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漫画家まどの一哉ブログ

   

読書
「わが子キリスト」武田泰淳 作

ユダヤを支配するローマ軍隊長の語りという体裁で書かれた小説。隊長がマリアに生ませた子供はイエスとなって神の子を名乗る。ローマ政府最高顧問官は隊長にイエスを利用してユダヤ人の精神的支配を命令。あえて裏切り者となってユダヤを救おうとするユダ。そしてイエス復活の真相とは。

ここまで大きな歴史的テーマを扱った作品だと当然ながらリアリズムではない。凡人の日常感覚をそのまま綴ったようなものと違い、日常からは遠い舞台の上にわざわざこしらえたものなので、当然セリフは説明だ。もちろんそこは説明的な印象はまったくなくワクワクと読めるが、登場人物が社会・民族・政治に関して喋るとき、そこには作者の思想が自ずから立ち現れていると思おうじゃないか。
そしてこれを政治・社会・キリスト教などに対する問題意識を持って読むか、それらを除いても十分楽しいエンターテイメントとして読むかは、読む方の問題であり作品評価とは別であろう。生々しい政治経済とそれらを超越する精神性との相克を読み取ることは正解かもしれないが、ああイエスは政治家に利用されたんだなあぐらいでも良い。なんとなくそんな気がした…でも良い。ただしイエスは出てこない。

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読書
「とてもいい!」マヤコフスキー 作


長詩。全体としてとても元気がいい印象。マヤコフスキーは34歳。著者もまだ若いが国(ソビエト連邦)も若いよ。土曜社のマヤコフスキー叢書の一冊には巻頭に児童文学作家カッシリによる「ある日のマヤコフスキー」という講演会のルポルタージュが掲載されている。それを読むとマヤコフスキーはたいへんな人気者で、溢れる聴衆を前に見事なパフォーマンスを繰り広げるところは、なかなか達者なヒーローであり、少なくとも内気なおとなしい詩人といったタイプではない様子だ。

十月革命叙事詩だからスローガン的なシュプレヒコール的な口調をうまく生かしているのか、それとも伴わない結果を批判するのにアイロニーとして利用されているのかわからない。何れにしても著者を取り巻く世界は流動的だ。

「流れていた、いつもの通り、十月が、風になって。資本主義の風と同じ風が。流れていた、トロツキー橋を、自動車と電車。いつものレールをくねらせて。橋の下はネヴァ河。ネヴァを泳ぐクロンシュタットの船々……小銃たちのざわめきに、冬宮がよろめきはじめた。
(2段×4ページ略)
流れていた、いつもの通り、十月が、風になって。橋の上、レールをくねらせて、電車はその疾走をつづけていた。もはや、社会主義のもとに。」

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読書
「夢魔は蠢く」東雅夫 編


明治から大正にかけて書かれた文豪たちによる怪談小話のうち、夢を素材としたものを選んだアンソロジー。
夏目漱石の「夢十夜」をそもそもの始まりとして、この方法に倣って色々なものが書かれたのではないか。幽霊が出てくるわけではなく、現実のようなそうでないような輪郭のはっきりしない出来事。水野葉舟の「響」などもまさにそうだが、本書には登場しない内田百間をその完成形とする、夢の中を彷徨うような描写は誰でも一度はやってみたいもので、多くの作家が試みたのではないだろうか。

それらとはまったく違う正岡子規のものはエッセイの形をとったもので、かえって面白かった。葬送に関するあれやこれやの迷いなど面白おかしく、ネタとしてはありがちなので先に書いたもん勝ちのような気がする。

付録の絵物語、坪内逍遙「神変大菩薩伝」はどう見ても現代なら漫画に仕立てられたであろう見事さである。赤い糸で結ばれていたとか、ワイヤレスの神通とか言葉が現代的で愉快。絵も逍遙。

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読書
「遊覧日記」武田百合子 著

娘の写真家武田花と巡った物見遊山記録。写真付き。
東京でも上野や浅草など山手線の東半分はこの日記が書かれた昭和61年頃でも既に古びたうら寂しい雰囲気に満ちている。
花屋敷・蚤の市・観音温泉・上野東照宮・藪塚ヘビセンターなど、おしゃれなものは一切出てこない。使い古された設備や何年もその仕事に携わっている人々など、新しくならないところが安心できる。

自分が子どもの頃親に連れられて目にしていた都会は、色や匂いや印象のみが記憶に残っているが、そんな子供の頃の感覚がよみがえる感覚だ。目にしたものを内面を含まずに見事に描写する武田百合子の筆力に吸い込まれてゆく。

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読書
「一条の光/天井から降る哀しい音」耕 治人 作

命終三部作「天井から降る哀しい音」「どんなご縁で」「そうかもしれない」
昭和60年頃、80歳に届こうとする作者夫婦。妻の認知症が進み、作者自身も病を得て入院することになった最晩年の生活を描く。

作者は私小説作家と言っても別に無頼派ではなく、長く出版社にも勤めたし、遊び呆けるわけでもなかったのだが、家計・家事一切を妻に任せきりで、また妻が自分のことは構わずに夫に尽くしてきた後ろめたさがあったのだろう。妻の認知症が進むのもみんな自分のわがままのせいと自身を責めてしまうようだ。そうやって懸命に妻の介護に励むわけだが、その自責の念の裏側にもやはりエゴイズムがあるのではないか。と言えなくもないがそこを責めても仕方がないだろう。人間そんなもんだよ。

