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漫画家まどの一哉ブログ

   
読書
「人形つくり」 サーバン 作


森の中の全寮制女子校。つまらない毎日を送っていた生徒クレアは、敷地に隣接する古い屋敷に住む人形作りの青年ニールと知り合いになる。不思議なことに人形達は彼の魔法によって命あるもののごとく動き出すのだった。やがて恋に落ちたクレアはニールの命じるまま人形のモデルとなるが、実は死と引き換えに魂を人形に宿される運命が待っていた。

読み進むにつれ、だんだんと主人公の少女が魔術を操る男の魔手にかかって行き、いよいよどんな幻想的な仕掛けが始まるのかと思っていると、クライマックスに差し掛かるに連れて詩的で耽美幻想的な雰囲気は影を薄め、ホラー・ミステリーの事件解決パターンになってしまう。
なにしろ突然周囲に登場人物が増え、男の悪事が明らかになり、主人公の決死の適地侵入と最後は火災によって物語は締めくくられる。まさにエンターテイメントの常道的展開で、間違っても芸術の方に行かない。

併録の「リングストーンズ」でも主人公の不思議な経験が創作であることが最後に判明し、和やかな雰囲気で終わろうとする時、ただ一点どうにも説明がつかない出来事に気付き、するとやっぱりあの不思議な事件は本当だったのか?という解決できない謎が残る。これもエンターテイメントの定番の展開。
作者サーバンはそんなに売れっ子作家ではないが、この誰でも読みやすいお約束の作風を外していない。そこが自分としては物足りないところだった。

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読書
「テンペスト」 シェークスピア 作

これだけ文庫本などでたくさん売られているからには、戯曲を読むというのも観劇とは独立した楽しみなのだろう。セリフだけを追っていくのはまるで漫画を読むようなものだ。しかもシェークスピアなどはリアリズムとは違うので、ちょうど手塚治虫の初期作品の絵柄を思い浮かべてもいい。登場する貴族の声は全員家弓家正を当てて読んだ。

王位を簒奪された流浪の主人公ミラノ王は魔法を自在につかうので、なんでもありの設定だ。それでは面白くなかろうと思うが、舞台が孤島に限定されているせいか無駄な広がりがないのが救いだ。全編ミラノ王の魔術が繰り広げられるが、内容は権力争いなのでファンタジー感はあまりなく、それが読みやすかったのかもしれない。島に流された現ミラノ王やナポリ王、貴族や使用人の会話のやりとりはジョークを含んで面白かった。さらなる王位簒奪を企む悪人たちの企みの行方や道化と料理人の愉快なシーンも、典型的とはいえ充分に楽しかった。

誰でも知っている作品なのだろうけど、劇作に不案内な自分には知識がないので感想はこんなもんだ。

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読書
「黒縄」 井上光晴 

1975年作品。刊行当時から知っていたが今になって読む。
伊万里近くの土地で伝統の釜を引き継ぐ陶芸家の主人公。あと二日で自信の作品が焼き上がる頃、街で放火事件が起きる。犯人をめぐって噂が噂を呼び、主人公の家に同居する姉が疑われ、姉は精神を病み、かつて町で起こった不倫事件の記憶も呼び起こされて、ただならない状況になっていく。

常に波乱を含み怪しい雲行きが幾重にも広がる井上光晴の世界。読んでいて不安で暗澹とした気分になるが、事件が次々と展開するので目が離せない。近隣住民の集会が実に嫌なもので、警察発表で街が混乱するのを恐れ、噂話のみを根拠に対策を立てようとするが、はっきりと責任ある発言は誰もせず、うやむやなまま犯人探しが繰り返される。この気味の悪いべったりした無責任な共同体がおそらく日本社会の根っこにあるのだろう。

マスコミで報道されるような大きな事件ではなく、日常生活の中で常にある危機と不安。とにかく何もはっきりしない中でただ不安ばかりが増大してゆき決して解決しない。暗黒というより永遠に曇り空の下を進むような、これが井上光晴を読む醍醐味だ。

