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漫画家まどの一哉ブログ

   

「宮廷の道化師たち」
アヴィグドル・ダガン 作
(集英社)2001年刊

ホロコーストの最中、ナチ司令官専属の道化師として生き延びた4人のユダヤ人。戦後イェルサレムでの邂逅までの変転と復讐のドラマ。

語り手は4人の道化師の一人、背中にコブのある元判事。彼や友人となった占星術師の若き日々と内心が静かな筆致で語られて、文章の落ち着きと品の良さに癒される。この感覚はなかなか言葉では説明できないが個人的なものかもしれない。

アクロバットや曲芸・占星術などの腕を持つ4人のナチ支配下での物語は悲劇であるが、舞台は早々に戦後へ移りイェルサレムへたどり着くまでの彷徨が描かれる。さすがにドラマチックであり、中でも妻を殺された曲芸師の復讐劇が興奮をそそる。
運命の神に操られるまま復讐のクライマックスへたどり着いた曲芸師の迷いと疑義。ここには死刑制度のはらむ問題も顔を出していて、復讐とはいえ妻を殺害した元ナチスの人間を殺すことは、自分も殺人者と同じ罪を犯すことではないのか?
そして神は人間の運命を弄んでいったいなにがしたいのか。という答えのない問いへと至る。まさに答えはないままにある種の達観を得て物語は終わる。

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「絶対製造工場」
カレル・チャペック 作
(平凡社ライブラリー)

物質の持つ質量を全てエネルギーに変える画期的な装置が発明される。だが物質の解放と同時にあらゆる物に遍在する絶対的存在(神)も解き放たれてしまう。異色奇想小説。

絶対が世界に氾濫するというと何が起きているのかわからないが、要するに神の蔓延であって、人々は無心の善意の虜となってしまう。この着想はある程度話を紡いでいくことはできると思う。また、絶対(神)が資本主義の原則を超えて工場生産を進め、世界に物が溢れ出すのもおもしろい。

しかしこれは着想を絵解きしているようなものであって、そこに終始していてはドラマとしてのふくらみは薄いままではないだろうか。主人公であったはずの発明家と事業家は途中で姿を消してしまい、だれも話を引っ張らないのだ。

そして自分たちの信ずる絶対的真理をかかげ他者の信仰を省みない人類が、次々と世界大戦の泥沼に飛び込んでいく展開。相対的視点の大切さがテーマであるにしてもやはり絵のない絵解きであり単調なものだ。小説作品としては生硬な印象で、失敗しているのではなかろうか。

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「病牀六尺」
正岡子規 著
(岩波文庫)

子規が亡くなる直前まで連載した病床エッセイ集。俳句評から絵画論を中心に、室内から見た日々移ろいゆく世界の印象。

エッセイというものは不思議なもので、日常普通のことを気負うことなく自然に書いて面白いのだから謎だ。もちろん文章技術もあるだろうが、書き手の人格の素直さなんかも大いにあるかもしれない。口述筆記というのもいいのかも。

子規が楽しんでいるのは専ら日本画で、こちらは見たこともないその作品が子規の解説によると目にしているかのように分かる。
炊飯会社を起こすべき説への賛同は合理的。炊飯器などなかった時代、個々に飯を炊くよりも誂えた方がよっぽど経済合理にかなっている。
双眼写真というメガネを使っての立体視はこのころからあったとは知らなかった。近眼の人は見えにくいらしい。などなど面白コメントも多数。

朝病状悪く、苦しくてもうこれが絶筆かと思った日も、午後から回復し、祭礼日でもあるし豆腐のご馳走に盃を挙げ愉快に過ごしたが、まだ今月15日もあることを思うと、どう暮らして良いやらさっぱりわからぬ…など愉快愉快。

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「注文の多い註文書」
小川洋子 クラフト・エヴィング商會 
(ちくま文庫)

文学作品の中に登場するこの世にないはずのものを探し出す。註文書・納品書・受領書の3編で構成される5つの物語。

小川洋子が仕立て上げた不思議な註文書のエピソード。みな面白いが素材として選ばれる作家が、順番に川端・サリンジャー・村上春樹とふだん自分があまり寄りつかないようにしている作家たちで、そのせいか冷めた気持ちで読んだ。4話目のボリス・ヴィアンは自分の趣味の範疇だが、捜しだされる古物も青く光るガラス容器のような、硬質な美意識が漂ってさすがにおしゃれである。これはクラフト・エヴィング商會のセンス。(全編美しき写真あり)

最後に内田百間の「冥途」初版落丁本が取り上げられるに及んでようやく自分がゾクゾクする世界に。なんて面白いんだこの企画!

