漫画家まどの一哉ブログ
読書
「白夜/おかしな人間の夢」ドストエフスキー 作
「白夜」:他の作品でも感じたが、ドストエフスキーというのはリアリズムではない。往来でいきなりあった二人が話し始めるのだが、自身の自意識の内容を文学的表現を駆使して1ページくらいにわたって滔々と語る。すると相手もまた同じように1ページ分くらい喋る。リアリズムでいうと普通こんな会話ってないよね。まるで舞台劇を見ているようなわざとらしい表現なのだが、この作品の場合内容が主人公の単なる自意識過剰ではないし、面白いので楽しく読める。悲劇だけど清々しいラスト。
「おかしな人間の夢」:夢の中で魂は宇宙空間を飛び、もう一つの地球へ到着。そこでは自然・宇宙と一体となった邪心のない人々が暮らすユートピアだった。ところが悲しいかなやがて彼らも嘘を知り、科学を知り、我々と同じ苦悩を知るのだった。
宇宙との一体感を理想とする宗教的境地は人類の理想としてよく語られるところ。面白いのはユートピアが南国であり、水木しげる的楽園であるところ。やはり冬を越さなければならない土地では楽園はムリだ。
「白夜/おかしな人間の夢」ドストエフスキー 作
「白夜」:他の作品でも感じたが、ドストエフスキーというのはリアリズムではない。往来でいきなりあった二人が話し始めるのだが、自身の自意識の内容を文学的表現を駆使して1ページくらいにわたって滔々と語る。すると相手もまた同じように1ページ分くらい喋る。リアリズムでいうと普通こんな会話ってないよね。まるで舞台劇を見ているようなわざとらしい表現なのだが、この作品の場合内容が主人公の単なる自意識過剰ではないし、面白いので楽しく読める。悲劇だけど清々しいラスト。
「おかしな人間の夢」:夢の中で魂は宇宙空間を飛び、もう一つの地球へ到着。そこでは自然・宇宙と一体となった邪心のない人々が暮らすユートピアだった。ところが悲しいかなやがて彼らも嘘を知り、科学を知り、我々と同じ苦悩を知るのだった。
宇宙との一体感を理想とする宗教的境地は人類の理想としてよく語られるところ。面白いのはユートピアが南国であり、水木しげる的楽園であるところ。やはり冬を越さなければならない土地では楽園はムリだ。
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読書
「桶物語・書物戦争」 スウィフト 作
父親から遺言とともに上着を譲り受けた三兄弟。遺言書に曰くこの上着は長く大切に守り、いささかなりとも手を加えることがあってはならない。当初厳格に父親の言いつけを守り、かの上着を着込んで社会に勇躍しようとしていた兄弟たちであるが、めまぐるしく変わる世の流行を無視していては、とても社交界に分け入って行くことはできず、なんのかんのと理由をつけてモールや襟章など次々と手を加え、上着はあらぬ姿となってしまった。
やがて長男は出世、頭角を現し人々の長となってありえないルールを強要。次男は頑なに本来の父親の言いつけを守ることに帰り、三男は新しい教えの実行者となってナンセンスな修行に励む。
これらはすべて当時18世紀初頭の英国宗教に対する風刺であり、上着こそは新約聖書そのもの。長男はローマ旧教、次男はイギリス国教、三男は清教徒の役割である。本文を読んだだけでは現代の我々にはそんなことはわからないし、解説されたところでなるほどと膝を打って快哉を叫ぶわけでもないが、文章自体がこれでもかというほどの愉快な嫌味の連続で面白くて仕方がない。今日いうところの小説とはだいぶ趣が違うが、スウィフトという人が天性の風刺家であるばかりでなく発想豊かな人であることがわかる。
「桶物語・書物戦争」 スウィフト 作
父親から遺言とともに上着を譲り受けた三兄弟。遺言書に曰くこの上着は長く大切に守り、いささかなりとも手を加えることがあってはならない。当初厳格に父親の言いつけを守り、かの上着を着込んで社会に勇躍しようとしていた兄弟たちであるが、めまぐるしく変わる世の流行を無視していては、とても社交界に分け入って行くことはできず、なんのかんのと理由をつけてモールや襟章など次々と手を加え、上着はあらぬ姿となってしまった。
やがて長男は出世、頭角を現し人々の長となってありえないルールを強要。次男は頑なに本来の父親の言いつけを守ることに帰り、三男は新しい教えの実行者となってナンセンスな修行に励む。
