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漫画家まどの一哉ブログ

   

「死者と霊性」近代を問い直す
末木文美士 編
(岩波新書)

2010年代に既に近代は終わった。新たな時代に社会と死と宗教のあり方をもう一度問い直す、気鋭の研究者の座談と論考。

座談会も1部2部までは神智学周辺の人物の動きや著作を検証する内容で静かなものだが、3部以降ようやく死者にスポットが当たり始めると俄然おもしろくなってくる。
中島岳志氏の「民主」と「立憲」概念がユニークで、生きているものが主体となっているのが「民主」。対して死者のように今では動かせないものの領域を「立憲」とする。これは民主政治では多数決で決まれば実行できることでも、憲法の範囲を超えては実行できないところからきていて、柳田國男が「先祖の話」で触れている、死んできた人間といっしょに生きて行く生き方。今では動かせない累々と重なった死者との共生をもう一度思い出す必要があるんじゃないか。この「死者を含む民主主義」が新鮮だった。

また戦後日本国憲法の前文にクエーカー系のキリスト教が影響しているという考察があり、南原繁・矢内原忠雄など戦後の知的リーダーたちもクエーカー教徒であること。内村鑑三・新渡戸稲造などの無教会派に連なる信仰を持った人も宮内庁の教育者には多く、神谷美恵子も熱心な無教会教徒であったなど、これも目から鱗の新知識だ。

この無教会派の再考に続けて、入信も改宗もなく教祖も経典もない「メタ宗教」というキーワードを掲げながら、国家と宗教のあり方について、折口信夫・出口王仁三郎・南方熊楠・鈴木大拙・宮沢賢治らの立ち位置を紐解いていく展開が興奮をそそる。総じて実にダイナミックで新鮮な読書体験を得た。

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「司馬遷」
武田泰淳 著
(中公文庫)

司馬遷「史記」の多重的な構成を繙き、人物中心の史観を築き上げたその方法に迫る。若き泰淳の第一著作。

この著作が刊行された時武田泰淳は31歳だが、良い意味で筆の若さがあって、元気で活力溢れる文体が心地よい。英雄豪傑の活躍する世界に飛び込んで行く面白さがある。
もちろん「史記」は単なる英雄豪傑譚ではなく、始皇帝・項羽・劉邦など国を治める人物の怒りや悲しみ・迷いもあり、その周辺を彩る人物には文人も多く、敗れ去る者、追われる者も登場。「列伝」の中には世を捨てて隠遁する人物も描かれている。

この司馬遷の多層的な国家観・人物観を作者はあちらからもこちらからも光を当て、研究書というよりはまるで文学を読んでいるようなダイナミックな動きのある作品に仕上がっている。「史記」を読んでいないので「史記」を読むより面白いとは言えないが、心躍る事は間違いない。

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「奴婢訓」
スウィフト 作
(岩波文庫・深町弘三 訳)

18世紀、ご主人様にお仕えする執事はじめ召使の処世術を、アイロニーたっぷりにこれでもかと連ねた奇書。

さすがガリバー旅行記の作者が書きそうな風刺譚。スウィフトという人は自身も従僕を務めながら牧師を目指し、絶頂期は稀代の論客として一世を風靡した人。よって下僕の務め方を事細かく解説することもできる。

召使頭・料理人・従僕・馭者・別当・小間使・女中…その他各下僕たちが、いかに主人や奥様の目を盗んで労力を省き、自由な時間を捻出し、うまい具合に酒や料理のおこぼれにありつくかの手練手管が、果てることなく書き連ねられるが、そのあまりにしみったれた有様に感心する。読んでいてすごく楽しいかというと微苦笑くらいだ。われわれは18世紀の下僕たちの暮らしをよく知らないので、その点勉強にはなるかも。

併載の「アイルランドの貧家の子女がその両親ならびに祖国にとっての重荷となることを防止し、かつ社会に対して有用ならしめんとする方法についての私案」は、冗談とはいえカニバリズムなので、あまり良い気はしなかった。

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「サハマンション」
チョ・ナムジュ 作
(筑摩書房・斉藤真理子 訳)

少数の資本家が国民を支配する独立都市国家「タウン』。取り壊し寸前の「サハマンション」に暮らす国家から捨てられた人々。その果敢なる人生と絶望を描く近未来ディストピア小説。

