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漫画家まどの一哉ブログ

   
カテゴリー「読書日記」の記事一覧
読書(mixi過去日記より)
「偶然の本質」
アーサー・ケストラー


1974年発行のニュー・サイエンスの古典。
先ず超心理学。テレパシーや透視などのESP(超感覚知覚)、果ては念力(PK-サイコキネシス)まで、世界中の研究機関でくりかえされた各種実験を紹介。有名なものは、別室で選ばれたカードの絵柄を当てるといったようなもの。するとくり返すほど、大数の法則に従って近づいていくはずの確立から、明らかな偏差が現れる。つまり確立以上に当たる。これぞ超感覚知覚の証明か?

翻って著者は現代の素粒子物理学の成果に言及し、物質が極微の素粒子に分解されていくにつれ、それは我々の日常世界でいうところの「もの(物質)」ではなく、粒子でありながら同時に波動でもあり、エネルギーが決まれば位置が決まらないといった、ハイゼンベルグの不確定な世界を解説。実はこの物質ならざる物理世界が、精神の実態と関係しているのではないか?という推論が導かれる。

この筋立てで、ユングいうところのシンクロニシティ(同時性)の正体に迫ろうとする。つまり物事が、因果性に基づいて起きる普通の世界に対して、因果性に基づかずに立ち現れるシンクロニシティの理由にたどりつけないかと…。

著者は各研究を紹介するにとどまり、裏付けの無い断定はしていないので、いわゆるトンデモ本とは違うとしておこう。村上陽一郎の訳やし。
しかし、この本が日本で刊行された1974年当時と現在とでは、素粒子物理学も発展していて、著者が鍵を握るとしていたニュートリノにも、質量はあった。
加えて近年MRI(おなじみ磁気で脳を輪切りするヤツ)の発達もあって、脳科学が著しい成果をあげているらしく、著者ケストラーが物質に対置させていた精神といううものも、多くが脳内物質の作用で解明されている。意識の本質にたどり着くことはまだないにせよ。

そうはいっても偶然や霊的世界の謎は解き明かされていない。ネタとしてはおもしろいけど、基礎知識がないとトンデモ科学にひっかかちゃう!

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「豊饒の海」
三島由紀夫
 作

三島由紀夫の絶筆であり、ライフワークとなった長編「豊饒の海」
輪廻転生を題材としているだけに、背景には仏教思想が色濃く流れている。三島由紀夫と仏教思想というのが、なんとも意外な気がする。だがそれは空とか無常とか諦念とかではなしに、阿頼耶識を中心概念としたアビダルマ哲学のようなもの。登場人物はインドまで行って大乗の哲学に目覚めるのだが、その辺りはなんとなく手探りで書かれているような気がした。悟ってしまえば小説なんか書かないだろうとは思うが。

第一話「春の雪」
この第一話を読んだのはかなり前。大正時代。眉目秀麗な侯爵家の一人息子、あまりに繊細でプライドが高い性格のため、想いを寄せる伯爵家の令嬢に素直になれない。彼女と宮家(皇室)との婚礼が決まってしまった後、ようやく二人は愛を貫くことができるが、それは破滅へ向かう禁断の恋であった。 主人公は死ぬ前に「また何処其処で合おう」と謎の言葉を残して死ぬが、これが次の生まれ変わりの人物との出会いとなっていく仕掛け。しかも身体には、代々生まれ変わりの徴あり。

第二話「奔馬」
やはりいちばん面白い巻。昭和戦前。今度の主人公は、日本と皇室のために君側の奸を切って、自らも切腹することを願うピュアな少年で、危なげなテロ計画の進行にはらはらする。当然最後は破滅なわけだが、第一話の耽美少年、第二話の右翼少年とも、主人公はあきらかに作者三島の分身である。

第三話「暁の寺」
この寺とはなんとタイの寺で、今度はタイのお姫様に転生。やがて仏教哲学が縷々語られることになるが、退屈してきたところで物語自体が進んで読者を引っぱっていくように仕組まれている。そしてエロチックな内容となって、三島の世界が全部出た気がした。

第四話「天人五衰」
はたしてほんとうに一連の転生した人物か?凡人を見下して生きる悪意の天才少年が主人公。莫大な財産の取得計画のゆくえは?やはり最後は破滅に至るわけだが、全話を通して転生した少年たちを見守ってきた、もう一人の主人公も最早老残の姿をさらし、しずかに衰えてゆく。


これらのストーリーが絢爛豪華な美文で描かれ、風景描写でもちょっとおおげさすぎて頭に入ってこないくらいだ。フツーの空や海や木々なんてものはないのだ。すべては美のためにある。

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読書(mixi過去日記より)
「チーズと うじ虫」
カルロ・ギンズブルグ


