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漫画家まどの一哉ブログ

   

「個人的な体験」
大江健三郎 作
(新潮文庫)

脳に致命的な障害を負って生まれてきた子。人生を撹乱する現実を受け入れることができない主人公の夫は、情人の元へ走り酒に浸り、ひたすら赤ん坊の絶命を願うばかりである。果たしてこの卑劣な逃避行は成功するのか。

私が今までに読んだ大江健三郎作品はわずかなものだが、その中ではいちばん面白かった。大江は作品ごとに文体がけっこう違うことにあらためて気付いた。相変わらずの粘着的でまといつくような異様な文章。世界も内心もひっくるめて脳内の出来事であることをひしひしと感じさせる。生きていくのには余計な膨らみがいっぱいあってどきりとする。

主人公である男が人間として凡庸であり未熟者であるのが、かえって読みやすいのだろう。脳の障害を持って生まれた子にたいして、男はその現実からただひたすら逃げようとするが、出産後ベッドから離れられない妻に言われた問責「いったいあなたは責任を持って妻子を守ろうとする人間なのか?」この一言が彼の性格を暴露していたのだった。

ここで気付くことは彼はやはり永遠の子供部屋の主であり、彼の理想が単身でのアフリカ冒険旅行であるように、自分の個人的な満足にしか関心がない。彼にとって一家の主人であるということは、家族の幸福にたいして大きな責任を負うことではない。日本の一般的な旧来の男性の典型で、男は子種さえ植え付ければ役目は終了であり、女からはもっぱら奉仕と献身を受ける立場である。その逆はなく、自分が病気ならば女の世話を受けるが女が病気になれば捨てる。

彼の不幸は情人である女性が世間から逸脱している割に意志の強いしっかりした人間で、今回の障害児の親という立場から逃げてきた彼をかくまってしまうところにある。そのせいで彼は妻と子供に対する責任ある立場になかなか気付かない。
ドラマは子供の手術さえ拒否して病院から赤ん坊を連れ出してきた末の恐ろしい展開となって目が離せない。一転して生へ肯定的な立場に至るラストは、物語的にベストではないかもしれないが私は良かったと思う。

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「空と風と星と詩」
尹東柱 作
(岩波文庫・金時鐘 編訳)

太平洋戦争末期、福岡監獄で獄死した若き詩人ユン・ドンジュ。わずかに残した美しく鮮烈な言葉の数々。

素直に書いた言葉の不思議な美しさがある。なにか少年が書いたような飾らない言葉。見えるものそのままに描き、沸き上がる感情をそのままに書いたような、素朴で直情的な印象があるが、それだけではつまらないはずなのに、鮮烈な訴えとなって届く。じつはこれは独自に到達されたひとつの完成形なのかもしれない。

こういう作品を成り立たせているのが際立った技術であるのか、それともキリスト教信仰に裏打ちされた故であるのか。言われてみれば聖書からの引用はあるが、それよりも信仰心からひとりでに現れざるをえない、なにか魂の所産といったものを感じる。と、キリスト教をよく知らないで言う。

技術というのは飾らないで飾っている言葉の技術だが、ふだん詩を読まない私にその部分を解説出来る力はもとよりないので、あきらめるほかない。詩魂なき者が勝手なことを言ってもうしわけない。

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「銀座復興」
水上滝太郎 作
(岩波文庫)

関東大震災後焼け野原となった銀座。瓦礫と残骸の中、他に先んじて店を開けたバラック小屋の飲み屋と、そこに集う男たちの交遊と悲喜こもごも。他に震災にまつわる好短編を収録。

滝太郎は作家であるとともに有名企業重役でもある人で、ふだんの活動領域が丸の内から銀座周辺なのか、ビジネスマンの暮らしと視点が垣間見える。とうぜんこの頃はまだ新宿・渋谷など山手線西側や中央線の発達もサブカルの隆盛もなく、経済も文化もこの界隈が中心だ。