冒頭でこの異常な独裁国家と分断された住民の設定を全部説明してしまって、さて個々の人々の話が始まると、暴力や殺人など劇的な出来事の連続である。いかにもエンターテイメントの方法を裏切らないので、ついていけるか心配したが内容はそれだけではない。

救われるのは単線的なストーリー展開になっていないところで、「サハマンション」に暮らす人々の苦難の人生が、入れ替わり立ち替わり30年の時間を行きつ戻りつしながら描かれる。
基本的人権の対象とはならず、電気や水道などの社会的インフラ、医療や教育なども自分たちでなんとかしなければならない。国家から捨てられた人々(棄民)は、実際世界中に今現在も存在するだろう。
そのありさまがしっかりと描かれていて、社会派小説として充分の読み応えがある。

ところがやはりこれは近未来ディストピアファンタジーで、最終章に近づくと思い出したように、研究室で実験対象にされる人々や、国家中枢へ侵入するクライマックスなど、SFバイオレンスに変身する。その辺りはジャンルにとらわれない異色作(?)である。

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「あなたまかせのお話」
レーモン・クノー 作
(国書刊行会・塩塚秀一郎 訳 2008年)

小説に限らず戯曲・エッセイなど、雑誌等に掲載された小品を集めた短編集。巻末にラジオ対談「レーモン・クノーとの対話」を収録。

なにかふんわりした、完成されているのに完成感のない不思議な手触り。就寝前に聞かされているおとぎ話のような浮遊感がある。
「ディノ」「森のはずれに」:この連作ではディノという人語を操るというか人間と変わらぬ知性と感情を持つ犬が現れたり消えたり、いるのかいないのかわからない。ところでディノの声を聞けるのは語り手の男だけである。ディノは冷静な落着いたやつである。

「トロイの馬」「エミール・ボーウェン著『カクテルの本』の序文」:ここでは馬が人間と同じように喋るんだけども、こちらはディノと違って酒場で話しかけてくる気のいい酔っ払いで、ちょっとめんどくさいけど悪いやつじゃない。どこにでもいるやつ。所作はリアルに馬なのだが、それ以外の人間たちの日常風景は雰囲気のあるリアリズム作品で楽しい。

という具合でどこかとぼけている作品が多いが、同じ内容を人物をそっくり入れ替えてくりかえす戯曲「通りすがりに」や街中で聞きかじった会話を集めた「パリ近郊のよもやま話」、読み手が次に続くフレーズを自由に選択して繋いでゆく「あなたまかせのお話」など実験的な作品も多く、けむに巻かれる印象だった。
巻末とはいえ全体の3分の1もあるラジオ対談「レーモン・クノーとの対話」は好きな部分だけ読んだ。

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「防雪林・不在地主」
小林多喜二 作
(岩波文庫)

二重三重にも搾取され不作にあえぐ小作農たち。地主階級との闘争は都市労働者とも連対して大きなうねりとなってゆく「不在地主」。その下敷きとなった未発表作「防雪林」を併載。

「防雪林」の冒頭主人公源吉の母や妹、幼い弟たちの家の中での様子が実にいきいきとして魅力的で、また深夜に鮭の密漁に繰り出す情景などもその空気感まで伝わって来る。テーマ以前にこの冒頭だけで心躍る名品だ。
源吉が野生的な単独行動者で、組織的な運動による解決を選ばないが、そういうところもかえって良い。

この時代すでに札幌・小樽などは近代的大都会で、舞台である開拓された寒村とあまりの差に驚く。搾取されていることにも気付かない村人(小作人)の、地主様への精神的隷属はまるで現在の自民党信者と瓜二つ。

「不在地主」は未発表作「防雪林」に比べて確かにしっかりした階級的視点、プロレタリア文学作家としての積極性が感じられるが、反面小作争議の展開が図式的で説明くさいと言えば確かにそうかもしれない。ではつまらないかというとそんなことはなく、簡潔でサクサク進む面白さがあり運動が盛り上がっていく様は興奮して読んだ。

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「チョムスキー入門」生成文法の謎を解く
町田健 著
(光文社新書・2006年)

言語学を革新したチョムスキーの生成文法。わかりやすく解説するとともにその問題点を多く指摘。

言語学はおろか他分野にも広く学術的影響を与えたとされる「生成文法」について、基礎的な知識とその広がりを、主著に接することなく簡単に得たいと思い購入。しかし正真正銘言語学のみの内容だった。

