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漫画家まどの一哉ブログ

   
カテゴリー「読書日記」の記事一覧
読書
「ラバウル戦記」
水木しげる


水木さんの戦争体験については、漫画や文章などで多く紹介されているので、自分もよく知っているのだが、この本はページの上半分が戦争当時のラフスケッチ画で占められていて、下半分に水木さんの解説があるといった体裁でたのしい。なかでもカラーの絵が美しく、特にグリーンが鮮やか。夜のシーンはさすがに雰囲気がある。
それにしても軍隊とは理不尽な場所だよ。水木さんは連日ビンタをくらってばかり。日本社会に伝統的ないわゆる抑圧移譲なのだが、かわいそうに水木さん達は最後の新兵で後から入ってくるものがいなかった。毎日が訓練や労働でムダに体力を消耗しているみたいだ。実際の戦闘自体は一瞬のことで、それも戦闘というより一方的に攻撃されるばかり。その後の水木さんの必死の逃走から爆弾で片腕を失うまでは有名なハナシだが、強運を支える体力が人一倍あった。

一年中、魚や果物が豊富にとれ農作物もぐんぐん実る。南方では毎日のんびり暮らせばよい。「南の島は楽園。はたして文明は人間を幸福にしているのだろうか?」水木さんがよくいうところだが、文明人が文明を発達させざるを得なかったのは、食べ物のない冬を越さなければならなかったから。と思うけど、あとはエンゲルスにきいてみよう。

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読書
「猛スピードで母は」
長嶋有


子どもが出てくる話に初めから偏見がある。また小学生を中心に家族が描かれていると、これまた偏見を持つ。なにか現代家族や子ども達の問題にあらかじめ回答が用意されていて、さては予定調和ではないかしらんと勘ぐってしまう。
ところがほんとうはそんな正解はないということが、この小説および「サイドカーに犬」を読むと分かる。大人である母親にとって、必ずしも子どもは人生の中心ではない。各自自分の人生を生きるべきである。あらためてそう思わせるのは、作者の描く女性たちが強気でさっぱりしていてサクサクと行動するからだろうか。悩みや悲しみの感情を抱いたまま立ち止まっていない。この立ち止まらなさが日常の仕事や生活のリズムに支配されてのことなので、読む方もサクサクと立ち止まることなく昼間のリズムで読んでしまう感じだ。そんな気持ちよさがあった。
子どもと母親の関係、または愛人と子どもの関係に、一般的にこうだといったような設定はないので、描きすぎるとどこかで拾ってきたようなハナシになってしまうかもしれないが、そんな心配はいらなかった。2作品とも登場する男のほうはなんとも凡人で、やはり女の方が魅力的なのは主人公だからかな?
しかし作者の描く女性がいつもこうではあるまい。作品が違えばもめそめそした意気地のない女や、家事や仕事ができなくてグータラな女も出てくるのだろうか。それも人間だし読んでみたい気がする。

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読書
「死海のほとり」
遠藤周作


キリスト教はわからない。例えば仏教的無常観や空や無の思想なら、自分の場合ある程度素直に近づくことができる。しかし隣人愛の問題となると自分の中でことさら捉え直すことができない。加えて神の存在を大前提、あるいは第一の課題とされるとどうしていいか分からない。

この小説の中で、イエスは圧倒的な愛の心を持って不幸な人々に寄り添おうとするが、それが常人が持っているエゴイズムを遥かに越えているので人々は驚いてしまう。めったにいない人間を見たのだ。こんな人がいるのか。だからといってすぐ弟子となってイエスを支持するわけではなく、どうしていいか分からないまま一歩引いて見てしまう。
わずかな人々の支持を得るイエス。もちろん奇跡を見せることはおろか、一人として病人を救うこともできない。かえって迫害を受けたあげく刑死するのだが、不思議なのは、この小説の中でも触れられているとおり、なぜイエスが亡くなった後で、弟子達はそんなにも熱心に彼のことを語り、また人々は教えに目覚めていったのか?なぜイエスが生きている時でなく死後なのか?やはり先走って死んでしまうくらいの人物であってこそ、じわりじわりと後から影響が広がっていくものなのか。(そんな簡単なことか?)

