漫画家まどの一哉ブログ
「死者にこそふさわしいその場所」
吉村萬壱 作
(文藝春秋)
とある街に生きる人々の日常が狂気を含んでどす黒く変質していく。しだいにすべてが繋がっていく短編連作。
巻頭話を読んだ限りでは不倫の設定で書かれた男と女の話で、トーンは暗いものの狂気をはらんだものではない。ぬるぬるとした感触だが実際あるかもしれない話である。それが2話、3話と進むうちに無人のアパートで終日ドアも窓も開け放して裸で虫にたかられる男や、精神病院で患者を演じる仕事、暴力を受けることを聖なる痛みと感謝する宗教者など、明らかに異常な事態が続出して異世界へ連れ込まれてしまう。
全編通じて人間の晴れやかで健康的な面は現れない。もちろんそれぞれ悩みは抱えているものの通常のそれではなく、なにか得体の知れない不気味な内心と挙動。作者特有のグロテスクで救いようのない世界観にのまれて読んでいると暗澹とした気分になる。以前も感じた通り自分のなかでは暗黒小説の旗手といった印象だ。恐ろしいものだ。
短編集「買い物かご」
キンキントゥー 作
(大同生命国際文化基金 2014年)
現代ミャンマー小説。市場や路上、船、鉄道でものを売る人々。また買い物に集まる人々。貧しい中でやりくりして生きていく買い物あれこれを綴った短編集。
野菜や魚、菓子など食料品や衣類、食器、洗剤などの日用品。日常生活で必要なあらゆる細かなものが登場。売り手と買い手を挟んで切実な価格のやりとりが開始される。どの作品でも価格は具体的に表現されているので臨場感がある。
作者は大学を出て教職についているが実家の商売を手伝っていた経験もあり、売る側の内情にも詳しい。商店や市場と言っても良くて小さな小屋を利用している程度で、屋台・露天が多く、台車を引いて街を巡る売り手も登場。過酷なのは満員の列車内に商品を入れた籠を頭に乗せて乗り込む売り子の女性たちだ。
買い物だけに焦点を絞った小説というのは日本でも珍しいのではないか。これも一種の経済小説かもしれないが、描かれるのは貧しい人々、それも主に女性たちである。
面白かった箇所(ネタバレ):体の不調を白馬神(精霊)のしわざと理解している女性に診療所の受診を勧めると「西洋医学のお医者さんが白馬神をどうしてくれるというのです?」との返事。
「百年と一日」
柴崎友香 作
(筑摩書房)
年の流れとともに変わってゆく街や人々。様々な人生の長い長い移りゆきを集めた小品集。
時代は次々と過ぎゆきて、あっという間に百年くらいは経つ。かと思えば過去へ過去へとさかのぼり、賑やかな街もかつては草はらしかない…。長くても6ページくらいの中に、平凡な人々の身に起きた出来事がさらさらと書かれて静かな余韻を残す。
描写はあくまで出来事の連鎖で内心や感情に深く切り込むことはしないが、それがかえって一人の人生や人々の営みを達観したような、落ち着いた感慨を得ることができる。神の視点というとおおげさだが、百年くらいをまとめてみれば山も谷も小さなものだ。
それにしても膨らませれば長編にでもできるような様々なドラマが、ごく短い形いくらでも続く。それだけで感心してしまう。
「止島(とめじま)」
小川国夫 作
講談社 2008年
戦前から戦後の藤枝を舞台に、土地に生きる人々を描いた遺作短編集。
全編ほとんどをセリフの連続のみで繋いでゆく。これが晩年の小川国夫の到達した表現なのか。地の文が少ないせいか語り手の私を含めて登場人物がいきいきと立ち上がってくる印象だ。そのセリフも多くは1行くらいでごく短く簡潔。素直に作品世界に引き込まれてしまうが、ここにはおおいに作者のうまさがあると思う。
短編のうちいくつかは同じ人物たちの登場する連作で舞台は藤枝。語り手の私は土地ではわりと上層階層の少年で成績は優秀。同学年で学校へ来なくなり歌劇団へ憧れる少女。俥引きの彼女の祖父。そして家族や友人たち。
俥引きの男や少女は当然下働きの階層で、語り手の青年は彼らを使う家柄。往時の地方社会の基本的な成り立ちがよくわかるし、やがて土地を離れて東京の大学へ通う、ごく一部の優秀でめぐまれた立場の青年たちの人生もいろいろなことがある。というより当然だが作者の当時の葛藤が投影されているのだろう。
