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漫画家まどの一哉ブログ

   
読書
「友は野末に」  色川武大 作

最後の無頼派といわれた著者の九つの短編と対談集。思い出話や昔話だが、こんなこと小説にならないだろうといった、なんてないことをうまく料理して読ませてしまう。すごく面白いわけではないが通俗小説の風味のようなものがある。

ただ子供のころから学校をサボって、思春期には立派な博打打ちとなっていた人だけに思い出話といっても普通の人間とはちょっと違う。風来坊のような青春だが、肩で風を切って歩いていたような風情ではなく、おびえながら仕方なく人と交わって寂しさをごまかしながら生きている様子だ。そんなすぐにでも折れそうなさ彷徨う心が感じられて馴染みやすい。名作「狂人日記」に繋がるものがある。

巻末の色川夫人のインタビューが、ナルコレプシー症でもあった作者の波乱含みの日常を明らかにしていてわくわくとする。

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読書
「一九八四年」 ジョージ・オーウェル 作

全体主義的未来の悪夢をきわめて正確に描いた傑作。私生活のすべてを党に管理・支配され、表面上の服従はおろか内心の自由まで徹底的に剥奪される洗脳プログラム。これがディストピアのお伽噺ではなく、今現在のわれわれの社会に即実行されそうなリアリティを持っているのが恐ろしい。

ザミャーチンの「われら」にほんのりあった芸術性は感じないが、その分全体主義社会に対する理解と認識が半端なものではなく、寓意や風刺というレベルを超えた迫真の背筋が凍る怖さがある。雰囲気優先で書いたようなあいまいなところがない。こんな大きな社会的テーマを徹底して計算された組立てで、あざとさもなく面白いストーリーに仕上げてあるのが信じられない。

途中反政府勢力のバイブルとして書かれた秘密文書がかなり長くそのまま記述されるが、エンターテイメントとしてはいささか苦痛なこの論文を乗り越えて読み進むと、ストーリーは絶望的なラストへ向かって急展開する。本編が終わった後に付録として、物語内で使用されていた言語体系「ニュースピーク」の言語学的分析があるが、ここまで架空の言葉に対して厳密に分析してその設定を楽しむのは、やはり小説と言う言葉を楽しむ分野ならではの仕業で、漫画家ではこうはいかない。

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読書
「夢のなかの夢」 タブッキ 作

ラブレー、スティーブンソン、チェーホフ、ドビュッシーなど偉大なる天才達は夜こんな夢を見ていたかも…。という設定で書かれた連作掌編集。
シュルレアリスムではなく夢日記とも違う。誰それは夢を見たで始まり、目が覚めたところで終わる。夢オチと言ってしまえば言えなくもないが、実にうまく出来ていて楽しい。
スティーブンソンは南海の島で山に登り、チェーホフはサハリン島で人間観察、ランボーは切断された自分の片足を抱え、ロートレックは背丈を自在に伸び縮みさせる。タブッキ自身がふだんから敬愛していた芸術家達、個々のエピソードをうまく織り込んで飽きさせないものとなっております。

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読書
「パロマー」 カルヴィーノ 作

カルヴィーノはどうも観念的な言葉をあやつる趣味があって、せっかく小説は面白いのだから素直な物語を書いてくれればいいのにと思う。これが遺作。
パロマー氏という一文化人が日常生活の中で発見した自然や街や社会の様々を段階的に語ってゆくという設定。段階的というのは最初は視覚に忠実に描写しているが、しだいに思念的・瞑想的にふくらんでいくというカタチをとるもの。
たとえば庭に来る昆虫や鳥、ヤモリやクロウタドリのようす。また街で並んでまで手に入れる肉やチーズについて。これくらいなら多少言葉を費やしても愉快なエッセイの範囲で楽しめる。
ところが世界や宇宙について考え始めるといかにも哲学趣味で、世界をみつめる自分という内側の存在と外側の間にある「私」という存在とか、そんなハナシになっていく。哲学に置けるこの種の言葉の置換えや積み重ねが認識の深化だとはまったく思えず、不毛だとまで言わないが趣味の問題だと思う。言葉を使った遊び方の種類が違うのだという気がする。

