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漫画家まどの一哉ブログ

   

「オリヴァー・ツイスト」
チャールズ・ディケンズ 作
(新潮文庫・加賀山卓郎 訳)

孤児として貧窮の中に育ったツイスト少年。犯罪者たちの仲間になりかけるも善意の人々に出会い、悲惨な境遇からの脱出を試みる。二転三転する貴種流離譚。

文庫巻末に掲載されているチェスタトンの解説にもある通り、気鬱で苛立たしく不恰好なメロドラマだ。しかし面白いことは面白く、長編に見合ったストーリー展開がなされていないだけのこと。話は行ったり来たりして二転三転どころか五転六転しなかなか進まない。いよいよ一気呵成にクライマックスかと思いきや、また違う人物が登場して水をさすといった具合で、この繰り返しが歯がゆい感じだ。

そしてこれもチェスタトンが言う通り、主人公ツイストが人格的にたいして成長しない。悪人の只中で生きていればもう少し人間に対してしたたかな生き方を学習して行ってもよさそうだが、あまりにピュアな少年でありすぎて動かしようがないみたいだ。そのせいかラスト近くは全く登場せず、ほぼ悪人たちのたくらみと破綻の物語となる。たしかにこいつらの個性豊かな悪人ぶりがこの作品の魅力でもある。

まあたいがい善人で身分も高く裕福である人々はそんなに面白いものではなく、ドラマは悪人の活躍によって面白くなるものだろう。かれらの悲惨な最後もディケンズのオリジナルかどうかは知らないが定番と言えば定番で、そのせいで安心して楽しめる。





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「父と子」
ツルゲーネフ 作
(新潮文庫・工藤精一郎 訳)

伝統的な習俗・文化・芸術までも全否定して生きるニヒリスト青年バザーロフ。他を顧みない生き方は周囲の大人たちと多くの軋轢を生む。だがその実彼も屈折した恋愛感情を抱えた悩める若者だった。

ニヒリスト青年バザーロフに心酔する純真な青年アルカージイ。彼の家に来たバザーロフと父親・伯父世代との断絶。タイトル通りの父と子のテーマがこの家の毎日を中心に描かれる。加えて後半バザーロフ本人の実家に戻ると、彼の両親は息子を溺愛していて腫れ物に触るような扱いだ。同じ父と子と言っても大いに違う。

ところが物語の大半は実は父と子ではなく、孤高を貫く聡明な女性アンナ・セルゲーエヴナへのバザーロフの屈折した恋心に終始するのだ。それ見たことか、いくら自然科学のみを信奉するニヒリストを気取っていても人間は感情の動物。ましてや恋情ばかりはどうすることもできまい。

そんなわけでこの作品は父と子ばかりでなく、登場するさまざまな人物の愛と反発を見事に描いた人間ドラマである。当時のロシアの時代背景、没落する地主階級と解放された農奴、移りゆく政治制度と農村共同体の有様を理解していればさらに色濃く多層的に楽しめる屈指の名作となっている。情景描写はごく僅かだが人物は目の前で見るように生き生きとしていて、素直な文章はわかりやすく誰でも読める。さすが世界文学名作中の名作!

ところで文庫本の表紙が美しくて手にとっていて楽しかった。






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「科学にすがるな!」
佐藤文隆・艸場よしみ
(岩波現代文庫)

永遠とは死とは?宇宙物理学に答えはあるのか?文科系ライターが物理学者へ直球の問いかけ。

物理学者佐藤文隆へのインタビュー記事形式ではなく、ライターの艸場がいろいろな疑問をぶつける様子がセルフレポートの形で書かれている。毎回喫茶店で会うところから始まる。人間の存在とは?死とは何か?最先端の宇宙物理学や量子力学から何らかの科学的な回答が得られるのではないか?これは素人の自分でも思ってしまうこと。ところが佐藤からすればこの質問は全くの筋違いで、前半はそのことが伝わらない佐藤の歯がゆい思いが伝わってくる。

佐藤からすれば生きることや死ぬことの意味は社会的な概念で、物理的な物自体の存在や頭の中にある電気信号の存在では追いつかない、第三の世界の存在なのだ。死後の世界や時間をどう考えるかという大きな社会的な枠組みがあり、科学というのはその中の一部の枠組み。その中に物理学という枠があって、量子宇宙で扱う時間はさらにその中の小さな点のようなもの。時間とは何かと言ってもこれだけの違いがある。

