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漫画家まどの一哉ブログ

   
カテゴリー「読書日記」の記事一覧
読書
「大火」
里見弴
 作

花魁今紫を贔屓に通ってくるのは、向島のご隠居と資産家の息子である法科大学生の三郎だった。その日は昼間から南の大風が強く吹く日であったが、やがて半鐘が鳴りだす。5階まで上がる高い時計台から見下ろして、やあこちらは風上だから大丈夫だと安心しているうち、よもや火の手はすぐ近くまで迫っていて、楼閣の者あわてて荷物をまとめ、ついに廓外へ逃げ延びるまでを、三郎と今紫を中心に描いた短編。

里見弴はなんといってもその絶妙の語り口が魅力で、流麗でリアルで粋でしみじみとする。会話もおもわず情が移るおもしろさ。「やぶれ太鼓」という短編は、ある幇間(たいこもち)の流れ流れる浮き草のような人生の行く末を描いたはなしだが、自分はこれを読んで久保田万太郎の「末枯」を思いだした。「末枯」は、やはり落語家の流れ行く人生を、平易で美しい文体で描いた小説だ。

いまどき大正時代の花柳界や芸人を描いた小説を誰が読むだろうかとも思うし、だいたいこの日記を読んでくれている人が、里見弴や久保田万太郎を知っているとも思えない。しかも自分のようなシュール系に束ねられる漫画家が、こんな旧き東京の人情話を好んで読んでいるのも妙な具合だが、たんなる人情話ではない。その魅力はたぶん人生に対する諦観と、なによりその絶妙の文章で、平易な美文というものが自分は大好きなのである。

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読書
「取り替え子(チェンジリング)」
大江健三郎
 作

作者大江健三郎と俳優であり映画監督であった伊丹十三とは、四国松山時代からの旧友であり、また伊丹の妹を妻に持つ作者にとって、伊丹十三は義兄でもある。その伊丹十三の有名な飛び降り自殺事件をモチーフに、もちろんすべて作中の人物としての仮名で書かれた小説。
といっても事件のなぞを振り返るドキュメンタリー小説ではなく、現実を現実のまま強固に残しながら、氾濫する空想とからめてしまう、作者特有の方法がなんとも不思議な作品だ。

たとえば主人公である作者は、死んだ友人と生前交換していたテープ録音を再生しては、死者との対話をさらにつづけるのだ。その過程でしだいしだいに自死直前の心理があきらかになるが、そのまま物語は少年時代、四国山中での国粋主義集団との交流にまで遡り、作者と友人が共有する決定的な体験が語られる。その体験で友人(伊丹十三)は、美しい少年から、外の世界とテロルにふれた者として変わってしまったのだ。取り替えられた子供だったのだ。物語は終盤センダリックの絵本に登場する、悪鬼に取り替えられた子供のはなしと連関して終わるが、まんまと作者にだまされて読まされてしまった。
心地よく騙された気がするのは、やはり圧倒的な事件性を持つ現実と、夢幻的な想像力との融合があるからで、その空想のスタイルがすなわち作家の思想であり、意識的な部分ではテーマでもあるわけだが、それがこんなふうに出来上がっているところがただごとではない。

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読書(mixi過去日記より)
「予言者の名前」
島田雅彦
 作

オウム事件が合った頃は、カルト教団を材料に宗教の問題を扱った作品が多くあった様な気がする。
自分はそのちょっと前から、それっぽいハナシを考えて「クイックジャパン」に幾つか発表したが、世の中みんなやりだしたのでイヤになってやめた。
それでもカルトや宗教は、基本的に興味のある題材なので、古本屋でこんなものを見つけると、短いものだしちょっと読んでみようかと思う。