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読書
「バルザックと小さな中国のお針子」ダイ・シージエ
 作

文化大革命の中国。山村へ再教育に出された二人の青年と村のお針子の少女の、禁じられていた書物の世界をめぐる恋と友情の物語。

なにが青春なのかはさておき、これはまぎれもない青春小説だと思う。爽やかな読後感。
本来なら相応に学問の道へ進むべきであるはずの男子ふたりが、下放政策のため山岳地帯の農村へ追いやられ、本を禁止された世界で肉体労働を課されている。しかし体力はある。世界に対する発見は新鮮なものだ。運命の激変で雌伏の時間を強いられたが、それでも人生はスタートしたばかりなので、まだまだたっぷりある未来へ向かって常に臨戦態勢のような元気を感じる。とうぜん悟ったようなところや一歩退いて観るようなところはなく、ふりかかる苦難には全力で取組む方法しかない。これが若いということか。

作者は著名な映画監督でもある人だが、そうか、私と同世代の中国人作家はちょうど文革の下放政策の犠牲者なのか。有為なる青年から教育をはぎとるとはなんとおろかな政策であったことだろう。
最後の方で登場する村の医師がバルザック作品と翻訳者を熟知している人間で、主人公の青年とお針子の少女を助ける。人種や政治性を越えて普遍的な人間性に到達しようとする、これこそが教養というもんだ。

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読書
「心臓抜き」 ボリス・ヴィアン 作


もちろん作為なのだが作為的には感じない、ごく自然体で書かれたシュールレアリスム小説といった風情。特異な設定の中でも会話が理屈っぽくなく、素直な感情のやりとりで馴染みやすい。

それでも出来事はある種シュールの典型といった奇妙な具合だ。
たとえば主人公の精神科医がなぜ突然田舎のお屋敷で出産に立ち会い、その後世話をする事になるのか、はっきりした理由が書いていない。妊婦の叫び声を聞きつけたからといっただけ。
舞台となる村では人を人とも扱わない残酷な仕打ちが日常化していて、老人市では見せ物的に老人が売り買いされたり、大工や蹄鉄工のもとで働く徒弟の小僧は酷使されて死んでもほったらかし、川に落ちた物を歯でくわえて拾い上げる仕事があったりする。
また村唯一の教会は大きなタマゴ型のドームであり、司祭は教会内にリングを設営して自らボクシングの試合をくりひろげる。この司祭は神様を贅沢品と考えていて、民衆が神様に幸運を祈ることを厚かましいことと非難する。

さてお屋敷で生まれた三つ子は成長するにしたがって、空中浮遊に至る魔法的な遊びに熱中。子供達のまわりからあらゆる危険因子を取り除いて隔離しようとする母親の異常な心配と過保護が進む。
主人公の精神科医は村での不毛な生活にだんだんと身も心も任せきり抵抗しようとするそぶりはない。現実の世界から見ればすべて虚しい営みばかり。希望的なことや生産的なことは起きない。基本的にネガティヴな世界であるところにこの小説の快感がある。

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読書
「残念な日々」 ディミトリ・フェルフルスト 作


ベルギーはフランダースの作家。父親とその兄弟たちやばあちゃんと暮らした自身の生い立ちをもとに描いた短編集。隣近所でも付き合いを避けているほどの大酒飲みぞろいの一家で、たびたび警察のやっかいになる。博打の借金で財産を差し押さえられる。果たして少年が育つのに赦される環境なのか特別青少年育成課から視察に来る。下品でだらしがないけれど悪事を働くわけではない。一家揃って往年のロイ・オービソンをこよなく愛し、その歌声に涙を流す。まったくもって憎めない愛すべきオヤジ達だ。

