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漫画家まどの一哉ブログ

   
読書
「みいら採り猟奇譚」 河野多恵子 作

戦前から戦中にかけて、開業医の家庭に育った歳の離れた新婚夫婦のおはなし。相良外科病院のひとり娘比奈子は女学校を卒業するとすぐ前から家族間で決まっていたように、内科医の尾高正隆に嫁ぐが、こういう親の決めた早い結婚は当時ふつうの感覚だったのだろうか。
結婚後初夜から閨房のようすが描かれるところが珍しいが、実はこの夫がマゾヒストで二人の被虐加虐のバリエーションがしだいに発展していく。やがて夫は銭湯に行けないほど体中傷だらけとなってしまうのだが、SM描写はちっともいやらしくなく冷静な筆致で書かれているので、この二人がなんでこんなことをしているのか奇妙な感じがする。


ところがこの小説でそういったシーンはごくわずかで、大半はこの時代のちょっと生活にゆとりのある階層の細やかな日常生活である。身近な衣食住の工夫や買い物、親戚付き合い、近所付き合いなどがていねいに描かれていてたのしい。開業医の暮らしぶりが分かるし、だんだんと戦争に突入してゆく世の中の様子がリアルだ。


それだけでも楽しく読める話なのだが、なぜか夜になるとアブノーマルなことになって、この昼と夜がすんなりと繋がっているのがなんとも不思議な、そういう人間だからという理由でしか説明できない、人間ありのままでいいのだという世界だ。

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読書
「夜の寓話」 ロジェ・グルニエ 作


著者は作家になる以前に著名なジャーナリストであり、この短編集はライターとしての経験を素材に編集・広告業界でうごめく人間達を描いたもの。といってもべつにその業界ならではの人物像を追いかけたわけではなく、人間一般のやるせなさを綴る。


●ジゼルの靴:リセ(国立高等中学)時代に、いじめられていたところを義憤にかられて味方したことから友人となった男ラリユー。彼は卒業後も半ばアウトローの道を歩むが、語り手(私)との奇妙な友情は続く。こういうインテリではない人物との話は想像できない展開となっておもしろい。


●脱走兵たち:軍隊時代に知り合ったジャーナリスト、ペレンの後日談。スペイン戦争のさなか、彼が最後に選んだのは、体内にペスト菌を抱えたまま忍び込みフランコ派を絶滅させるという突拍子もない仕事だった、果たして…。


●厄払い:報道部女性記者カルリと若手カメラマンラフレ。彼らがペアを組んで取材した先では必ず人が死ぬ。迷信深いカルリは呪いを消すために、一線を越えて二人の関係を変えようとする。

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読書
「隊長ブーリバ」  ニコライ・ゴーゴリ 作


ウクライナはザポロジエの街に住む連戦の勇者タラス・ブーリバ。彼はコサックの中のコサックだ。ロシア正教の宗教学校から帰ってきた二人の息子オスタップとアンドリーにもほんとうの戦争を体験させねばならぬ。安穏と平和を貪っているわけにはいかない。講和条約もものかは、いよいよ戦争を開始するのだ。東にダッタン人、西にポーランド人、南の海にトルコ人を相手にコサック魂を見せつけてやろうぞ。
白兵戦の時代までなら男子たるもの戦闘の覇者がヒーローだ。敵の首をはね街を蹂躙し殲滅する。これぞ男の進む路。男が戦場へ出なくてどうする。けっきょく男は戦争がしたい動物かもしれないね。


小隊の展開から銃を使った団体戦、1対1のせめぎ合いなど、やったりやられたりの戦闘シーンが実に巧みに描かれていてワクワクしながら読んでしまった。
敵国の姫に心奪われコサックを裏切ってしまう弟アンドリーの運命やいかに。囚われの身となり、斬首される寸前父ブーリバの声を聞く兄オスタップ。徹底して小ずるいユダヤ商人も再三登場。そして敗戦の隊長ブーリバの壮烈な最後とは。
というわけで、ゴーゴリと言ってもやっぱリアリズムだけじゃない、ロマンチシズム小説の快楽でした。

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読書
「流刑」 パヴェーゼ 作


1935年北イタリアトリノ。反ファシズム運動の罪で逮捕された作者は、イタリア半島南端、長靴の先っぽの街プランカレオーネに流刑囚として送られる。
流刑地というと自分などは遥か沖島を想像してしまうが、地続きの村へ列車で到着するのである。なにもない田舎町。もちろん自然は豊かで、主人公(作者モデル)は毎日海へ出て泳ぎ、またぼんやりと水平線を眺めて過ごすのであった。