量子力学は数式を使って可逆可能な時間を操る世界であり、具体性のある世界とは大いにかけ離れているのだ。我々が存在するのは時空が基盤にあるからと考えるのが一般人だが、一般相対論で時空も粒子や電磁場と同じように力学の数理原理で扱えるようになった。絶対的と思っていたものが一つの対象になった。宇宙の大原則であると思っていたものが一つのローカルなものになったのだ。

それは当然そうなのだが、なかなか納得いかない艸場の立場もわかるし、説明する佐藤の熱意も伝わってくる。佐藤の広い視野は社会的な大きな時間も含んで多様な話題が展開されるので、素人向けの物理学入門書では得られないドキュメントとしての面白さがあった。加えて文庫巻末のサンキュータツオ氏の解説が秀逸。






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「ハツカネズミと人間」
スタインベック 作
(新潮文庫・大浦暁生 訳)

農場を渡り歩く労働者の二人組。いつかは小さな自分達の農場を手に入れることを夢見ているが、現実は容赦ない過酷なものだった。

チビで要領のいいジョージと巨漢で怪力だが頭は悪く少年の心を持つレニー。コンビの設定としては基本的なものだが、怪力レニーの人物造形は秀逸で、レニーによって物語が動いてゆく。
なにせ彼は頭が悪いだけでなく人格は子供のままで、小さな動物の毛並みを撫でていることに無上の喜びを見出す。心は優しいが女に目を奪われるのは本能のまま。相棒のジョージが指導しないと社会で生きてゆくことができない。これで事件が起こらないはずがない。

文庫解説によるとこの作品は戯曲的小説と言われるそうだが、この種のセリフと外面描写だけで進行する映画のような作風は自分の大いに気にいるところ。心情の解説や内面描写は少なく人物の行動本位であって飽きさせない。かといってエンターテイメント的なストーリー性に頼っているわけではない。あくまで人物それぞれの人間性が豊かに描かれていて胸を打つ。老犬を手放せず自身も老いて不安な掃除夫。黒人ゆえ仲間扱いされず不服をためる怜悧な馬番。男たちに色目を使いまくる農場主の息子の妻。様々な人間をしっかり捉えて描くスタインベックの手腕を堪能することができる。




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「世界はラテン語でできている」
ラテン語さん 著
(SB新書)

古代ローマ発祥、ヨーロッパ言語の基礎を成したラテン語。現代でもけして死語ではなく、あらゆる文化に大いに生きている。

世界史・政治・宗教・科学・現代・日本といった6つの切り口で、実はラテン語由来のさまざまな言葉を紹介。そのこと自体はそうなのかと思うくらいで大きな驚きでもないが、それに伴う歴史上のエピソードが楽しい。
ラテン語以前にインド・ヨーロッパ祖語というものがあり、これは各言語の語形を元に推測されたもので、碑文や書物などで確認できていないそうだ。

世界史や政治ではカエサルやコロンブス、ポエニー戦争とファビウス、ファシスト党の話題が面白かった。宗教に関してはざっくりしたものだが、ルターまで登場して個人的には馴染める内容。科学の分野では世界的な共通語が必要なので、ニュートンやフェルマーの著作も必然的にラテン語で書かれている。生物の学名もそうだ。星々や星座、元素、人体、病気や薬、菌類など次々に元となったラテン語が紹介されていちばんスラスラと読めた。

現代でもファクシミリやデジタル、コンピューター、プロパガンダ、アドホック、エゴイスト、プロレタリアなどラテン語由来の言葉が様々。街中のビルや施設もよく見るとラテン語表記の名前があったりして油断できない。巻末にヤマザキマリ氏と著者の対談あり。





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「過去を売る男」
ジョゼ・エドゥアルド・アグアルーザ 
(白水エクスリブリス・木下眞穂 訳)

内戦後の混乱するアンゴラ。依頼人の望む過去をゼロから捻出して生計を立てる主人公。その有様が同居する一匹のヤモリによって語られる。

「わたしは…」と言って物語を語り始めるのが家に住み着くヤモリなのだから、やや戸惑うも愉快だ。ただこのヤモリは人間だった過去を持つらしく、家の主人フェリックスとも友人関係である。なんと不思議な設定だろう。
そして依頼に応じて由緒ある家系あるいは平凡な名前および経歴を、綿密に裏付けをとってでっちあげるというフェリックスの仕事も、40年の長きにわたる内戦を経たアンゴラならではであり、ミステリアスで面白い。