宗教の世俗化が進んでいて、わりとどの宗教からも等距離でいられる日本人ならではの視点で描かれた宗教小説。ワタルとムルカシという二人の宗教家(予言者)が、既存の宗教的立場に次々と疑義を投げかける。その内容が観念的な言葉でそのまま語られる。
といっても、小説だから難しい論理を展開する訳ではないが、いわゆる生活や風景の描写など、ふつうの小説で描かれる様な部分はほとんどない。したがって面白いことは面白いが、登場人物に自分を重ねたりして味わうことはできません。短ければこんなのもあり。

文庫本は巻末に中沢新一の解説がついているが、これがよかった。ただし島田雅彦を誉め過ぎ。島田雅彦は求道者とは真逆の、フツーのインテリオヤジという印象が自分にはある。

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読書(mixi過去日記より)
「富士」
武田泰淳
 作

戦時下、富士山麓にある精神病院。国家総動員時にお国の役にたたない患者達と、愛を持って看病にあたる医師・看護士達の物語。
とはいってもリアリズム小説ではなく、登場する個性豊かな患者達の病状は全く作者の創造で、自分が宮様であると信じる元精神科医、一言も言葉を発せず、哲学的ノートを綴る少年、自分の育てた伝書鳩を待ち続ける男、研修医の子種を宿したとふれ回るキリスト者などなど…。

異常者・正常者の枠を取り払った、極めて強烈なキャラクター達が、滔々と思念的弁舌をふるう、グロテスクな魅力に満ちた観念小説。だが、単なる思弁小説でないのは、次々と巻き起こる事件に沿って話が進むからであって、例えば鳩を求めて煙突に上る男・院長宅襲撃・股間に下げた懐中電灯を男根に見立てて医師を襲う女・宮様のつもりで皇室に接触する元精神科医・放火・殺人など、正に異常事態しか出現しない。

もともとこの精神病院の設定自体が、リアリズムならぬシュールレアリズムの世界で、戦時下の一般社会とはかけ離れた、「スミヤキストQ」が忍び込んだ癲狂院のようなものとなっている。

まさに小説という分野ならではの面白さで、実際日常会話でべらべらと神学的哲学的思念を披瀝することは滅多にないし、漫画では考えられないネーム量になってしまう。映画もしかり。それが気にせずスラスラ読めてしまうのが、小説が言葉の芸術たる所以なんだろうな。

●たとえ漫画でもこれが俺にはできないんですよ。いや、たとえナレーションであっても、言葉で説明するのができないの。漫画の中で言葉に独立した役割を与えられないんです。
人物の行為の補足として「しまった」とか「よし行くぞ」とか、あるいは日常会話の「2万ほど、なんとかならない?」とか「なんだ、先行ったと思ってたよ」とか、そんなです。
友人の斎藤種魚、西野空男など「架空」派漫画家には観念的な言葉をうまく使う人が多い。

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読書mixi過去日記より
「神は妄想である」宗教との決別
リチャード・ドーキンス
 著

生物学の世界的権威、かのドーキンスが書いた警世の書。かつて有名な利己的遺伝子説に触れたときは、どうももうひとつ納得いかなかったが、この本はいい!俺は快哉を叫ぶ。

それにしても西欧社会、とくにアメリカにおける聖書原理主義による病理には恐ろしいものがある。物心つかない幼い頃に、教え込まれる聖書の非合理と迷信が、大人になってもいかに精神を縛り続けるか。進化論を否定し、地獄の存在におびえ、子どもにたった一つの価値観を強要し、異教徒を悪魔視して顧みない。そして、敬虔な宗教者というだけで罪は目こぼしされ、反対に無神論者というだけで忌み嫌われるという矛盾。
また自爆テロに走るイスラム原理主義者が、報復感情ではなく、天国を夢見ているという恐ろしさ。

いま、ようやく無神論者は声をあげるべき秋である。
戦う生物学者ドーキンスは、容赦がない。科学と宗教は全く相容れない分野であるから、おたがい踏み込むことはせずに、共存しよう。という一見平穏な立場に意義を唱え、神の問題は正しく科学の課題であること、そして論証を積み重ねることにより、神の存在を否定することの重要性を説く。
また、地球上の生物の偶然とはとても考えられない多様性を、誰か(神)が設計したものと考える、いわゆるインテリジェントデザイン説は、進化論(ダーウィニズム)を知らない蒙昧であることを教える。
そしてそして道徳のよってきたる所以は宗教ではなく、時代精神の反映によるというところまで。
いいぞドーキンス!がんばれドーキンス!

