漫画家まどの一哉ブログ
「翼」李箱作品集
李箱(イ・サン) 作
(光文社古典新訳文庫・斎藤真理子 訳)
1937年東京で夭折した朝鮮を代表するモダニズム作家李箱(イ・サン)。多岐にわたる活動の中から小説・詩・エッセイなどを収録。
当時の朝鮮半島の文学運動やファシズムへの道をひた走る東京へ移住した朝鮮人作家たちの集まり。そして彼らの戦後と李箱の評価など、文庫解説ではじめて分かることも多いが、それらを知らなくても一読して多彩な才能を楽しめる作家だ。
小説「翼」:妻に一部屋明け渡し、性的な労働によって生活をささえてもらいながら、そのことに漠然としか気づかない、あまりにも無為な人生を送る主人公。いくらなんでもここまでボンヤリした人間がいるだろうか。
この作品以前に書かれた「蜘蛛、豚に会う」は同じような設定ながら、男は当たり前のように悩んだり羨んだり、行動的でもある。ここでは彼は普通の人間だ。
比べて「翼」の主人公の現実味のなさは恐るべきもので、ほぼ毎日が人生を高めるようなことはなにもせず終わり、かと言って達観しているわけでもない。このカリカチュア的な人物造形が面白くて、現実離れした傑作となっている。
散文詩「失楽園」:「私はときおり二、三人の天使に会う。みんなあっさり私にキスしてくれる。しかし忽然とその場で死んでしまう。まるで雄蜂のようにー」「秒針を包囲したガラスのかたまりに残った指紋は蘇生されねばならないーあの悲壮なる学者の注意を喚起するために」などなど散文詩好きな私にはモダニズム以上の快感がある。
紀行文「山村余情」:「何ガロンもの薄暗い空気の中に針葉樹が一本、生き生きと、青々と茂っています」情景描写はひたひたと心に染みる美しさなのだが加えて「ランプの灯芯を上げて火を灯し、備忘録に鉄筆で群青色の苗を植えていきます。不幸せな人口が苗の上に一人ずつ誕生します。稠密なる人口がー」「夜の悲しい空気を原稿用紙の上に敷きのべて、青ざめた友への手紙を書いています。そこには私自身の訃報も同封してあるのです」など紀行以上に詩魂があふれる。