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読書
「二十一世紀前夜祭」大西巨人 作

2000年発行の短編小説及びエッセイ集
大西巨人はまるで公文書のような大げさで堅苦しい表現をそのまま使うのが特徴だ。例えば「その『創刊の辞』的な短文について、大津は、どこが悪いのか、どこが連合国軍の占領政策遂行を阻害するのか、どこが日本絶対主義的軍国主義(の復活)を鼓吹するのか、というような諸点を理解も納得もし得なかった。」というような具合である。ところが読んでみると小説を読む楽しさが存分にあって、これが実に愉快なのだが、よく見ると言葉は大げさだけれど、言ってることは少しも難しくない。人間が動いている。確かに小説なのだ。

それで短編小説と言っても「小説家真田修冊の放送談話(録音より採取)」という体裁をとった身辺雑記のようなものだが、「老いてますますさかん」「年寄りの冷や水」など老齢に関する随想が面白かった。

そしてこの放送談話の体裁のまま、太宰論・安吾論をも含んだ加藤典洋の「戦後後論」についての批判が続く。これは98年に「群像」誌上で繰り広げられたもので、論旨についてはどっちでもいいのでなんとも言えないが、小説家は芸術家でありながら評論家と土俵がかぶるので大変だなと思うね。

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読書
「お供え」吉田知子 作

いつの間にか死んだ人と会話していたり、あれ?この人はもう死んだのではなかったの?と思っているうちに抜け出せない迷路をさまよっている。事の成り行きはたいがいうまくいかず、こちらの意思は通じず、行き着くところのないまさに悪夢的な世界。そのほとんどが古い日本の田舎町で起きることで、土着的な怪異と不条理が存分に味わえて楽しい。

そういうスタンダードな怪異もあれば、表題作「お供え」などは、ある頃から家の門柱に、誰の仕業か花が添えられるようになり、隣の空き地では何やら宗教的な集会が始まり、自分ちの庭には賽銭が投げ込まれ、自分はもう何もしなくていい気持ちになり、だんだんと神様にまつり上げられていくという他に類を見ない設定。
また村で殺人事件があり山狩りをして犯人を探していると思ったら、自分も凶暴な性格であり、探されている殺人者は実は自分だったというような恐ろしさに満ちた怪作もある。

日本怪異幻想小説の名品。

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読書
「草の上の朝食」 保坂和志 作

著者初期作品。ほのぼのと平和で愉快な感触があって楽しい。男女数名の若いもんが同居していて、毎日近所一帯の猫にエサをやって回ったり、拾ってきたキーボードの練習をしたり、ダフ屋の手伝いをやってチケットをもらったり、主人公は土日は競馬。喫茶店で友人の神秘的予想を聞いたり、その喫茶店のバイトの娘をデートに誘ったりする。悪い奴が出てこない。

だいたい他人同士4~5人も主人公のアパートに同居していて、オフタイムにプライベートが無い状態でケンカも起きず、そんなに働いていないのに経済問題も起きていないなんてことは、リアリズムでいうとありえないから、これは一種のファンタジーで、だからこんなに面白いのか。

文章は自分が文芸基本体とでも思っている文体で、「〇〇はこんなであんなでこういう時はこうなのだが、そうは言ってもこんな時はどうだしああだしこういうことでもあるので、それならああやってこうやっているんだなあということになっていた」というリズムで繋がっていく。これが最後まで続く。よくある文体だが平凡な日常をファンタジー化するのには向いているのかも。

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読書
「ハイドラ」金原ひとみ 作

やや昔の作品だが金原ひとみも読んでみた。
ライターやカメラマンやスタイリストなど、クリエイティヴ業界の人間ばかり出てきて空々しい印象。女同士の会話も定番の絵に描いたようなセリフで、全体としてテレビドラマや漫画のようだが、これも設定をしっかり描いて徐々に話の核心へ向かうための助走だ。後半になって筆が乗ってくると活きてくる。

主人公の若い女性はモデルであり有名カメラマンと同棲しているが、性的関係と被写体としてのみ存在を許されている隷属的状態。太らないために大量の食品を噛み砕いては吐き出す行為を毎夜自分に課す。こういった病的な拒食・過食も多く小説や漫画に描かれてきているので、都合よく使われた感がないか注意が必要だ。

