漫画家まどの一哉ブログ
カテゴリー「映画鑑賞記」の記事一覧
- 2011.07.31 「狂った果実」
- 2011.04.23 「灰とダイヤモンド」
- 2011.03.29 「けんかえれじい」
- 2011.02.18 「煙突の見える場所」
- 2011.01.22 「フェリーニのローマ」
- 2011.01.12 「地下室のメロディ」
- 2010.12.05 「街灯」
- 2010.11.07 「トランスポーター2」
- 2010.10.17 「四谷怪談 お岩の亡霊」
- 2010.09.22 「街のあかり」
映画(mixi過去日記より)
「狂った果実」
1956年
監督 中平康
原作 石原慎太郎
出演 石原裕次郎・北原三枝・津川雅彦・岡田真澄
石原裕次郎初主演のため、石原慎太郎が書き下ろした脚本。
トリュフォー絶賛、ヌーヴェル・ヴァーグに先んじる鬼才、中平康監督の名作との情報を得てから観た。
裕次郎は突出した美男というわけではないが、格好の付け方にキレがあって、独特のスカした早口で、何言ってるか聞き取りにくいまでも、昔風に言えば確かにイカしている。しかも感情表現はちゃんと伝わってくるという不思議な俳優だ。
力を持て余しながら、その力を何処へ向けていいかわからず、ひたすら日々遊び続ける不良少年の鬱屈と焦燥を描くのは、洋の東西を問わずいつの時代にもある。ただ石原兄弟の作品世界は、主人公達に金もヒマも存分にあるというのが、われわれ一般庶民が素直に感情移入できないところだろう。「そうそう、俺も学校サボって、よく家のヨットで葉山の海にでたなあ」という人がどれくらいいただろうか。車を自由に乗り回せる学生が。
もちろん階級差を問題にしてもしようがないのであって、話は兄弟で一人の女を取り合うという、単純なものだが、中平康の腕のさえなのか、緊張感のある展開で退屈しなかった。オープニングで津川雅彦の絶望的な表情がだんだんとアップになって驚いた(これはエンディングに繋がっていた)。ラストシーンで、追いつめられた裕次郎と北原三枝の乗るヨットの周りを、津川のボートがぐるぐるぐるぐる廻るのだが、このシーンが不気味に長いのも効果的。必要な長さだと思った。
ところで石原慎太郎の代表作「太陽の季節」をかなり以前に読んだとき、精薄の少女が金持ちの不良青年たちに輪姦される内容に、読後きわめて嫌悪感を持ったが、この映画にはそういうところはなかった。ちなみに津川雅彦の乗り回すボートは「sun seazon」号。
「狂った果実」
1956年
監督 中平康
原作 石原慎太郎
出演 石原裕次郎・北原三枝・津川雅彦・岡田真澄
石原裕次郎初主演のため、石原慎太郎が書き下ろした脚本。
トリュフォー絶賛、ヌーヴェル・ヴァーグに先んじる鬼才、中平康監督の名作との情報を得てから観た。
裕次郎は突出した美男というわけではないが、格好の付け方にキレがあって、独特のスカした早口で、何言ってるか聞き取りにくいまでも、昔風に言えば確かにイカしている。しかも感情表現はちゃんと伝わってくるという不思議な俳優だ。
力を持て余しながら、その力を何処へ向けていいかわからず、ひたすら日々遊び続ける不良少年の鬱屈と焦燥を描くのは、洋の東西を問わずいつの時代にもある。ただ石原兄弟の作品世界は、主人公達に金もヒマも存分にあるというのが、われわれ一般庶民が素直に感情移入できないところだろう。「そうそう、俺も学校サボって、よく家のヨットで葉山の海にでたなあ」という人がどれくらいいただろうか。車を自由に乗り回せる学生が。
もちろん階級差を問題にしてもしようがないのであって、話は兄弟で一人の女を取り合うという、単純なものだが、中平康の腕のさえなのか、緊張感のある展開で退屈しなかった。オープニングで津川雅彦の絶望的な表情がだんだんとアップになって驚いた(これはエンディングに繋がっていた)。ラストシーンで、追いつめられた裕次郎と北原三枝の乗るヨットの周りを、津川のボートがぐるぐるぐるぐる廻るのだが、このシーンが不気味に長いのも効果的。必要な長さだと思った。
ところで石原慎太郎の代表作「太陽の季節」をかなり以前に読んだとき、精薄の少女が金持ちの不良青年たちに輪姦される内容に、読後きわめて嫌悪感を持ったが、この映画にはそういうところはなかった。ちなみに津川雅彦の乗り回すボートは「sun seazon」号。
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映画(mixi過去日記より)
「灰とダイヤモンド」
1957年ポーランド
監督 アンジェイ・ワイダ
出演 ズビグニエフ・チブルスキー エヴァ・クジジェフスカ
名高い作品なので観てみた。
主人公の青年マチェクは、政治活動家としての暗殺者であって単なるヤクザ者ではないが、孤独なアウトローという設定は同じ。映画の王道を行く気がした。
第二次大戦後のポーランドの政治的背景、またワルシャワ蜂起などの歴史的事実に詳しければ、そういった歴史の大きなうねりのなかで、彷徨える孤独な魂といった見方も出来る。ただそうではなくて、所謂ヒットマン一般の悲歌として理解しても、なんら問題ないと思う。政治や社会運動自体が映画の前面に出たものではなかった。