最も不幸な者・弱い者、また悪者・卑怯な者。彼らを絶対見捨てず、彼らにこそ寄り添おうとする思想。イエスの愛の精神は選ぶところなく、ケース・バイ・ケースでそのレベルを変えることがない。ここまで徹底された教えとなれば当然世界人類に普遍的な価値を持つ。あまりに強い愛の思想なので、人間は神様を信じなければとても実践できない。(ような気がする)

物語はかつてキリスト教系の学校で学んだ作者が、当時の学友を訪ねてイスラエルに渡り、イエスの足跡をたどる現在と、イエスと弟子達が迫害を受けながらパレスチナを巡り、とうとう十字架に掛けられるまでの過去の話が交互に進行する。そして最後にいつの時代も弱き者のそばに遍在するイエスの姿が垣間見られる。(のかもしれない)

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読書
「ブルガーコフ作品集」
ミハイル・ブルガーコフ
 作

かつて季刊「iichiko」に掲載されたブルガーコフの短編作品を集めた珍しい書。最近モーレツにファンになったものだから、高価ながらも購入して読んだ。ブルガーコフは生前多くの作品をソビエト政府に発禁にされ、劇団の演出家として生計を立てていたのだが、それでも年譜を見るとかなりたくさんの作品を書いている。名作「女王とマルガリータ」は発表の可能性もないまま書かれた遺作であるが、芸術家の性(さが)というか根性というか、書き続けるのが自然だったのだろう。これが宿命だ。

その「女王とマルガリータ」の初期稿も一部掲載されているが、最終稿とはずいぶん違うものだった。私の解釈では、ブルガーコフはかなりユーモラスな作風なのだが、この作品集で印象に残ったものは以下の悲しい話だった。

「赤い冠」:出征した弟を一目母親に会わせるため探しに行く兄の私。ようやく出会えたと思った弟だが、あえなく戦禍に倒れてしまう。その死んだ弟が毎晩壁から立ち現れて私を苦しめる。
「モルヒネ」:チェーホフとおなじくブルガーコフも人生の最初は医者だった。地方医として赴任してモルヒネ中毒に陥った自身の体験をもとに書かれた作品。幻想性は薄いが死に向かって滅び行く主人公があわれ。

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読書
「鏡川」
安岡章太郎


作者に連なる父方・母方の系図を遡り、明治期、故郷高知を中心にめまぐるしく変転する人生を生き抜いた人々を描くルポルタージュ小説。有名なところでは母方の遠戚に第一次若槻内閣の大蔵大臣であった片岡直温登場。この人は失言で金融恐慌の引き金を引いた人だが、ここではそこまでは描かれてなくて、出世以前の地元でのいきさつにとどまる。
また父方の遠戚に寺田寅彦もちらちらと顔を出す。
それよりなんといってもこの作品を小説たらしめているのは、やはり父方の遠戚に連なる西山麓という人のエピソードだ。ある意味主人公と言っていい。この人、母一人子一人で育ちながら幾つになってもまともに働こうとしない元祖ニートのような人なのである。親戚中でも稀代のなまけものとして名が通っていて、なにかと反面教師として引き合いに出されるようなのだ。しかし驚くなかれこの西山麓氏は雅号西山小鷹という漢詩人であり、土佐の漢詩界をリードするほどの実力の持ち主。残念ながら時代はその漢詩自体を過ぎ去って消え行くものとしているのが悲しい。
この麓さん、まったく働かないので一時同棲した遊郭上がりの女には電球と入れ歯を持って逃げられ、葬式行列の先頭で旗持ちをやって糊口をしのぎ、やがて養老院で病死するのだが、この人物がいてこそこの作品は小説になっている気がして愉快だった。

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読書
「暗夜」
残雪
(ツァンシュエ)作

幻想文学が好きだが、全く別世界の出来事を描いた安心して読めるファンタジーは自分の趣味ではなく、やはりこの世界と存在を揺さぶるような、現実に迫真する幻想の力がほしい。悪夢のような話は数多あるだろうが、他人事ではないのだ。そんな意味で誰しもそういうだろうけど、カフカ・ベケットに連なる作家、残雪(ツァンシュエ)は見落とせない。うかつだが今まで知らなかった。

