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漫画家まどの一哉ブログ

   

「動員時代ー海へ」
小川国夫 作
(岩波書店・2013年)

太平洋戦争末期。動員されて死に向かわざるを得ない青年と、彼をとりまく姉・母・配属将校たちの揺れ動く日々を描く。作者死後発見された未完の長編小説。

舞台のほとんどが港や島や船に限られていて、その描写は美しいが風光明媚といったものではない。昼も夜も主人公青年の心のままに、死に向かって近づいてゆく目で見た暗い色調を孕んだ世界だ。

少年の頃より彼の世界は不安だ。沖に黒い四角い船が現れて少しずつ近づいてくる。姉や自分を拐いにくるのかもしれない。この不気味さ。また体力はあるはずなのに急に脚が弱って歩けなる。クリスチャンの叔母は島から飛び込んで自死してしまう。なにかしら人生に寄り添う影のようなものが、常に彼と家族を支配している。

彼は配属将校の副官に目をかけられ近づきとなるが、しばらくすると副官は姉と共に姿を消してしまう。事件らしい事件が動き出したところで未完のまま作品は終わるが、未解決こそがこの作品にふさわしい。
楽しさはないが静かな暗い興奮を得る。

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「絵葉書のように」
武田百合子 作
(中公文庫・武田花 編)

単行本未収録エッセイ「あの頃」より抜粋した54編。

武田百合子の描く亡き泰淳を振り返る思い出は、悲しくて寂しくてたまらない。特別な思い出でなく、ごく日常すぐそこにいた人が今はいない毎日。それを静かに思い出しているところがまさに無常感そのもので痛々しい。こればかりは仕方がない。
また日頃付き合いのあった文学者たちの思い出もそうだ。いずれ誰もが死んでいくことがひしひしと伝わってくる。特別に諦念といったものでもないが、抗えないものだ。

相変わらずただ街を歩き見聞きしたものが、あらためて美しく臨場感を持って伝わってくる。裏表のないそのままがある。なぜこんな文章が書けるのだろう。やはり著者本人が飾りのない人間で、見栄や虚飾といったものとは無縁に自分に正直に生きている人だからだろうか。なかなかこんな人はいない。そしてもちろん天性の文才が生んだ稀有の名エッセイ。なんども日記に書いたことだが、繰り返さざるを得ない。

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「透明な迷宮」
平野啓一郎 作
(新潮社)

日常からふとはずれる異常な出来事、解けない謎を解こうとして解けない。短編6編。

ミステリーの萌芽のような小さなアイデアを、大きなドラマに組み上げないままに、すぐ放り投げたような短編が連続し、なんだか大味な感触だったが、後半の3編はよかった。文体に味わいはなく、冷たい感触があった。

「family affair」:寝たきりだった老父が亡くなったあとに、押入れの奥から発見された銃。この銃の謎をめぐって残された兄弟・姉妹や姪っ子たちの間で話が食い違ってゆく。長女はこの銃をこっそり処分しようとするが…。この作品は不思議な出来事は起こらず、方言がより説得力を増していて、面白みがあった。いちばん良かった。

「火色の琥珀」:男女間の性的な行いには興味を持たず、その代わりにひたすら灯る炎に興奮を覚える生癖をもつ男。放火でもするのかと思ったがさにあらず。彼の趣味は隠されたまま人生は静かに進む。やや耽美。

「Re:依田氏からの依頼」:交通事故のあと体内時間が狂い、ある時は数分が異常に長く感じ、ある時はあっという間に時間が過ぎ去る。誰にでも日頃感じる程度を遥かに超えて社会生活ができない。これは興味深い設定で、実際こんな症例もあるかもしれない。しかし主人公は脳神経科など医者にかかろうとは何故か思わないようだ。

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「高く手を振る日」
黒井千次 
(新潮社)

1人暮らしの70代男性が邂逅した大学のゼミ仲間だった女性。美しく年を重ねた彼女に少しずつ芽生える恋情を描く。

例えばそこそこの4年生大学を出てそこそこの会社で働いて、結婚して家を買い、やがてまっとうな退職金を得て退職、子供たちも同じような人生を歩み、友人や知り合いもみなその範囲内。人生に大きな逸脱はない。という人間は日本に溢れるほどいる。私が属していないだけだ。

その、やや恵まれた平凡さの中で見れば、リタイアした高齢者に蘇る小さな恋は、それだけでも大きなドラマであり、そんなこともあるかもしれない、あったらいいのになぁ…くらいの幽けき事件で、しかもドラマとしてきれいにまとめられすぎている気がする。

この階層の外から見ると、あまりにも静かで大人しく、悪くはないがもう少し書くことあるんじゃないかとの感想を持つ。人生最後の日常身辺から題を取る作品は世の中に多くあるだろうが、生きていることは絶望と裏腹なはずだ。お金があればまた違うものなのだろうか…。愚痴のようななことを言ってすまない。

