漫画家まどの一哉ブログ
「プロテスタンティズム」
深井智朗 著(中公新書)
1517年のマルチン・ルターの問題定義からちょうど500年。キリスト教をリフォームする目的で現れたプロテスタンティズムはその後多様な変革を続けながら世界中に広がった。現代の保守思想とリベラリズムの源流ともなるその歴史を解説。
ルター曰く、道徳的に正しい人が救われて天国に行けるのであれば、これは普通の人間には不可能である。不道徳な行いによって神との関係が壊れてしまったとしても、人間の側からこれを修復することはできない。できることはただひたすら我々の代わりに犠牲となったキリストを信仰することであり、修行や努力に意味はなく、ただ神の救いを待つことしかできない。
これこそかつて私を唖然とさせ、その後長年頭の中でくすぶり続けていた宗教思想だ。どうやって安心を得るのだろう。厳しすぎるよ。しかしこの場合神は常に個人対応で一人一人のすぐそばにいるのだと思われる。
ルターやカルヴァンから始まったプロテスタンティズムが、なぜ資本主義の源流となったのか?バプテスト他その後の洗礼主義によるさらなる改革を「新プロテスタンティズム」それ以前を「古プロテスタンティズム」と呼び、それぞれを公立小学校と私立小学校に例えた解説がじつにわかりやすい。なるほどこれならマックス・ヴェーバーのいうことも納得出来る。そして現在のドイツ社会とアメリカ社会の根底にあるものの違いが学習できるのだった。
「在日コリアンの歴史を歩く」
在日コリアン青年連合(KEY) 編著
大阪猪飼野・京都東九条・神戸長田・山口下関など、在日コリアンが多く暮らす街を写真とともに紹介。また在日2世(70~80代)を中心に戦後から今日までの苦難の個人史を聞き取り。そして残された家族写真をもとに振り返るファミリーヒストリー数編。その他在日コリアン問題に関する簡単なキーワードと150年史も付いたムックのような書籍。単独の著者による在日コリアン論は多くあろうが、こういう編集は珍しいので買ってみた。
第1章の在日コリアンが暮らす街のレポートが興味深く、知らなかった土地もあるのでもっとたくさん読みたかったが、思いのほかページが少なかった。第2章の個人史込みで街紹介だけで一冊にしてもらってもよかったかな。関西でも岸和田の紡績工場や奈良天理の柳本飛行場のことなど知らないことも多い。
個人史・家族史で語られる運動史はまことに複雑な変遷があり、自分のうっすらとした知識ではとうてい追いつけないが、それでも学習の一助とはなったと思う。
「マクベス」
シェイクスピア 作
手持ちのものを再読してみたがおもしろかった。
比較的短い作品なのか、思ったより簡単にできている。3人の魔女の予言にそそのかされて、妻と協力して密かに王を殺害。自分がその地位に取って代わるわけだが、その後皆の信頼を集めて王政をほしいままにするのかと思いきや、あっというまに殺人がバレて転落してしまう。この展開が早い。典型的な起承転結だがその配分がちょうどよい。
怪しまれる原因となった亡霊の幻視や手に付いた血の錯覚などは、その後の小説や漫画などに何度も流用されているが、そもそもこの作品が鏑矢か。と思ったがそうでもなく、セネカその他いろいろな下敷きがあるらしい。
「女の腹から生まれた者には殺されない」という謎の予言でひっぱって行くのも、効果的な一工夫だと感じた。
「日本の伝統」の正体
藤井青銅 著
初詣・専業主婦・恵方巻など、古くからの伝統と思われてきたものが、案外最近始まったものであることを各方面から解説。京都ブランドや旧国名、郷土名などのイメージ戦略でいかにも伝統の品や行事らしく感じてしまうマジックが明かされる。
ただ新しいといっても明治以降近代化の過程で生まれたものも多く、たしかに古くはないが、150年も経てば伝統と言ってもべつにいいように思う。それとも伝統というとおおげさなので慣習というべきなのかもしれない。旧守的・封建的な価値観を復活させようという立場からの伝統堅持が唄われる昨今、伝統など簡単に移り変わるものだと認識することも大切だ。
案外新しかった平安神宮、近年盛んなよさこいソーラン祭りの由来、初詣は鉄道各社の戦略、昔はなかった結婚式、万願寺とうがらしは最近の野菜、アイヌ無縁の北海道土産の木彫り熊など、おもしろかった。
「ロシア革命100年の謎」
亀山郁夫×沼野充義
1917年の革命より100年。レーニンの剛腕とソビエト連邦成立の初期から、現在のプーチンのロシアまでを文学・芸術の視点からトータルにふりかえるスケールの大きな対談集。稀代の翻訳家による対談だけに文学話のあれこれに期待したが、案外政体そのもの、そしてロシア人の国民性への言及が多かった。
スターリンが政権を掌握したしばらくまでは西欧の歴史との接点があったが、やがて強権政治が安定すると世界の歴史とのつながりはなくなって、ポストヒストリカルな世界になってしまう。
