忍者ブログ

漫画家まどの一哉ブログ

   
読書
「道化と王」 ローズ・トレメイン 

作解剖医のメリヴェルは陽気で派手好き、ちょっと下品だが誰とでも親しく交わる人間だ。国王チャールズ2世の愛犬を治療したことから王のお気に入りとなり、医学を捨て道化役として宮廷に出入りすることとなる。国王の命令で王の愛人と偽装結婚し、郊外の邸宅に悠々と暮らす毎日を得た。

ただただ本能のままに快楽を追い求める男。ところが仮の妻に本気で惚れ込んでしまい、だんだんと恋の話に終始してくる。やや退屈してきたところで、ついに王の怒りをかって邸宅を追われる身となってしまった。ここからの展開が実によい。

彼の人生は極端に変わり、クェーカー教徒たちの営む精神病院で医師としての禁欲的な生活が始まる。それまでの享楽的な人生を打ち捨て心を入れ替え、ひたすら内省と患者の世話に明け暮れる毎日。私欲を去り神と他者に尽くすクェーカー教徒たちの生き様を読んでいると、はらはらと心地よい緊張感を得ることができる。

結局メリヴェルは俗を捨てきれない男で、女性患者に手を出してしまい、精神病院を去ることになるのだが、聖と俗の間で揺れ動く凡夫としての主人公がリアルだった。最後まで王様への敬慕の念を捨てきれないのが平民の悲しいところ。

拍手[0回]

PR
読書
「黒い時計の旅」スティーブ・エリクソン 作

ドイツが先の世界大戦を制しヒトラーが生き続けている世界。インディアンの血を引く屈強な大男で乱暴者の主人公だが意外にも筆がたち、ヒトラー1人のために小説を書き続けて報酬を得ている。しかも兄弟を殺してアメリカからウィーンに逃げているという破格の設定。

この主たる物語以外に観光地の島で連絡船を操る青年とその母親の数奇な運命など、時代を遡って遠く主人公の運命に絡み合う人々の人生もふんだんに描かれ、尚且つ主人公が創作上想像した人間も、そこにいるかのように同等に扱われたりするので、作品世界は巨視的というよりもやや茫漠と広がった印象がある。

ストーリーがそんなにないのは一向に構わないし、運命に翻弄され彷徨える人間たちの描き方も充分読み応えがあるのだが、なにか快感というところまで至らないのは、あまりに多くを描きすぎているからではないだろうか。アメリカとオーストリアのみならず、イタリアやメキシコまで行かなくてもいいじゃないか。この作品は失敗を含みながらかろうじて成立しているんじゃなかろうか。

拍手[0回]

読書
「残酷な女たち」 ザッヘル・マゾッホ 作


かの有名なマゾッホの短編。思いのほか面白い。別に官能小説ではなくちょっと愉快な空想篇といったものだが、出てくるのが往々にして毛皮を身にまとった猛烈に強い女。それを慕う男に若者は登場せず親父や爺さんばかりで、常に私を奴隷にしてくださいと懇願してヒドい目に遭わされるといったパターン。これが可笑しい。

やや長めの「風紀委員会」 主人公女帝マリア・テレージアが国家社会の風紀紊乱を憂うるばかりに自らも夜の街に密偵に乗り出すというありえない設定で、後半問題となった美人のお針子の家へ疑惑の人物たちが偶然にも全員こっそり集まってしまうという展開は、まさに伝統的な喜劇の定番。昔の通俗小説のお手本のようだが下品なところがないので楽しく読める。

と思ったら「醜の美学」では体つきは背むしの小人だが心は明るく人気者の画家を主人公に、教養と精神的な豊かさがいかに人間的魅力を生み出すかを丁寧に描いている。こんなちゃんとした話も書けるじゃないかマゾッホ。

拍手[1回]

読書
「貸本マンガ史研究」第2期04 特集●水木しげる


「総員玉砕せよ!」を反戦漫画の見本として知識人が評価してしまう現象を梶井純が批判している。しかし水木作品は基本的にエンターテイメントの方法で描かれており、芸術ではないのだからある種のパターンとなっているのも仕方がない。そしてたいがいの知識人は漫画に対してパターンでしか読めないから保坂正康などが評価してしまうのも仕方がないと思われる。

旭丘光志が「劇画はジャンルとしては優れているにもかかわらず、まったくおもしろくないのは、教養のない連中が描いているからだ」という水木の言葉を取り上げ、水木しげるの眼から見ると、それらの底の浅さ、美的造形の欠如などがありありと視えてしまう。と書いているが、まさしく現在市場に氾濫する漫画全般について言える的確な言葉だ。今後利用しよう。

