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漫画家まどの一哉ブログ

   
読書
「身体知性」佐藤友亮 著


サブタイトルに「医師が見つけた身体と感情の深いつながり」とあり、合気道家でもある医師の著者が説く、西洋医学と東洋医学を身体知性から横断する論考。

まず西洋医学が基本的に分析的である事。肉眼解剖学の発達によってもたらされた身体の部分的理解とその限界。次に実際の医療現場でわからないことを解決する直感的な思考・医師の経験からくる身体感覚的判断。ここまでは素直に理解出来る。
新鮮だったのは神経生理学者アントニオ・ダマシオの「ソマティック・マーカー仮説」。感情の揺らぎによって起きてしまうヒューマンエラーの話から始まって、「身体を通して受け入れる感覚刺激が感情(脳の機能)を作り出し、それが人間に意思判断決定を起こさせる」ことを解説。ダマシオの著書『デカルトの誤り』をひもときながら、「考える」という事(精神・脳の働き)は「生物学的有機体としての身体」なくしては生まれるものではないことが説かれる。これはちょっと目ウロコだった。

そのあとは身体を通して感情を整える東洋的な身体知性のはなしとなるが、これも部分的分析的な把握ではなく、総合的な身体の把握が大切なところ。合気道を介して説かれる内容は、確かにこの本を読んでいる上では理解出来るものの、やはり実際体験して初めてわかる知性だろう。

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読書
「エリザベス・コステロ」
J・M・クッツェー
 作


オーストラリア在住の世界的作家エリザベス・コステロ。彼女は世界各地で講演を頼まれ、いそいそと出かけては論争を巻き起こして疲弊と後悔の連続となる。「こんな講演引き受けるんじゃなかった。こんなところへ来るんじゃなかった。どうせやっかいなバアサンと思われているだろう……。」

作家と作品のあり方を問う文芸談義だけで構成された珍しい小説。
アフリカの作家とは西欧社会でどういう位置付けで呼ばれているのか。神を捨てた人文学とあくまでキリスト教徒として生きる立場の違い。小説の中で悪を描写するとき、たとえ事実でも蓋をして触れないほうが賢明なこともあるんじゃないか。そしてことさらカフカ的な不条理をわかりやすく揃える事への門前での抵抗。などなど。

ノンフィクションかエッセイかと物議を醸した問題作らしいが、れっきとした小説である。文学論など一般読者にとってはどうでもいい内容のはずだが、主人公の作家と周辺人物のエピソードがおもしろく、ドラマとしてきっちり仕込んであるしセリフややりとりも存分に楽しめる。世界的作家もそれなりにたいへんだね。

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読書
「歴史への感情旅行」安岡章太郎 著

またも読んでしまった安岡章太郎のエッセイ集。1995年刊。

「事実と真実ー井伏鱒二『黒い雨』」:作者井伏鱒二によると代表作「黒い雨」は小説ではなく、いくつかの被曝日記や体験談をもとに構成されたドキュメントであるとのこと。たしかに基調となった閑間重松の被曝日記がそのまま活用されているにしても、この作品が高い評価を受けているのは、作者の目が原爆そのものより人間の罪業に向けられているからではないかとの考察。

「島崎藤村と『夜明け前』」:もっと古い時代の小説かと思っていたら「夜明け前」の連載開始は1929年だ。安岡曰く、この年に藤村が明治維新前後をふりかえるのは、我々(安岡)が昭和をふりかえるように、作者にとってうんと近い時代の感覚ではないか。ましてや木曽の山中。この作品の主人公は青山半蔵ではなく、地域の歴史そのものだろうという話。

「菊池寛と仇討」:仇討の話ばかりを集めた短編集「仇討新八景」より「下郎元右衛門」という作品を紹介。極貧生活の中で当主の仇を討とうという嫡男達。見捨てずに奉公を続ける元右衛門が悪事に揺らいでいくストーリーが解説されるが、これがあっと驚く面白さ。

『梨の花』ー記憶の作用:政治的関心のない安岡がどうして中野重治を愛読するようになったか。また裕福な農家出身で東大まで出た中野にとって左翼とはなんであったか。彼の資質に迫った講演録。

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読書
「黒い魔術」
ポール・モラン 作

1920年代にモダニズム小説で一世を風靡したポール・モラン。そのこと自体を知らなかったが、そのモランが都会的な作風とはうって変わって、アフリカ・アメリカ・中米を舞台にムラート達を主人公とする短編集を書いた(1928年刊行)。黒人と白人の混血をクレオールだと勘違いしていたがムラートというのが正解のようだ。もともとは侮蔑的な意味があったらしい。

一見白人に見えても一滴でも黒人の血が混じっていると猛烈な差別を受けた時代。その境遇に抗いながら自身の力で築き上げた地位を守ろうと格闘する人々が登場する。作者はアフリカンの体に流れる土俗的・呪術的な血を、近代文明と白人社会の価値観に対するアンチテーゼとしてしばしば登場させるようだ。それを肯定的に描いているのか、それとも創作上の手段としてただ利用しているのかはわからなかった。ひとつのパターンとなっていた。ただ作品としてはどの短編もおもしろく、飽きさせるような下手なことはない。

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読書
「お前らの墓につばを吐いてやる」
ボリス・ヴィアン 作


ボリス・ヴィアンが偽名で発表したピカレスク・ロマン。実は黒人の血が混じる主人公は、人種差別によって殺された弟の復習のため白人への報復を企む。

この主人公の義憤や屈折をもっと丁寧に書いてくれればよかったが、そのへんはあっさりしていて、ただ歌もギターもダンスも運転もうまいマッチョなやつとして描かれている。エンターテイメントとしてはそれで充分なのかもしれないが、これでは感情移入ができない。ストーリーは大半が10代の少女たちとセックスに明け暮れ、機会を得てようやく近づけた金持ちの姉妹との接触もひたすら酒とセックスの描写で、これは個人的な趣味だがまったくつまらない。