登場人物は他に友人の女性アンジェラとブッフマンという名をもらった男。ブッフマンの経歴はフェリックスから与えられた架空のものなのに、経歴に登場する女性の実在を信じて探し出そうとする。果たして偶然の実在はあったのか?最後には宿敵の元スパイ老人も絡んでストーリーは充分劇的であるが、それよりも語り手がヤモリであって全てヤモリ目線であるところに奇妙な味わいがある。ヤモリの私生活や見る夢も交えて32章もの細かい章立て。危険な蠍(サソリ)も登場。こんなおかしな小説がほかにあるだろうか。

この作者は以前「忘却についての一般論」を読んだが、こちらは同じルアンダ内戦下ひとりで何十年も隠れ住む女性と周辺社会を描いたヒューマニスティックな作品で大いに感動した。しかしこの作品にも恋文をを足につけた鳩の話など種々仕掛けがあり、単純な構成では終わらない。
今回読んだ「過去を売る男」でもヤモリを語り手として歴然たる名作に仕立て上げているのだからまさに作者の力量であろう。





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「幽霊」
イーディス・ウォートン 作
(作品社/薗田美和子・山田晴子 訳)

お屋敷に起きる不思議な出来事。微かに姿を見せる儚き幽霊。全編幽霊譚7篇。

ほとんどの短編で舞台は土地の名士のお屋敷であり、現れる幽霊はほんの微かに姿を見せる程度。誰それの幽霊がいるんじゃないかという体で話が始まって、その存在がますます疑えなくなったところで終わってしまう。事態が解決されることはない。

怪異の存在を感じることができる人に向けて描かれた怪奇小説。しかし作者が意図したような恐ろしさはあまりなく、心静かに読むことができた。文体に詩的表現やことさら耽美的な味わいもない。古いお屋敷ならではの不気味さも少なくてあっさりしている。作者は当時(1900年代前半)の社会批判を含んだ現代小説で人気を得ていた人で、幽霊譚とはいえ筆致は変わらなかったようだ。

「カーフォル」:噂の屋敷を訪問した者が数匹の犬の亡霊に見つめられたまま帰ってくる。かつてその屋敷では妻を軟禁状態に束縛した夫が、妻の可愛がる犬を次々に虐殺していたのだった。
「柘榴の種」:愛する夫の元へ時々届く灰色の封筒。夫はその手紙を見ると悲壮な面持ちで部屋に閉じこもってしまう。微かな筆跡でほとんど読み取れないそれは、亡くなった前妻からのものだった。
「ホルバインにならって」:かつて社交界の寵児であった男も今や老いた。ふとした思い違いからあるはずのないパーティへ出かけ、要介護状態となっても毎夜自宅で晩餐会を開いているつもりの婦人の元へ迷い込む。二人で華やかなパーティーの幻を見て一夜を過ごす面白くも悲しい異色傑作。





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「ボディ・アーチスト」
ドン・デリーロ 作
(新潮社・上岡伸雄 訳)

夫を亡くしたボディ・アーチスト(パフォーマー)の彼女。自分以外誰もいないはずの家に一人の少年が隠れ住んでいた。時間の感覚を持たない特殊な少年との交流は?

極めて珍しい設定の小説。しつこいくらい綿密な夫婦二人の朝食シーンから始まるが、すぐさま夫が自死した後の時間へと移る。
家に隠れ住んでいた少年はおそらく知的障害者らしいが、知らずに聞こえていた夫婦の会話をよく覚えていて、そっくりの声色で再現することができる。しかしこれは彼にとって意図的なものではない。ほとんど喋らない彼の発話は文脈というものがなく、時間の前後関係が混乱している。

彼女は亡き夫の声が聞きたいのだ。テープレコーダーを使いながら少年にひとつひとつ言葉を教えるが要領を得ない。未来は過去形で語られ過ぎ去ったはずの出来事が予測される。彼の脳内では意識がひとつの連続するものとして成立してなくて、前後関係から独立した瞬間瞬間があるだけなのだ。時間の連続を意識できなくては自分の存在を感じることもできないだろう。