表題作「銀座復興」は近隣のサラリーマンや銀座の老舗主人などが登場して、飲み屋での会話で綴る人間味豊かな話。併録の「九月一日」も由比ヶ浜の別荘に集う人々の震災体験であり、舞台となる社会階層に貧困の様子がない。作者は慶応閥「三田文学」の人だからもちろんだが、日本の経済・文化は多くこれらの人々によって牽引されてきたのだろう。(読んでいる私に縁がないだけ…)
読んでみると作者滝太郎は人間が誠実で、ひねくれたところがなく、作家としては反自然主義であるせいか個人の鬱屈や自己憐憫などに拘泥するところがない。その辺は素直な世界で気持ちよく読めた。

「遺産」:憎まれ者の高利貸しの残した遺産は、近隣の家々との交わりを断つための異様に高い塀。この塀が震災で崩れたため一時的に隣人とのふれあいが生まれるがその行方は…?
類を見ない珍しい設定で面白かった。

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「夢の女・恐怖のベッド」
ウィルキー・コリンズ 作
(岩波文庫)

19世紀イギリスで活躍した推理小説の元祖。多彩でスリリングな魅力たっぷりの短編集。

恥ずかしながら知らなかったウィルキー・コリンズ。短編ながら際立つストーリーの面白さ。人間を多面的に描いて表現も品があり、単なる怪奇・ミステリーとは一味違う出来栄えが楽しい。

「夢の女」:誠実だが運のない男が夢の中で女に殺されかかる。後日彼が婚約者と選んだ相手はどうやらその悪夢の中の女のようで、しだいにその恐ろしい本性が露わにされるが、そもそもこの女がどういう存在なのか全くわからない恐ろしさ。怪奇譚。

「探偵志願」:自身を有能な探偵と自惚れる若者。警察に協力し、とある事件の犯人逮捕に向けて張り込みや尾行を遂行する。警察側からすれば初めから彼の間抜けっぷりがちゃんとわかっている様子。手紙形式で書かれた爆笑短編。

「グレンヴィズ館の女主人」:古い館にひっそりと暮らす女性。常に表情に悲しさを湛えた彼女の過去が語られる。平和に暮らす一家に姉が選んだ紳士的でやさしい結婚相手が加わるが…。犯罪と絡んだその男の正体がしだいに明らかにされてゆく。悲劇。

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「ピノッキオの冒険」
カルロ・コッローディ 作
(光文社古典新訳文庫・大岡玲 訳)

19世紀イタリアで書かれた児童文学の古典。ディズニーアニメとは違った悪童人形の物語。

大筋ではディズニーアニメと同じなのだが、違うのはピノッキオが無垢な少年ではなく欲望のかたまりで、けっこう乱暴者なところだろうか。しかしそれは未だ躾けられない子供の姿であり、自然な人間の姿なのかもしれない。彼は悪たれ小僧と言うよりは、悪巧みなどできない無思慮・無分別な存在である。

失敗を重ねては周りの大人やコオロギの幽霊になんども諭され、そのたびに心を入れ替えてまじめに勉強に励んでみたりするが、それが続くのは失敗に心が傷んでいる間だけで、あたらしい欲望に触れるとたちどころに誘惑に負けてしまう。つまりこの種の人間は言いつけを守ろうとするが、機械的に遵守しているだけでその意味がわかっていない。自身を対象化して見ることができていないようだ。

キツネとネコのコンビや子供の国の噂話に騙されて悲惨な目に合うが、そのたびに自分が大人のいいつけを守らなかったためと泣いて反省する。しかしピノッキオは肝心な点をいつも学習していない。それは世の中には欲望につけこみ、悪意をもって人を騙そうとする人間がいっぱいいるということである。ここが分かっていれば自分の欲望にも冷静になれたのにね。

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「安岡章太郎短篇集」
(持田叙子 編・岩波文庫)

昭和30年代の作品を中心に、あまり知られていない佳作を収録。

安岡章太郎・吉行淳之介・遠藤周作、第三の新人と言われる3人の中で自分は安岡を最も好む。吉行はよく分からない。
既読のものもあるが、この短編集の中で読むと「家庭」「体温計」など戦争ものはなにか異質な気がする。

「マルタの嘆き」:姉マリヤは常に懸命に頑張っているのに、世間はぼんやりしている妹マリヤの肩ばかり持つ。グズでだらしがないくせに、いつも自分ばかり虐げられている演出が巧みで、男心を勝ち取ってしまう。このシンデレラ型の女と終生戦ってきた私(女性)のはなし。なるほど愉快な着眼点。

