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漫画家まどの一哉ブログ

   

「過去を売る男」
ジョゼ・エドゥアルド・アグアルーザ 
(白水エクスリブリス・木下眞穂 訳)

内戦後の混乱するアンゴラ。依頼人の望む過去をゼロから捻出して生計を立てる主人公。その有様が同居する一匹のヤモリによって語られる。

「わたしは…」と言って物語を語り始めるのが家に住み着くヤモリなのだから、やや戸惑うも愉快だ。ただこのヤモリは人間だった過去を持つらしく、家の主人フェリックスとも友人関係である。なんと不思議な設定だろう。
そして依頼に応じて由緒ある家系あるいは平凡な名前および経歴を、綿密に裏付けをとってでっちあげるというフェリックスの仕事も、40年の長きにわたる内戦を経たアンゴラならではであり、ミステリアスで面白い。

登場人物は他に友人の女性アンジェラとブッフマンという名をもらった男。ブッフマンの経歴はフェリックスから与えられた架空のものなのに、経歴に登場する女性の実在を信じて探し出そうとする。果たして偶然の実在はあったのか?最後には宿敵の元スパイ老人も絡んでストーリーは充分劇的であるが、それよりも語り手がヤモリであって全てヤモリ目線であるところに奇妙な味わいがある。ヤモリの私生活や見る夢も交えて32章もの細かい章立て。危険な蠍(サソリ)も登場。こんなおかしな小説がほかにあるだろうか。

この作者は以前「忘却についての一般論」を読んだが、こちらは同じルアンダ内戦下ひとりで何十年も隠れ住む女性と周辺社会を描いたヒューマニスティックな作品で大いに感動した。しかしこの作品にも恋文をを足につけた鳩の話など種々仕掛けがあり、単純な構成では終わらない。
今回読んだ「過去を売る男」でもヤモリを語り手として歴然たる名作に仕立て上げているのだからまさに作者の力量であろう。





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「幽霊」
イーディス・ウォートン 作
(作品社/薗田美和子・山田晴子 訳)

お屋敷に起きる不思議な出来事。微かに姿を見せる儚き幽霊。全編幽霊譚7篇。

ほとんどの短編で舞台は土地の名士のお屋敷であり、現れる幽霊はほんの微かに姿を見せる程度。誰それの幽霊がいるんじゃないかという体で話が始まって、その存在がますます疑えなくなったところで終わってしまう。事態が解決されることはない。

怪異の存在を感じることができる人に向けて描かれた怪奇小説。しかし作者が意図したような恐ろしさはあまりなく、心静かに読むことができた。文体に詩的表現やことさら耽美的な味わいもない。古いお屋敷ならではの不気味さも少なくてあっさりしている。作者は当時(1900年代前半)の社会批判を含んだ現代小説で人気を得ていた人で、幽霊譚とはいえ筆致は変わらなかったようだ。

「カーフォル」:噂の屋敷を訪問した者が数匹の犬の亡霊に見つめられたまま帰ってくる。かつてその屋敷では妻を軟禁状態に束縛した夫が、妻の可愛がる犬を次々に虐殺していたのだった。
「柘榴の種」:愛する夫の元へ時々届く灰色の封筒。夫はその手紙を見ると悲壮な面持ちで部屋に閉じこもってしまう。微かな筆跡でほとんど読み取れないそれは、亡くなった前妻からのものだった。
「ホルバインにならって」:かつて社交界の寵児であった男も今や老いた。ふとした思い違いからあるはずのないパーティへ出かけ、要介護状態となっても毎夜自宅で晩餐会を開いているつもりの婦人の元へ迷い込む。二人で華やかなパーティーの幻を見て一夜を過ごす面白くも悲しい異色傑作。





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「ボディ・アーチスト」
ドン・デリーロ 作
(新潮社・上岡伸雄 訳)

夫を亡くしたボディ・アーチスト(パフォーマー)の彼女。自分以外誰もいないはずの家に一人の少年が隠れ住んでいた。時間の感覚を持たない特殊な少年との交流は?