もしかしてわざとコミカルに仕立てた作品だったらイヤだなと予断をもっていたが、ぜんぜんそんなことはない。それどころか至って真面目な文章。家族の愛情があふれていて憎しみや悲しみがまるでない。堕落や困窮を描いて、こんなにも愛おしく味わい深いものになるとは。

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読書
「日々雑記」 武田百合子 著

昭和も終わろうとする1988 年から1991年まで雑誌「マリ・クレール」に連載された作品。作者の最期作であり、「いなくなった人たちに」という巻頭言がかなしい。
記憶に新しい時代の日記なので親近感がわく。映画や買い物に出かけ、食事して帰るといった日常。食事の内容もこまごまと書いてあってたのしい。いつもながら食堂にいるまわりの客の食べているものや、買っていったものまで観察している。公園でも映画館でもこんな人がいたという描写がそれだけで不思議と魅力的だ。
考現学的客観と言おうか、作者自身の内面にこだわらずにストレートに世界を見て感じる能力があって、読んでいて気持ちが良い。
しかしやはりもう泰淳はじめ、知り合いの作家たちが亡くなったあとの人生だからだろうか、たのしい日々を綴っていてもどことなく寂しさが漂う。

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読書
「ボディ・アーティスト」 ドン・デリーロ 作

夫婦の平凡な日常会話から始まるが、どこか微妙にかみあっていない。それでもそもそも会話とはこんな具合に少しずつズレながら行ったり来たりしているものなのかなあと気付く。それだけではやや退屈だなと思っていると、章が変わって男の方は死んでしまう。
さらに残された主人公の女性の前に、家の最上階にこっそりと隠れ住んでいた脳に損傷のある青年が現れる。この青年が基本的な時間感覚ー過去から未来へと物事が進んでいるという感覚を持っていなくて、隠れながら聴いていた夫婦の会話をそっくりの声色で再現し始めるという強烈にくらくらする設定である。再現される会話も今現在ここでの出来事と無縁の順序で出てくる。

なんとも哲学的だが観念的な描写はまったくなくて、ふだんの生活と家とその周辺の様子がありのままに描かれる。われわれがふだん分かったつもりの現実がいったん撹乱されて、また意識的に構築し直すような不思議な読書体験を得る。

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読書
「マイケル・K」 J.M.クッツェー 作

内戦の続く南アフリカ。生まれつき口唇裂で頭の回転も遅いマイケル。母親をその出身地まで手製の手押し車に乗せて移住を試みるが、途中母親は死んでしまい、その後孤独な放浪生活が始まる。

マイケルはたとえ仕事や食事を確保されても収容されることがキライで、キャンプからも脱走し、荒れ地を耕してこっそりと作物を作り鳥や昆虫も食べて生き延びるが、当然栄養失調は避けられず病院へ運ばれる。それでも与えられたものを食べようとせず、修行僧のようにやせ衰え、やがて病院からも姿を消してしまう。
あえて餓えの間近に身を置いてまで社会を離れ自由を選ぶが、主義主張があってそうしているわけではなく、大人になる過程で育まれた性格が、母親を亡くして一人となった時点で自然とそうさせたようだ。

人間は社会的動物であるが世の中にはときどき人と交わろうとせずたった一人で生きていこうとする人もいる。この作品も多くが主人公が一人で創意工夫してかぼちゃなどを育て、見つからないように密かに行動しながら生きて行く描写に費やされている。最低限身体を維持できるだけのものを食べて、季節の流れとともにゆっくりした時間で(まさに作物が成長する時間で)生きて行くのはどんな気持ちだろう。誰でも心の底には生命維持の基本的感覚があると思うが、社会と接点を持っているとそれ以外の諸々めんどうなことに心を砕かねばならない。ほんとうに一人で生きていればそれはない。読んでいるとまさにその感覚が呼び覚まされる気がした。

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