16世紀、イタリアの一地方に住む一介の粉挽屋メノッキオが、
その独自の反キリスト教的世界観のため焚刑とされるまでをたどる、
1984年発行当時話題となった歴史書。

メノッキオ曰く
「神様とはなんであるか?それは空気であり、水であり、土、火など、すべてが一体となったカオス。それが神そのものであり、そのカオスの中から、ちょうど醗酵させたチーズに自然とうじ虫がわいてくるように、生まれてくるのが天使だ」
この自然観にぐっと来た。天使のところを生命と置き換えて読めば、神という言葉を使っていても、この人の世界観が、いかに自然科学に近いかということがわかる。
「来世なんていうものはなく、肉体が死ねば、同時に魂も死ぬ」
「キリストは男と女の間に生まれた、ふつうの人間だ」
どうよ、この世界観。

当時ローマ・カトリック教会による特権的な支配、収奪を地方の人々は快く思っていなかった。ということもあるが、中央から離れた土地では、キリスト教以前の、口頭伝承的な農民の宗教観・世界観がまだまだ背景としてあった。ということが学習できた。忘れるけど。

それにしてもこの粉挽屋メノッキオという人は、10指に余る書物に接しただけ、しかもトルコ人にはトルコ人の、ユダヤ人にはユダヤ人の宗教があるということを、学んだだけで、それぞれの民族にいろんな神様がいて、それは対等であることに気付いてしまう。キリストの教えもその一種に過ぎなくて、たまたま我々がキリスト教圏に生まれただけであり、所変われば教えも変わることに。
今日の欧米、特にアメリカ人が、なかなか自分たちのキリスト教を相対化して見ることが出来ない中、この16世紀の田舎の粉挽屋ときたらもう、すごいよ!おそらく根っからの自然科学者だと思うよ。いたんだねえ…、こんな人が。

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読書(mixi過去日記より)
「街と村」
伊藤整
 作

作者とおぼしき主人公が、出身地である街(小樽)と村へ帰り、宛もなく彷徨いながら数々の亡霊に翻弄される幻想小説。その亡霊とは宙を舞う小林多喜二、また自分が過去に弄んだ女たちであったりする。自分が裏切った恋人や友人達が次々と現れ、かつての行為を責められ続ける。

主人公の私はやがて村に入り、泥棒の汚名をきせられ、地獄へ堕ちて畜生と化し、その実、行路病者として葬られるという、全編自責で埋め尽くされた小説。だが、幻想小説として、なまのリアリズム以外の方法で描かれているため、息苦しさは感じられない。

自分がいかに不誠実で、利己的で、ひどい人間であるかを露悪的にまで描くのは、日本近代小説によくあるスタイル。ボクは伝統的な私小説も楽しんで読むが、そういった自責的な部分はほとんど気にしていない。自責も苦悩も不幸も、発表された時点で、自己愛と自慢であることに変わりはないから真に受けない。ボクの場合、私小説の面白さはそういった自責部分ではないことが多い。この作品は幻想性がふんだんに展開されていて、たのしいです。


百になるまで
にゃんこの声
聞きたぐねえ
ざっくらん
ざっくらん

これはねずみたちが、金銀宝石を川で洗っているシーンでの歌。
このあと主人公は猫のふりをして、この財宝を盗み出し逃走するも、角ごとでお地蔵さんに会う度に重さが増して、手放してしまいます。ふふふ。

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読書(mixi過去日記より)
「素戔嗚尊」(すさのおのみこと)
芥川龍之介
 作

ちくま文庫の芥川龍之介全集を、ゆっくり順番に読んでいて、第3巻を読み終わった。
もちろん再読もある。
「南京の基督」「きりしとほろ上人伝」など有名なキリシタンものが多いなか、やや中編の「素戔嗚尊」がおもしろかった。続編の「老いたる素戔嗚尊」のほうが有名かもしれないが、主人公が若い頃のはなしもなかなか。

高天原の国で並ぶものない強力を誇る素戔嗚尊。またその心根は純朴かつ一本気だが、かえって彼を慕う人は少なかった。思兼尊(おもいかねのみこと)の姪に心寄せる素戔嗚尊は、仲を取り持つ約束の男に騙され、暴力沙汰を起こしてしまう。その事件が国を二分する騒動に発展した結果、彼は国を追われ放浪の身となってしまった。
やがて森の中の洞窟に住む大気都姫(おおけつひめ)と出会い、その姉妹達とも暮らし始めたが、それは実は畜生道への堕落だった。悪夢的な精神性…。
挫折の果て、森を離れ、海や山を越えて悲しみの旅を続ける素戔嗚尊。ようやく出雲の国へと流れ着いた彼は、さびしい大岩の上に一人の少女を見つける。聞けば彼女、櫛名田姫(くしなだひめ)は、巫女の占いにより、八つの頭を持つ大蛇のいけにえとされる運命。それを聞いた素戔嗚尊は喜んで、大蛇に立ち向かうことを決意するのだった。