幻想ロマンシリーズは読み返したことはないが、面白く読んだ経験があり。三宅秀典の解説が面白かった。まさか婦女子向け恋愛ロマンとして描かれていたとは思わなかった。

川勝徳重のリアリズムに関する論考。白土三平の風景描写について、森林にしても草原にしてもどれも同じような描き方と解説があるが、これは自分もそうで森林一般・草原一般といった装飾的な描写をする。自分の場合は好きでやっている。それにしてもなぜこんなに流麗で平易な文章が書けるのか。内容はもとより文を追う快感がある。


(敬称略)

拍手[1回]

読書
「水いらず」 サルトル 作

この短編集は若輩の頃読んだことがあったが、当時この面白さはわからなかった。人物が生き生きとしていて会話も楽しいし、地の文も興をそそる飽きさせない語り口。ストーリーもちょっぴりあって退屈しないように出来ている。これだけ作品自体が面白いものを後年の実存主義の萌芽としてあれこれ関連付けて評価するなんて無意味ではないか。主義があるから小説に価値があるわけではあるまい。むしろなんであんなわけのわからん哲学に生涯を費やしたか。もったいないことだ。

たとえば表題作「水いらず」では、二人の女性の交流とダンナとの別れや復縁をあれやこれや感情に沿って書いてあって、これがいちばん面白い。平凡な人間達の平凡な人生なので妙に過剰な自意識や観念がないのが気持ちいい。こんなふつうの女達をきめ細かくかけるなんて、それこそ理論をあやつるよりよっぽどたいした才能だと思うけど。

拍手[0回]

読書
「すばらしい新世界」
オルダス・ハクスリー
 作


ディストピア小説の古典。
表現としては単純な文体でマンガのような趣があり、最初はやや戸惑ったが読み進むにつれ気にならなくなった。ところどころ擬態語が混ざっていて、たとえば「どっかーん、どっかーん」とか「にこにこ、にこにこ」とか文中急に出てくるので、あれっ?と奇妙な感じがする。まさにマンガのようでやや脱力するが、これはこれでオモシロい。

オーウェル「1984年」、ザミャーチン「われら」など、暗黒の未来社会は徹底的に管理された完璧な全体主義社会だが、この作品はいっそう暗黒さがきわだっている。
胎生は否定され人間はみな人工授精によって壜の中で生まれ育ち、親子関係は卑猥なものとされる。生まれたときから5段階の階級に分けられていて、下層のものは教養や知識を嫌い単純労働に喜びを見出すように脳に条件づけされてしまう。また多胎児政策により同じ人間が労働用に大量製産されている。大人は麻薬ともいうべきダウナー系の薬剤を常用していて毎日は不平不満もなく多幸感のまま過ぎ行くのだ。
これでは大掛かりな叛乱は起きようがないし、物語は少数の異分子達によって進行するが、あんのじょう悲劇的な結末に至るのだった。

1932年の作品であるが、未来社会のディストピアぶりが実にこってりとよく考えられている。丁寧できめ細かい。特殊な設定を理屈っぽく説明するのではなく、人物の自然な会話や行動を通して暗黒社会さもありなんと納得させられる。物語を進行させる数人の異分子達は英雄ではなく心弱き平凡な人間で、彼等のダメさ加減と敗北がわかりやすいエンターテイメントのパターンを回避できている。そこがよかった。

拍手[0回]

読書
「崩れゆく絆」 アチェベ 作


現代アフリカ文学の古典。
ふだん小説を読むときは、登場する人々の暮らしを読む側もある程度共有しているものだが、1900年代イギリスに植民地化される以前のナイジェリアの社会となるとちょっと想像がつかない。背景となっている村の日常風景をわからないまま読むという不思議な感覚があった。しかしあれやこれや村の出来事がくりひろげられるうちに、なあんだ我々と変わらない、自然とともに生きる古い農村の暮らしが見えるようになってきた。

主人公の父親はあまり働かず飲んで歌って毎日を過ごす男で、やはりこんな男はどの世界にもいるもんだ。その反動で主人公は克己心あふれた強気ひとすじの男性主義者で、優しい態度やこころの弱い部分を全否定して闘争的に生きていく。早晩悲劇を迎える偏った人格で、なかなかつらいものがある。

物語の最後の方でようやくイギリス人宣教師を先頭にした植民地化政策に古い村が壊されていくが、それまでは冠婚葬祭や争いごとや裁判やさまざまな精霊と迷信が支配する伝統的な村の暮らしが描かれていく。万物に神が宿る世界。最後になっていよいよ世界史が動き出す。

拍手[0回]

