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漫画家まどの一哉ブログ

   
読書
空飛ぶ円盤」 C.G.ユング 著

冷戦下いよいよ第3次世界大戦および核戦争による人類の破滅かという状況で、無意識に抱いている危機感がU.F.Oを幻視させたのではないか?という論考(違うか)。

ユングについては全くの素人で、さすがに元型や集合無意識についてはどこからか聞いたことはあるものの、おそらく間違って覚えている。
無意識が個人的なものに限られている限りは理解しやすい。また人間が見失っている動物的本能、または魂の叫びからの働きと考えて、危機感が幻視を誘うというのはなんとなく解る。ただここで基本となっているのは元型という概念だから、元型いずこにありや?という部分を深く理解していないと茫漠とした話になってしまう。集合無意識というものをぼんやりと聞きかじってしまっているので、ここでいう無意識は集合無意識のことかな?と思うとますます理解が遠のいて、ふわふわとさまよってしまう。

ところでユングがこの論考を執筆中にも、つぎつぎとU.F.O体験は報告され、まさに論旨を裏付けるものもあれば、幻視とは全く別にレーダーにも写真にも捕らえられてゆくが、当然それらは心理学とは一線を画するものとされる。それはそれとして考えて元型に基づく幻視体験はあるものだということである。

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読書
「野火」 大岡昇平 作

話題の映画を見て、どうも原作と違った感じを得たので再読してみた。
映画はまさに戦争の悲惨さ残酷さを容赦なく描いていて、グロテスクだがよく伝わる出来映えだった。ところが原作にはそれにとどまらない違った何かが描かれていたはず。

読みだして先ず気付いたのは小説は一人称で書かれていることだ。すべてが主人公の内面を通した出来事であり、それはレイテ島の風景や陽の移り変わりさえも、主人公の内面に映った姿なのだ。印象は刻々と変化する。

小説の主人公は生きる望みのない中で何日も独りさまよううちに、それまでの日常では経験しなかった大いなる存在=超越者=神の目を意識してゆく。神に見られている感覚。人肉を食べるか否かの切羽詰まった状況でもそうだが、そこまで至らなくても死を目前にした孤独な状況で、人間の脳は外界との現実的な関係を逸脱するのではあるまいか。これは文学的な表現ではなく、脳の誤作動としてあるのではないか?という気もする。
主人公が他の日本兵達とめぐりあって、レイテ島脱出の希望が出てくると神に見られている感覚は消え、日常の感覚が復活するというのも納得できる。

最後の章でこの作品は帰国後、精神病院に暮らす狂人のわたしが書いたものという設定が紹介される。神は何者でもないと思いながらも、もしあれが神の配慮であるならば神に感謝するというわたし。極限状況に置ける超越者の存在をどうとらえるか。わたしと超越者との1対1の関係。あくまで一人称の問題が小説作品にはある。

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読書
「呪いと日本人」 小松和彦 著

近世以前の支配者は政体のみならず天変地異などの自然現象、農作物の出来不出来にまで責任を負っていたからたいへんだ。災害の原因も怨霊の呪いであることが充分考えられる以上、悪霊調伏のため陰陽師や修験者を用いての祓い清めの儀式も盛大に執り行われる。その際排斥されるべき「ケガレ」の役目を引き受けるのが、ふだんから汚れ仕事を受け持っている非差別民だった。学生の頃から天皇制は被差別部落の存在によって構造的に支えられている云々はよく聞かされていたけど、
この呪いと「ケガレ」の役割を知っておくべきだった。

このように政治的な方法としての呪いの意味はあったとして、それとは別に個人対個人の恨みによる呪いは永遠に不滅で、現在も藁人形に五寸釘は廃れない。人は何故か人智ではかりしれない非合理なことに運命を預けるのが好きだから、直接報復する手段がない場合、呪いも偶然効果を発揮するかもしれないものね。もうこれしかない。

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読書
「怒りの葡萄」 スタインベック 作

砂あらしとトラクターの進出によってオクラホマの住処を奪われた小作農の一家。新しい農地を求めてはるばるカリフォルニアまで中古トラックにマットレスや家財道具一式を積んで移動する。しかしたどりついた夢のカリフォルニアは既に大規模資本の支配下にあり、多すぎる農民達は低賃金で使い捨てにされるのみだった。