極めて珍しい設定の小説。しつこいくらい綿密な夫婦二人の朝食シーンから始まるが、すぐさま夫が自死した後の時間へと移る。
家に隠れ住んでいた少年はおそらく知的障害者らしいが、知らずに聞こえていた夫婦の会話をよく覚えていて、そっくりの声色で再現することができる。しかしこれは彼にとって意図的なものではない。ほとんど喋らない彼の発話は文脈というものがなく、時間の前後関係が混乱している。

彼女は亡き夫の声が聞きたいのだ。テープレコーダーを使いながら少年にひとつひとつ言葉を教えるが要領を得ない。未来は過去形で語られ過ぎ去ったはずの出来事が予測される。彼の脳内では意識がひとつの連続するものとして成立してなくて、前後関係から独立した瞬間瞬間があるだけなのだ。時間の連続を意識できなくては自分の存在を感じることもできないだろう。

この設定を説明されてから作品が進行するわけではないので、読者は彼女と同じ困惑をおぼえながら、少年の発話に付き合うこととなる。わかりにくいことこの上なく、読んでいくうちにしだいに少年のこの特質に気づくようにもできていない。彼女がそれに思い至るのを待たなければならない。
不親切と言えばそうだが、彼女自身の質素な生活や体のストレッチシーンなどもあるので小説としての落ち着いた楽しみはある。後年、彼女のパフォーマンス活動は瞬間が無限に引き伸ばされたものとなるのだった。





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「モンスーン」
ピョン・ヘヨン
 作
(白水エクスリブリス)

ただただ繰り返される不毛な日常が、ふとしたことから理不尽なトラブルに巻き込まれて暗転する。現代韓国文学。

同じことが日々疑いもなく繰り返され、不毛であっても抜け出すことができない。このややシュールで戯画的な日常設定をベースに、不条理というほどではないがなにかしらうまくいかない、ボタンの掛け違いや噛み合わない歯車のような出来事が起きるが、やがて燃え広がる。どの短編もそんなグレートーンを基調にした世界だ。この種の作風を得意とする作家も多いだろうし自分の好みでもある。なかなかに辛い内容だがスラスラと流れるように読める。

「散策」:上司の紹介で入居した賃貸住宅。豊かな自然に囲まれて平和に暮らすはずが、愛くるしい大型犬が放し飼いにされており、妊娠中の妻に耐え難いストレスをもたらす。家賃を払っているのになんの文句も言えない。会社関係で家を選ぶべきではない。事態は悲惨化する。

「ウサギの墓」:一時的な移動である派遣先で、どうせ捨てねばならないウサギを飼ってしまう。一日中担当地域の情報を検索羅列して書類化する業務はほんとうに必要なのだろうか?周りの社員も彼に指示を出す担当者も一時的な立場の人間で言葉を交わす同僚もいない。日常とは終わりなく虚無的なものだ。

「クリーム色のソファの部屋」:新居へ向けて車で移動中の夫婦。雨中での故障に弱って、廃業されたガソリンスタンドに屯っている半グレ風の若者に修理を頼んだが…。こちらの予想通りのイヤな展開となり読むのがつらかった。

「カンヅメ工場」:サバやサンマをひたすら缶詰に詰め、昼食も毎日会社の缶詰。日常の買い物も缶詰中心であり、誰も不満に思わない行きすぎた缶詰人生。缶詰には食品以外の服や下着や死んだ犬まで入れられ、かなり大きなものまで登場してますますシュールになっていく。






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「社会学の新地平」ウェーバーからルーマンへ
佐藤俊樹 著
(岩波新書)

マックス・ウェーバー「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」を中心に、二クラス・ルーマンの成果を交えて、資本主義を育んだ合理的組織に迫る。二人が挑んだものとは。

ほとんど読んでいないウェーバーだが、最も有名な主著「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」は2度読んだ(1度目は大いに感動)。
どうやらウェーバーは「資本主義の精神」とは何か、はっきりとは書いていないようで、確かに茫漠としたものだ。それ(資本主義の精神)を体現しているのが大規模工場に労働者が集中している閉鎖的経営ではなく、生産者や販売者が自立・連携している分散型経営であるところが意外だ。逆かと思った。実際にウェーバー個人の縁戚の麻織物生産業の具体例をもとに解説してあって馴染みやすい。