それも自身の性格の故なのだけれど、抗えない運命に弄ばれながら、放浪する素戔嗚尊の心象風景が胸を打つ。野性的で暴力的になったかと思えば、大自然の中で恬淡な境地を得たり。だが通底するのは孤独感と悲しみだった。
さて、素戔嗚尊と八岐大蛇の決戦はいかに。芥川は意外なところで物語を終わらせてしまいます。ええっ、ここで終わり?!でもそれが芥川。
それにしても、やっぱ基本だね!造形的な作風が自分にぴったり。オモロいなあ。

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読書(mixi過去日記より)
「馬」
小島信夫
 作

小島信夫は2~3冊持っているのだが、
新潮文庫で改版された「アメリカン・スクール」が出たので買ってみた。
8編の短編のうちには既読のものもあるが、やはりたのしい。

そのうちの一編「馬」を紹介。
主人公の知らないうちに、自宅庭で増築工事が始まった。すべて妻のへそくりと画策によるものらしい。その二階屋の二階に自分は住むことになっているのだが、なんと一階には馬が住むという。腹を立てた自分は大工の棟梁を殴りつけようとして、梯子から落ち病院へかつぎこまれた。病院の窓から自宅を見ると、妻は頭領とできているようだし、よく見ると頭領と思った人影は自分のようでもある。どうやらここは脳病院のようで、やがて精悍な馬がやってきて、妻は日ごとに馬べったりの暮らしをおくり、自分はなんとか馬を征服しようと試みるのだが…。

つげ義春の夢漫画を読んでいるようなシュールな感覚。日本幻想文学中、十指にあげるかもしれないくらい気に入りました。
その他「鬼」「小銃」「星」など、主人公の私はつねに世界との関係で、ほんろうされるばかりだ。
例によって解説は保坂和志。

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読書
「ヴェニスに死す」
トオマス・マン
 作

ヴィスコンティの映画を見ずして原作を読んだ。
既に国内で実績を積んだ初老の作家が、休養のためヴェニスを訪れ、そこで出会ったギリシャ彫刻のごとき美少年に心奪われる。作家は少年の美しさの虜となるにしたがって、しだいに大家としてのプライドを失い、日夜少年のあとをつけまわして過ごすのであったが、やがて流行りの伝染病にかかって息を引き取るのであった。

ある年齢以上になると、大人として自分を律する部分を無くしていくところが、さもありなんと思う。理知ある社会人としてのふるまいも、そうそう続けていては疲れる。人間は堕ちてゆくことによって解放を得なければならない。普段から愚行が大切だ。
愚行と言ってはあんまりだが、作中くりかえされる美に対する会話形式のモノローグには真実がある。以下。

芸術家が、精神的なものを追い求めて進む美への道は、必ず人を邪路にみちびくもの。危険で愛すべき道であり、真に邪道であり、罪の道であること。つまり必ずエロスの神が道づれになって道案内をするにきまっている。われわれを高めるものは情熱であり、恋愛ならざるを得ない。これでわれわれ詩人(芸術家)が聡明でも尊厳でもなく、人々を奈落へつれてゆくものであることがわかる。

と、いうわけで、美への道は純粋だが、それゆえにその正体は恋愛とエロスを含み、理知と経験をかなぐりすててこそ得ることができるのということか。これが老齢に達するにしたがって、いよいよ人間に残された情熱として高まりこそすれ、衰えないところが皮肉なものだ。

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読書(mixi過去日記より)
「十三人組物語」
バルザック
 作

ナポレオン帝政期のパリに潜む秘密結社「十三人組」。知力・財力・行動力豊かで名望もある男達が、実は秘密結社を組織し、人知れず社会を裏面から動かしている。という設定を背景として語られる三話のオムニバス小説。実は「十三人組」は、道具立てにすぎず、ほんの少し顔を出すだけ。
第一話「フェラギュス」
第二話「ランジェ公爵夫人」
第三話「金色の眼の娘」