まさに難民生活。爺ちゃん婆ちゃんからお父お母、叔父に妊婦に幼い子供達まで。結束して生きていかねばならない大家族の中で、父親は小作地を追われた段階で既に指示命令能力を失っており、かつての暮らしに思いをはせるばかりだ。自身の過ちから妻を亡くした叔父は、なにか不幸があるごとに自分の罪を責めていてまるでネガティブな存在。仮釈放の身で参加した長男がはるかに実用的なしっかりした人間だ。彼がある意味主人公とも言えるが、本当の主役は腹の据わった一家のまとめ役の母親。この母親の情の深さで作品が実に魅力的になっている。
元伝道師の男が同行しているのだが、この男がひとり社会や神や人生について始終考えていることを口にする役割であり、ぼんやりとではあるが民衆の立場を俯瞰して語ってくれる。

オクラホマ出身者=オーキーという呼称にもともとは差別的な意味合いはなかったのに、知らないうちに蔑称となる。難民の境遇は同情する部分はあるが、ことが地元民の生活に及ぶとすぐさま差別感情が芽生え、あいつらは人間じゃない云々へと容易にたどりついてしまう悲しさ。

スタインベックは妄想や観念のまったく入らないタイプの作家なのか、ルポとも言える社会派長編。登場人物は全員ごく平凡な民衆ばかりで、難しい言葉はいっさい登場しない。さすがにみんな生き生きと動く。読みやすくて読み応えあり。そして大きなドラマの結末はなく、小さなひとつのエピソードでお話は終わるという終わり方です。

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読書
「人形愛/秘儀」 高橋たか子
 作

やはり高橋たか子は好きな作家で、カトリックで求道的な気質を持ちながら、エロチックで霊的幻想が溢れているところが良い。
大人に成りかけている少年を自分勝手な妄想で飾り立てる。

「人形愛」
:夢の中で触れる青年の人形。現実世界では古風なホテルに滞在する受験勉強中の青年と知り合い、夢中の人形と混同して付き合っている。夢と現実が交互に語られるが、ラストで他人と主客が入れ替わるような作為が施されていて、とつぜん耽美抜きの幻想文学に変化する。

「秘儀」
:郊外の廃屋に少年とともに忍び込み、自身が解脱と呼ぶ精神世界への飛躍を試みる女。蝋細工作家に少年の体のパーツをそっくり模倣したロウソクを作らせ、廃屋での儀式に使ったりする異常な性癖を見せる。この少年と彼女の関係が謎めいているが、少年に言わせれば彼女は「狂ってるんです」という扱いらしい。

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読書
「タタール人の砂漠」 ブッツァーティ 作

若き将校ドローゴが赴任した国境北端の砦は既に古びていて、今や戦術上その存在意義はほとんどないとされる代物。当初早々と離脱しようとしていたドローゴだが、数ヶ月するうちその荒涼とした山間と、その先に広がる茫漠たる砂漠の風景に見入られ、在任を決めてしまう。日々正確にくり返される砦での任務。都会での楽しい青春を省みず、目の前に広がる砂漠のむこうからいつか敵がせめてくるかもしれないという期待のみを糧に、砦でのルーチンワークに身も心も捕われてゆく。

恐ろしいことに現代社会の労働にも同じようなことはあって、社会の歯車である会社勤めに人生の貴重な時間を集中し、自ら他の可能性と楽しみを見る目を閉じてしまう。もしかするとそれは流れに身を任せただけのラクな選択であり、過労死するまで目が覚めない。しかし大半の人生はそうやって過ぎ去っていく。

幻想文学といえばそうだが不思議な感じはなく、眼前に砂漠が広がる砦での勤務は不毛で無意味に近いが、だからといって虚無を描いているわけでもない。シュールな味わいはなく、いかにも現実の社会を思わせる。架空の砦を描いているが寓意小説と呼ばれるようなデフォルメされたところもない。しかし実にたのしい。

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読書
「ロレンス幻視譚集」 D.H.ロレンス 作

「チャタレー夫人の恋人」(未読)で有名なロレンスの幻想短編集。
サービス精神旺盛な作風で読みやすく痛快。登場人物も実に大衆的だ。作品によっては詩的な言葉は使っているが過度に観念的であったりはしない。

「人生の夢」
:水晶屈で昼寝してたら知らない間に時間が流れ、気がつけば遠い未来世界にというSF作品。この未来社会がオーガニックでピースフルなのだが、全員眠っているかのように穏やか過ぎて、なんとも不気味。

「喜びの幽霊」
:さるお屋敷に亡妻の監視を恐れて生きている大佐が寄宿していて、その家のばあさんは心霊主義に凝り固まっている。世帯主の息子夫婦のダンナの方も品行方正だが精神的には金縛りに合っているような状態。そこへ泊まり込んだ主人公が大佐の悩みを解決してくれるといったお話。この主人公がけっこうさっぱりした男なので話がおもしろくなっている。セリフも誰にでも分かる内容で上品な通俗小説といった趣だ。