「痕(ヘン)」:現代中国。独自の編み方でむしろを編み上げる職人の痕(ヘン)。隣家の鍛冶屋はなにやら痕(ヘン)に怒りを覚えていて、鎌を片手にギラリと光る鋭い目で痕(ヘン)を恫喝するのであるが、その理由はわからない。ある日やってきた買い付け人は、痕(ヘン)と契約を交わし、出来上がったむしろを全て高額で買い取っていくが、買われたむしろは荒れた裏山に無造作に捨ててあるのだ。また村の茶店の女将の亭主は寝たきりの病人だが、その亭主が訪ねるたびに違う人間になっている。
これらの謎は一向に解決されないままで、読んでいると不安で不安でしようがないが読まずにいられない。こんな不安な小説は井上光晴やカフカにもなかった。

「暗夜」:斉四爺(チースーイエ)に連れられて、猿山を見に行くことになった主人公の少年鋭菊(ミンチュイ)。歩いて三日もかかる距離を暗夜に出発するが、いつまでたっても辺りは暗いままで何も見えない。やたらぶち当たってくる車は実は亡霊。借りるはずの宿には断られてしまう。と思ったらある家に閉じ込められて寝台に縛られ、上からは刃物が吊るされている。実は鋭菊(ミンチュイ)の父もかつて猿山に登った人間だった。その他いろいろな出来事は合理性を持たずに結びつき、全ての出来事はまさに暗夜のごとく、はっきりとは見えないままに我々を襲うのである。

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読書(6/11mixi日記より)
「木魂・毛小棒大」
里見 弴


古谷野敦が選んだ里見弴の埋もれた短編集。里見弴は大衆小説から純文学まで大量にどんどん書いた人だ。しかもここに収録されている「小坪の漁師」は92歳の時の作品。有名な「極楽とんぼ」だって80歳を過ぎて書いているのだから驚きだ。スラスラ書けるのかしらん?文体もスラスラしていて、あっというまに読み進んでしまう、流れるような語り口。それに面白いのは会話で、さすがに口調は昔風だが、男女のやり取りが軽妙洒脱、それでいてリアル。中公文庫。

「海の上」:主人公の友人が、以前雄大な山の上でひとりぼっちだった時、不思議と性的興奮を覚えて自慰行為に走ったそうだが、この主人公も周りに誰もいない海上で全裸になってしまう。この広大な空間の中なのに誰も見ていないという状況でおきる、ふしぎな性衝動を描いためずらしい小説。

「長屋総出」:2~30年このかた住み着いたきりの長屋の住人たち。この設定で連続コメディなど書けそうだ。この短編ではある家の女中がなんか様子がおかしいと思っていると、急に発狂してしまって家を飛び出す。さあそのままにはしておけないので長屋住人総出で街中を探しまわるという大騒動。捕まえては逃げられたりしてね。

「文学」:若い頃作家志望で東京を流浪し、今は人形職人となっている男が久しぶりに小説を書いた。自分の人生がモデルだ。その小説と、それを読んでいる女房という現在のシーンが交代に出てくる、小説ない小説の形式。わかいころ世話になり迷惑もかけたプロ作家にその作品をみてもらうが…。人間的成長と文学的才能は別のものだったか?

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読書
「R62号の発明・鉛の卵」
安部公房


安部公房は自分の守備範囲だが、面白かったりつまらなかったりする。これは初期短編集だが、いわゆる日本文学的情緒や日常生活感で読める作家ではないのはもとよりなので、発想の特異性が気にならない語り口でないと、自分などは読後殺伐としてしまう。シュールなものも現実の共同体が描かれているものもあるが、どちらかが必ず面白いわけでもなく、なにが自分にとって評価基準となるのか読んでいて自分でもわからない。それがいつも謎。とりあえず奇矯な設定を納得させるのは、リアリティというより文体なのかも知れない。発想主体の短編という作風は、自分と近いかもとは思う。

「鍵」:身寄りをなくした青年が天才的鍵職人の叔父を頼って訪ねてくるが、叔父は自分の発明した鍵の秘密を守るため、容易に打ち解けない。そして叔父のそばには人間ウソ発見器である盲目の娘がいるのだった。オチがあるが、なくてもよかった。