この停滞した社会主義リアリズムの時代を過ぎて、フルシチョフの雪解けの時代にやや歴史に顔を出したかと思うと、ブレジネフ体制からゴルバチョフの登場までまたもや歴史の彼方に雲隠れしてしまう。そんなソビエト社会主義の時代。報道や表現の自由はなく生活物資は粗末とはいえ、社会保障は安定しているので、一般の人々はのんびり暮らせた案外幸福な時代だったようだ。
時代が近づくにつれ知らない作家も増えるとは言え、自分の趣味からするともう少し作家のエピソードを増やして80%くらいは作家の話題でもよかった。
「蚤の親方」E.T.A.ホフマン 作
主人公は実業家の息子であり、膨大な資産を持ちながら30代にして女性恐怖症、家から一歩も出ないオタク青年である。寄り添うのは顕微鏡技術者によって曲芸師とされていた蚤の親方。虫のくせして実はかなりの人間通であり、親方の持つ特殊なコンタクトレンズを主人公青年の瞳孔に貼り付けると、話し相手の本心がたちどころにわかるという仕掛けだ。
また青年をとりこにする絶世の美女はチューリップの花の中から出てきた妖精であり、恋敵の友人は薊(アザミ)の化身であるという超絶ファンタジー。かなりのアクロバットでぎりぎり成立しているが、リアリズムとの折り合いをどうつけるかが腕の見せ所だ。ちょっと失敗しているかもしれない。1822年作品。
大人のためのメルヘンというと、必ず風刺的な部分があって、そこを評価・論評されることも多く、この作品も当時のホフマンの置かれた政治的状況を多分に語っているのだが、それは後世の読者にはただちにわからないところであり、そこばかり触れなくてもよいと思う。現実を含みながら飛躍するメルヘンの楽しさがあるのだから。
「劇場」ミハイル・ブルガーコフ 作
ブルガーコフ自身の作家人生をモデルに描かれた晩年の未完作品。第二部に入ったところで終わっているが、それまでの第一部の展開だけで充分面白い。主人公は作家として一部識者の目に止まり、劇作家としても作品が採用される。そしていよいよ自作戯曲が舞台にかけられようかというところで暗礁に乗り上げるのだが、そのいきさつがカフカ的迷宮を行くようで、だが実際こんなこともあるだろうなという理不尽ななりゆき。劇場の運営もすんなり合理的にいくものではないようだ。
ブルガーコフの作品は何気ないくだりでも、そこはかとなくユーモラスで、読んでいてただでは済まない雰囲気がある。ニヤついてしまう。美しさを鑑賞するといったタイプではないが、一行一行が捨てがたい味わいがあり、とくにセリフのやり取りなどは実に人間味溢れたおかしさに満ち溢れたものだ。
「引き潮」スティーヴンスン 作
エンターテイメント小説でありながら、そのまま時代を超えてしまうスティーブンスン作品。タヒチの港からスクーナー船と積荷をだまし取った落ちぶれ3人組。積荷の密売計画は頓挫するが、流れ着いた島でさらに危険な人物と遭遇する。正義とは無縁の海洋冒険小説。
物語の大半は通俗小説ならではの生ぬるさがあって、心踊るほどのことはないのだが、終章近く悪人たちが最後の殺人計画を企む辺りからがぜん面白くなり意外な感銘を受けた。それは登場人物たちの生きる上でベースとなっている宗教意識だ。
彼等は悪人であるにもかかわらず、いや悪人ゆえになのか神の裁きを強く意識しており、意識していないのは意志薄弱に悩むインテリの男くらい。強者であるほど真摯なキリスト者なのだ。
悪人といえどもキリスト教世界で育った人間は、神と1対1で向かい合っており、自身の言動が常に神に裁かれている意識を持っていることにあらためて驚いた。これは個人が個人として超越者に対して責任を持つということであり、全体主義に染まっている日本人と比べると対極的な考え方だ。これがキリスト教社会に生きる人間なのか。小説の形で書かれるとあらためて思い知るもんだ。
「脳天壊了」(吉田知子選集1)
吉田知子 作
文庫本で読んだ「お供え」を含む作品集。地方都市を舞台としたやや泥臭いシュールレアリスムばかりかと思ったらさにあらず。いたって真面目な、やがて悲惨な現代文学である。幻想味は含むもののふしぎなことは起きないものもある。ただいずれの作品も心晴れぬというか出口なく燻った感じで、先が開けるような終着点はなく、戸惑いのまま終わるのはやはり不条理文学の感触があっておもしろい。
表題作「脳天壊了」主人公は人生の長きにわたってある人物のゆるやかな支配下にあり、パワハラを受けながらも相手の男から離れて生きることができない。「乞食谷」も圧倒的な貧困女子でありながら、積極的に周囲と馴染んで向上していこうとする気配はまったくない。いずれも主人公は惨めな虐げられた立場にあり、なんとも重苦しい心晴れやかならぬ状況である。「乞食谷」は、そこにありえない不可思議な条件が加わって現実味が揺らいでいくところが作者の持ち味であるように思う。
「常寒山」は怪奇小説アンソロジーに入っていてもおかしくない不気味な話だ。いるはずのない妻の視線が山へ登った夫の遭難を追いかけているのだから。
「ニュージーランド」は、ニュージーランドへ向かうはずの船に乗っていながら、なぜか進んでいる様子がない。この話がいちばん自分好みのシュールレアリスムだった。