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漫画家まどの一哉ブログ

   
「死海のほとり」
読書
「死海のほとり」
遠藤周作


キリスト教はわからない。例えば仏教的無常観や空や無の思想なら、自分の場合ある程度素直に近づくことができる。しかし隣人愛の問題となると自分の中でことさら捉え直すことができない。加えて神の存在を大前提、あるいは第一の課題とされるとどうしていいか分からない。

この小説の中で、イエスは圧倒的な愛の心を持って不幸な人々に寄り添おうとするが、それが常人が持っているエゴイズムを遥かに越えているので人々は驚いてしまう。めったにいない人間を見たのだ。こんな人がいるのか。だからといってすぐ弟子となってイエスを支持するわけではなく、どうしていいか分からないまま一歩引いて見てしまう。
わずかな人々の支持を得るイエス。もちろん奇跡を見せることはおろか、一人として病人を救うこともできない。かえって迫害を受けたあげく刑死するのだが、不思議なのは、この小説の中でも触れられているとおり、なぜイエスが亡くなった後で、弟子達はそんなにも熱心に彼のことを語り、また人々は教えに目覚めていったのか?なぜイエスが生きている時でなく死後なのか?やはり先走って死んでしまうくらいの人物であってこそ、じわりじわりと後から影響が広がっていくものなのか。(そんな簡単なことか?)

最も不幸な者・弱い者、また悪者・卑怯な者。彼らを絶対見捨てず、彼らにこそ寄り添おうとする思想。イエスの愛の精神は選ぶところなく、ケース・バイ・ケースでそのレベルを変えることがない。ここまで徹底された教えとなれば当然世界人類に普遍的な価値を持つ。あまりに強い愛の思想なので、人間は神様を信じなければとても実践できない。(ような気がする)

物語はかつてキリスト教系の学校で学んだ作者が、当時の学友を訪ねてイスラエルに渡り、イエスの足跡をたどる現在と、イエスと弟子達が迫害を受けながらパレスチナを巡り、とうとう十字架に掛けられるまでの過去の話が交互に進行する。そして最後にいつの時代も弱き者のそばに遍在するイエスの姿が垣間見られる。(のかもしれない)

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