「放屁抄」:おならに関する少年時の体験や古事(屁ひり芸や平賀源内の「放屁論」など)あれこれ集めて屁の扱いのさまざまな局面を考察。と、最後に趣が変わって、初めて自身が吉原の公娼の店に飛び込んだときの物悲しい思い出に。これが良い。

「父の日記」:ラストの文章がよいので転記。以下『白いシックイで区切られた窓の外の空は、水色に澄んだまま、次第にその色を濃くして行き、やがて灰色がかって暮れてきた。しかし私の中で、母の顔はハッキリと浮かび上がり、父や母と別れて暮らし出して以来、自分に憑きまとった後暗いものが、ようやく薄れかかって行くのを、私はボンヤリと感じはじめていた。』

「猶予時代の歌」:ラストの文章がよいので転記。以下『私は感傷的になり、ひさしぶりにそんな歌を胸の中で繰り返した。しかし墨汁色の空には鳥の姿はなく、川風は一層冷たくなるばかりだ。と、右手の海軍経理学校の方から水平の吹き鳴らすラッパがきこえた。いったい、それは何の合図かわからなかったが、私は長く尾を引くそのラッパの音に耳を傾けて、しばらくその場に立ちつくした。』

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「逝きし世の面影」
渡辺京二 著
(平凡社ライブラリー)

幕末期から明治期にかけて西欧からなだれ込んだ近代化の波。江戸期に熟成されたユニークな(今は失われてしまった)ひとつの文明があったことを検証する名著。

日本近代を描いた歴史書の中に、こんな視点で書かれたものがあったことを初めて知った。漠然とはわかっていても、文明というものは消えていくもので、それがわずか150年前の日本で起こっていたとは。
明治期、多くのお雇い外国人が驚いて絶賛した当時の日本社会の明るさ、簡素ながらも豊かで、人々は生活に満足しており、死を恐れず、美しい自然と調和したゆったりとしたリズム。自由でおおらかな暮らし。著者が何度も触れているように、近代史学の王道である治世者による支配と搾取を本質と見る観点からの反証は確かにあるにしても、外国人によるこれだけ多くの実例を無視するいわれはない。

自分などはやはり日頃から感じてきた、現代資本主義下の人生とは違った、もっと平和で落ち着いた、競争ということのない暮らしがあるのではないかという思いを裏付けられた気がする。

労働や信仰、子供や動物など様々な切り口で分析されていく当時の生活だが、なかでも不思議なのは「裸体と性」「女の位相」である。平気で半裸で往来を闊歩し、混浴はもとより女性の軒先での行水などTPOによってはまるで裸を意識しない。ところが銭湯で欲情してしまう実例もあるし、春画・春本も盛んだ。
遊郭へ売られた後も年季が明けるとふつうに結婚できるが、その実差別されていた実態もある。ただ本質的にはあまり隠し事をしない暮らしがあったようだ。

全ては近代化によって失われてしまった夢のような文明だが、個人を深化させるといった面は確かにあまりないので、おおらかで楽しいが、軽佻浮薄といえばそのとおり。はて何が良いのやら…。


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「自由への道」6(魂の中の死)
サルトル
 
(岩波文庫 海老坂武・澤田直 訳)

舞台は捕虜収容所。捕虜となった共産党員ブリュネは党からの命令もないまま秘密裏に党勢拡大の努力を続ける。多くの裏切りやスパイ活動のなか、ついにブリュネは党より友情を選ぶ。文庫完結(未完)。

この巻(魂の中の死 第2部)においてコラージュ的方法は完全に影を潜め、登場人物はただ1人、マチウの友人だったブリュネに絞られる。
ドイツ占領下、ブリュネ以下フランス兵たちは貨物車で運ばれ、国内で解放されるのかと期待していた捕虜たちだが残念なことにドイツ内の捕虜収容所へ落ち着いた。極めて限定された男だけの社会だ。