「プロテスタンティズムの倫理」から始まり、「資本主義の精神」があって、分散型経営の「自由な労働の合理的組織」へ至るわけだが、プロテスタンティズムの閉鎖的な禁欲倫理がなぜ「資本主義の精神」へ繋がるのか。私はカルヴァン派の禁欲倫理が大好きなので、ここがもっとも興味深かったところ。
人間が救われることは神に決定されているが、そのための具体的方法は個々の人間が自由に決定しなければならない。救われるためには不断の禁欲的努力が求められる。
そして禁欲的であることで、人に拠らない個人の恣意を排除した合理的組織が成立する。ここに「資本主義の精神」が成立する条件があった。他はほぼ同じ条件ながら禁欲倫理がないために資本主義へ至らなかった中国社会との比較で解説され分かりやすかった。拙い理解で恥ずかしいが、この倫理的に裏付けられた勤勉さに至る部分が読んでいてワクワクとした。

終章ではこの合理的組織の決定システムを丹念に解き明かしたルーマンの業績が紹介されるが、このリアルな現代組織論は私の興味の範疇から外れてしまう。もっともウェーバーの厳密な論証活動にしても、素人読者としてはここまで精緻で正確な内容はついていけない。大体で充分だがその大体が読めてよかった。

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「ツヴァイク短篇小説集」
シュテファン・ツヴァイク 作
(Heigen-sha・長坂聰 訳)

詩・戯曲・評伝など多方面に活躍したツヴァイクの短篇小説から10編を厳選。

「猩紅熱」:まだまだ少年の面影が残る若きベルガー青年。大学に進学してウィーンに暮らすが、性格がおとなしく酒やタバコにも馴染めない彼は他の学生からバカにされっぱなしである。ベルガー君、自分以外のものに憧れるな。人それぞれ。自分だけの人生を自信を持って歩め。

「エーリカ・エーヴァルトの恋」:古典文学に登場する女性は男性が好む淑女ばかりで、勝ち気で自己主張する女性は先ずいない。ツヴァイクは古い作家ではないが、この女性(エーリカ)はおとなしすぎて行動より観念が過多。ために全てが遅すぎて恋をのがすタイプ。

「ある破滅の物語」:国王が変わって、元国王の愛人であったマダム・ドゥ・プリも田舎町へ追放される憂き目に。サロンでの人間関係以外に取り柄のない人間にとって、都市を離れてしまえばそれは破滅である。自分でうちこみたいものはないのだ。

「レポレラ」:馬の如く丈夫で黙々と働く無骨そのものの田舎娘クレスツェンス。お屋敷の下女として勤めるうち、旦那様への恋情からしだいに隠された人間的感情が露わになるが、怪物的な意志の強さは殺人でさえも断行しかねない。きわめて珍しい人物造形。

どの作品も面白いが、なにかしら個人的に合わない。それがなにかわからないが、人物が心に沁み至らなかった。作品としては文句のつけようがない…。








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「ピエールとリュース」
ロマン・ロラン 作
(みすず書房・宮本正清 訳)

第一次大戦下のパリ。ドイツ軍の侵攻が迫る中、偶然出会った若き二人の絶望的な純愛を描く。

侵略を受けるフランスとしては避けることができない戦争への参加と若者たち。主人公の青年、中産階級出身のピエールもまもなく応召しなければならない運命である。
拙い模倣画を売って糧とするリュースは母親と二人暮らし。つねに目の前の生活に追われている彼女はピエールに比べてはるかに現実的な女性である。リュースに出会ってピエールは初めて生活費を稼ぐリアリズムを知る。

ピエールは本来なら中産階級の青年らしく、戦争へ突き進む国の政策やその他政治思想について侃侃諤諤の議論を仲間と繰り広げるところ。しかしリュースと出会って以来二人の時間の尊さに目覚め、緊迫する情勢をよそに自分たち以外のいっさいを顧みない極めて純粋な恋愛に日々を過ごすことになる。

この緊迫する社会情勢との対照性が作品を貫く主題であり、見えない未来のことは考えない今この瞬間こそが、逃してはならない大切な時間である。戦時下であるからこそ存在した絶望的リアリズムだと言えよう。