これらはすべて当時18世紀初頭の英国宗教に対する風刺であり、上着こそは新約聖書そのもの。長男はローマ旧教、次男はイギリス国教、三男は清教徒の役割である。本文を読んだだけでは現代の我々にはそんなことはわからないし、解説されたところでなるほどと膝を打って快哉を叫ぶわけでもないが、文章自体がこれでもかというほどの愉快な嫌味の連続で面白くて仕方がない。今日いうところの小説とはだいぶ趣が違うが、スウィフトという人が天性の風刺家であるばかりでなく発想豊かな人であることがわかる。
読書
「白魔」アーサー・マッケン 作
マッケンという作家は幻想文学の作家ではあるのだが、どちらかというとファンタジーの部類と思う。この「白魔」も以前読んだものもそうだが、何か不思議な世界、神秘的な世界へだんだん入り込んでいく。それは暗い森を抜けて山を登りどんどん進んでいくと、妖精やニンフなどが現れ神々しい光に包まれた世界へ到達して法悦を得るような筋立てで、そこまでは一直線な感じである。いわば幻想に対してちょっと野放図な書き方で、現実世界との緊張感に欠ける趣がある。水木しげるの貸本伝奇ロマンシリーズようなものである。
ところが併録の「生活のかけら」という作品は、最終的には古代のロマンに傾くのだが、それまでは若い夫婦の実生活のやりくりが実に細かく書いてあって、なんだマッケンこういう作品も書けるのか、やればできるじゃんという感想だ。
「白魔」アーサー・マッケン 作
マッケンという作家は幻想文学の作家ではあるのだが、どちらかというとファンタジーの部類と思う。この「白魔」も以前読んだものもそうだが、何か不思議な世界、神秘的な世界へだんだん入り込んでいく。それは暗い森を抜けて山を登りどんどん進んでいくと、妖精やニンフなどが現れ神々しい光に包まれた世界へ到達して法悦を得るような筋立てで、そこまでは一直線な感じである。いわば幻想に対してちょっと野放図な書き方で、現実世界との緊張感に欠ける趣がある。水木しげるの貸本伝奇ロマンシリーズようなものである。
ところが併録の「生活のかけら」という作品は、最終的には古代のロマンに傾くのだが、それまでは若い夫婦の実生活のやりくりが実に細かく書いてあって、なんだマッケンこういう作品も書けるのか、やればできるじゃんという感想だ。
読書
「ラサリーリョ・デ・トルメスの生涯」
やはり16世紀半ばともなると作者不明の作品もあるのか。当時のスペインで爆発的な人気を博した小説。
貧しい生まれ育ちの少年ラーサロは、口減らしの為なのか盲目の説教師の手を引く役となって独り立ちする。ところがこの説教師や次に仕えた坊さんも、ものすごいケチでラーサロはなかなか満足な食事が与えられず、主人の持つ一切れのパンを手に入れるため日夜権謀術数を駆使しなくてはならない。この食料取得計画が物語のほとんどで、大人を出し抜いていくのが楽しい。何しろ最初に盲目の説教師に仕えた段階で、「悪魔よりちょっとばかり利巧でなくちゃならん」という人生の基本的な態度を覚えたのだから。その後もろくな主人に巡り合えないまでも賢く立ち回る生き様は、まさに当時のスペインのみならず人間世界に共通のもの。このリアリズムが人気の秘密だろう。
悪名高き免罪符売りに仕えて、売るためのインチキ芝居を目の当たりにするのが面白い。彼はますます一筋縄ではいかない世間の成り立ちを知ったわけだ。
「ラサリーリョ・デ・トルメスの生涯」
やはり16世紀半ばともなると作者不明の作品もあるのか。当時のスペインで爆発的な人気を博した小説。
貧しい生まれ育ちの少年ラーサロは、口減らしの為なのか盲目の説教師の手を引く役となって独り立ちする。ところがこの説教師や次に仕えた坊さんも、ものすごいケチでラーサロはなかなか満足な食事が与えられず、主人の持つ一切れのパンを手に入れるため日夜権謀術数を駆使しなくてはならない。この食料取得計画が物語のほとんどで、大人を出し抜いていくのが楽しい。何しろ最初に盲目の説教師に仕えた段階で、「悪魔よりちょっとばかり利巧でなくちゃならん」という人生の基本的な態度を覚えたのだから。その後もろくな主人に巡り合えないまでも賢く立ち回る生き様は、まさに当時のスペインのみならず人間世界に共通のもの。このリアリズムが人気の秘密だろう。
悪名高き免罪符売りに仕えて、売るためのインチキ芝居を目の当たりにするのが面白い。彼はますます一筋縄ではいかない世間の成り立ちを知ったわけだ。
読書
「ドウエル教授の首」
アレクサンドル・ベリャーエフ 作
怪奇SFの世界。死者の首を体から分離してチューブ類につなぎ、栄養を送り込んで生かしておく技術を開発したドウエル教授。功名心にかられた弟子の教授によって殺されて自身が首だけの存在となってしまう。弟子の教授はさらに人体実験を重ね、ついには別人の胴体をつなぎ合わせた人間を作りだすが…。