読書
「ビルバオ-ニューヨーク-ビルバオ」
キルメン・ウリベ 作


スペインは北部バスク地方の言葉で書かれた小説。かつてバスク地方の叙事詩といったものもあまり無く、現在バスク語を話す人間はスペイン国内の3割くらいといった状況らしい。
とはいってもこれはバスクの歴史でもなんでもなく、作者がバスクの地元からニューヨークへ旅する途中で心に浮かんださまざまな出来事を徒然なるままに書き綴って、親子3代の暮らしを振り返るという内容だ。しかもストーリーはまるで無くあちこちで聞いた実話をすこしづつ繋いでいく、エピソード小説といった類いのもので、やや奥行のあるエッセイのようだ。

そもそもは地元の画家と建築家の友情深き交流の後を追って、かれらの縁者をたずねた話から始まるが、かつて出会ったいろんな人から聞いて書き留めた話へと限りなく繋がっていくので、あまり人物名を覚えていても仕方がないような気がする。作者の実家が漁師で、わざわざスコットランドの北方ロッコール島やデンマークの先っちょスケーエンまで出かけていく遠洋漁業の話がおもしろい。

その他もろもろ実話ばかりだが、この時代スペインがフランコ独裁政権下であり、バスク独立闘争があったことは基本です。

拍手[1回]

読書
「悲しみを聴く石」 アディーク・ラヒーミー 作


戦禍のアフガニスタン。英雄として讃えられていた夫は、首に銃弾を撃ち込まれたまま植物人間と化して帰宅。妻の手によって毎日カテーテルから栄養を注ぎ込まれている。妻はコーランの教えにしたがって数珠をたぐりながら正しく祈りを捧げているが、約束の2週間を過ぎても夫はまったく目覚める気配はない。砲撃の音を近くに聞くなか、戦争は街に迫り、やがて銃を手にした男達がやってくる。

話しかけてもなんの反応もないこの極限の状態で、妻は初めて夫に愛や性や生活に関わるほんとうの思いを語りはじめる。それまでの生活がDV状態なのだから、夫が植物人間というこの設定があって初めて女性の思いを明らかにすることができるのだ。これが現代アフガン女性の人生というものなのか。
旧弊残る男性社会のなかに生きるイスラムの女達が何を考えて生きているか。あたりまえのことだがそれは世界中の人々となんら変わらない。

拍手[0回]

読書
「断片的なものの社会学」岸 政彦 著


世の中全体とはなんだ?
著者が社会学者であることを読んでいる我々が忘れてしまうほど、市井のただなかでモノを見る。学識豊富であることが壁(限界)になっていないという希有な才能かも知れない。
例えば散歩中に見かけたビルの窓からエレベーターを待つ人を見つけたなど、まったくなにげないなんの意味もないが、なにかふと気になることを書き留めている。ここまで小さなことをわざわざ文字にすると、人間の日常感の由来のようなもの、ごく微弱な電波をセンサーに引っ掛けながら、そして自分も発信しながらこの社会ができているような感覚を再発見する。
発見されなかったヘンリーダーガーがいたかも知れない世界や、そもそもダーガーがいなかった世界。ということを知られない世界。そんなふうに視点をゼロから拡げて考えてみて初めて気付くことがある。

著者はこどものころ、道ばたに落ちている小石を拾ってきて、その色や形を飽くこと無く見つめていたという。このなんでもないものを凝視する才能がこのエッセイ集を成り立たせているようだ。
もちろんふだんのフィールドワークで、流しのギター弾きのおっちゃんやセックス産業で働く女性などのインタビューもあり、われわれがしらない世界の話をきく楽しみもあるが、もっとなにげない平凡な出来事から全て繋がっている。

さて著者と同じように世界を感じるかどうかは人による。ということは人の数だけ世の中全体があるのだ。

拍手[1回]

  
カレンダー
02 2017/03 04
S M T W T F S
2 3 4
5 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 23 25
26 28 29 30 31
フリーエリア

「世の終りのためのお伽噺」
アックスストア
「洞窟ゲーム」
アックスストア 西遊
「西遊」
amazon ヨドバシ.com
アックス75号
アックスストア

祭り前

秘密諜報家
最新コメント
[08/13 筒井ヒロミ]
[02/24 おんちみどり]
[05/10 まどの]
[05/10 西野空男]
[01/19 斎藤潤一郎]
最新トラックバック
プロフィール
HN:
madonokazuya
性別:
非公開
自己紹介:
漫画家
バーコード
ブログ内検索
カウンター
アクセス解析
カウンター
カウンター
フリーエリア
Copyright ©  -- まどの一哉 「絵空事ノート」 --  All Rights Reserved

Design by CriCri / powered by NINJA TOOLS / 忍者ブログ / [PR]