漫画家まどの一哉ブログ
「引き潮」 スティーヴンスン
読書
「引き潮」スティーヴンスン 作
エンターテイメント小説でありながら、そのまま時代を超えてしまうスティーブンスン作品。タヒチの港からスクーナー船と積荷をだまし取った落ちぶれ3人組。積荷の密売計画は頓挫するが、流れ着いた島でさらに危険な人物と遭遇する。正義とは無縁の海洋冒険小説。
物語の大半は通俗小説ならではの生ぬるさがあって、心踊るほどのことはないのだが、終章近く悪人たちが最後の殺人計画を企む辺りからがぜん面白くなり意外な感銘を受けた。それは登場人物たちの生きる上でベースとなっている宗教意識だ。
「引き潮」スティーヴンスン 作
エンターテイメント小説でありながら、そのまま時代を超えてしまうスティーブンスン作品。タヒチの港からスクーナー船と積荷をだまし取った落ちぶれ3人組。積荷の密売計画は頓挫するが、流れ着いた島でさらに危険な人物と遭遇する。正義とは無縁の海洋冒険小説。
物語の大半は通俗小説ならではの生ぬるさがあって、心踊るほどのことはないのだが、終章近く悪人たちが最後の殺人計画を企む辺りからがぜん面白くなり意外な感銘を受けた。それは登場人物たちの生きる上でベースとなっている宗教意識だ。
彼等は悪人であるにもかかわらず、いや悪人ゆえになのか神の裁きを強く意識しており、意識していないのは意志薄弱に悩むインテリの男くらい。強者であるほど真摯なキリスト者なのだ。
悪人といえどもキリスト教世界で育った人間は、神と1対1で向かい合っており、自身の言動が常に神に裁かれている意識を持っていることにあらためて驚いた。これは個人が個人として超越者に対して責任を持つということであり、全体主義に染まっている日本人と比べると対極的な考え方だ。これがキリスト教社会に生きる人間なのか。小説の形で書かれるとあらためて思い知るもんだ。
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