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漫画家まどの一哉ブログ

   
読書
「貧乏サヴァラン」森茉莉 著

食べることと料理が大好きな森茉莉の食に関するエッセイ。
久しぶりに森茉莉を読んだが、やはりハズレのない面白さ。ごくふつうの食材も絢爛豪華なご馳走に思えてしまう饒舌な文体。これがまたユーモラスで間違ってもグルメを気取ったところへ行かないのが楽しい。基本的に貧乏なのが理由だろうけど、貧乏な中でもこだわるだけこだわって食通を貫き通すのだ。愉快愉快。

すごく平たく言えば、本当にあった愉快な話のようなギャグエッセイのスタンスなのかもしれない。しかし文章が才気に溢れていて、とても読み捨てにできるようなものではなく、それでいてちっとも難しくない。これこそ絶品と呼ばれるべきものではありませんか。

夜は楽しくて眠れないけど、何が楽しいのか一向に不明と言ってるのがおかしい。

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読書
「サイコパス」中野信子 著


興味本位で人を殺してみて何とも思わない学生の事件など、ああサイコパスかな…と思っていたので、興味本位で購入。
「殺人や詐欺を犯して平然としている。人の悲しみや苦しみに対する共感性がない。平気で嘘をついて、それがバレても何とも思わない。言うことが平気でコロコロ変わる。外交的で派手で魅力的で人をたらしこむ。」こういう典型的なサイコパスに出会ったことはないが、嘘つきなら誰でも何人か体験しているかもしれない。

著者は脳科学者。扁桃体の活動が低い・扁桃体と前頭前皮質の結びつきが弱いなど、脳科学の発達によりサイコパスの原因の一端が見えてきた。もちろん環境その他社会的要因もある。それより自分が若い頃に比べて精神分析や心理学の位置が低下し、脳科学に席を譲っている実感が、やっぱりそうなんかなあと再確認できる。

人類の歴史の中で常に数パーセントの割合で残ってきたサイコパス。その戦争や過酷な生存競争を戦い抜く役割がなんとも皮肉なものだ。

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読書
「シベリヤの旅」チェーホフ 作

サハリンへ旅を続けるチェーホフが途中経験したシベリヤ横断の記録。ただし旅程前半。もちろんシベリヤ鉄道敷設以前の馬車の旅で、全編ただただ悪路悪路の連続である。ちょっとやそっとの悪天候ならものともしない行軍だが、柔らかいベッドで休息が取れるわけでもないのだ。これが何日も続くのだから、文学者もタフなものだ。

その他この時期に書かれた短編が面白く、この地方の過酷な大自然と何もない暮らしぶり。たくましく生きていくと言えばそうだが、その実大いなる虚無が人々の心の奥底に流れているのではないか。何を望んでもかなうものはないので何も望まない。ただ黙々と生きて死ぬだけのことだ。あまりに自然が大きく手強く、虚無に支配されて生涯は終わってしまうのだから。

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読書
「大和路・信濃路」堀辰雄 作

以前「風立ちぬ」を読んで、そのあまりの美しさに世界文学だ!と思ったもので、このエッセイ集にも期待したが、やはり小説作品のような磨き抜かれた文体ではなく、普通の文章だった。普通というのもなんだが、作者の実体験がたちどころに伝わる文章だった。芥川龍之介や室生犀星に私淑するところを読むと、作者の世代的ポジションがわかって面白い。いずれも好きな作家の周辺なので、好みというものかもしれない。

軽井沢をうろうろ、大和路をうろうろ、信濃路をうろうろとするが、これもいたって普通の観察日記であるが、読んでいるこちら側に知識がない。もちろん構想中の作品について並行してぼんやりと考えている。また更級日記・伊勢物語など古典に親しみながら、これも構想中の作品について考えている。創作の秘密公開のような内容である。そして読んでいるこちら側に古典の知識がないのである。

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読書
「ことばの食卓」武田百合子 作


1981から83年にかけて書かれたエッセイ。食べ物の思い出について書かれたものが中心だが、それ以外にいつもどおりサーカスやお花見などあちこち出かけた見聞記も楽しい。まずいオムレツ専門店の話が愉快。自分などは高度成長期以前の暮らしをうっすら覚えている世代だが、少し上の世代の作家の思い出など読むとよりよくわかる。生活の中の細かい品々は女性作家の方がよく記録していると思う。

巻頭の枇杷の話のみ亡くなった武田泰淳が登場するが哀切が漂う。
「向かい合って食べていた人は、見ることも聴くことも触ることもできない「物」となって消え失せ、私だけ残って食べ続けているのですが__納得がいかず、ふと、あたりを見回してしまう。」
さみしいねえ…。

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読書
「ジゴロとジゴレット」モーム 作


サマセット・モームの短編集。「月と六ペンス」の面白さから比べると、短編はやや物足りないのは、やはりうまくまとまりすぎているからであろう。愛を描き良心を描き、多彩な人生ドラマなのだが、どうしても心憎いばかりの展開・演出というものが目立ってしまって、生々しさに届かないのが不満だ。うまくなくていいから、もっと本気で人間性の断面を切り取ってほしい。幾つかの作品は、裕福な階層の女たちが社交界やリゾート地で繰り広げる心の変転など、ユーモラスに描いたものだが、関心がないのでちっとも面白くない。

