漫画家まどの一哉ブログ
読書
「渡辺てる子の放浪記」林 克明 著
(同時代社)
れいわ新選組から衆議院選に立候補した氏の苦闘の人生を振り返り、その人柄と取り組みを紹介する。著者は私の薄い知り合い。
ホームレスやシングルマザーを経て、派遣労働の過酷さを身にしみて体験した渡辺てる子だが、なにより学生時代から始まった5年のホームレス生活があんまりな体験だ。政治活動により警察に追われている身の男性と付き合い出奔、そして潜伏。家も借りられない状態で各地を転々とし、なんと妊娠・出産。小さな子を抱えた親子4人のホームレス生活なんて、ふつう考えられないが実話だ。若くて世間知らずといえばそうかもしれないが、これが大人としての人生のスタートだからただごとではない。
そしてこの相手の男性の経歴自体が大いなる虚構であり、男性失踪後シングルマザーの道を歩むが、そこからの派遣・低賃金労働の残酷さは今更ながらである。様々な人に支えられながら生きてきた道のりが語られる。
後半はついにれいわ新選組の一員となって活動することになった氏の講演から、近頃の自己責任・弱者嫌悪の社会についてその問題点が語られる。これはまったくそのとおりだが、この辺りは著作物の限界で、氏の人間的魅力は実際に講演を聞いてみなければわからないだろう。私も聞いたことはない。
読書
「さらわれて」R.L.スティーブンソン 作
(平凡社ライブラリー)
遺産を相続するはずが奸計にかかって船にさらわれた青年。船は難破し、上陸後も荒野から山中へと苦難の道のりが続く。18世紀スコットランドを舞台とした屈指の冒険小説。
恥ずかしながら英国史、スコットランド史を知らないのはもちろんなのだが、この作品の背景には名誉革命以降の反革命運動があり、ジャコバイトと呼ばれたその勢力の反乱と地下活動がある。
そしてスコットランド高地地方がイングランド合同後も基本的に合同には消極的で、カトリックであり現地語であるゲール語を使い、ケルト音楽を愛する土地柄であることが、この物語のスリリングな逃避行を成立させている。
というわけで主人公青年デイビットは、なんの因果かジャコバイトの闘士アランと延々高地地方を身を隠しながら移動し、低地の都市エジンバラを目指す。物語後半はそんな内容で確かに面白いのだが、個人的には前半の海洋冒険シーンのほうがワクワクとした。冒頭怪しすぎる叔父の陰謀。その叔父に騙されて乗せられてしまった2本マスト船とそのスタッフ面々。裏表ある不可解な人格の船長。侠気ある元医者。暴力的な水夫長。デイビット&アラン対全船員の戦い。挙げ句の果ての座礁・難破など。お決まりかもしれないが海洋冒険小説はいつでもロマンたっぷりなのだ。
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「ヴァレンシュタイン」シラー 作
(岩波文庫)
三十年戦争時代。ボヘミアの傭兵隊長ヴァレンシュタインの反乱と死を描く戯曲三部作。誰からも慕われる英雄であったはずの彼が、いかにして皇帝への反旗を翻し暗殺される運命となったか。
第一部を読んだ限りでは、シェイクスピア劇を発展させるにしては人間描写が単に役割的で物足りなかったが、第二部・第三部と物語が動き出すにつれて描く人物がいよいよその性格を露わにし、俄然面白くなってきた。
架空の人物マクス青年は、実に純粋な邪心なき人物で、大人たちの間で板挟みとなって苦しむ役どころだが、その恋人ヴァレンシュタインの娘テークラも自分たちの置かれた困難な状況に覚悟して臨む意志の強い女性である。この2人の性格と悲恋はいかにも劇作上の必要とはいえ効果的だ。
彼ら以外の大人たちははっきり言えば裏の裏をかこうとするような権謀術数のなかで揺れ動く人間で、ヴァレンシュタインが知らないうちに一人一人皇帝側に寝返っていくところが辛い。また数々の戦果を挙げたヴァレンシュタインが今や占星術の虜となっていて、あやしい占い師に頼っているなど、彼の運命がなだれを打って破滅へと向かうことを象徴しているようだ。
ドラマとしてはオーソドックスなものかもしれないが、それだけに十分楽しめた。
読書
「アーサー王宮廷のヤンキー」
マーク・トウェイン 作
(角川文庫)