酒場に集まる男達や街で働く女達との交流。不安な境遇で悩みを抱える彼らとの友情や、熱を帯びた情交がひとしきりあって、やがて主人公は村を去ってゆくのだった。
大きな事件は起らないが、孤独な主人公のさまざまな思いと、移りゆく自然の情景描写が実に美しく心をうつ作品。つまり詩文であって深く意味を解読する能力も自分にはないが、文章を追ってゆくことに沁み入るような快感がある。
解説にもあったが、たしかに叙情詩と叙事詩を混ぜ合わせたような作風で、南国の太陽の下にいながら心地よい寂しさを味わうことができる。

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読書
「みずうみ」川端康成 作

川端康成は、いわく言いがたい気味悪さがあってあまり読んでいないが、これは輪をかけた不気味な小説。というのも主人公はストーカーで、彼の心理をそのままなぞってゆく形で話が進行するからだ。それこそストーカーならではの身勝手な思考で、何の関係もない行きずりの美少女を見とがめると、まさに自分のために現れたかのような天恵を受けて後をつける。彼にとっては見知らぬ美少女と自分とは既に無縁の仲ではないのだ。そして少女の方でもわざと自分に後をつけさせていると妄想するところまで発展している。これはいかにも気持ちが悪い。


小説は主人公が少年時から抱いてきた女性に対する執着を、彼の心のままに行きつ戻りつしながら進んでいく。彼が教職を追われることとなった女子生徒との交際は現実である。しかし自分にはそんな美少女よりも、話の最後におでん屋で酒を飲むことになった行きずりのうらぶれた不美人な女性との交流がいちばん現実味があってよかった。


川端康成の美しさというのは、伝統的な日本美というより、もっとなにかぬらぬらした感触があって気味が悪い。その気味悪さの正体がなにかよくわからない。実は性的なものがあけすけになっているのかもしれない。この作品もひょっとしたら異端の名作・奇書の部類に入るかもしれない。

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読書
「風立ちぬ」堀 辰雄 作


ピュアな恋愛物語のように思って手を出していなかったのだが違った。死を前にした恋人とのサナトリウムでの静謐な毎日を描いた、幸福についてのノートのようなもの。二人の心のやり取りはひじょうにスタティックで、思いが伝わる伝わらないといったような日常的な心理のレベルは描かれていない。男女の愛の物語ではないのだ。


重篤な病に冒されたからこそ得られた、すべてが終わるところから始まっている二人の生活。こういう状況で必要以上になされるべきことはなく、大自然に囲まれて移りゆく季節を感じながら、それこそ風に揺らぐ蘆のように生きていくことしか、そもそも人間にはないのではないか。じつはそれが人間の幸福のありかたではなかったか。


主人公(作者)はかつて未来の恋人との今のような暮らしを理想としていたのであり、それが現実となった今、そんな過去の理想をふりかえる自分と、それを小説に書くことで満たされる自分がある。過去の理想・現在の幸福・そのことを書かれた小説の中の自分。そうやって時間を多重に追いかけることにで今感じている幸福が微妙にずれていく。幸福の感じ方も揺らいでいるのだ。


小説の構成は、サナトリウムでの静かな毎日が描かれた後、最終章では彼女が亡くなった後の作者の孤独な日々が描かれて終わる。直接死を描いた部分はなく、簡単に涙腺を刺激するような仕掛けは排除されているのが心に残る。
それにしても自然の情景描写だけでよくこれだけ美しい飽きさせない文章を繋いでゆけるものだ。これも世界文学だ。

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読書
「ゴドーを待ちながら」 サミュエル・ベケット 作


あまりにも有名な戯曲ながら、舞台を見たことも無ければ読んだことも無かった。不条理演劇の代名詞という謳い文句はもちろん承知だが、なんだふつうにおもしろいではないか。今まで読んだわずかな小説作品と変わらない。ナンセンスも腰を据えてやりだすとこうなるという気がする。


笑えるか笑えないかは読者が勝手に反応すればよいのだが、コメディやコントの世界は笑えるようにリズムが仕掛けてあるので、安心して笑ってしまうし、笑いのために登場人物もおかしなやつの周りにはちゃんとまともなやつがいる。そういうコメディのお約束はベケットの作品には当然ないのだけど、実際舞台を見れば役者の演技によって笑ってしまうかもしれない。


登場人物は全員おかしなやつばかり。道化役といえばそうだが、それならまったく他人事としてへらへら笑って見ていられるかというと、そんな気はしないのが不思議なところで、どうやらコメディの範囲で描かれるわかりやすい道化ではないようだ。おかしな連中だが、根っこでは我々と同じものを抱えているのがわかるし、それがまた痛々しいほどに不遇だから他人事ではない気がする。そんな人物が筋の通らぬ意味不明な言動に終始していて、なにもかもが圧倒的に思いのままにならない。手探り状態で訳も解らないままこの世界に投げ込まれているカンジ。もうこれは実にわれわれの人生そのものですよ。ああ、なんて不条理なことでしょう。