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「夜と灯りと」
クレメンス・マイヤー 作
(新潮クレストブックス・杵渕博樹 訳)

統一後の旧東ドイツ。ややアウトローな世界で迷いながら生きる男たち。そしてさまざまな職業の人々。短編集。

解説によると作者はドイツ文壇には珍しくアカデミズムとは無縁のブルーカラー出身。いわゆる不良少年で少年拘置所体験もあり、様々な肉体労働を経て小説家になった人。そのせいか各短編の主人公の男は本格的なマフィアではないもののコカインなど薬物は使うし、人生そのものにもなんとなく投げやりなところがある。
そこになんとなく格好良さがあって、ケンカしたり女を追いかけて旅をしているとそれだけで絵になる。これは実際そんなものなんだろうが、やや通俗的な印象があって物足りない。漫画家のつげ忠男作品に登場するアウトローたちもそういう格好良さがあるので、それと同じかもしれない。

そんな中ではアウトローではない人間が登場する後半の3編が良かった。●就職したばかりの巨大倉庫でフォークリフトを操りながら働く男の、ほのかな恋やリーダーへの親愛を描いた「通路にて」●平和な家庭生活を捨ててある娼婦を追いけけ回すことなってしまった男「君の髪はきれいだ」●過疎化した農村に残り、老いてゆく動物たちと暮らす老人「老人が動物たちを葬る」この3編は気取らない素直な味わいを感じた。


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「ガストン・ルルーの恐怖夜話」
ガストン・ルルー 作
(創元推理文庫・飯島宏 訳)

その作品が推理小説の嚆矢とされるルルー。全盛期の本格怪奇短編8編を集録。

1920年代に書かれたもの。既に本格怪奇短編としての出来栄えと風格が充分にある。あり得ない幻想的な出来事はあまり起こらず、残酷な殺人を題材にしたあくまで現実の範囲で起きる恐ろしさを描いたものが多い。

8編中5編は5人の元船乗りたちが集まって、自分が体験した身の毛もよだつ恐ろしい話を語り合うといった趣向。それはよいのだがメンバーはお互いの話に懐疑的で、信じないか馬鹿にしている様子。たしかにその仕草は演出としてアリだがやや必要以上な気がする。語り手の話が終わってからこちら(読者)が怪奇に浸る余韻を得ないうちに、すぐさまメンバーによる茶化しが始まってしまって興醒めである。ラストにこれはいらないんじゃないか。

この設定以外で書かれた巻頭「金の斧」(夫の隠された仕事の話、オチでびっくり)、巻末「火の文字」(トランプゲームを軸とした悪魔との取引)「蝋人形館」(一人深夜の蝋人形館で肝試しに挑戦)は怪奇短編の王道をゆく佳作で楽しめた。

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「死刑囚最後の日」
ユゴー 作
(光文社古典新訳文庫・小倉孝誠 訳)

まもなく断頭台の露と消える自身の毎日を綴った日記体文学。揺れ動く心と残酷な運命を描いて死刑制度の廃止を訴える。

この語り手がどういう人間でどういう罪を犯したかを一切語らぬまま、いきなり牢内で執行の日を待っているところから始まるので、最初はなかなか気持ちが入らなかった。
それでも監禁場所が手筈順に移動され死刑執行の日がじりじりと迫ってくると、リアリティと切迫感は一段と増して目が離せなくなる。作者が体験したわけでもないのにこの迫真性はたいしたものだ。そしてラストはひとこと定められた執行時間が書かれるのみ。これが心憎い。

ユゴーが若い頃の作品でもあり、死刑制度に反対する正義感から書かれているので、テーマに沿ってただ一直線に書かれた印象。揺らぎがない。
以前読んだ岩波文庫版と違って、前書き的な戯曲「ある悲劇をめぐる喜劇」と「一八三二年の序文」も併載されているが、この「一八三二年の序文」などは全くストレートな死刑制度反対論であり文学的なものではない。まるで普通だ。

それにしてもこの時代から死刑制度に対する反対と賛成の趣旨内容は、現代に至るまで全く変わっていない。実に歴史の長い問題だ。カントが制度賛成派であるのは驚いた。

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