「鏡と呼子」:村の学校に新任教師として赴任したK。ところが校長や教員達、下宿先の長男と老婆など村人は皆猜疑心に取り付かれたようにお互いの動向を気にしている。もしシュールな漫画にねじ式ベースというものがあるとすれば、これは典型的なカフカベース。下宿先の長男が日がな一日、山から望遠鏡で村を観察しているというのが面白く、鏡と呼子は彼の連絡手段である。土俗的な雰囲気と、いろんなことがはっきりしないまま終わるところが味であると思う。これが一番おもしろい。

「鉛の卵」:タイムカプセルである卵形冬眠箱から出てみると、100年後の世界であるはずが80万年後だった。そこには葉緑素を持つサボテンのような人類が!主人公である古代人の生活がアイロニカルに無化されるSF短編の醍醐味あり。しかもちゃんとドンデン返し付き。

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読書
「六号病棟・退屈な話」
チェーホフ


チェーホフの小説にはいろんなタイプの人間が出てきて、それが実にリアルに描かれている。その念入りな描写に読み進めるごとに納得してしまう。登場人物にはそれぞれ人間として欠点があり、それがその人の人生を狂わせ破滅へと導いていくのだが、どれもさもありなんといった話で、しかもけっして他人事とは思えない。自分は破滅小説が大好きだが、日本の私小説の面白さとは違う観察された人間観が魅力。医者としての眼で描かれた短編集。

「黒衣の僧」:なんど読んでも面白い、幻想文学の最高傑作。主人公は博士の道を歩む秀才青年だが、疲れた神経を癒すため故郷の果樹園へと戻る。凡庸な人々の中で暮らし平凡な娘と結婚し、心は癒されたが天才の輝きを失いつつあるとき、黒衣の僧の幻影が現れて彼を病的だが非凡な人生へと連れ出すのだった。やがて破滅へ至る主人公、非凡であることと才能とは別だ。

「六号病棟」:主人公の医師は地方の病院へ赴任してきたが、そこは全く荒れた病院で、不衛生で機材不足なうえ職員はヤル気がなく経営は乱脈の限りである。こんな腐敗した状況に対して闘うには主人公はあまりに小心で勇気がなかった。ただ黙々と機械的に業務を続け、やがて時間の大半を自室に閉じこもっての読書に費やすようになる。周囲には自分を理解する教養のある人物はひとりもいない。そんな中、精神病棟である六号病棟に収容されているあるインテリの若者と知り合い、足繁く通っては話し込むようになるが、それは周りの人々に彼の発狂を誤解させるもとであった。状況に目をつぶり、病棟での日常的虐待すらも気付かなかった彼は、報いともいえる悲劇的末路へ向かう。

「退屈な話」:名声は得たが、既に年老いて衰えていく自分をはかなむ老教授。物語前半はまったく老人のグチのようなもので、ぼやきを聞かされる。しかしやがて大切にしていた家族が意に反してゆっくりと崩壊して行き、身近な人々は自分を離れ、老教授は人生の敗北を悟るのだった。これが人生だ。

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読書(mixi過去日記より)
「仰臥漫録」
正岡子規


子規晩年、肺炎およびカリエスのため、病床で仰向けのまま綴った日記。
妹と母親の介助無くしては、一日も生き延び得ぬ身で、その記録の多くは、三度の食事と、服薬、包帯の交換、便通などで埋められる単調な日々だ。
死を前にすると食への執着が増大するのか、病身でありながらどんどん食う。朝だけでも飯三椀、佃煮、梅干し、牛乳一合(ココア入り)、菓子パンというのが日課。子規は菓子パン好きだったようで、毎日必ず食べる。スケッチまでしている。昼や夜は、ご飯に、さしみや芋、果物、せんべいが加わって、毎日ほぼ同じような食事がくり返される。この日記の印象は食事日記でもあるというところだ。

その他。碧梧桐ら、弟子達がひんぱんに訪れて談りあったこと。
若い頃の夢(大学を出たら、ただちに50円の給料を得る。山林を開発する仕事をする)。 一人でいる時に、ふと小刀を取って、死んでみようと考えるが、恐ろしくてできない。 病苦に負けて混乱し、「たまらん、たまらん。どうしよう、どうしよう」と叫び出したこと。 などなど。

36歳で死んだが、やはり子規は破滅型のタイプではなく、社会に適応できる編集長タイプだと思った。

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