読み始めるとまもなくドウエル教授の首が出現。首の登場に至るまでの恐ろしい雰囲気づくりなどはなく、アッケラカンとしていて文章も簡単。凝ったところは全くないのが意外だった。
もう少し哲学的な見解や風刺的な視点など首に語らせるか、怪奇耽美的なイメージの横溢などがほしかったが、舞台は研究室を飛び出してうら若き善男善女が追いつ追われつ肉弾戦のスペクタクルを繰り広げるなど、事件中心のストーリー展開になってしまい、昔のエンターテイメントの基本形なのかも知れないが、これではせっかくの設定がもったいない。首だけとなった男の悲哀だけでよかったのに…。
「ドウエル教授の首」
アレクサンドル・ベリャーエフ 作
怪奇SFの世界。死者の首を体から分離してチューブ類につなぎ、栄養を送り込んで生かしておく技術を開発したドウエル教授。功名心にかられた弟子の教授によって殺されて自身が首だけの存在となってしまう。弟子の教授はさらに人体実験を重ね、ついには別人の胴体をつなぎ合わせた人間を作りだすが…。
読み始めるとまもなくドウエル教授の首が出現。首の登場に至るまでの恐ろしい雰囲気づくりなどはなく、アッケラカンとしていて文章も簡単。凝ったところは全くないのが意外だった。
もう少し哲学的な見解や風刺的な視点など首に語らせるか、怪奇耽美的なイメージの横溢などがほしかったが、舞台は研究室を飛び出してうら若き善男善女が追いつ追われつ肉弾戦のスペクタクルを繰り広げるなど、事件中心のストーリー展開になってしまい、昔のエンターテイメントの基本形なのかも知れないが、これではせっかくの設定がもったいない。首だけとなった男の悲哀だけでよかったのに…。
読書
「悪童日記」 アゴタ・クリストフ 作
ついに読んだぞ、人気の「悪童日記」。子供を主人公にした話がなんとなく苦手で遠ざけていたが、こいつら(双子の主人公)頭が良くて大人以上にしたたかで、子供らしいピュアなところが全くなくてよかった。劣悪な環境に放置され、良い子でいなさいという圧力もない場合、こうやって生きる知恵を育んでいくのかもしれない。周りにヤクザ(組織暴力)な人たちがいればたちどころにそのやり方を学ぶだろう。
「悪童日記」 アゴタ・クリストフ 作
ついに読んだぞ、人気の「悪童日記」。子供を主人公にした話がなんとなく苦手で遠ざけていたが、こいつら(双子の主人公)頭が良くて大人以上にしたたかで、子供らしいピュアなところが全くなくてよかった。劣悪な環境に放置され、良い子でいなさいという圧力もない場合、こうやって生きる知恵を育んでいくのかもしれない。周りにヤクザ(組織暴力)な人たちがいればたちどころにそのやり方を学ぶだろう。
ハンガリーの地方都市が、ナチスドイツによる支配からソビエトによる支配へと激変する状態で、大人たちが混乱と絶望の中にいるのだからただ事ではないのだ。
さればこそ、この日記で少年たちが基本としている「第三者が納得出来る客観的事実のみを書く」といった姿勢は、単に著述の形式にとどまらず、この環境で生き残っていくための世界把握の基本姿勢でもあるのだろう。
何が事実かを把握することは傷みを伴うことであり、この双子がひたすら試練に耐える練習を繰り返したのはそのためである。そうでないと大人でもすぐ騙される。
読書
「はるかな星」ロベルト・ボラーニョ 作
アジェンデ政権の時代。とある詩の創作サークルに不思議な男がやってきた。背が高く人当たりも良く、女子学生にもてていたが目の奥底には冷たい光。この男が後のピノチェト軍政下に名前を変えて、飛行機を操って空に詩を書く人気者となって現れる。だが男は実はサイコパスで死体写真の展示会を開くだけでなく、実際に起きた殺人事件に関わっていた。
このサークルに通っていた若き詩人を語り手とし、謎の飛行詩人の後を追う。ピノチェト軍政下となって主人公も友人も祖国チリを捨てて国外に亡命。同じように多くの詩人がフランスやイタリア・スペインなどに逃げ延びた。その数名のエピソードも挟まれる。中でもスペインに移り住んだ両腕のない詩人の街頭パフォーマンスを気に入った画家マリスカルが、自身が作成したバルセロナパラリンピックのマスコット・ペトラの役を依頼する話が面白い。激変するチリ社会を捨てて詩人達はどう生きたか。
後半、スペインで暮らしていた主人公の元へ、チリの敏腕刑事だった探偵が現れるところから、話は殺人犯である飛行詩人追跡へと戻っていく。
ミステリーではないが、社会派サスペンスのようなリアリズムの骨格をしっかり持っている作風で、必要以上に感情に流れず内面的でもない描写が心地よく、緊張感を持って読めた。
