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漫画家まどの一哉ブログ

   

「ハルムスの世界」
ダニイル・ハルムス 作
(白水Uブックス)

スターリン政権下の弾圧により獄死した前衛作家ハルムス。世界に先駆けて書かれた実験的不条理文学。

ナンセンスをベースとして書かれた小話のようなものといえばそうだが、笑い自体を目的としていないため置いて行かれたような感覚があり、まさにそこが不条理文学の味わいか。手を替え品を替え、かなり多彩な手法が使われており、文学としての成り立ちを破壊してしまう不届きな面白さがある。

解説によれば関係性の欠如、意味や理由のない偶然的存在。といった人間の不条理的側面を捉えた作品群なのだが、読んでただちにそれを感じるかというと案外人それぞれだと思う。作風から言ってそれほど大袈裟な理解でなく、単に笑っていればいいようなものも多い。そもそもなにを不条理と捉えるかが人によって違うだろう。

それより代表作「出来事(ケース)」のようなきわめて短い小話よりも、ある程度長さがあって既存の小説のスタイルを持っていた方が逆に不条理感を感じる。傑作コレクションの「朝」など9ページ近くあり生活感もある内容だが微妙に納得できない不思議な展開であり、これくらいのバランスが妙味というところだ。

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「巨匠とマルガリータ」(下)
ブルガーコフ 作
(岩波文庫)

巨匠を救出するため魔女となって飛び回るマルガリータ。懸命に捜査するも悪魔たちにはとうていかなわない警察。一大スペクタルを経てやがて訪れる平和で幸福な終焉。

悪魔たちの大掛かりなイタズラに対して警察が徹底捜査を開始するが、もちろん真相にたどり着くことはできない。あたかも刑事ドラマのような展開になって意外な楽しさがある。魔女となったマルガリータが、復讐に燃えて巨匠の作品を粗末に扱った編集者や評論家の家を荒らしまくるのも愉快だ。

また、この作品には主人公である巨匠の書いた小説内小説があって、ヨシュア(イエス)を処刑してしまったローマ総督ポンティウス・ピラトゥスの懊悩を描いた作品。この作品もイスカリオテのユダの殺人を巡って推理ドラマのような内容になっていて静かな興奮をそそる。

悪魔たちのような異形の者、超人的な能力を持つ者が揃っていると、漫画を読むようなくだけた楽しさがあって、いつまでもこれらのキャラクターとじゃれあっていたい気持ちになってしまう。世界名作文学なのに珍しい。

こうやって書いてみると私が楽しんでいるのは全くブルガーコフのエンターテイメント術に乗せられているわけで、では世界名作文学ならではの読み応え、感銘するところはどこかというと、簡単にはわからないのだった。

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「巨匠とマルガリータ」(上)
ブルガーコフ 作
(岩波文庫)

突如モスクワの街に現れた3人の悪魔。繰り出される魔術に翻弄される人々と詩人の運命は?ブルガーコフの代表的幻想長編小説。

再読。(以前は池澤夏樹個人編集-世界文学全集で読んだが、ほとんど忘れている。)
冒頭、幻視とともに悪魔の親玉が現れ、痛ましい電車事故であわれ編集長の首が飛ぶ。この非常事態を同席して目撃した宿なし詩人は懸命に警察に犯人(悪魔)逮捕を訴えるが信用されず、挙句の果ては精神病院送りにされてしまう始末。
遠慮のないほど、ただならない事件の連続で飽きさせない。この辺りの様々な奇怪な出来事の出し入れは、通俗的エンターテイメントを遥かに凌ぐ面白さ。なにせ読者が予想できるであろう展開は皆無なのだ。悪魔たちキャラクターの魅力もなおさらで、特に人語を操る巨大な黒猫が秀逸である。

社会や人生について直接的なテーマが感じられることもなく、悪魔に翻弄される人間たちの狼狽をひたすら見ることになる。主人公かと思われた宿なし詩人は精神病院内で巨匠と名乗る文学者と知り合い、ここで初めて真の主人公が登場。しかし上巻ではまだこの箇所のみで、恋人マルガリータの活躍も本格的には下巻を待たなければならない。

はたして悪魔たちは何の目的で現れたのか?巨匠とマルガリータの運命やいかに!?全ては後編で!