セリフで表現されるので直接的な内面の描写は少ないが、その分余計に人物が身近に感じられる。これもこの作風ならではの風味というものだ。
「刑事と民事」
元滎太一郎 著
(幻冬舎新書)
裁判における刑事と民事の違いから始まり、裁判と法制度のしくみを日常生活の事例をもとにわかりやすく解説。
ニュースを見ていても告発や告訴、起訴、行政処分などの用語を始め、よく知らないことが多いので学習のために読んでみた。
大枠としての刑事法と民事法があって、その中に刑事なら軽犯罪法や道路交通法、民事なら商法や民法などがあるのだが、重なり合う部分もあって、理解はできるもののしっかり把握するのは簡単ではない。
刑事事件において警察の役割は被疑者(容疑者)を逮捕するところまでで、その後起訴するのは検察の仕事。民事裁判の場合は訴えるのは原告、訴えられるのは被告。この最低限の知識を間違えなければテレビドラマも楽しめるという訳だ(見ないけど)。
それくらいはわかるにしても、法的にはもうひとつ行政処分というものがあり、交通違反の反則金やインサイダー取引の課徴金などがそれらしい。ただ行政裁判で訴えられるのは行政の側というややこしい話も。
後半ではビジネスや日常生活でのトラブルを、過労死・不当解雇・医療過誤・欠陥住宅・不倫・万引き・セクハラ・パワハラなど具体例をあげて解説。これは読み物として楽しめばよい。(楽しいか?)
「細胞の中の分子生物学」
森 和俊 著
(講談社ブルーバックス)
遺伝子と細胞の基本的な仕組みをひとつひとつ丁寧に解説。そして著者が最前線を走る「小胞体ストレス対応」について研究秘話を含めてスリリングに語る。
DNAの働きその他遺伝子のメカニズムについて、ぼんやりとは解っているつもりでもいまひとつ知らない。特にRNAの働きが知りたくて購入。耳馴染みのあるヌクレオチドの構造から始まって、塩基配列、DNA複製の仕組み、2本のDNA鎖の向きが逆になること、そして染色体からDNA二重らせんまでつながったゲノム全体の構造など、当然だが知らないことが多すぎる。
そしてこれもよく聞くメッセンジャーRNAの働きによってタンパク質が合成されていくわけだが、これまでのシステム解説でも必要最低限の内容だと思うが、確実に理解して追っていくには本気の学習態度が求められる。たいへんだ。斜め読みした。
第4章から核を超えて細胞全体の話に入り興味深い。当方はミトコンドリアってなんだっけ?という有様。それも含めてかなり詳しい内容だ。1本のひもであったタンパク質は折り畳まれて立体的な形をとるが、この形が崩れていると狂牛病などが発生する話。二重三重に用意された不具合のあるタンパク質を分解除去するしくみなどが面白かった。その流れで著者のライフワークである「小胞体ストレス対応」のしのぎを削る研究史が物語られる。
総じてシステム解説部分はどうしても平板な文章になってしまい、文を追う楽しさはない。これはこちらが素人であるせいで、当然だが仕方のないこと。
「量子で読み解く生命・宇宙・時間」
吉田伸夫 著
(幻冬舎新書)
不確定性原理や二重スリットなど、量子にまつわる不思議なイメージを一掃してほぼ常識的な解釈へと至る手引き書。
私のような素人が素粒子まわりを紹介した科学読み物に触れると、必ずといっていいほど、量子は波であると同時に粒子であり、粒子は二重スリットのどちらかを通ったはずなのに干渉縞を作る。あるいは観測者が位置を特定しようとすると運動量が決められない。観測という行為が量子に影響を及ぼすなどの話になり、なんて量子の世界は不思議なんだという結論で煙に巻かれる感覚だった。
本書では量子が波であるという結論から出発し、まず振動の際の定在波と節の生成を説明してくれるので、何が粒子の役割をはたしているのか理解できる。波ならば二重スリットもなんの問題もない。人間が観測することで物理的原理に影響を与えることがあるわけがない。生きている猫と死んでいる猫が並立しているわけがなく、ベータ崩壊が起きた場合と起きなかった場合で他世界がどんどん生まれているわけではない。超ひも理論の行き詰まりも含めて、全て過剰に数式に依存した論理展開を追いかけた結果であって、今日のより精密な観測に従えば常識的な感覚でもって否定して良い事例であり、ようやく安心して物理の話が素人でも聞けるようになった。