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「ゴールドラッシュ」
柳美里 作
(新潮文庫)

パチンコチェーン店経営者の家に生まれた少年。年齢不相応な大金を自由に使い、父親に愛されないながらも後継者としての扱いを受ける。崩壊する家庭の中で、世界から孤立する少年が守ろうとしたものは? 

巨万の富を築いたパチンコ店経営者の周辺にたむろする強欲な大人たち。横浜黄金町で中華屋に集う貧しい人々。そしてついに起きる家庭内殺人事件。昔の青年漫画誌を読むようなエンターテインメイト風味がふんだんにあり、愛人や不良少年、やくざくずれや刑事など、やはり典型と言えばそのとおりの人物だ。しかも殺人事件の推移がストーリーにあるのでその面白さだけでも読めてしまう。

ところがそれとは別に主人公の少年をはじめ、理解者である黄金町のやくざくずれの男、孤児である少女など、彼らの迷いや苦闘がひしひしと迫るように描かれていて魅了される。全く典型ではない。こんな特殊な環境で育った少年の内心がよく書けるなと思う。子育てに関しては親はなにするかわからない。子は覚悟するしかない。

これがこの作品の本質であり価値であり、同時にエンタメである。こんな離れ業もあるのだ。

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「ミハイル・ブルガーコフ作品集」
(文化科学高等研究院出版局)

ウクライナ危機にあたり、緊急応援出版として企画されたウクライナの大作家ブルガーコフの作品集。2010年に発行されたものに図版(写真)を追加して再発行。本書の売り上げはウクライナ大使館へ寄付されます。

私は2010年発行の本書を当時購入していて読書日記も書いているのだが(2011.7.12)、そのことをすっかり忘れていて読み終わっても思い出さず、そのまま今回二度目の読書日記を書いた始末である。以下がそれであります。

文化科学高等研究院出版局は知らなかったが、三和酒類の冊子「iichiko」を出しているところか。もとよりブルガーコフは私の最も敬愛する作家で、迷わず購入した。

ごく短い小編をはじめ名作「モルヒネ」や「巨匠とマルガリータ」初期稿断片など。戯曲「偽善者たちのカバラ」は検閲前の版から訳出したもの。モリエールを主人公とする四幕劇でたいへん面白かった。モリエールの無神論的な作品「タルチュフ」をめぐる国王や大司教からの弾圧は、言わずもがなブルガーコフとソヴィエト連邦政府との成り行きを下敷きにしている(と思われる)。

今更だがブルガーコフ作品は戯曲も小説も会話(セリフまわし)がいきいきとしていて人間臭く、巻末「ソヴィエト連邦政府への手紙」にもあるとおり、風刺作家を自認するだけあってのこの人間描写。本書のサブタイトルも「権力への諧謔」だからね。

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「亡命者」
高橋たか子 作
(講談社文芸文庫)

渡仏して安アパートを拠点に、各地の修道院を宿泊して歩く作者の体験記。そして体験をもとに生み出された小説も併録。キリスト教における亡命とは何か。

わからない。作者のたどり着こうとする「プスチニア(砂漠)」という何かも捨てたカトリックの概念がわからない。
体験記自体は驚きの連続でたいへん面白いのだが、小説の方で登場するアニーとダニエルの行動がまるで理解できない。愛し合っている二人なのに、わざわざ人間としての自然な体感に背を向け、別々に修道院を体験し、1年も2年も離れて暮らし、たどり着いたイスラエルでの共同生活もほとんど各自の部屋で過ごす。これが求道だとすれば仕方がないが、無宗教の自分には踏み込めない領域だ。

