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漫画家まどの一哉ブログ

   
読書
「リチャード三世」
シェイクスピア
 作

若きシェークスピアの出世作。権謀術数を労して次々と親族を殺害し、ついには国王にまで昇りつめたリチャード三世の破滅へ至る物語。
15年間をひとつの舞台に凝縮し、あれよあれよという間に事態が動いてゆくおもしろさ。とは言っても40人近い登場人物。それもエドワードやヘンリーやリチャードの何世やら息子やら甥っ子やらで、イギリス王室の歴史を知らない自分としてはもう冒頭から誰が誰やらだ。しかし主人公グロスターが手当たり次第に人を陥れて裏切ってリチャード三世となるまでの話と構造は決まっているので、さほど悩まず読むことができる。

それより翻弄される王族たちの罵りの言葉や、うろたえる様子。逡巡する暗殺者など、どれもおおいに人間味があってあっておもしろい。エリザベスやマーガレット、その他未亡人もつねに激情におぼれていて饒舌だ。当然だがストーリー以外のこういったセリフに魅力がないと作品は生きてこない。もっともリアリズムから言えばありえない長口舌、減らず口のたぐいで、実におおげさな人々ではあります。

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読書
「狂気の巡礼」
ステファン・グラビンスキ 作


自分にとって怪奇を意図して書かれた怪奇小説というものは、ややもすれば単純なものとなってしまうか、無害すぎてしらけてしまう可能性がある。そこを救ってくれるのが華麗に彫琢された文体とその美意識である。その点ではグラビンスキは頑張っている。

前に「火の書」を読んで2冊目だが、作者は引っ越しモチーフが好きで、ある誰も寄り付かない郊外のお屋敷に転居してみる、あるいは部屋を借りる。するとなにか嫌な感じがして悪霊にまつわる夢の告知を得る。やがて悪霊の影響かしだいに精神の平衡を失い、ついにはおぞましき犯罪を犯してしまう。といったパターン。

短編の多くは美文を駆使して描かれた怪奇幻想の世界なのだが、それよりもやや長めの「海辺の別荘にて」「チェラヴァの問題」「影」など、美学はさておきストーリー性が濃くいわゆる謎解きになっているものが面白かった。殺された人間からのテレパシーや二重人格をうまく使ってミステリーの王道を行く。目が離せない面白さで、なんだこちらのほうが才能あるじゃないかと思ってしまう。

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読書
「真昼の悪魔」遠藤周作 作


サイコパスという存在がまだあまり知られていない時代にかかれた作品。他者への同情心をまったく持たない乾いた心の持ち主である女医。彼女がひそかに巻き起こす病院内での奇怪な事件。非情な実験台とされる患者。近づいてきては逆に残酷に弄ばれる男たち。そしてその恐ろしさを説く神父。
もともとエンターテイメント(ミステリー)を意識して書かれた作品なのか、驚くほどのあっさりした文体で歯ごたえはないがスラスラ読める。もちろん文章は上品である。

遠藤周作であれば当然キリスト者としての視点から善と悪の問題が描かれていると思うが、そこを解説するのは登場する神父だ。神父は「悪魔」は目に見えるような姿ではなく、まるで埃のようにそれと気づかれない形で忍び寄り、すぐそばでほくそ笑んでいるという。感情や欲望にかられるのではなく、ただ淡々と冷たい心で行われる悪事。これこそがほんとうの悪ではないか。
あえてテーマを読み解くとすればこのあたりとは思うが、作品自体は良質のサスペンスとしてしっかり楽しめるようにできていた。

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読書
「武蔵野」国木田独歩 作


再読。文庫本巻末にモーパッサンの短編を重訳した作品が掲載されているが、独歩こそ日本のモーパッサンとも呼べる作家ではなかろうか。私小説が発達する以前の、豊かな着想と人間観察によって市井のひとびとを描いて人生の悲哀に迫る作風。
手を替え品を替えどれも短編ならではの醍醐味があるが、自分はやはり生活に即した会話本位の作品が好きだ。どの作品も会話がほんとうに生き生きとしていて、本人に出会っているような真実味がある。