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「個人的な体験」
大江健三郎 作
(新潮文庫)

脳に致命的な障害を負って生まれてきた子。人生を撹乱する現実を受け入れることができない主人公の夫は、情人の元へ走り酒に浸り、ひたすら赤ん坊の絶命を願うばかりである。果たしてこの卑劣な逃避行は成功するのか。

私が今までに読んだ大江健三郎作品はわずかなものだが、その中ではいちばん面白かった。大江は作品ごとに文体がけっこう違うことにあらためて気付いた。相変わらずの粘着的でまといつくような異様な文章。世界も内心もひっくるめて脳内の出来事であることをひしひしと感じさせる。生きていくのには余計な膨らみがいっぱいあってどきりとする。

主人公である男が人間として凡庸であり未熟者であるのが、かえって読みやすいのだろう。脳の障害を持って生まれた子にたいして、男はその現実からただひたすら逃げようとするが、出産後ベッドから離れられない妻に言われた問責「いったいあなたは責任を持って妻子を守ろうとする人間なのか?」この一言が彼の性格を暴露していたのだった。

ここで気付くことは彼はやはり永遠の子供部屋の主であり、彼の理想が単身でのアフリカ冒険旅行であるように、自分の個人的な満足にしか関心がない。彼にとって一家の主人であるということは、家族の幸福にたいして大きな責任を負うことではない。日本の一般的な旧来の男性の典型で、男は子種さえ植え付ければ役目は終了であり、女からはもっぱら奉仕と献身を受ける立場である。その逆はなく、自分が病気ならば女の世話を受けるが女が病気になれば捨てる。

彼の不幸は情人である女性が世間から逸脱している割に意志の強いしっかりした人間で、今回の障害児の親という立場から逃げてきた彼をかくまってしまうところにある。そのせいで彼は妻と子供に対する責任ある立場になかなか気付かない。
ドラマは子供の手術さえ拒否して病院から赤ん坊を連れ出してきた末の恐ろしい展開となって目が離せない。一転して生へ肯定的な立場に至るラストは、物語的にベストではないかもしれないが私は良かったと思う。

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「空と風と星と詩」
尹東柱 作
(岩波文庫・金時鐘 編訳)

太平洋戦争末期、福岡監獄で獄死した若き詩人ユン・ドンジュ。わずかに残した美しく鮮烈な言葉の数々。

素直に書いた言葉の不思議な美しさがある。なにか少年が書いたような飾らない言葉。見えるものそのままに描き、沸き上がる感情をそのままに書いたような、素朴で直情的な印象があるが、それだけではつまらないはずなのに、鮮烈な訴えとなって届く。じつはこれは独自に到達されたひとつの完成形なのかもしれない。

こういう作品を成り立たせているのが際立った技術であるのか、それともキリスト教信仰に裏打ちされた故であるのか。言われてみれば聖書からの引用はあるが、それよりも信仰心からひとりでに現れざるをえない、なにか魂の所産といったものを感じる。と、キリスト教をよく知らないで言う。

技術というのは飾らないで飾っている言葉の技術だが、ふだん詩を読まない私にその部分を解説出来る力はもとよりないので、あきらめるほかない。詩魂なき者が勝手なことを言ってもうしわけない。

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「銀座復興」
水上滝太郎 作
(岩波文庫)

関東大震災後焼け野原となった銀座。瓦礫と残骸の中、他に先んじて店を開けたバラック小屋の飲み屋と、そこに集う男たちの交遊と悲喜こもごも。他に震災にまつわる好短編を収録。

滝太郎は作家であるとともに有名企業重役でもある人で、ふだんの活動領域が丸の内から銀座周辺なのか、ビジネスマンの暮らしと視点が垣間見える。とうぜんこの頃はまだ新宿・渋谷など山手線西側や中央線の発達もサブカルの隆盛もなく、経済も文化もこの界隈が中心だ。

表題作「銀座復興」は近隣のサラリーマンや銀座の老舗主人などが登場して、飲み屋での会話で綴る人間味豊かな話。併録の「九月一日」も由比ヶ浜の別荘に集う人々の震災体験であり、舞台となる社会階層に貧困の様子がない。作者は慶応閥「三田文学」の人だからもちろんだが、日本の経済・文化は多くこれらの人々によって牽引されてきたのだろう。(読んでいる私に縁がないだけ…)
読んでみると作者滝太郎は人間が誠実で、ひねくれたところがなく、作家としては反自然主義であるせいか個人の鬱屈や自己憐憫などに拘泥するところがない。その辺は素直な世界で気持ちよく読めた。

「遺産」:憎まれ者の高利貸しの残した遺産は、近隣の家々との交わりを断つための異様に高い塀。この塀が震災で崩れたため一時的に隣人とのふれあいが生まれるがその行方は…?
類を見ない珍しい設定で面白かった。