「はるかな星」ロベルト・ボラーニョ 作
アジェンデ政権の時代。とある詩の創作サークルに不思議な男がやってきた。背が高く人当たりも良く、女子学生にもてていたが目の奥底には冷たい光。この男が後のピノチェト軍政下に名前を変えて、飛行機を操って空に詩を書く人気者となって現れる。だが男は実はサイコパスで死体写真の展示会を開くだけでなく、実際に起きた殺人事件に関わっていた。
このサークルに通っていた若き詩人を語り手とし、謎の飛行詩人の後を追う。ピノチェト軍政下となって主人公も友人も祖国チリを捨てて国外に亡命。同じように多くの詩人がフランスやイタリア・スペインなどに逃げ延びた。その数名のエピソードも挟まれる。中でもスペインに移り住んだ両腕のない詩人の街頭パフォーマンスを気に入った画家マリスカルが、自身が作成したバルセロナパラリンピックのマスコット・ペトラの役を依頼する話が面白い。激変するチリ社会を捨てて詩人達はどう生きたか。
後半、スペインで暮らしていた主人公の元へ、チリの敏腕刑事だった探偵が現れるところから、話は殺人犯である飛行詩人追跡へと戻っていく。
ミステリーではないが、社会派サスペンスのようなリアリズムの骨格をしっかり持っている作風で、必要以上に感情に流れず内面的でもない描写が心地よく、緊張感を持って読めた。
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「傭兵隊長」 ジョルジュ・ペレック 作
過去の有名画家に対する綿密な調査・研究のうえ贋作を製作、あたかも新たに発見された作品であるかのように装い、億単位の金を動かす贋作ビジネス。主人公ガスパールは若い頃から贋作作家として密かに成功をおさめていたが、ルネサンス期の巨匠メッシーナの「傭兵隊長」の贋作製作に失敗し、画家としての自分を束縛し続けた金主の殺害に至る。
いきなりの殺人から話は始まり、地下の作業場から壁に穴を開けて密かに脱出を図るが、そこからは脳内に巻き起こる内省や雑慮がとぎれとぎれの文体で羅列されるだけ。これがまるで単語のような短さで、読みにくいことこの上なく、これがペレックというものか、こんなに実験的な方法なのかと思っていると、後半ではガラリと変わって、主人公と友人との対話形式で殺人に至るまでの心の動きを振り返ってゆく。これはいたって読みやすい。また二人称のごく普通の地の文も対話と交代で捕捉される。
前半で脱出用の穴を掘っていたシーン以降、物語はまったく進行しない。登場人物はきちんと役割を決めて設定されているが、主人公の回想の中でしか出てこない。テーマ的なものがあるとすれば、自己を偽って贋作ばかり描いてきた人生のアイディンティティはどこにあったのかというところで、これもそこから一歩も進まない。贋作作家ゆえのアイディンティティの問題はたいへんわかりやすく、そりゃそうだろうと思うところ。ただそこに百万言費やせるのが小説家の才能なのかもしれない。またそこがこの作家の魅力なのかもしれない。
「傭兵隊長」 ジョルジュ・ペレック 作
過去の有名画家に対する綿密な調査・研究のうえ贋作を製作、あたかも新たに発見された作品であるかのように装い、億単位の金を動かす贋作ビジネス。主人公ガスパールは若い頃から贋作作家として密かに成功をおさめていたが、ルネサンス期の巨匠メッシーナの「傭兵隊長」の贋作製作に失敗し、画家としての自分を束縛し続けた金主の殺害に至る。
いきなりの殺人から話は始まり、地下の作業場から壁に穴を開けて密かに脱出を図るが、そこからは脳内に巻き起こる内省や雑慮がとぎれとぎれの文体で羅列されるだけ。これがまるで単語のような短さで、読みにくいことこの上なく、これがペレックというものか、こんなに実験的な方法なのかと思っていると、後半ではガラリと変わって、主人公と友人との対話形式で殺人に至るまでの心の動きを振り返ってゆく。これはいたって読みやすい。また二人称のごく普通の地の文も対話と交代で捕捉される。
前半で脱出用の穴を掘っていたシーン以降、物語はまったく進行しない。登場人物はきちんと役割を決めて設定されているが、主人公の回想の中でしか出てこない。テーマ的なものがあるとすれば、自己を偽って贋作ばかり描いてきた人生のアイディンティティはどこにあったのかというところで、これもそこから一歩も進まない。贋作作家ゆえのアイディンティティの問題はたいへんわかりやすく、そりゃそうだろうと思うところ。ただそこに百万言費やせるのが小説家の才能なのかもしれない。またそこがこの作家の魅力なのかもしれない。