「郊外」:小学校の教員である男の下宿先まわりでのエピソードを三編合わせたもの。画家志望の友人が近在の百姓親父に絵をやることになったはなし。踏切前の八百屋がしょちゅう鉄道自殺を見るはなしなど。いろんな人物が入り乱れてにぎやかな作品。シリーズ化できそうだ。
「置土産」:茶店で働く二人の娘と近所の気楽な偏屈青年とのやりとりが主だが、この娘たちがさばさばしていて快活で楽しい。夜の海で泳いだりする。元気元気。
「河霧」:立身出世を夢見て故郷を出た男が、20年経ってようやく落ちぶれて帰って来る。村の人々は喜んで迎え入れてくれるのだが、男は既に人生そのものにも疲れ果てていた。この男の寂しさ・やるせなさが心に沁みてくる。

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読書
「エルナニ」ユゴー 作

1830年初演。若きユゴー28歳の作品。
貴族出身の身を隠して山賊の頭目となり、亡き父の仇を狙う青年エルナニ。そしてお互い思いを寄せる美しき名家の娘ドニャ・ソル。老齢でありながら彼女を娶らんとする誇り高き公爵。同じく彼女を我がものにせんとする若き国王。
この道具立てで展開される波乱万丈のサスペンス・ラブロマンス。ほぼ200年間飽きるほど書かれてきたと思われる筋立てだが、これは今読んでも圧倒的におもしろい。エンターテイメントの王道をゆくものだが、見飽きた感がまったくしないのも不思議だ。

恋人ドニャ・ソルは健気なだけでなくだんだん強くなっていく。恋敵の若き国王はけっこういいやつで、神聖ローマ帝国皇帝となった暁にはエルナニ始め陰謀を企んだ連中もみな許してしまう。頑迷な老公爵は貴族としての信義は絶対守る男。恋と貴族の誓いの間で揺れ動く主人公エルナニ。これらの主要人物たちが充分魅力的で、たぶんそれだけで物語は8割がた成功するものだと思う。

当時ごく少数の老齢政治家によって国が支配され、中間世代が少なく、ユゴーら若者の意見は一顧だにされない状況への抗議がこの作品のテーマでもあるらしい。ユゴーのこの運動を共にしている後輩作家がゴーチェやネルヴァルなど自分の好きな幻想系作家であるのもうれしい。

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読書
「三文オペラ」ブレヒト 作


警察に逮捕された主人公の悪党が囚われているのが鳥かごのような檻で、簡単に脱出できてしまう。これだけでこの作品全体が大きな冗談であることがわかる。でも舞台というものはたいがいそんな象徴で構成されているのかもしれない。
再び捕まった後すぐ死刑執行の準備に移るところもカリカチュアとしての筋立て。

警官含めて小悪人ばかり出てくるので、観客が登場人物に感情移入することがなく、やはりコントのような感覚だが、これもブレヒトの思惑であるらしい。盗賊のボスも乞食の手配師も商売人であり小悪党だが、彼らはブルジョアジー的なものを体現しているというニュアンスである。

多くの歌が挿入されているが、これはミュージカルのように人物の思いが感極まって思わず歌い出すといった演出ではなく、場面の区切り・切り替えの役割で歌われている。ここから歌ですというワンクッションがある。
訳者は実際の歌に合わせて日本語で歌えるようにかなり節約して歌詞を連ねているが、どうしても削りすぎていてあまりおもしろくない。逐語訳のほうを読むと楽しい。

あたりまえだが、舞台を見てこその面白さだと思う。

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読書
「三つの物語」フローベール 作


数少ないフローベールの短編を3つ集めて1冊としたもの。作家本人の企画。
細かい話はヌキにした物語小説の醍醐味が味わえる。

「素朴なひと」:一人の純朴な使用人女性の生涯が、短いエピソードの連続をもって語られる。それだけにどんどん進む物語小説の面白さがあるが、主人公女性の喜びや悲しみは充分に描かれていて心打つものがある。愛するものを次々と失っていく人生だ。短編ながらも一生を俯瞰してみる方法ならではの大きな感動がある。