文の句構造標識とその置き換えなどを丁寧に解説するとともに、その問題点・矛盾点をも逐一指摘。当然ながらほとんどのページはその展開に終始し、とくに深層構造と表層構造についてはその歴史的経緯を含めて、移動や変形の連続また連続だ。
これはノートを取りながら逐一追って行けば必ずわかる話であるが、雑学的興味で読んでいる身としてはそこまでの集中力はなかった。もちろん脳内で完璧に整理しながら読める人も多くいるだろうが、なにより例題はすべて英語なので、簡単なものといっても自分には自然な親しみはない。

全ての人間が生得的に持っている普遍文法という考え方はあまりに魅力的なのでどうしても興味をそそられるが、本書の指摘をみるとかなり怪しいものに思えてくる。どうだろうか。

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「覚える」と「わかる」
知の仕組みとその可能性
信原幸弘 著
(ちくまプリマー新書)

様々な状況における様々な理解と学習。「わかる」こととはどういう心と体の働きなのか、平易な例を豊富にあげて解説。

覚えること、わかること、状況を把握すること。あらためて言葉にするとあたりまえのことが丁寧に解説される。漢文素読から始まって身体知やクオリア。直感・アジャイル・フレーム問題。本来はもっと奥が深いであろう問題が誰にでもわかる範囲で書かれている。やはり若者向けの入門書シリーズ「ちくまプリマー新書」ならではの内容だった。人間の知覚を有効に支配する情動の仕組みなど面白かった。

「実存的感情」状況に応じて様々に変化する喜びや悲しみなどの情動や知覚。ところがそれらとは違ってその背後に一貫して存続するこころの働きがある。世界に対する根本的な親しみ。それが「実存的感情」である。実存という言葉はひさしぶりに聞いたが、まさ正鵠を射た感がある。この感覚はおおいに肯けるところがあって、ここをもっと掘り下げてもらいたかった。

徳について、正義・勇気・節制・慈愛などの倫理的徳と知的勇気・好奇心・粘り強さなどの知的徳に分けて語られている。徳は卓越した性格だが適度な中庸を保つことができるものである。種々具体例があげられてそれはそうだが、ではそもそもなぜ人間に徳のあるなしがあるのだろうか。頭の良さとは違うものだと思うが、それはやはり生来のものなのだろうか。その辺りが謎だ

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「アンダー、サンダー、テンダー」
チョン・セラン 作
(クオン・吉田凪 訳)

毎朝同じバスで高校へ通う仲間。やがて映画美術を職業にした彼女がかつてを振り返りながら、友人たちの様々な生き方を綴る現代韓国文学。

2014年の作品なのでまさに現代日本ともシンクロしている世界。大半は高校時代の話で、休みや放課後にどうやって過ごすか。なにげない日常風景が読んでいて心地よく、楽しいことが起こらなくても楽しく読める。

女子高生なので本来はかなりはしゃいでいるのかもしれないが、語り手の彼女の落ち着いた性格もあってか、大人の感覚と変わらない。当然大人になってから当時の自分たちを振り返っているので、それだけの人間観が反映されている。そこが年齢を超えた味わいとなっていて、20代でも90代でも読んで心に響く作品だと思う。

10代を共有した同い年の人間はいくつになっても分かり合えるものかもしれない。

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「死者にこそふさわしいその場所」
吉村萬壱 作
(文藝春秋)

とある街に生きる人々の日常が狂気を含んでどす黒く変質していく。しだいにすべてが繋がっていく短編連作。

巻頭話を読んだ限りでは不倫の設定で書かれた男と女の話で、トーンは暗いものの狂気をはらんだものではない。ぬるぬるとした感触だが実際あるかもしれない話である。それが2話、3話と進むうちに無人のアパートで終日ドアも窓も開け放して裸で虫にたかられる男や、精神病院で患者を演じる仕事、暴力を受けることを聖なる痛みと感謝する宗教者など、明らかに異常な事態が続出して異世界へ連れ込まれてしまう。

全編通じて人間の晴れやかで健康的な面は現れない。もちろんそれぞれ悩みは抱えているものの通常のそれではなく、なにか得体の知れない不気味な内心と挙動。作者特有のグロテスクで救いようのない世界観にのまれて読んでいると暗澹とした気分になる。以前も感じた通り自分のなかでは暗黒小説の旗手といった印象だ。恐ろしいものだ。

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