「島を愛した男」
:なんとか小金を貯めて念願の島のオーナーとなり、農場を作り牛も飼い人手も雇って、都会を離れた自然と親しむ生活を実現した。ところが使用人はちっとも彼に懐かず裏切りや災難が続く。島を替えたが、こんどは住み込みの女と結婚するハメになってしまう。理想を失った男は、女を捨てて雪降る北の離島での孤独な暮らしを選んだ。リアリズムに負けて、だんだんと人間嫌いになっていく様が凄まじい。

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読書
「タイガーズ・ワイフ」 テア・オブレヒト 作

内戦の様相が深まり、いよいよ国家分裂へと向かうユーゴスラビア。とうとう首都へも空爆が始まる頃、若き医師ナタリアはボランティアで子供達に予防接種活動を行う。まだまだ近代医学よりも迷信を重んじる人々。村に病気や災いが起きるのは、供養してやれない遺骨がブドウ畑に埋まったままだからと信じ、病気の子どもまで駆り出して村総出で畑を掘り返しているのだ。

このナタリアの周りで起きる出来事と、同じく医師である彼女の祖父のエピソードが行きつ戻りつして物語が進む。

祖父が少年時に体験した、動物園から逃げ出して山里に住み着くようになったトラと、虐待されたろうあの少女の不思議な交流。そして青年医師時代に出会った、死者を導く役割をする不死身の男。この男は埋葬された棺桶の中からよみがえり、足に錘をつけて水中に投げ込んでも死なない。時間を越えて生きている。

老若2人の医師が、戦争で激変する社会と、根強く生き延びる伝統的で不条理な世界を同時に体験して生きて行く。土臭くて夢幻的な幻想文学の一級品。

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読書
「オリヴィエ・ベカイユの死/呪われた家」ゾラ傑作短編集
エミール・ゾラ
 作

世界名作文学全集に必ず入っているゾラ。そのせいか古風なイメージを持っていたが、まったく違って時代性を感じさせないものだった。しかもぞんぶんにエンターテイメント性があって、オーソドックスながらもワクワクとした。観念的だったり耽美的だったりせず、社会派で通俗的な読みやすさがあるが、下品なところは全くないという自分好みの作風。

「ナンタス」
では、主人公のナンタスがとある令嬢の子どもをあえて認知する役割をひきうけ、そこから大いに出世する物語。その話のムダのなさ、クライマックスに至る急展開など、手塚治虫作品のようにサクサクと進む。功成り名を遂げたナンタスが令嬢の前に跪き、実はあなたを愛していると大泣きするシーンなどは、まさに60年代の手塚の絵が思い浮かんだ。

「スルディス婦人」
は自身も画家でありながら、才能ある画家の夫を世に売り出すため献身する女性の話。夫は天才的な作風を持つが、生活は淫らでだらしがなく、一度評判を取っただけでなかなか仕事をしない。そんなダンナを咎めることなく、納期に追われてしだいに夫の作品に自ら手を入れるようになる。そしてとうとう夫のゴースト画家になってしまうが、あくまで夫の出世が自身の画家としての成功なのだ。この屈折した夫婦。こんな女をよく書けるもんだよ。

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読書
「月を見つけたチャウラ」
ピランデッロ 作

さりげない日常などとは正反対の、ひとつひとつ斬新な着想と技巧によって構成された短編集。諧謔味はあるが風刺というものではなく、人生に対する哀感を含んだ奥深いユーモア。解説によるとウモリズモというジャンル名になるのだそうだが、このレベルでそれぞれ違ったアイディアのものを250編近く書いたというから驚く。私でもタイトルだけは知っている映画「カオス・シチリア物語」「旅路」などの原作でもある。

「自力で」:死ぬ方はラクだが残された者の葬儀全般の手間や費用を考えると、おいそれと自宅で死ぬわけにもいかない。そこで主人公が考えたのが、わざわざ墓地まで出向いて縁者の眠る墓の前で自殺するというものだった。

「笑う男」:寝ているあいだ無意識に笑っていると精神を病む妻から難詰されるのだが、本人は夢を見た記憶もなくまったく納得できない。苦難の日常から解放されるため夢の中で楽しい思いをしているのだろうと自分を慰めていた。ある日とうとう見た夢を覚えていたが、その内容のくだらなさときたら!人間がいやになる可笑しさ。

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