「聖ジュリアン伝」:これぞ物語小説の面白さ。英雄となり聖人となることを予言されたジュリアン。天性の狩りの名手でありあらゆる動物を狩り尽くす恐ろしい若者が、やがて軍を率いる英雄となるも動物たちの精霊の復習を受けたか、殺人・零落の末、聖人として天に召されるまでの急展開に目が離せない。

「ヘロディアス」:有名なサロメの物語を下敷きにしているものの、ヨカナーンが首を落とされるところはなかなか出て来ず、ながながと民族・宗派の政治的拮抗が描かれる。そのあたりは複雑で読むのにやや苦労するが、登場人物のキャラクターがはっきりしていて通俗味がある。これは劇画の絵を想像して読むと良い。

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読書
「オイディプス王」
ソポクレス 作


有名な父親殺しのオハナシ。
ギリシャ悲劇の基本形として、一度に舞台に上がる人数は制限されており、別に合唱隊が控えていて芝居と合唱が交互に繰り返されて進行する。これがメリハリがあって楽しい。怪物スフィンクスの謎やアポロンの予言など、物語の成り立ちは神話的だが、演じられる内容はいたって現実的で、壮麗な芝居口調でもなく古雅なところもなく親しみやすい。

オイディプス王の父親殺しと出生の秘密・近親相姦などがしだいに明らかになっていくところが興奮をそそる。われわれは既にその秘密を知った上で楽しんでいるが、当時ギリシャで芝居を見ていた人はまったく予想外の展開に驚いたのか、それとも観ているうちにうすうす気付いていたのか。話の内容自体がほぼ伏線みたいなものなので気付きそうとは思うが…。

オイディプスは善人だが感情的で、あまり思慮深いほうではないようだ。それが話をダイナミックにしているように思った。やはりフィクションは感情で進む。

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読書
「土台穴」
アンドレイ・プラトーノフ 作

土台穴とは、労働者住宅の建設にあたって掘られる基礎工事のための大穴である。
スターリンの威光輝くソビエト黎明期。あまりに内省的・思索的な性格で作業効率が悪く、工場をクビになった青年ヴォーシェフ。彼がこの現場にたどり着き、土台穴掘削の仕事に参加するところから話は始まっている。その後この青年を主人公に展開するのかと思ったら、現場監督や農民・鍛冶屋・党指導者・活動家・孤児など入り乱れて登場し、事態は錯綜していく。

大筋としてはこの地域から富農どもを放逐し、なるたけ多くの農民をコルホーズに参加させて集団経営を軌道に乗せるための苦闘だが、だからといってこの小説は社会派リアリズムではまったくない。

読み始めるとその文章の心迫る美しさに飲まれて読み進むのがもったいない気がするのだが、実は前衛芸術ではないかと見紛うほどのとてつもない難解な文章。何が起こっているのか必ずしも納得できないまま読み進んで行くことになる。ただしいよいよコルホーズが立ち上がり、参加する貧農や労働者が歓喜のダンスを踊り続けるあたりでは話が大きく動いていく躍動感があってワクワクとした。

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読書
「詩の約束」四方田犬彦 著


自分は詩魂というものがなく、少しばかりの詩を読むようになったのもいい大人になってからなので、詩についてはまったくの素人である。そんなわけでこの著者渾身の論考もただただ感心するばかりで、批判的に読む能力はない。おおいに勉強になった感覚。

朗唱・翻訳・注釈・発語・引用・押韻などなど、著者自身の体験を踏まえてさまざまな切り口で古今東西の詩に迫るおもしろさ。もとより詩は朗唱するものであることの再確認から始まり、寺山修司に代表される剽窃(本歌取り)の自由さ、西脇順三郎の変革、絶対読めないものを含むエズラ・パウンドのスケール、入沢康夫に影響を受けたといいながらまるで違う中上健次、晩年まで改稿を続けて忘れられた悲しい蒲原有明。(象徴詩といえば自分は蒲原有明や日夏耿之介は苦手だが大手拓次は好きだ。この分類あってるのかな?)などなど…。

なにより著者の青春時代から人生にぴったり寄り添っていた詩経験が迫真の読書体験を生む。映画や漫画のオーソリティーと思っていたが、詩は更に早く著者の根幹をなしていたようだ。

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