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漫画家まどの一哉ブログ

   

「女誡扇綺譚(じょかいせんきたん)」
佐藤春夫 作
(中公文庫)

新鋭作家佐藤春夫が日本の同化政策下の台湾を周遊。植民地政策の欺瞞を見てとるルポルタージュと幻想譚を収録。

巻頭表題作「女誡扇奇譚」これだけが純粋な空想小説で、他は巻末に「魔鳥」がある他はほぼ旅行記である。廃屋で聞いた謎の声にまつわるミステリー仕立ての佳作で、読み始めるやいなや佐藤春夫の飾り気のある文章に魅了された。やはりこの夢見心地が佐藤を味わう醍醐味であろう。

当時佐藤春夫は新鋭作家として大いに名声を得ていたようだが、この台湾旅行中もまるで国賓扱いのもてなしぶりで、支配国の詩人などというものがそんなに偉いのか不思議な気がする。
旅行記の一つに「植民地の旅」というタイトルがあるとおり、佐藤自身は友人である台湾人と対等に付き合っても、その実台湾社会は内地人(日本人)・本島人(漢民族)・蕃人(先住民)の順にれっきとした差別構造がつらぬかれていることはいやでもわかるというもの。旅行記自体はのんきなものだが、そこはリアルだった。

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「数学独習法」
冨島佑允 著
(講談社現代新書)

文系ビジネスマンのために代数学・幾何学・微積分学・統計学の4つの基礎を経済活動に寄り添って解説。

自分はビジネスマンではないが、数学が苦手な文化系人間なので手に取ってみた。良い意味で夢の無い本だ。数学の持つ神秘性やこの世界の構造に迫る不思議さといった面白さはなく、もっぱらビジネスなど社会経済活動の具体例に寄り添って解説。それだけに夢は無いものの確かにわかりやすく、まったく知らなかったことはないが、ぼんやりとした理解が薄ぼんやりまで進化したかもしれない。

代数学・幾何学・微積分学・統計学の4分野が順に解説されるが、代数学は変数や関数というものの基本的な意味がわかってよかった。2次関数や指数関数に馴染みはあっても、関数そのものが分かってなかった。

幾何学は面白そうで期待したが、なんと三角関数の話だった。なるほど三角形は基本中の基本だ。本書を通じてやはりいちばん理解できなかったのが三角関数で、「角度」と「辺の長さの比」の関係というものがイメージできなくて困る。とらえどころがない。
それに引き換え微積分学は以前からイメージしやすくてそんなに難解な印象は持っていない。なにをやっているのか謎めいたところがない印象だ。

最後の統計学は偶然性に関する本などよく読むので自分の好きな分野であり、大数と正規分布を世の中の基本と思っているので納得できる。平均値・最頻値・中央値の解説もよかった。
しかし全編通して私の勘違いかもしれない。

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「貸本屋とマンガの棚」
高野慎三 著
(ちくま文庫)

戦後1950年代から高度成長期が始まるまで、約15年の間に生まれて消えた貸本漫画。忘れられたその世界を当時の社会状況から解き明かす。

マンガの歴史やマンガ界全般に興味が無く、マンガを研究することもないので極私的な感想を持つばかりだ。
著者高野さんが常に説いているのが、作品が描かれた状況を理解することだが、やはり貸本マンガ全般よりもつげ義春や水木しげるなどの作品の背景を読み解く方が面白い。

私自身は貸本マンガの終焉期に触れているが、幼すぎるため劇画などは目に入らず、もっぱら山根赤鬼・青鬼などの愉快なものばかり読んでいた。この著書のなかでユーモアマンガとされるジャンル。その代表として語られる前谷惟光は今考えてもかなりユニークな作家ではなかろうか。子供でも笑ってしまう嫌味なギャグ。

つげ義春やつげ忠男が、時代に合わせて少女ものや忍者ものを描いていて驚くが、ほんの1ページ見るだけでもやはり魅力を感じてしまう。つげ義春のハードボイルド作品「見知らぬ人々」のコマ展開と画質が理想に近い!そして白土三平や水木しげる。自分が貸本マンガに言及するとしてもこの辺りまで。個人的な趣味としては平田弘史やさいとうたかをは男性性が勝ちすぎていて苦手な部類。かといって本書で女性的とされる小島剛夕が好きかというとまったくそんなことはない。

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「独房・党生活者」
小林多喜二 作
(岩波文庫)

工場労働者の立場から身分を隠して生きる潜伏活動家へ。非合法共産党員の困難な日常を体験を持って描いたリアリズム小説。


「党生活者」:日本労働運動史をまったく知らないわけでは無いが、やはり小説の形で読むと、ありありと身に迫って格別である。いかにして官憲の目をくぐり非合法の活動を持続するか。そのなみなみならぬ注意と工夫が、ヒリヒリと緊張感があってスリリング。しかしなにぶん実話ベースなので読んでいて楽しいといったものではない。