やがて彼女が出会い恋するミュージシャンは裏表のない善意にあふれた人間で、多方面にいくつもの顔を使い分けて傷つくことを避けているような彼女の生き方とは正反対の人物。陰湿なカメラマンとも真逆。この男を配置したことで話が俄然面白くなり読む方はドキドキとする。結局彼女はカメラマンに強要された自身のあり方を振り切ることができないが、話の展開からこうならざるを得ないだろうと納得してまう。

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読書
「迷宮」 中村文則 作

この作者のものを何か読んでおこうと思ったが、選択を間違えたか。ミステリー仕立ての短い作品であっという間に読めた。おぞましい一家殺人でしかも密室。ミステリーに詳しくはないがなかなかのトリックが用意されていて、その面では飽きない。

現代作家で文章に味わいのある人にめったに出会わないが、この作品も文自体に鑑賞するところはなく、ただただよどみなく事態が進んでいく。ほんとうは進まなくてもいいから3行読んだだけで脳が快感に満たされるようなゲージツ的な文章を読みたい。

主人公も相手の女性も幼い頃から心に闇を抱えていて、それは成長するにしたがって日常に紛れて見えなくなってしまうのだけれど、実は大人になっても自分で捉えなおさなければならない。と言ったようなテーマらしきものはある。やはりここでも顔を出す現代小説の主要なテーマである「日常」…。ただし心の闇云々は考えて仕掛けて書いても解釈のようなものが出来上がるだけで、作者から独りでに流れ出すようなものでないと面白くないと思う。

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読書
「道化と王」 ローズ・トレメイン 

作解剖医のメリヴェルは陽気で派手好き、ちょっと下品だが誰とでも親しく交わる人間だ。国王チャールズ2世の愛犬を治療したことから王のお気に入りとなり、医学を捨て道化役として宮廷に出入りすることとなる。国王の命令で王の愛人と偽装結婚し、郊外の邸宅に悠々と暮らす毎日を得た。

ただただ本能のままに快楽を追い求める男。ところが仮の妻に本気で惚れ込んでしまい、だんだんと恋の話に終始してくる。やや退屈してきたところで、ついに王の怒りをかって邸宅を追われる身となってしまった。ここからの展開が実によい。

彼の人生は極端に変わり、クェーカー教徒たちの営む精神病院で医師としての禁欲的な生活が始まる。それまでの享楽的な人生を打ち捨て心を入れ替え、ひたすら内省と患者の世話に明け暮れる毎日。私欲を去り神と他者に尽くすクェーカー教徒たちの生き様を読んでいると、はらはらと心地よい緊張感を得ることができる。

結局メリヴェルは俗を捨てきれない男で、女性患者に手を出してしまい、精神病院を去ることになるのだが、聖と俗の間で揺れ動く凡夫としての主人公がリアルだった。最後まで王様への敬慕の念を捨てきれないのが平民の悲しいところ。

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読書
「黒い時計の旅」スティーブ・エリクソン 作

ドイツが先の世界大戦を制しヒトラーが生き続けている世界。インディアンの血を引く屈強な大男で乱暴者の主人公だが意外にも筆がたち、ヒトラー1人のために小説を書き続けて報酬を得ている。しかも兄弟を殺してアメリカからウィーンに逃げているという破格の設定。

この主たる物語以外に観光地の島で連絡船を操る青年とその母親の数奇な運命など、時代を遡って遠く主人公の運命に絡み合う人々の人生もふんだんに描かれ、尚且つ主人公が創作上想像した人間も、そこにいるかのように同等に扱われたりするので、作品世界は巨視的というよりもやや茫漠と広がった印象がある。

ストーリーがそんなにないのは一向に構わないし、運命に翻弄され彷徨える人間たちの描き方も充分読み応えがあるのだが、なにか快感というところまで至らないのは、あまりに多くを描きすぎているからではないだろうか。アメリカとオーストリアのみならず、イタリアやメキシコまで行かなくてもいいじゃないか。この作品は失敗を含みながらかろうじて成立しているんじゃなかろうか。

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