それにしても作者の体験したパリの安アパートの壮絶さは想像を超えるものだ。エレベーターのない8階であったり、極狭で窓は天窓のみ、風呂もシャワーもないなど。そこで鏡も持たない断捨離の極みのような生活を続けるのである。

作品が宗教的真理の解説書であっては文芸の敗北であるが、さすがにそんなことはなく、小説には小説の独立した立ち位置があって面白い。この求道的な精神が高橋たか子の魅力でなくてなんであろう。

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「アルケミスト」
パウロ・コエーリョ 作
(KADOKAWA)

南スペインアンダルシアで暮らす羊飼いの少年。夢のお告げと不思議な老人の導きによってアフリカへ。ピラミッドに隠された宝物を探す旅で彼が見つけたものとは?

たしかに小説の形はとっているが、一般的な小説とは違った伝道書のような内容。まごうかたなきスピリチュアル小説だった。
それでも主人公の少年が丘の上のクリスタルショップで働き出し、いろいろと店をよくする工夫を考案するあたりまでは、ある種ビジネス指南書として読んでもいいかもしれない。ポジティヴ思考で運が開ける前兆を見逃さず、事業を広げるのだ。

個々の人間はどうしたってやがて死んでいく運命ならば、個人を超える大きな存在が自分をどう導こうとしているか、耳を傾けようとするのも現代人にとっては必要な視点かもしれない。そこに神とは言わないまでも超越した存在を見ようとするのがスピリチュアルなのか、一歩手前までは頷ける。

少年の旅は砂漠のオアシスに入り、錬金術士(アルケミスト)を探す。その前に一目見ただけで運命の恋人を発見するくだりなどは、やや単純な通俗性を感じた。錬金術士のかっこよさや、部族戦争で囚われたりする危機などはふつうに小説としての面白さがあった。

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「いやいやながら医者にされ」
モリエール 作
(岩波文庫)

夫婦喧嘩のはらいせに、女房によって医者であるとの噂を流されたきこりの夫。そして巻き起こる騒動。傑作喜劇。

かなりドタバタと謂わゆるコント芝居が続いて、正真正銘の笑うための喜劇だなあと思う。すぐに棍棒で相手をぶんなぐるという手荒なシーンも多く、セリフもわざとらしい田舎訛りも多用した簡単なもの。許されない結婚を成就させるために一芝居うつところなど、典型的な新喜劇風味。それでも嫌な印象はないのは時代が離れているためか、訳文がいいからか、やはり原作がおもしろいからか、充分楽しめた。

それにしても1600年代後半の作品だが、すでにラテン語は知っていれば尊敬される教養の代表扱いであったことがわかる。

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「虫喰仙次」
色川武大
(小学館P+D BOOKS)

親代わりとして兄弟たちの成長を見守ったため晩婚であった著者の父。幼き頃の著者と父親の思い出を中心に縁者の人々を描く短編集。

この短編連作の舞台である著者の実家は東京牛込であり、時代は1930年代である。当然親は兄弟が多く、家には兄弟以外の子も住んでいる。海軍勤めの父親や、あまり歳の違わない破滅型の伯父、観音信仰の祖母の話が記憶や調査をもとに綴られてゆく。様々な人間の生きざまが生々しく蘇って読まされてしまう。
とはいっても読み進むにつれ、何故だかだんだん気持ちが暗くなってきた。特別劇的なわけでもないのだが、それだけにどうしようもない意図しない陰湿さを感じてしまう。おそらくこの暗さは作者の本質であり作者の見る人生の本質でもあるのだろう。

表題作「虫喰仙次」はギャンブラーの著者が競輪場で懇意になった編集者の話。社員も雑誌も使い捨ての娯楽雑誌出版社で生き残って行く個性的な男の世渡りを追う。まあ他人事といえばそうだが、こうやって知り合った人間の人生を連作しても面白いかもしれない。

色川武大は昔「狂人日記」を読んで絶望的なショックを受けたので信頼しているが、やはりどこかしら陰鬱なトーンを感じた。

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