現在世界中で勢力を増す宗教原理主義が、いかにテロと戦争をまきおこしているか。うれしいことにこの本はアメリカでベストセラーとなったそうだ。この先、世界中の宗教の世俗化にちょっとは希望が持てるのか?

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読書「徳田秋声の周囲」
川崎長太郎
 作

婦人を亡くして憔悴する文壇の重鎮徳田秋声。師を慰めるため集まった門下の中に、長太郎と年かさの女順子がいた。その順子に親しげに近づかれる川崎長太郎。

私は、反射的に、五体を棒みたいに硬直させました。東京の空気を吸って、既に二、三年経っていますが、まだひと見知り癖も抜けきらない、からきし内気な田舎者でしかありません。
「あなた、お友達になって下さいな。今、私一人で寂しいんです。一寸、世間から身を隠しているというふうなの。__お友達になって下さい。私、とてもフライよ」
中学も満足に行っていない私には、第一「フライ」とは如何なることを意味する言葉か、さっぱりのみ込めかねますし、こんな女の言うことなど、ゆめ真にうけてはなるまいと警戒心怠り亡く、が、その実、_____


この辺の文章がおもしろいなあ。いいなあ。わくわくしながら読みだした。やがて長太郎はこの放蕩文学女子の後をうかうかと追いかけるざまになってしまうのだが、その順子はあっという間に師匠徳田秋声の内縁に納まって、この小説は意外にも川崎長太郎の私小説というより、世間的には老醜をさらす徳田秋声のスキャンダル報告みたいになってしまった。これがまた面白い。といっても残された子供たちとの家庭が破壊されたあげく、女に捨てられるといったよくある内容。それでも愉しく読めればなんでもオッケー。

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読書mixi過去日記より
「白い果実」
ジェフリー・フォード作
(2004年 国書刊行会)

1998年世界幻想文学大賞受賞作。
独裁者ビロウが支配する理想形態都市(ウェルビルトシティ)。主人公の一級観相官クレイはビロウの命を承けて、辺境の鉱山の街アナマソビアへ赴く。この世の楽園に実るという「白い果実」を手に入れるために…。

予備知識無しで読みだして、始めて気付いた。これってエンターテイメント!
娯楽の王道を行くストーリー構成。ちゃんと怪物との戦闘シーンなんかもあって笑ってしまう。だが、スパイア鉱石を掘り続けたあげく青く石化する人々。人間の外見・体格などを精密に観測し、性格・能力までも決定する観相学。人間並みに進化させられた猿の管理人、などなど、繰り広げられる空想的イメージがただごとではない、奇想文学の怪作!

冒険ファンタジーといっても流行っているものには、RPGの世界でおなじみのネタが多いが、既成のイメージに浸って安心してると、脳が劣化するんじゃないかと思う。未知の空想世界に独力でついていかなければ。

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読書mixi過去日記より
「人間の条件」
アンドレ・マルロー 作


1926年、中国共産党は蒋介石率いる国民党と、国共合作の革命政府による北伐を展開していた。しかし翌年4月、上海において蒋介石は共産党に対する武力弾圧を開始。弾圧の中で懸命に党を守ろうとする中国共産党員、清・ジゾール(日中混血児)、爆弾を抱えて独り蒋介石を狙うテロリスト陳(チェン)、ロシア人カトフ、流浪のベルギー人エンメルリック。4人の若き共産党員を中心に、フランス人財閥、零落中国人商人、秘密警察長官までを交えて、争乱下に生きる人間の苦闘と敗北までを描く名作。
物語は起伏を孕み、過激な事態が連続するが、一貫して抑制された筆致で人物の内面が描写される。

