漫画家まどの一哉ブログ
「湖の南」 富岡多恵子
「湖の南」
富岡多恵子 作
(新潮社)
明治24年(1891)巡査津田三蔵がロシア皇太子に切りつけた大津事件。津田三蔵とはどんな人間だったのか。時代に翻弄された一庶民のはかない生涯を追う。
話は京阪電鉄浜大津駅となりの三井寺から始まる。琵琶湖疏水沿いのなだらかな坂道を登って三井寺へたどりつき、その境内から大津市街と琵琶湖を眺める絶景は実は、私も経験したことがあり大変良かった思い出がある。津田三蔵はここで警備にあたっていた。
その津田三蔵。出身は三重県伊賀上野で父親は藩医の身分。何を隠そう(隠すこともないが)私の父方の一族は代々伊賀上野市で暮らし、津田家と同じ藤堂家の家臣身分。(その動機で長編漫画「カゲマル伝」を描いた)津田家が味わった幕藩体制終了後の変転は、おそらく我が父方も同じようなものだったのではないかと想像して読んだ。
どうやら津田三蔵は思想犯でもなんでもなく、無口で細かいことを気にする堅物だったようで、笑って過ごせる心の余裕などはあまりなく、気持ちの行き場がないと突然狂人のようなふるまいに及ぶ。これが大津事件の正体だったようだ。
面白いのは作品の本筋である事件の話は3分の2ほどでほとんど終了し、残りは大津に暮らす作者の元へなんども届く昔近所の電気屋だった男からの妙な手紙の話題。この人生をあけすけに語る不気味な手紙をなぜ送ってくるのかわからない。
また津田三蔵に切りつけられたロシア皇太子ニコライのその後の人生にも筆は及んで、自由自在・融通無碍な書きっぷりがたいへん気持ち良く、後半は読み出したらやめられなかった。
PR