遊病下に書き残されたメモに、知らないはずの犯罪の一部始終が…。これぞ理性的視点で書かれた幻想味なき幻想文学の醍醐味。

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