主人公佐々木以外にも登場する仲間の須山や伊藤らは実にタフで誠実で敬服に値する人物だ。特に伊藤ヨシは女性ながらも拷問にも怯まず、つねに積極的に活動を拡大させようとする労働運動の鏡のような人間だ。
それに反して主人公が選んだ同居人笠原は、まったくの小市民的で理念の無い女性。佐々木は住まい(隠れ家)と生活費の解決のためこの女性を利用している。せっかくの結婚生活でありながら佐々木は非合法活動にあけくれ、彼女(笠原)が疲れて仕事から帰ってきても夜はいないし、休日も散歩も語らいもないという、なんの私的な楽しみも無いあまりな生活。

文庫解説によるとこの作品が発表された当時も、この女性をもの扱いして利用する態度(マルクス主義者でありながら前近代的)に批判が及んだようだが、これは小説に対する批判としては真面目すぎるのではないか。
この作品はあくまで前編であり、佐々木と笠原の生活にこれだけ問題点が蒔かれていれば、書かれなかった後編で2人の関係が大いにテーマの一つとして事件化されるかもしれないではないか。
文庫併催作品の「独房」でも隣家の女性の下着を覗く話題などあるが、この小市民性を描いてこそ小説であり、プロレタリア芸術運動だからといって理念に傾注するほど名作としてしまっては、面白いものは残らない。

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「文と本と旅と」上林暁精選随筆集
上林暁 著
(中公文庫・山本善行編)

上林暁の多年にわたるエッセイの中から「文・本・旅・酒・人」をテーマに厳選して収録した味わい深い一冊。

「聖ヨハネ病院にて」周辺の数作しか読んだことは無いが、しみじみと心に残る私小説を残した上林暁。こうして随筆の数々を読んでみると、きわめて良識のある普通の人だとの印象がある。私小説家というと破滅型や自己憐憫の強い人間をふと思い浮かべるが、そんなタイプばかりでもないのは当然のこと。

したがって古書蒐集や旅の思い出など読んでいても、あまりにも普通に納得できる話ばかりで意外な面白さは無いが、それでもするすると読んでしまって心が満たされた感覚があるのは、ひとえに文章がうまいからなのかな。

ただやはり「人」をテーマに井伏鱒二や川端康成・宇野浩二など作家連との交流を描いたものは、普通には体験できないエピソードばかりなのでミーハー的な興味もあっておもしろい。作家がホテル住まいで創作に励んだり、随分リッチなものだなと思ったが、正宗白鳥会見記によると文壇が隆盛したのは菊池寛以降で、それまではみんな貧乏だったとのこと。

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「むらさきのスカートの女」
今村夏子 作
(朝日文庫)

職場でもプライベートでも「むらさきのスカートの女」の動向をひたすら追いかける語り手「黄色いカーディガンの女」。主客が混乱する不思議な味わいの異色作。

こんなケッタイな小説読んだことなかった。しかも芥川賞。
語り手はなぜか近所に住む「むらさきのスカートの女」を異常なまでにつけまわし、求人情報まで密かに与えてまんまと同じ職場に誘い込む。そうやって「むらさきのスカートの女」の仕事ぶりや同僚との会話を見ていると、彼女はあんがいまともな普通の人間であることがわかる。それよりも逆にこの女をつけまわしている語り手(黄色いカーディガンの女)のほうがずっと常識はずれの人間であることがしだいにわかってくる。

「むらさきのスカートの女」の秘密を期待して読んでいた読者の興味は変わって語り手の女の異常性に向かい、どれだけ執拗なストーカー行為をするかに注目してしまう。
しかもこの作品は、まるで作家の語り手目線であるように書かれているが、同じ職場にいる人間(黄色いカーディガンの女)が語っている設定なのだ。常に「むらさきのスカートの女」と同行していてこそわかる描写ばかりなので実際にはありえない。これが小説としてかなり奇妙な効果を生んでいて、主客があるような無いような得体の知れない作品が成立した。

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「日本の近代化と民衆思想」
安丸良夫 著
(平凡社ライブラリー)

梅岩、尊徳など近世通俗道徳から始まり、丸山教・大本教など明治期新興宗教に引き継がれた日本民衆思想。近世から近代へと民衆蜂起の思想的変遷までをたどった日本民衆史の記念碑的名著。

30代半ばに読んでおおいに感心した名著を30年ぶりに再読。さすがに面白かった。
石田梅岩や二宮尊徳の提唱するのは勤勉・倹約・正直などの通俗道徳なのに、それがなぜかくも日本社会思想史の上で重要な役割を果たしているのか。かねがね疑問だった。博打や放蕩に人間は抗えないもので、村を破滅から守るためにはこのような強力な道徳的戒めしかない。
しかし当然ながらそれらは社会構成そのものの批判には及ぶものではなく、本書後半第二編「民衆闘争の思想」で打ちこわしなど一揆の変遷でも取り上げられるが、幕藩体制以外の視点にはとうてい届かないものだった。これが限界だ。