この設定を説明されてから作品が進行するわけではないので、読者は彼女と同じ困惑をおぼえながら、少年の発話に付き合うこととなる。わかりにくいことこの上なく、読んでいくうちにしだいに少年のこの特質に気づくようにもできていない。彼女がそれに思い至るのを待たなければならない。
不親切と言えばそうだが、彼女自身の質素な生活や体のストレッチシーンなどもあるので小説としての落ち着いた楽しみはある。後年、彼女のパフォーマンス活動は瞬間が無限に引き伸ばされたものとなるのだった。





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「モンスーン」
ピョン・ヘヨン
 作
(白水エクスリブリス)

ただただ繰り返される不毛な日常が、ふとしたことから理不尽なトラブルに巻き込まれて暗転する。現代韓国文学。

同じことが日々疑いもなく繰り返され、不毛であっても抜け出すことができない。このややシュールで戯画的な日常設定をベースに、不条理というほどではないがなにかしらうまくいかない、ボタンの掛け違いや噛み合わない歯車のような出来事が起きるが、やがて燃え広がる。どの短編もそんなグレートーンを基調にした世界だ。この種の作風を得意とする作家も多いだろうし自分の好みでもある。なかなかに辛い内容だがスラスラと流れるように読める。

「散策」:上司の紹介で入居した賃貸住宅。豊かな自然に囲まれて平和に暮らすはずが、愛くるしい大型犬が放し飼いにされており、妊娠中の妻に耐え難いストレスをもたらす。家賃を払っているのになんの文句も言えない。会社関係で家を選ぶべきではない。事態は悲惨化する。

「ウサギの墓」:一時的な移動である派遣先で、どうせ捨てねばならないウサギを飼ってしまう。一日中担当地域の情報を検索羅列して書類化する業務はほんとうに必要なのだろうか?周りの社員も彼に指示を出す担当者も一時的な立場の人間で言葉を交わす同僚もいない。日常とは終わりなく虚無的なものだ。

「クリーム色のソファの部屋」:新居へ向けて車で移動中の夫婦。雨中での故障に弱って、廃業されたガソリンスタンドに屯っている半グレ風の若者に修理を頼んだが…。こちらの予想通りのイヤな展開となり読むのがつらかった。

「カンヅメ工場」:サバやサンマをひたすら缶詰に詰め、昼食も毎日会社の缶詰。日常の買い物も缶詰中心であり、誰も不満に思わない行きすぎた缶詰人生。缶詰には食品以外の服や下着や死んだ犬まで入れられ、かなり大きなものまで登場してますますシュールになっていく。






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「社会学の新地平」ウェーバーからルーマンへ
佐藤俊樹 著
(岩波新書)

マックス・ウェーバー「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」を中心に、二クラス・ルーマンの成果を交えて、資本主義を育んだ合理的組織に迫る。二人が挑んだものとは。

ほとんど読んでいないウェーバーだが、最も有名な主著「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」は2度読んだ(1度目は大いに感動)。
どうやらウェーバーは「資本主義の精神」とは何か、はっきりとは書いていないようで、確かに茫漠としたものだ。それ(資本主義の精神)を体現しているのが大規模工場に労働者が集中している閉鎖的経営ではなく、生産者や販売者が自立・連携している分散型経営であるところが意外だ。逆かと思った。実際にウェーバー個人の縁戚の麻織物生産業の具体例をもとに解説してあって馴染みやすい。

「プロテスタンティズムの倫理」から始まり、「資本主義の精神」があって、分散型経営の「自由な労働の合理的組織」へ至るわけだが、プロテスタンティズムの閉鎖的な禁欲倫理がなぜ「資本主義の精神」へ繋がるのか。私はカルヴァン派の禁欲倫理が大好きなので、ここがもっとも興味深かったところ。
人間が救われることは神に決定されているが、そのための具体的方法は個々の人間が自由に決定しなければならない。救われるためには不断の禁欲的努力が求められる。
そして禁欲的であることで、人に拠らない個人の恣意を排除した合理的組織が成立する。ここに「資本主義の精神」が成立する条件があった。他はほぼ同じ条件ながら禁欲倫理がないために資本主義へ至らなかった中国社会との比較で解説され分かりやすかった。拙い理解で恥ずかしいが、この倫理的に裏付けられた勤勉さに至る部分が読んでいてワクワクとした。

終章ではこの合理的組織の決定システムを丹念に解き明かしたルーマンの業績が紹介されるが、このリアルな現代組織論は私の興味の範疇から外れてしまう。もっともウェーバーの厳密な論証活動にしても、素人読者としてはここまで精緻で正確な内容はついていけない。大体で充分だがその大体が読めてよかった。

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