追記:この種の本は分かってなくても分かったつもりで、エイヤッと読んでしまうのが良い。
「すべての月、すべての年」
ルシア・ベルリン 作
(講談社・岸本佐知子 訳)
自由奔放に生きた作者の自伝的短編集第2弾。アルコール依存症をかかえ、看護師として勤務。そして様々な孤独な人たち。
前短編集「掃除婦のための手引き書」と同じく苛烈な人生を直球で語る迫力は変わらない。
内省的な書き方ではなく具体的な行為がたっぷりと描かれる。メキシコやチリの人々が例に挙げられているように、人々との触れ合いが濃く距離が近い。情が深いというかつねに感情が人間を支配しているところを外さない感覚。要するに人間臭くて愛や欲望に遠慮がない。
奔放に生きていて恋も熱烈。へんな印象だがセックスが近い。またセックスかと思う。しかし別れるのも簡単だ。こう書くとかなり通俗的な内容に聞こえるが、体験が豊富で嘘がないこと、体感での人間把握の深さ、なにより大胆だが雑でない小説の技術の確かさによって名作を生み出している。しかしこんな感想は推測に過ぎない。
とはいっても私は愛に生きる奔放な姿より、アルコール中毒の苦しみや、底辺社会の診療所での看護師としての務め。そこにうごめく人々の救われない日常を描いた作品の方が迫るものがあってよかった。
「死は存在しない」
田坂広志 著
(光文社新書)
この宇宙で起きた全ての出来事が記録されている量子真空のゼロ・ポイント・フィールド。科学と宗教の違いを超えて意識と死の真相に迫る究極の一冊。
この世界の目に見える物質も目に見えない意識も全て素粒子で構成されており、実は「エネルギーの振動」に他ならない。何もないと思われている真空も莫大なエネルギーを含んでおり、この量子真空の中のゼロポイント・フィールドに、我々の意識を含めて全宇宙で起きたことが全て記録(記憶)されている。
私たちが日常体験する不思議な出来事を解き明かし、世界の宗教が到達した真理の正体に迫るゼロ・ポイント・フィールド仮説。私が科学の素人のせいかもしれないが新鮮で面白く、この仮説だけでまとめてほしかった。
ところが後半はおおいなる宇宙意識への死後の個別意識の昇華の話で、正にスピリチュアルそのものの内容となっていく。その読後感はやはり似非科学に基づいた半宗教的な、PHP的なフナイ研究所的な感触で、物理学の「波動」という言葉が怪しい水を売るのに活用されているのと同じような気がする。
水を売っていないにしてもそのあたりは微妙なところで、著者の履歴・著作から推し量るしかないが、この新書の編集者は好意的に理解しているということだろう。
ところで死後、意識が個別的なエゴを離れしだいに平和な集合意識全体と融合していくなら、なにゆえ我々は苦労して生きているのかわからない。
「ティンカーズ」
ポール・ハーディング 作
(白水社EXLIBRIS 小竹由美子 訳)
リビングに設えられたベッドに横たわり、老いて今にも死を迎えようとする時計修理人の男。そしてラバの曳く荷台に日用雑貨品を詰めた棚を積んで売り歩いた父親。交互するふたつの人生に行き交う思いと悲しみ。
息子ジョージと父親ハワード。二人の人生がなんども代わる代わるに語られる。ハワードの日用雑貨品の行商という仕事がそんなに大儲けできるわけもなく、長男ジョージを筆頭に4人の子供達を従えて、この結婚が失敗だったと思っている妻。ハワードは病気やケガがあったり、ふと森へでかけて帰らなかったり。彼らの人生は平凡なものだろうが、多くの思考や懊悩といったものはなくてただなんとなく続いていく気持ちというものが、ていねいに描かれるとこんなにも面白く、こころに沁み入るものなのかと感心する。
そして老いた息子ジョージは死の何時間前からカウントダウンされていく形で描かれ、ああ人が死ぬとはこんなものかという有様がリアルだ。
作者は書きたいシーンを好きに書いて、後で順序を考えて編集したという方法で仕上げたらしいが、これが良かったかも。