それでも民衆は近代化へ至る過程で、けっしてなんの哲学も持たなかったわけではなく、しだいに社会を支える主体へと目覚めていったことがわかる。
ところが悲しいかな通俗道徳を旨とする近代の新興宗教は、丸山橋をはじめ天理教・大本教など、みな神道系の宗教だったため容易にの天皇制支配にからめとられてしまう。これが限界だ。

といった近代化の過程の一方の主人公であった民衆意識の変転が手に取るように分かっておもしろい。再読だがあらためて蒙を開かれる思いだった。

明治初期、生肝や生き血を取る恐ろしい耶蘇教に魂を売った新政府への反対一揆。村へ赴任した異形の警官を見るや恐怖に駆られて殺害してしまう逸話は、この著作でもっとも印象に残っていて、巻頭にあったと記憶していたが巻末だった。

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「古今奇談莠句冊(ひつじぐさ)」
都賀庭鐘 作
(江戸怪異綺想文芸大系 第二巻・国書刊行会 2001年刊)

この巻「都賀庭鐘・伊丹椿園 集」のうち、伊丹椿園は読みやすいのだが、都賀庭鐘の「莠句冊」が晦渋で手に負えず、一度諦めていたが再挑戦した。とりあえず時間をかけることにして一作のみ記す。

「莠句冊第三巻・絶間池の演義強頸の勇 衣子の智ありし話」
自分は大阪の京阪沿線出身なので、舞台の茨田郡千林や太間村などの地名に親しみを覚える。この辺りは低湿地で作中にも「水淫の地、西北の巨川を防ぎたる茨田堤が霖雨洪水に必ず壊れ、幾た築きても土を保たず」とある。

さて怪異は、とある婦人が夜中に憑かれたように大騒ぎしたり、若き姉妹が化け物にかどわかされたり、大洪水が起こったりするが、これみな狸の仕業。
大力の強頸(つよくび)と知力溢れる衣子(ころもこ)の二人はこれらの難事件を次々と解決してゆく。このコンビはキャラクターが立って面白く、シリーズ化してほしかった。

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「すべての見えない光」
アンソニー・ドーア 作
(新潮クレスト・ブックス 藤井光 訳)

博物館員の父とパリに生きる盲目の少女。ドイツ炭鉱町の孤児院で妹と生きる天才電気工学少年。戦火の中やがて二人が出会うまでの数奇な運命の物語。

ストーリーを形作る道具立が面白い。少女と大叔父が住むフランス、サン・ロマの家の秘密の屋根裏からは、電波に乗せて音楽や極秘の暗号が送られる。ドイツ工業地帯に暮らす少年は自身で修理したラジオからフランスの短波放送を聞き、兵役に就いてからは敵(フランス)の極秘無線を探り当てる旅。少女の父親は博物館員であり、希少なダイヤモンドがナチスの手に渡るのを防ぐために、フェイク含めて4つのうちの一つを託せられる。

これだけの設定があればお話はミステリアスにもスリリングにもなろうというもの。それだけにワクワクと読めるが、なにより主人公の二人が大人に成りかけている少年少女で、大戦下で人生の選択肢はわずかしかない。運命に翻弄されるまだまだ無垢な二人に心奪われ、過酷な状況での無事を祈るばかりだ。

脇を固める人物も個性的で、学校でいじめにあう鳥類学者肌の友人や、兵士として少年と行動を共にする大男の青年。何年も家から出ずに秘密の放送を送る少女の大叔父。隠されたダイヤモンドの行方を追いかけるドイツ人曹長。などなど娯楽的要素満載だが、語り口はあくまで静かで飾らず、二人と周りの人々の優しさが心地良い。戦争は残酷で悪人も登場するが、知的好奇心は二人の未来を開く。そして半分は悲しい未来。

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「人間ぎらい」
モリエール 作
(新潮文庫・内藤濯 訳)

貴族社会ではお定まりの外交辞令を否定し、誰に対しても本音で語ろうとする青年。方や憧れの未亡人は八方美人の冷徹な社交家。無謀な青年の恋の行く末は?

色恋以外にすることのない有閑階級の誰が愛を勝ち得るかの話なので、基本的に面白くなさそうだがこれが面白い。
まず主人公青年が本人に面と向かって「あなたの詩はヘタクソ」と言うことで引き起こす軋轢。常に本音で語ることによって身動きが取れなくなっていく。すべてを丸く治める友人との対比も効果的で、無駄な強がりというものがよくわかる。

次に男性陣の憧れの的。美しい未亡人が相手によって誰彼をほめそやしたり貶めたり、また女性同士の間ではかなり辛辣な毒舌合戦があったり、裏表を使い分けて社交界を泳ぎ切るワザ。本音が見えないのが主人公と対照的だ。

そうやって人間社会のいやらしさを描けるのも、社交辞令が異常に発達している貴族社会ならではであって、庶民の世界、あるいは商業の世界ではここまで戯画的なほど極端ではないと思う。
ところどころコミカルなやり取りもあって楽しくできています。

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