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「芽むしり仔撃ち」
大江健三郎 作
(新潮文庫)

大戦下、感化院の少年たちは閉鎖された村に収容されるが、疫病の発生と共に取り残され捨てられてしまう。大人のいない村で冒険的に生きる少年たち。著者デビュー2作目の暗黒空想小説。

トロッコで谷を渡るしか往く方法のない閉ざされた村。15人の不良扱いされた少年たちと、圧倒的に無理解の残虐な大人たち。そしてひたひたと迫る疫病。
などなど日常のすぐそばから語るのではなく、現実離れした特殊な設定を用意して書かれた一種のディストピア小説のような作品で、人物の立場も分かりやすく、連続する事件を追って読める。
この初期長編にのちの作者ならではの個性的文体と言うものがあるのかどうかは分からない。捨てられた15少年や疫病の発生などわかりやすい典型的なエンターテイメント設定だが、色調は暗く悲惨で気楽には読めない。そこが読み応えかも。

大人たちから極悪人扱いされている少年たちだが、いたって純粋で幼い児童たちだ。その逆に大人は子供たちをいじめる暴力的な権威者でしかない。不良少年と言えど子供を保護し更生させていかなければならないと、大人が全く考えていないのは、実は伝統的な日本社会の姿ではなかろうか。

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「ほとんど記憶のない女」
リディア・デイヴィス 作
(白水社・岸本佐知子 訳)

1ページに満たないごく短いものを中心に、従来の小説の枠を越えた破格の小品集。話の外へ出るメタな構成を持つが、けしてエッセイでもない不思議さ。

「フーコーとエンピツ」:地下鉄や出先でフーコーを読みながら、どこがわかりにくいかなど、具体的にメモを取っていく。そのメモの内容とそうしている自分の日常を同じだけ書いて、ひっくるめて小説になっている。
「話の中心」:書いた小説がなぜ面白くないかを分析しながら、話自体が進行する。ふつうに話を追っていると、ここはこうした方が面白くなったのではなどと反省されて、また続いてゆく。
「くりかえす」:旅することは書くことである。読むとは旅することである。旅することは翻訳することである。その他の要素も入れて組み合わせて考えていくと、いく通りかの回答が得られる。またその要素を別のものにしてもいいらしい。

極めて珍しいメタ小説と言えるものがあるが、そうでない体験記や旅行記などを含めても、総じて怜悧で分析的でやや愉快な色調なので、楽しい読書体験ができる。

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「動員時代ー海へ」
小川国夫 作
(岩波書店・2013年)

太平洋戦争末期。動員されて死に向かわざるを得ない青年と、彼をとりまく姉・母・配属将校たちの揺れ動く日々を描く。作者死後発見された未完の長編小説。

舞台のほとんどが港や島や船に限られていて、その描写は美しいが風光明媚といったものではない。昼も夜も主人公青年の心のままに、死に向かって近づいてゆく目で見た暗い色調を孕んだ世界だ。

少年の頃より彼の世界は不安だ。沖に黒い四角い船が現れて少しずつ近づいてくる。姉や自分を拐いにくるのかもしれない。この不気味さ。また体力はあるはずなのに急に脚が弱って歩けなる。クリスチャンの叔母は島から飛び込んで自死してしまう。なにかしら人生に寄り添う影のようなものが、常に彼と家族を支配している。

彼は配属将校の副官に目をかけられ近づきとなるが、しばらくすると副官は姉と共に姿を消してしまう。事件らしい事件が動き出したところで未完のまま作品は終わるが、未解決こそがこの作品にふさわしい。
楽しさはないが静かな暗い興奮を得る。

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「絵葉書のように」
武田百合子 作
(中公文庫・武田花 編)

単行本未収録エッセイ「あの頃」より抜粋した54編。

武田百合子の描く亡き泰淳を振り返る思い出は、悲しくて寂しくてたまらない。特別な思い出でなく、ごく日常すぐそこにいた人が今はいない毎日。それを静かに思い出しているところがまさに無常感そのもので痛々しい。こればかりは仕方がない。
また日頃付き合いのあった文学者たちの思い出もそうだ。いずれ誰もが死んでいくことがひしひしと伝わってくる。特別に諦念といったものでもないが、抗えないものだ。

相変わらずただ街を歩き見聞きしたものが、あらためて美しく臨場感を持って伝わってくる。裏表のないそのままがある。なぜこんな文章が書けるのだろう。やはり著者本人が飾りのない人間で、見栄や虚飾といったものとは無縁に自分に正直に生きている人だからだろうか。なかなかこんな人はいない。そしてもちろん天性の文才が生んだ稀有の名エッセイ。なんども日記に書いたことだが、繰り返さざるを得ない。

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「透明な迷宮」
平野啓一郎 作
(新潮社)