第1部(分別ざかり)で登場したマチウを共産党へ誘う友情熱き男ブリュネがこの巻の主人公だが、いささか堅苦しいほどの真面目な男で、党員であることの意思が固くぶれない。しかも生活者としての個人的な幸福を放棄し、人生のすべてを共産党活動に捧げている。
なかなか彼の心情に寄り添って読んでいくのはつらいが、周りの捕虜たちは平凡な一般人であるため、サルトルの人間描写の味わいを充分楽しむことはできる。

しかしそんなブリュネが次章(奇妙な友情)では遂に党を離れ、裏切り者であったヴィカリオスとの死を賭した収容所脱出を敢行するから、ドラマとしては非常に効果的な性格設定だったのではないか。
「党なんてどうでもいい。おまえはおれのたったひとりのともだちだ」このブリュネのセリフが最も胸を打つシーンだ。

この大作はこの後まだまだ続く予定で、マチウとブリュネの役どころは逆転し、マチウを含めてダニエルやフィリップ、サラなども戦争終結までにはみんな死んでしまう構想だったらしい。第1部(分別ざかり)を書いた時とは大いに時代が変わってしまって、常にアンガジュマンを旨とするサルトルは、小説の内容にも方法にも身動きが取れないままあきらめたようだ。

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「マクロプロスの処方箋」
カレル・チャペック 作
(阿部賢一 訳・岩波文庫)

遺産相続争いの鍵を握るのは誰か。遺言書が書かれた時代から300年の時を経て当時を知る女が現れる。

戯曲を読むときになかなか辛いのは誰が誰やらわからなくなるところだが、この作品では問題の女性がいくつもの変名を持っており、それが生きてきた各時代ごとに違うのだから大変だ。

尤も彼女が不老不死の薬効を得て時代を越えて生き抜いてきたことは、話の途中でもだいたい想像つくから悩むことはない。各相続人の父親・曽祖父など同じファミリーネームの人物の話題も頻出して注意が必要だが、しっかり把握できなくとも困ることはない。もちろんしっかりわかっていれば、より楽しく読めるが…。

不老不死の秘薬の謎に迫る怪奇幻想といった内容ではなく、チャペックらしい風刺劇。長く生きることによって得た豊富な経験と知識を生かし、人間はようやく幸福を得られるのか。それとも迷いと苦しみの連鎖に終わるのか。不老不死から起きる当然の命題だが、正解はないとしても、なんとなく幸せとは遠い人生が待っていそうだ。

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「自由への道」5(魂の中の死)
サルトル 作
(岩波文庫 海老坂武・澤田直 訳)

ドイツ軍はついにパリを占領し、マチウの隊を率いる将校は逃亡。あくまで抵抗を続ける小隊に参加したマチウはついに銃の引き金を引く。

第2部「猶予」から第3部「魂の中の死」へ入った時点で時代はやや進んでいて、すでにドイツ軍はパリに入城。郊外では続々と逃げ出す人々の列が続き、長時間の移動に疲れたジャックとオデッサや幼子を抱えたサラの今後が案じられる。

夜に乗じて逃げ出した将校たち。話の大半は将校に捨てられたマチウの属する部隊のなすすべのない弛緩したようすだ。大甕にワインを満たして酒浸りになったり、それでなければウロウロしているばかりだが、こういう劇的でないシーンを描くとサルトルの筆はめっぽう面白い。戦争文学の中でもこういう描写は珍しいのではないか。

ところがまだまだ抵抗と闘争を続ける部隊が現れ、友人ピネットの自棄的な戦闘意欲につられてマチウはこの戦う部隊に参加してしまう。緊張感高まる鐘楼での狙撃作戦。意外にもマチウは意欲的にドイツ兵を撃ち殺し、ますます戦意は高揚する。
この展開がいかにも唐突かつ不可解で、あのインテリでどこにも帰属しない宙ぶらりんのマチウがなぜ突如率先して人を撃つか、文庫解説によると自分自身で時代と戦争を引き受けようとするのかもしれないが、解説されても納得はできない。

もうひとつこの巻で魅力的なのは、ゲイとして美少年フィリップを狙うダニエルだ。フィリップに出会って性的欲動に突き動かされながら、それを隠してまんまと自宅に誘い込み、慎重に慎重にことを運ぼうとする。爪を隠した猛禽のようなダニエルのいやらしさ。背徳的で息を飲むスリリングな進展。

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