漫画家まどの一哉ブログ
「沈黙」
遠藤周作 作
(新潮文庫)
1638年江戸期。キリスト教禁制により国交も途絶えたポルトガルより日本に潜入した宣教師ロドリゴ。彼が見た拷問と背教の真実とは…。残された書簡も交えて構成されたキリスト教文学の名作。
登場人物の中でユダの役割を演じるキチジローの存在が秀逸である。何度も裏切って司祭(パードレ)を罠に嵌めながら、自身の弱さを嘆き告解を願い司祭につきまとう。なにを考えているのかわからない。意志弱き人間だが、老獪な奉行イノウエや通辞に加えて彼がいることが大切だ。社会は単なる善対悪の対決ではない。
私は以前より踏み絵というものの迫真性がわからないが、司祭であるロドリゴ自身もキリストの姿を若き頃より敬愛し、潜伏キリシタンの村民も踏み絵を踏むことができない。このように神の姿・偶像への崇拝が非常に強いのはキリストの最後の過酷な姿が影響しているのかもしれない。
キリスト教は間違いなく普遍性を持った世界宗教であり、どの国に生まれようと人間であれば信仰することができる。全ての人間の悩み苦しみを救うことができる。しかしその正否は別で、ドーキンスの「神は妄想である」を結論とする自分からすれば信仰とは永遠の謎だ。
人間をはるかに超えた異質の超越的存在である神の絶対命令。死ねと言われれば死に殺せと言われれば殺す。この超越者の存在を確信する基準がわからない。やはり日常意識に先んじて体感する当然の存在なのだろうか。
ロドリゴが最後に得た結論。人間の苦難を前に沈黙を守り姿を現さない神。踏み絵を踏んでその神を裏切ったからといって、神は万人のものではなくあくまで個人のもの。カトリック教会全体が自分を非難しようと、踏むことを許した神が自分にとっての唯一の神であるとの結論は、なにか本質に近づいたような、少し目の開けた思いがした。