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「夢の女・恐怖のベッド」
ウィルキー・コリンズ 作
(岩波文庫)

19世紀イギリスで活躍した推理小説の元祖。多彩でスリリングな魅力たっぷりの短編集。

恥ずかしながら知らなかったウィルキー・コリンズ。短編ながら際立つストーリーの面白さ。人間を多面的に描いて表現も品があり、単なる怪奇・ミステリーとは一味違う出来栄えが楽しい。

「夢の女」:誠実だが運のない男が夢の中で女に殺されかかる。後日彼が婚約者と選んだ相手はどうやらその悪夢の中の女のようで、しだいにその恐ろしい本性が露わにされるが、そもそもこの女がどういう存在なのか全くわからない恐ろしさ。怪奇譚。

「探偵志願」:自身を有能な探偵と自惚れる若者。警察に協力し、とある事件の犯人逮捕に向けて張り込みや尾行を遂行する。警察側からすれば初めから彼の間抜けっぷりがちゃんとわかっている様子。手紙形式で書かれた爆笑短編。

「グレンヴィズ館の女主人」:古い館にひっそりと暮らす女性。常に表情に悲しさを湛えた彼女の過去が語られる。平和に暮らす一家に姉が選んだ紳士的でやさしい結婚相手が加わるが…。犯罪と絡んだその男の正体がしだいに明らかにされてゆく。悲劇。

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「ピノッキオの冒険」
カルロ・コッローディ 作
(光文社古典新訳文庫・大岡玲 訳)

19世紀イタリアで書かれた児童文学の古典。ディズニーアニメとは違った悪童人形の物語。

大筋ではディズニーアニメと同じなのだが、違うのはピノッキオが無垢な少年ではなく欲望のかたまりで、けっこう乱暴者なところだろうか。しかしそれは未だ躾けられない子供の姿であり、自然な人間の姿なのかもしれない。彼は悪たれ小僧と言うよりは、悪巧みなどできない無思慮・無分別な存在である。

失敗を重ねては周りの大人やコオロギの幽霊になんども諭され、そのたびに心を入れ替えてまじめに勉強に励んでみたりするが、それが続くのは失敗に心が傷んでいる間だけで、あたらしい欲望に触れるとたちどころに誘惑に負けてしまう。つまりこの種の人間は言いつけを守ろうとするが、機械的に遵守しているだけでその意味がわかっていない。自身を対象化して見ることができていないようだ。

キツネとネコのコンビや子供の国の噂話に騙されて悲惨な目に合うが、そのたびに自分が大人のいいつけを守らなかったためと泣いて反省する。しかしピノッキオは肝心な点をいつも学習していない。それは世の中には欲望につけこみ、悪意をもって人を騙そうとする人間がいっぱいいるということである。ここが分かっていれば自分の欲望にも冷静になれたのにね。

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「安岡章太郎短篇集」
(持田叙子 編・岩波文庫)

昭和30年代の作品を中心に、あまり知られていない佳作を収録。

安岡章太郎・吉行淳之介・遠藤周作、第三の新人と言われる3人の中で自分は安岡を最も好む。吉行はよく分からない。
既読のものもあるが、この短編集の中で読むと「家庭」「体温計」など戦争ものはなにか異質な気がする。

「マルタの嘆き」:姉マリヤは常に懸命に頑張っているのに、世間はぼんやりしている妹マリヤの肩ばかり持つ。グズでだらしがないくせに、いつも自分ばかり虐げられている演出が巧みで、男心を勝ち取ってしまう。このシンデレラ型の女と終生戦ってきた私(女性)のはなし。なるほど愉快な着眼点。

「放屁抄」:おならに関する少年時の体験や古事(屁ひり芸や平賀源内の「放屁論」など)あれこれ集めて屁の扱いのさまざまな局面を考察。と、最後に趣が変わって、初めて自身が吉原の公娼の店に飛び込んだときの物悲しい思い出に。これが良い。

「父の日記」:ラストの文章がよいので転記。以下『白いシックイで区切られた窓の外の空は、水色に澄んだまま、次第にその色を濃くして行き、やがて灰色がかって暮れてきた。しかし私の中で、母の顔はハッキリと浮かび上がり、父や母と別れて暮らし出して以来、自分に憑きまとった後暗いものが、ようやく薄れかかって行くのを、私はボンヤリと感じはじめていた。』

「猶予時代の歌」:ラストの文章がよいので転記。以下『私は感傷的になり、ひさしぶりにそんな歌を胸の中で繰り返した。しかし墨汁色の空には鳥の姿はなく、川風は一層冷たくなるばかりだ。と、右手の海軍経理学校の方から水平の吹き鳴らすラッパがきこえた。いったい、それは何の合図かわからなかったが、私は長く尾を引くそのラッパの音に耳を傾けて、しばらくその場に立ちつくした。』

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