日常からふとはずれる異常な出来事、解けない謎を解こうとして解けない。短編6編。

ミステリーの萌芽のような小さなアイデアを、大きなドラマに組み上げないままに、すぐ放り投げたような短編が連続し、なんだか大味な感触だったが、後半の3編はよかった。文体に味わいはなく、冷たい感触があった。

「family affair」:寝たきりだった老父が亡くなったあとに、押入れの奥から発見された銃。この銃の謎をめぐって残された兄弟・姉妹や姪っ子たちの間で話が食い違ってゆく。長女はこの銃をこっそり処分しようとするが…。この作品は不思議な出来事は起こらず、方言がより説得力を増していて、面白みがあった。いちばん良かった。

「火色の琥珀」:男女間の性的な行いには興味を持たず、その代わりにひたすら灯る炎に興奮を覚える生癖をもつ男。放火でもするのかと思ったがさにあらず。彼の趣味は隠されたまま人生は静かに進む。やや耽美。

「Re:依田氏からの依頼」:交通事故のあと体内時間が狂い、ある時は数分が異常に長く感じ、ある時はあっという間に時間が過ぎ去る。誰にでも日頃感じる程度を遥かに超えて社会生活ができない。これは興味深い設定で、実際こんな症例もあるかもしれない。しかし主人公は脳神経科など医者にかかろうとは何故か思わないようだ。

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「高く手を振る日」
黒井千次 
(新潮社)

1人暮らしの70代男性が邂逅した大学のゼミ仲間だった女性。美しく年を重ねた彼女に少しずつ芽生える恋情を描く。

例えばそこそこの4年生大学を出てそこそこの会社で働いて、結婚して家を買い、やがてまっとうな退職金を得て退職、子供たちも同じような人生を歩み、友人や知り合いもみなその範囲内。人生に大きな逸脱はない。という人間は日本に溢れるほどいる。私が属していないだけだ。

その、やや恵まれた平凡さの中で見れば、リタイアした高齢者に蘇る小さな恋は、それだけでも大きなドラマであり、そんなこともあるかもしれない、あったらいいのになぁ…くらいの幽けき事件で、しかもドラマとしてきれいにまとめられすぎている気がする。

この階層の外から見ると、あまりにも静かで大人しく、悪くはないがもう少し書くことあるんじゃないかとの感想を持つ。人生最後の日常身辺から題を取る作品は世の中に多くあるだろうが、生きていることは絶望と裏腹なはずだ。お金があればまた違うものなのだろうか…。愚痴のようななことを言ってすまない。

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「個人的な体験」
大江健三郎 作
(新潮文庫)

脳に致命的な障害を負って生まれてきた子。人生を撹乱する現実を受け入れることができない主人公の夫は、情人の元へ走り酒に浸り、ひたすら赤ん坊の絶命を願うばかりである。果たしてこの卑劣な逃避行は成功するのか。

私が今までに読んだ大江健三郎作品はわずかなものだが、その中ではいちばん面白かった。大江は作品ごとに文体がけっこう違うことにあらためて気付いた。相変わらずの粘着的でまといつくような異様な文章。世界も内心もひっくるめて脳内の出来事であることをひしひしと感じさせる。生きていくのには余計な膨らみがいっぱいあってどきりとする。

主人公である男が人間として凡庸であり未熟者であるのが、かえって読みやすいのだろう。脳の障害を持って生まれた子にたいして、男はその現実からただひたすら逃げようとするが、出産後ベッドから離れられない妻に言われた問責「いったいあなたは責任を持って妻子を守ろうとする人間なのか?」この一言が彼の性格を暴露していたのだった。

ここで気付くことは彼はやはり永遠の子供部屋の主であり、彼の理想が単身でのアフリカ冒険旅行であるように、自分の個人的な満足にしか関心がない。彼にとって一家の主人であるということは、家族の幸福にたいして大きな責任を負うことではない。日本の一般的な旧来の男性の典型で、男は子種さえ植え付ければ役目は終了であり、女からはもっぱら奉仕と献身を受ける立場である。その逆はなく、自分が病気ならば女の世話を受けるが女が病気になれば捨てる。

彼の不幸は情人である女性が世間から逸脱している割に意志の強いしっかりした人間で、今回の障害児の親という立場から逃げてきた彼をかくまってしまうところにある。そのせいで彼は妻と子供に対する責任ある立場になかなか気付かない。
ドラマは子供の手術さえ拒否して病院から赤ん坊を連れ出してきた末の恐ろしい展開となって目が離せない。一転して生へ肯定的な立場に至るラストは、物語的にベストではないかもしれないが私は良かったと思う。

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