おそらく明日はわが身と誰もが思える内容で、ケアマネやヘルパーの世話になりながら毎日をくぐり抜ける様はただただリアルで、日本が高齢化社会に踏み出した初期の実感が得られる。もちろんドキュメントとは違う小説としての愉しさがある。
最終的に妻は特養ホーム、自分は病院で離れ離れに暮らす日々となるが、妻を焦がれ妻がヘルパーに付き添われてお見舞いに来るのを楽しみに待つ気持ちは痛いほどわかる。たとえ相手が自分のことを誰だかわからなくなっていても。

そしてこの苦闘の記録を、病後80歳になった段階で味わい深い作品に仕上げたことに驚く。

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読書
「老いの生きかた」鶴見俊輔 編

ついに自分も老いになじむようになったか。というわけでもないが、以前から興味あるテーマ。鶴見俊輔が、キケロ・モンテーニュ・サルトルから中勘助・富士正晴・鮎川信夫・金子光晴・室生犀星・野上弥生子など古今東西の著名人の老いに関する発言を選んだアンソロジー。当然この選択は鶴見俊輔の老いに対する見方が反映されている。

総じて老いてもかなり元気な人々という気がする。食が細り、目や足が衰えてくるとどうしても気力が落ちると思うが、取り上げられている著名人が当然だが我々凡人よりはるかに脳力が高いので、肉体やその欲求が衰えても日々の知的活動がなんら減衰することはない。この辺りがまったく別世界のような気がする。もう少し日々の小さな絶望と虚しさに触れてほしかった。

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読書
「塩の道」宮本常一 著

たまに宮本常一を読むとやはり面白いな。晩年の講演集3編。なるほど塩なんてものはなくてはならないものながら栄養にならない。よって祀られていないらしい。そんな生活必需品でありながら塩が製塩される沿岸部からどうやって内陸まで運ばれていたかなど、公の記録として残っていないのが意外だ。牛や馬に草を食べさせながら運んで行ったというのが面白い。サツマイモのように役人が企画したものと違って、トウモロコシなど民衆が広めたものは何も記録が残っていないようだ。その辺りを足で歩いて探っていくのがこの分野の醍醐味だな。

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読書
「八月の光」フォークナー 作


主人公の一人とされている若い妊婦が素直でポジティブな明るい性格で、彼女が中心となって展開するのかと期待したが、残念ながらあまり登場しない。やはり主人公である孤児院出身の黒人の血が流れる白人の男が、生まれてから犯罪者となって死ぬまでに物語の大半が割かれており、愛を知らない人生で実に殺伐としたものだ。

そしてもう一人の主人公である教会をクビになった牧師。教会をクビになっても自分が牧師であることは捨て去ることができない。この神との責務を絶対に果たそうとするカルヴァン主義者の精神性はよく分からない。そういえばこの牧師と親しい工場労働者の青年も、土曜日も誰とも遊ぶことなく一人工場で自分に課したノルマを働く非常に内気で真面目な男で、牧師とは似たような人格だ。これが根っからのプロテスタントというものか。

長編小説ではよくあるが、新しい人物が登場するたびにその生い立ちから現在に至るまでを丁寧に追いかけて一章分くらい使う。話に深みが出て当然面白くなるが、ときどき子供の頃はもういいから、今のことを話せよと思ってしまう。多くの人間が登場するが、実に多様な顔ぶれで、貧しい自分の人生経験から彼らの内面を理解することはちょっと覚束ない。フォークナーの中ではこの作品が一番わかりやすく、他のものは多少難解なところがあるらしいが、なるほど王道を行くような人間ドラマで、エンターテイメントとしても遠慮するところがない。

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読書
「時間の非実在性」ジョン・エリス・マクタガード 著
永井 均 訳・注解と論評


1908年に発表された時間論の古典的論文。本文自体はごく短いもので、それに対する訳者の丁寧な解説と論評の方にボリュームがある。文庫本一冊の内容はほぼ同じことを繰り返しきめ細かく掘り下げているのだが、正直理解できたかというと怪しい。

A系列という過去・現在・未来のつながりと、B系列という出来事の前後関係。この2種類の時間のあり方が入り組んで現れてくることは、そんなに違和感なく追っていくことができる。
問題は「端的な現在」といわれるもので、意識の内発的な現れとしてそれしかありえない、そうとしかありようのない現在という感覚。未来の想起も過去の記憶も、すべて現在の意識でしかないこの現在と、A系列(過去・現在・未来)との矛盾と言われると、何が矛盾なのか納得できない。

ただ、もし「端的な現在」が記憶や予測を持たなければ、時間という感覚はないかもしれない。それが時間の非実在性を証明するかどうかはわからないが…。

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読書
「類推の山」 R・ドーマル 作


昔持っていた白水社の小説のシュールレアリスムシリーズで面白く読んだ記憶があるので、また文庫で読んでみた。
たとえ話の類であったはずのエベレストより高い類推の山。その山の実在を信じて冒険へ旅立つ主人公たち。山は空間の歪みによって普段とらえられない洋上にあり、先にたどり着いた人々が麓に村を作って暮らしていた。村の一員となった主人公たちはいよいよ年月をかけた登山へ出発する。未完。

出発前の未だ計画を練っている段階での、現実の中に不思議な山の話が割り込んでくるあたりが面白い。シュールレアリスムの醍醐味がある。これが島にたどり着いて、閉ざされた特殊な世界に限定されてしまうと、ふつうの幻想冒険文学になってしまって人畜無害感を感じてしまう。悪い意味で安心してしまうのだ。その意味では未完でちょうどよかったかもしれない。

誠実で楽しい文章。付録の覚書は登山に関する名エッセイ。

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