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読書
「サードマン」 ジョン・ガイガー


雪山や深海・極地・大洋などで死に瀕した冒険家が、ふと自分の他にもう一人の存在に気付く。それは明らかに人間なのだけれど茫漠としていて、少し離れたところから自分を静かに見守っているのだ。この不思議な存在から冒険家は大きな安心と生き残る確信を得てついに生還を果たす。世界各地で数多く体験されている「サードマン」現象。それは守護天使あるいは実在する神なのだろうか。この謎に科学的な知見を駆使して挑んだルポルタージュ。


医学的な立場から言えば、血中グルコース濃度低下や高所脳浮腫、低温ストレスなどの作用で脳が見せる幻影であるとの説がある。また人間は自然界から常に多くの情報を得るようにできているので、大雪原や大海原など極めて変化の少ない、何日進んでも情景の変わらないような単調な環境では、逆に世界をスクリーンとして脳内のイメージを投影してしまうそうだ。


だがそんな過酷な状況でなくとも、肉親の死など強いストレスを受けた場合、「サードマン」は現れる。脳科学的な研究によれば左側頭頭頂接合部に電気刺激を与えることで「サードマン」現象が起きるという。この部分は自分を身体的に認識することや、世界と自分の区分にかかわるという非常に基礎的な働きをする箇所で、いわゆる宗教体験での宇宙との一体感や、症状としてのドッペルゲンガーなども、なんらかのかたちでこの部分の誤作動のようなものであるらしい。
それで思い出したのは、臨死体験の実験で左側頭葉を刺激した時に感じた遊体離脱や、お花畑体験での幸福感だ。臨死体験は死の恐怖を和らげるための脳のシステムであるという説と、「サードマン」現象の安心感は同じものかもしれない。


もっとも「サードマン」に導かれて無事帰還できた冒険家より、導かれながらも死に至った冒険家のほうが多いかもしれないので安心はできない。古代の人間は常に右脳から「サードマン」の導きを受けていて、これが神の存在につながったという有名な説もあるそうで、人間の脳のやらかすことはまだまだ得体がしれない。

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読書
「ジュリアとバズーカ」 アンナ・カヴァン 作 


短編連作ながら、どれも作者自身の境遇をモデルに描いた共通した内容。テニスプレーヤーとしての少女時代であり、ヘロイン中毒患者であり、その状態のまま車を猛スピードで走らせる車好きであり、世界から疎外されながらも唯一の理解者である恋人との恋愛を語り、その結果としての破局を嘆き、幽霊までも見てしまう。それらの要素が入れ替わり立ち代わり、叫ぶようにたたきつけられ容赦がない。
平穏無事な日常にまったく安住していないところが魅力だ。


カヴァンの作品はたしかに創作なのだけれど、ただならぬ切迫感があって、今にも破滅しそうなぎりぎりの叫びがたまらなく良い。いわゆる日本の私小説は苦悩を描いてみせる作家の作為が読みどころなので、それはそれでおもしろいが、カヴァンの場合私小説に見られるような作為的な余裕がまるで感じられなくて、作者と作品に距離が無い。まさに荒れ狂っている印象だ。


表題作のバズーカというのは常に持ち歩いているヘロインの注射器のこと。だからといってヘロイン中毒自体が直接描かれているわけではなく、あくまで主題は世界に居場所を見つけられない苦しみだ。こんな狂乱を抱えた状態でもきっちりと創作されているのが持ち味というか、持って生まれた資質というものだろう。捨てがたい。捨てないけど。

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読書
「消しゴム」 ロブ=グリエ 作


1953年発表当時、ヌーヴォー・ロマンの嚆矢として世界を震撼させた作品とのこと。
未遂に終わった殺人計画、被害者はそれをいいことに自分を死んだことにして姿をくらます。派遣された主人公の特別捜査官は、真相を究明するため被害者の住んでいた屋敷を中心に街中を西へ東へ一日中歩き回るが、手がかりらしきものは何も見つからない。とは言ってもまるで散歩しているような捜査で、切迫した様子はちっとも感じられない。謎は謎のままほったらかしだし、主人公はあちこちで消しゴムを買う。ヘマをした犯人と冷徹なボス。自殺説にこだわる凡人警察署長。一つの事件がいろいろな人間の思惑で解説されるうち、犯行現場に戻った被害者と捜査官が偶然にも未遂事件を完結させてしまう。


といった推理小説仕立てでまことに面白い。語り手も時間も重なり合うように行きつ戻りつ進むので、わかりやすい単線的な時間軸はない。またさほどではないが、人間の主観を離れて客観的事物をそのまま描写する作者おなじみの「視線派」スタイルもある。そういった諸々が発表当時はたいへん新しい試みであっただろうが、現在の我々が読むと、言われなければ気付かないくらい自然だ。人間中心の実存主義に反旗を翻したとされたスタイルも、すでに多彩な表現の一種として認知されているのか、それともその意味を失ったのか。そういう文学史的な役どころに感動しなくても楽しさは充分にあります。

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