アメリカはコネチカット州生まれの男がふと目をさますと、そこは1300年前のイギリス、アーサー王の宮廷だった。科学の知識を駆使して偉大なる魔法使いとして活躍。民主的で平等な社会への変革を目指すが…。
孤軍奮闘、時代にはるか先んじてイギリスに産業革命を仕掛ける。石鹸工場を立ち上げて、広告と営業を開始。発電設備を整え、電線を引き電話を設置。印刷を始めて新聞を創刊。ほとんどナンセンスに近いほどの現代文明の再現。なにせ円卓の騎士ランスロットらが、自転車で駆けつけるのだから笑ってしまう。
この時代の身分制度と意識は頑然たるもので、身分の違いは人間と猿の如く生まれ持って全く違う生物の如きもの。城に住む者は平民の命などあろうがなかろうが全く省みない。主人公はこの状況に果敢に挑戦し、貴族や騎士のばかげた特権を廃止して、ゆくゆくは共和制を打ち立てようとする。そして最も警戒するのは教会であり、最終的には教会の支配との戦いとなる。
それにしてもアーサー王は身分的偏見からは逃れられないが、勇猛で理解早く揺るがない男。主人公とともに農民に身をやつして世界を見聞するところ以降死刑寸前まで、胸躍る冒険小説の醍醐味が味わえる。
読書
「修繕屋マルゴ」フジュレ・ド・モンブロン 作
(幻戯書房ルリユール叢書)
辛辣なパロディで世間を敵に回して生きた作家モンブロンの艶笑小説2編と旅行記を収録。18世紀フランス文学。
思ったより全編艶笑文学で、読み進むうち、なぜ自分はこんなものを読んでいるのか不思議な気になる。
表題作「修繕屋マルゴ」は恵まれた容姿を武器に、貧窮する身の上から娼婦としてのし上がっていく女性の物語。大枚を払ってでも彼女をものにしようと言い寄ってくる男たちのいかにバカで情けない連中かを歯に衣着せぬ毒舌でこきおろす。しかし高級役人や聖職者にこの手合いが多いのは、ことさら説明されなくとも容易に理解できて意外でもない話。
それなら短編の「深紅のソファー」の方がふざけていて面白い。姿をソファに変えられた男という設定は元ネタがあるらしいが、彼(ソファー)の上で性行為が繰り返され、行為が男性の不発に終わると人間の姿に戻るのが愉快。
作者モンブロンは時代に先んじて合理的な思考の持ち主で、身分や階層による権威を否定しているうえ、宗教的習慣も非合理な迷信として顧みない。なかなか18世紀のフランスでは生きにくい性格だっただろうと思う。
「コスモポリット」はさばさばした旅行記で、あっという間にヨーロッパあちこちを巡ってしまうが、これは作者が逮捕を恐れて逃げ回っている境遇であったせいでもあるらしい。たいへんだね。
読書
「ヌメロ・ゼロ」ウンベルト・エーコ 作
(河出文庫)
大衆向け日刊紙の創刊企画のため集められた編集者達。創刊準備号(0号)発刊のため連日会議や取材に励むが、実はこの企画自体が大きなフェイクなのだ。エーコ最後の長編。
底辺ではあるが登場人物は手練れの俗流ジャーナリストばかりで、社会派というとちょっと違うが、冷たくてざらざらした感触。こういった作品を読むのは個人的には珍しい体験だった。
世間のゴシップをいかに責任を取らない形であおり立てるか、歴史の闇を興味本位でどのように掘り起こすか、通俗に徹した編集技術があれこれと駆使される。
加えて小説としての膨らみには、この企画の裏事情を知っている主人公の編集長と唯一の女性編集者との恋愛があり、同僚の編集者が追求する政治史の闇など。とくにムッソリーニは生きていた説には延々とページが割かれ、イタリア史に詳しいはずがない読者としてはついていくのはいささか大変である。
それでもなかなかミステリアスで面白かった。ちなみに私には他のウンベルト・エーコ体験はない。
読書
「ヘンリー四世」全二部
シェイクスピア 作
(ちくま文庫)
ヘンリー四世の治世下、反旗を翻す熱血漢ホットスパー。対する放蕩息子のハル王子と友人の俗物フォルスタック。個性豊かな人物を中心に展開する人間味豊かな歴史ドラマ。
貴族階級に属しながら安酒場を飲み歩く肥満漢フォルスタック。戦闘には全く向かない減らず口の凡人だが、実際貴族といってもこういった人物はごくふつうにいっぱいいただろう。
そしてハル王子ハル王子は最高級の身分でありながらフォルスタックと一緒に放蕩を続けるといったキャラクター設定も、その落差がおもしろく、この作品がこの種の設定の嚆矢かもしれない。