「マウントドラーゴ卿」:政界にあって飛ぶ鳥をおとす勢いの外務大臣だが、就寝中の悪夢に悩まされ、有名な精神科医の元を訪れる。自分でも無自覚な魔術的な癒しの技術を持つこの精神科医が、人を見下して生きる高慢な政治家を改心させて悩みを解決するのかかと思うとまるでそうではない破滅的な結末。しかも理由がわからないという、短編には珍しいなりゆき。こういうのが逆に面白い。

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読書
「黄色い雨」フリオ・リャマサーレス 作

フランス国境に近いスペイン山村。寂れ行く村に一人残り、一匹の雌犬と亡くなった妻や母親の亡霊とともに暮らす男の物語。

心を病んで自死した妻を埋葬したあと、雌犬を連れて村や山を歩き回る。家々は残っているがすでに空き家であり、風雪にさらされ朽ちてゆく様が痛ましい。一人暮らしを綴った小説はいろいろあろうが、見捨てられた寒冷地ということもあって、実に寂しく絶望的な印象。読むのも辛いのだが、雪に埋もれる山村の描写は凛として美しく身にしみるようだ。そんな話も季節が変わり夏になるといささか読むのが楽になるが、それはこちらが彼の一人暮らしに慣れてくるせいかもしれない。

先祖伝来の土地とはいえ、妻を亡くして一人になっても山暮らしを捨てて人々と交わろうとしなかったところに、この主人公の頑なな性格があり、それゆえにこの話が成り立っている。容易に人と交わらない。
併録の小編「遮断機のない踏切」も鉄道路線が廃止されたのちも、勝手に遮断機を操作することをやめない踏切番の話で、やはりそれまでの自分に頑なである。変化する状況に弄ばれても、生き方は変わらないのだ。

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読書
「やし酒飲み」エイモス・チュツオーラ 作


以前に挑戦してすぐお手上げ状態だった本作。文庫本を入手して再挑戦した。
全編現実離れしたおとぎ話のような、神話のような民話のような内容で、主人公とその妻が「死者の国」を目指して深い森の中を進み、いろんな妖怪じみた不思議な生物に襲われ、不思議な町や村で過ごし、ついには「死者の国」から故郷に帰ってくるまでの冒険物語。とは言っても描写はほとんどその恐怖と対策に費やされている。

ここまでやりたい放題だと現代文学という感触がなく、説得力や迫真性というものを感じなかった。全体がまるごと虚構すぎて幻想性も感じることができない。不思議な出来事も面白くなくはないが、それほどでもなかった。文化人類学的なあるいは現代アフリカ史的な読み方もあるだろうが、研究者的にはそうだとしても、予備知識なしで物語を楽しもうとしている段階では余計なことだ。ただ常に夫婦の結束が強くて、二人が力を合わせて苦難を乗り越えるところは微笑ましかった。

これを漫画化するならぜったい水木しげるの他はない。水木漫画の表現を思い浮かべながら読んでも違和感はないのだ。

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読書
「わが子キリスト」武田泰淳 作

ユダヤを支配するローマ軍隊長の語りという体裁で書かれた小説。隊長がマリアに生ませた子供はイエスとなって神の子を名乗る。ローマ政府最高顧問官は隊長にイエスを利用してユダヤ人の精神的支配を命令。あえて裏切り者となってユダヤを救おうとするユダ。そしてイエス復活の真相とは。

ここまで大きな歴史的テーマを扱った作品だと当然ながらリアリズムではない。凡人の日常感覚をそのまま綴ったようなものと違い、日常からは遠い舞台の上にわざわざこしらえたものなので、当然セリフは説明だ。もちろんそこは説明的な印象はまったくなくワクワクと読めるが、登場人物が社会・民族・政治に関して喋るとき、そこには作者の思想が自ずから立ち現れていると思おうじゃないか。
そしてこれを政治・社会・キリスト教などに対する問題意識を持って読むか、それらを除いても十分楽しいエンターテイメントとして読むかは、読む方の問題であり作品評価とは別であろう。生々しい政治経済とそれらを超越する精神性との相克を読み取ることは正解かもしれないが、ああイエスは政治家に利用されたんだなあぐらいでも良い。なんとなくそんな気がした…でも良い。ただしイエスは出てこない。

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読書
「とてもいい!」マヤコフスキー 作


長詩。全体としてとても元気がいい印象。マヤコフスキーは34歳。著者もまだ若いが国(ソビエト連邦)も若いよ。土曜社のマヤコフスキー叢書の一冊には巻頭に児童文学作家カッシリによる「ある日のマヤコフスキー」という講演会のルポルタージュが掲載されている。それを読むとマヤコフスキーはたいへんな人気者で、溢れる聴衆を前に見事なパフォーマンスを繰り広げるところは、なかなか達者なヒーローであり、少なくとも内気なおとなしい詩人といったタイプではない様子だ。

十月革命叙事詩だからスローガン的なシュプレヒコール的な口調をうまく生かしているのか、それとも伴わない結果を批判するのにアイロニーとして利用されているのかわからない。何れにしても著者を取り巻く世界は流動的だ。

「流れていた、いつもの通り、十月が、風になって。資本主義の風と同じ風が。流れていた、トロツキー橋を、自動車と電車。いつものレールをくねらせて。橋の下はネヴァ河。ネヴァを泳ぐクロンシュタットの船々……小銃たちのざわめきに、冬宮がよろめきはじめた。
(2段×4ページ略)
流れていた、いつもの通り、十月が、風になって。橋の上、レールをくねらせて、電車はその疾走をつづけていた。もはや、社会主義のもとに。」

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