かつては新潮文庫などでも普通にあったが、近年はめったに新刊で見ない世界名作文学。今回ボクの読んだのは、1962年発行の新潮社世界文學全集で、なんと10年以上前に要町の路上に、新品同様のものが捨てられていた中から、数冊拾ってきたのだった。

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読書(mixi過去日記より)
「思想の中の数学的構造」
山下正男 著
(ちくま学芸文庫)


もしこの内容に意味があれば、ひょっとして存在論的真実にたどりつけるかも?と、興味津々で購入した本。
内容はデカルトからレヴィ・ストロース、中国の易学まで。思想の中に数学的構造を発見して楽しむエッセー。
数式が少なく(あってもナナメ読み)、数学が苦手な自分でも、とりあえず完読できたのだが…。

例えば代数構造を代表する群論。
レヴィ・ストロース言うところの親族の基本構造、易における八卦・六十四卦における陰陽の組み合わせ、ピアジェの論理学における命題・否定命題・連言命題(~と)・選言命題(~か~)間の操作、哲学史上における機会論や弁証法と唯物論や観念論の組み合わせ。これらの操作全てにクラインの四元群という群構造が適用される。なるほどそうかもれない。
でもだからどうしたの?

例えば歴史観にも数学的モデルを対応させることができる。例えば退歩史観や進歩史観は、y=文明の高低、x=時間とするとy=ax+bという一次関数で表現できる。文明が指数関数的に上昇することになると当然y=ax2(二乗)+b(二次関数)となって、グラフはググッと上昇。さらに文明を循環史観で考えると、ボクの苦手な三角関数的モデルを適応して、y=sinx+bの波形曲線のグラフ(進歩と退歩が循環して波形を描くワケね)。これがさらに上昇型循環史観のグラフへと変化していきます。なるほど。
でもこの適応が意味あるの?

例えば按分比例、比例配分は古代ギリシャや漢代中国で、配分の正義のために適用されており、配分の正義とは階層の思想に裏付けられたものである。とかなんとか…。

例えば個の独立という思想をライプニッツのモナド(おなじみの単子論)が含むようになって、関数の概念が発達してきた。神と被造物、君主と臣民と言った関係において、神・君主=独立変数として、それらに従属して機能(function)するものとして様々な社会的関係(従属変数)が関連づけられる。これが関数の概念を育てる。

などなど、他にも思想のなかに数学概念が次々と見いだされるが、
でもそれが分かったからどうなんだ?
というのが正直な感想。まあ、数理哲学や論理学は数学の楽しみと近いところにあるが、社会科学となると数学的把握はピュアすぎる。もっと生臭いもんやから。

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読書
「巡査の首」
又吉栄喜 作


沖縄本島からさらに南、日本と国交のない独立国である島国「垂下国」。珊瑚礁の島「謝名元島」で暮らす克馬と早紀の兄妹は、密かに「垂下国」へ潜入する。それはタキおばあの遺言どおり、おばあの遺骨を戦時下の「垂下国」で死んだおじいのそばに葬るためだった。
戦時中、統治者でありながら、巡査として正義と公平を貫いたと聞き伝えら得るおじい。そのおじいが垂下島の原住民「阿族」に首を切り落とされたのは、ほんとうだったのか?また、「阿族」のみが扱う興奮剤カミノキの酒とは…。

統治者である日本人から差別されて生きる琉球人。その琉球人からも蔑まれる垂下国人。さらに差別される阿族たち。てっきり現代沖縄を舞台にした小説だと思って読み始めて驚いた。しかしこのモデルとなる戦時中の舞台は台湾であり、高砂族であろう。事実は一方から見れば正義であり、一方から見れば犯罪である。同じ行為が支配であり、友愛であった。当事者は当事者の立場からすれば常に英雄であった。

けっこうゴツゴツとした文体で、ちっとも滑らかさがなく、最初は読みにくかったが、馴れるとスキがなくてスピードがでるよ。

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