かたや敵対するヒーロー、ホットスパーはまさに煮え滾る性格で、剣をとっては勇士だが、自身の激情をコントロールすることができない。これもハル王子と対立的な性格設定となっている。
内戦という国の行方を決する一大事でありながら、飲み屋の女将や娼婦も登場し、伯爵や大司教といった面々も深刻な顔をして大論を叫んでいるわけでもない。みな迷い苦しみオロオロする人間的な感情を豊かに持った人物ばかりだ。いわゆる大河ドラマ的ではない面白さ。
ヘンリー四世の出世や、その王子達の振舞いを見ると、平気で裏切れる人間が最後には勝つといったところが、権力闘争の真実か。
読書
「天使の蝶」プリーモ・レーヴィ 作
(光文社古典新訳文庫)
化学者としての知見を活かし、奇想天外な発明品の数々がもたらす悲喜劇を描いたSF的短編集。
NATCA社が開発する画期的な新発明・新商品を抱えて、今日もまた馴染みの営業マン、シンプソンが現れる。詩歌作成機、三次元複写機、美の測定装置、その他とんでもない発明品のあれこれ。昆虫とのコミュニケーションを発展させて雇用関係を結ぶなど、アイデアは尽きない。
このシリーズの他、痛みを快感に変えてしまう薬剤の悲劇や、冷蔵庫で眠りつ続け、誕生日にのみ喝采されて起こされる美女の話など、すべては現代文明への巧みなアイロニーとなっている。
人生や内面に届くような描写はないが、単純な落とし噺とは一味違う展開があり、いわゆるショートショート的な読み物以上のおもしろさ。
作者プリーモ・レーヴィはアウシュビッツからの生還者として知られる作家で、その方面の著作も多数。実は私の書棚にも「これが人間かーアウシュヴィッツは終わらない」があるのだが、なんとなく文体に馴染めなくて読み進まないままになっているのだった。
読書
「ほら吹き男爵の冒険」ビュルガー 作
(光文社古典新訳文庫)
実在の人物ミュンヒハウゼン男爵の体験記が大きく膨らみ、荒唐無稽な冒険譚として広がったもの。ドイツの作家ビュルガーが加筆・翻案。
18世紀後期の作品だが、今からみるとユーモアのセンスも違うし、だいたい話が荒唐無稽すぎてリアリズムのかけらもないものを現代のわれわれが楽しめるわけがないのでは?と予想するところだが、豈図らんやこれが楽しく読めてしまった。
とんでもない怪力やスタミナをもって、海中から月世界までわたり歩き、クマもワニもライオンもものともしない。いくらホラ話とはいえそこまでやってはシラけるのでは?というレベルを最初から最後まで貫き通すので、かえって圧巻である。
もちろん直接笑いにつながる内容ではないが、このスタイルで現代まで生き残っているのも、ユーモア小説のひとつの在り方かもしれない。読者の緊張を緩和した状態にするという効果においてひとつのジャンルなのだ。
文庫本にはふんだんに挿絵が掲載されていて、漫画として申し分ない出来栄えだと感心していたが、描き手はドレだった。
読書
「怪奇小説集 共犯者」遠藤周作 作
(角川文庫)
中間小説も多く手掛けた遠藤周作のミステリー短編集。
元となった70年の講談社本刊行時から「怪奇小説集」と題されているが、もとより幻想味はまるでなくミステリーですらない。やや暗い影を帯びたショートストーリーといった風味。通俗小説といえばそうだが、さすがに表現は抑制されていて読んでいて嫌な感じはしない。そのせいで殺伐とした内容でも読み進むことはできる。
「偽作」:小説修行に励むことを結婚の条件とする女性と再婚し、やがて彼女は賞を受賞して有名作家に…。しかしその影には常に叔父と称する人物の影が…。はたして作品を書いたのは誰か…。二転三転するラスト。この作品がもっともミステリー感あり。
「人喰い虎」:インドで日本領事館に属官として勤める男。日本からの代議士連を接待するがどうもうまくいかない。インドの自然や人間性を愛する彼は、現地人を馬鹿にしている役人や代議士たちの間で苦闘する。俗物たちに囲まれてもがく彼が、退治される虎に重ね合わされている。佳作。
「憑かれた人」:素人でありながら吉利支丹文献発掘に取り憑かれて泥沼にはまり込む人は多い。古書店主のそんな心配をよそに世紀の大発見に取り憑かれた男の最期は?作者自家薬籠中の吉利支丹もの。こんな料理の仕方があるとは。