面白かったのは第二話「ランジェ公爵夫人」だ。
絶海の孤島に位置する修道院を訪れたモンリヴォー将軍は、そこでオルガンを演奏し、聖歌を歌うかつての恋人(ランジェ公爵夫人)を発見する。面会を許されたモンリヴォー将軍は、彼女の変わらぬ愛を確認し、必ずや彼女を奪還することを誓うが、そもそもなぜ彼女はこうして世俗との関わりを一切断つ生活に入ったのだろうか…。
話は数年前に戻る。
冒険家として名声を馳せたモンリヴォー将軍は、一躍社交界の人気者となるが、その将軍にいちばん引かれたのがランジェ公爵夫人だった。将軍のほうもランジェ公爵夫人に引かれ、その思いはしだいに真摯なものとなって行く。だが、事実上破綻状態にあるとは言え、夫人は夫のある身。また自身のプライドも手伝って、ある一線以上に将軍を迎え入れることはなく、毎夜話をするだけで退けていたのだ。
ついに将軍はそのあしらいに侮辱を感じ、復習の鬼と化して夫人との関係を絶つ。そうなってみて初めて、ランジェ公爵夫人は将軍への思いに身もだえるようになり、一途に彼を追い求めることになるが、時すでに遅く、夫人は絶望のあまり神に仕える道へ身を投じたのだった。
さて、モンリヴォー将軍は「十三人組」の仲間とともに、ランジェ公爵夫人を修道院から奪い去ることができたのでしょうか?


バルザックは銭金(ゼニカネ)の話がおもしろくて読んでいるのだが、こういう恋愛ものもけっこうよかった。
ところで第一話のなかにこんなシーンがある。
ある登場人物の馬車めがけて、建築現場のてっぺんから石材が落ちてくる。また馬車の車軸が突然折れて大事故になり、調べてみると車軸がいつのまにか折れやすいものに差し替えらいる。それでこの人物は「俺は命を狙われている!」と気付く。
というものだが、これって今でもミステリーやサスペンスでよくありますよね。バルザックが始めたのかは解らないが、昔からずーっと皆で使ってきたんだね。

追記:最近映画化されたはず。

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読書
「大火」
里見弴
 作

花魁今紫を贔屓に通ってくるのは、向島のご隠居と資産家の息子である法科大学生の三郎だった。その日は昼間から南の大風が強く吹く日であったが、やがて半鐘が鳴りだす。5階まで上がる高い時計台から見下ろして、やあこちらは風上だから大丈夫だと安心しているうち、よもや火の手はすぐ近くまで迫っていて、楼閣の者あわてて荷物をまとめ、ついに廓外へ逃げ延びるまでを、三郎と今紫を中心に描いた短編。

里見弴はなんといってもその絶妙の語り口が魅力で、流麗でリアルで粋でしみじみとする。会話もおもわず情が移るおもしろさ。「やぶれ太鼓」という短編は、ある幇間(たいこもち)の流れ流れる浮き草のような人生の行く末を描いたはなしだが、自分はこれを読んで久保田万太郎の「末枯」を思いだした。「末枯」は、やはり落語家の流れ行く人生を、平易で美しい文体で描いた小説だ。

いまどき大正時代の花柳界や芸人を描いた小説を誰が読むだろうかとも思うし、だいたいこの日記を読んでくれている人が、里見弴や久保田万太郎を知っているとも思えない。しかも自分のようなシュール系に束ねられる漫画家が、こんな旧き東京の人情話を好んで読んでいるのも妙な具合だが、たんなる人情話ではない。その魅力はたぶん人生に対する諦観と、なによりその絶妙の文章で、平易な美文というものが自分は大好きなのである。

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読書
「取り替え子(チェンジリング)」
大江健三郎
 作

作者大江健三郎と俳優であり映画監督であった伊丹十三とは、四国松山時代からの旧友であり、また伊丹の妹を妻に持つ作者にとって、伊丹十三は義兄でもある。その伊丹十三の有名な飛び降り自殺事件をモチーフに、もちろんすべて作中の人物としての仮名で書かれた小説。
といっても事件のなぞを振り返るドキュメンタリー小説ではなく、現実を現実のまま強固に残しながら、氾濫する空想とからめてしまう、作者特有の方法がなんとも不思議な作品だ。

たとえば主人公である作者は、死んだ友人と生前交換していたテープ録音を再生しては、死者との対話をさらにつづけるのだ。その過程でしだいしだいに自死直前の心理があきらかになるが、そのまま物語は少年時代、四国山中での国粋主義集団との交流にまで遡り、作者と友人が共有する決定的な体験が語られる。その体験で友人(伊丹十三)は、美しい少年から、外の世界とテロルにふれた者として変わってしまったのだ。取り替えられた子供だったのだ。物語は終盤センダリックの絵本に登場する、悪鬼に取り替えられた子供のはなしと連関して終わるが、まんまと作者にだまされて読まされてしまった。
心地よく騙された気がするのは、やはり圧倒的な事件性を持つ現実と、夢幻的な想像力との融合があるからで、その空想のスタイルがすなわち作家の思想であり、意識的な部分ではテーマでもあるわけだが、それがこんなふうに出来上がっているところがただごとではない。

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