全体から見ればラスト10%くらいでようやく殺人。そして警察とのチェイスをへて破滅へと至るわけだが、この辺りは筆がノっていて息もつかせぬ面白さ。残酷だが下品ではないさすがの出来映えだ。
それだけに全体の構成がなぜこうなっているのか惜しまれる。

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読書
「太陽肛門」
G・バタイユ 作


若きバタイユの論考のような散文詩のような小品。
訳者による実に分かりやすい注釈と解説付きだが、一度注釈抜きで一通り読み、そのあと解説に触れ、さらに読み直すとさらに楽しい作品。太陽を中心に世界のあらゆるものを性的なパロディとして扱ってゆくのが可笑しい。潮の満ち引きや昼夜の移り変わりも男根のピストン運動にたとえられる。論考の意味を忠実に追っていってもよいが、言葉自体がたいへんおもしろいので、その感触を楽しむこともできる。打ち捨てられた靴の片われ、低すぎる鼻、裁判官のくぼんだ目、鵞鳥の胃袋を貪り食う犬、泣きじゃくる会計係、歌姫の一人遊び、などなどちょっとイイ感じです。

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読書
「カンガルー・ノート」
安部公房 作

安部公房最後の長編。主人公は脛にびっしりとカイワレ大根が生える奇病にみまわれ、医者に指示されるまま硫黄泉での治療をめざして自走ベッドで運ばれてゆく。まるで意思を持ったかのような頑丈なベッドは、謎の地下水道を通り、三途の川イベントが繰り広げられる河原へ到達。その後採血コンテスト日本一の看護婦の家や、脳震盪で入院した病院での事件等が続く。

奇妙な出来事が連続するが、ある程度現実的な裏付けがなされているので、純粋なシュールレアリズム小説ではないのかもしれない。この現実感が読みやすい理由で、安心して次の冒険へ入って行ける。シュールレアリズム小説としてはある意味オーソドックスな定番の書き方だと思う。ただ個人的には足にカイワレ大根が生えているという設定がグロテスクで、そこは我慢しながら読んだ。

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読書
「リア王」シェイクスピア 作


老王リアと3人の娘たちの話ではあるのだが、同時にある家臣の妾腹の子が親兄弟を裏切って成り上がろうとする話が進行する。このサブストーリーがなぜ必要なのか?自分も最初は疑問に思ったが、話が進行するうちに本筋と絡んできて全体が重層的な厚みのあるストーリーとなった。

当然ながらリア王はじめ人物のセリフはみな過度に修飾された詠嘆調で、リアリズムとは程遠いものだが、この大仰な詩的装飾が読み進むうちになくてはならない味わいに感じられてきた。その実個々の台詞はその性格をあらわす内容豊かなもので、人間臭い魅力に満ち溢れたものだ。単に神や自然を引き合いに出して飾り付けているだけではないのだ。そしてこのセリフが彷徨える教王リアの魅力を十二分にいや増していると思った。

典型的な分かりやすい善人悪人が入り乱れる中で、リア王と道化の存在がその典型をはずれた面白さを持っている。やはりここが名作の鍵だ。

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読書
「第三の嘘」
アゴタ・クリストフ 作


「悪童日記」「ふたりの証拠」に続く三部作の最終話。主人公の双子は50歳を越えて、子供時代を過ごした懐かしの街で再会を目指す。とは言ってもこの三部作に一直線につながったストーリーがあるわけではなく、彼らによって語られる物語のどれが真実でどれが嘘かはあきらかではない。
作者は当初から三話書くつもりではなく、「悪童日記」の設定を使ってまた別の話を書いてみたといった経緯のようだ。それがかえって複層的な効果を生んで、稀代の名作が完成した。

第一部「悪童日記」では作者の頭の中にのみあって書かれなかった設定や、前二作で書かれたことをあとから伏線として利用するなどしたのか、合わせて読むと見事にモザイク的な面白さ。読者にとっては謎のままだが、いくつもの真実がある世界が出来上がる。しかし基本的には主人公の、社会から外れたところで独力で生きている、人並み外れて頭の良い双子の魅力があってこそ成功した作品だ。たしかにちょっと捨てがたいキャラクターです。

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読書
「ふたりの証拠」
アゴタ・クリストフ 作


代表作「悪童日記」の続編。主人公の双子のうち、一人は国境を越えて行き、残ったもう一人の青春期を描く。直接政治的なテーマを追うものではないが、ハンガリー動乱の結果多くの市民が犠牲となったことやソビエトの支配が背景としてある。動乱で愛する人を亡くし、悲しみを抱えて生きる人々の話でもある。


まるで箇条書きのような、何の修飾もなくぶっきらぼうに事実のみを書いて放り出したような文体。それなのに登場人物の人格が濃厚に立ち上がってくるのが実に不思議だ。内心の説明がなく、未亡人と幼い連れ子を引き取ったり図書館員の女性をつけまわしたり、主人公リュカのとる行動の真意もわからぬままあれよあれよと読まされてゆく。

ところが物語も半ばすぎると、政府に殺害された妻と暮らした旧宅を見続ける不眠症の男や、一編の小説を書くことを遠い目標に酒に浸る書店兼文房具屋の店主など、人物の語りがだんだん濃密になって行き、その様々な人生の迫力に息を飲む。ミステリーのような仕掛けも含みながら充分ドラマティックだが嘘ではない。これぞ筆力というものだ。

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