●天涯孤独の主人公マチェクは、最初ターゲットを間違えて、一般労働者を殺してしまう。
●それでも使命を果たそうとする中、ホテルのバーで働く女と知り合い、初めて愛に目覚める。
●その彼女は失うことの悲しみを、これ以上経験したくないという女。最初はマチェクとの恋に消極的だったが、しだいに彼を受け入れるようになる。
●愛に目覚めたマチェクはふつうの生活に憧れ、殺しの仕事を抜けようとするが、ままならない。
●最後には結局暗殺の使命を果たし、逃走の途中監視員に見つかり、銃撃を受けてゴミ捨て場で悲惨な最期を迎える。
と、こうやって粗筋を書き出してみると、しごく真っ当なストーリーで、アウトロードラマの基本形のようなものだ。ただそれは今だから言えることで、この作品が切り開いた世界なのかもしれない。もちろんそんな骨組み以外に、面白い場面がいろいろありました。例えばラストのシーツのシーンなど。
「灰とダイヤモンド」
1957年ポーランド
監督 アンジェイ・ワイダ
出演 ズビグニエフ・チブルスキー エヴァ・クジジェフスカ
名高い作品なので観てみた。
主人公の青年マチェクは、政治活動家としての暗殺者であって単なるヤクザ者ではないが、孤独なアウトローという設定は同じ。映画の王道を行く気がした。
第二次大戦後のポーランドの政治的背景、またワルシャワ蜂起などの歴史的事実に詳しければ、そういった歴史の大きなうねりのなかで、彷徨える孤独な魂といった見方も出来る。ただそうではなくて、所謂ヒットマン一般の悲歌として理解しても、なんら問題ないと思う。政治や社会運動自体が映画の前面に出たものではなかった。
●天涯孤独の主人公マチェクは、最初ターゲットを間違えて、一般労働者を殺してしまう。
●それでも使命を果たそうとする中、ホテルのバーで働く女と知り合い、初めて愛に目覚める。
●その彼女は失うことの悲しみを、これ以上経験したくないという女。最初はマチェクとの恋に消極的だったが、しだいに彼を受け入れるようになる。
●愛に目覚めたマチェクはふつうの生活に憧れ、殺しの仕事を抜けようとするが、ままならない。
●最後には結局暗殺の使命を果たし、逃走の途中監視員に見つかり、銃撃を受けてゴミ捨て場で悲惨な最期を迎える。
と、こうやって粗筋を書き出してみると、しごく真っ当なストーリーで、アウトロードラマの基本形のようなものだ。ただそれは今だから言えることで、この作品が切り開いた世界なのかもしれない。もちろんそんな骨組み以外に、面白い場面がいろいろありました。例えばラストのシーツのシーンなど。
映画(mix過去日記より)
「けんかえれじい」
1966年
監督 鈴木清順
出演 高橋英樹・浅野順子・川津祐介
昭和10年ごろの旧制中学を舞台として、けんかばかりしている主人公達の話だが、おもしろかった。
もしこれが、経済的に自立している大人の世界ならば、ピストルなども登場して悲惨な話になるだろうが、学生間の意地の張り合い・男気の見せ合いなので愉快愉快。殺傷能力の高い手作り武器なども登場するが、そこはユーモアとして安心して見れる。
男らしさと女らしさが極端に別れていて、硬派の男達の憧れる女は、可憐な一輪の白百合が如し少女であり、マドンナであり、純然たる女性像のようなもの。「男は男らしくあれ」というのが昔の日本社会共有の建て前で、中性的なポジションがない。(ドラマではときどき男勝りのおてんばな女の子が登場するけど…。)
この極端な男と女で構成された社会が、本宮ひろ志が「男一匹ガキ大将」で憧れた世界で、つまり既に失われていた社会なのかも知れない。それとも自分が知らないだけで、相変わらずヤンキーの世界は同じような精神性なのかな?
高橋英樹は若いくせにゴツ過ぎるが、川津祐介がやはりカッコイイ(自分は川津祐介の「三回死にかけてわかったこと」という妙な本を読んだことがある)。
北一輝が登場し、二・二六事件が起こり、主人公が東京へ赴こうとするラストはかなり唐突な感じがするが、この作品が公開された当時、学生運動の時代の雰囲気から歓迎されたようだ。どんな作品もその時代の若者が共有する感覚を描いて評価される部分がある。時間が経ち、世代が変わるとさっぱりわからない。それについては、いいとも悪いとも思わないが。
「けんかえれじい」
1966年
監督 鈴木清順
出演 高橋英樹・浅野順子・川津祐介
昭和10年ごろの旧制中学を舞台として、けんかばかりしている主人公達の話だが、おもしろかった。
もしこれが、経済的に自立している大人の世界ならば、ピストルなども登場して悲惨な話になるだろうが、学生間の意地の張り合い・男気の見せ合いなので愉快愉快。殺傷能力の高い手作り武器なども登場するが、そこはユーモアとして安心して見れる。
男らしさと女らしさが極端に別れていて、硬派の男達の憧れる女は、可憐な一輪の白百合が如し少女であり、マドンナであり、純然たる女性像のようなもの。「男は男らしくあれ」というのが昔の日本社会共有の建て前で、中性的なポジションがない。(ドラマではときどき男勝りのおてんばな女の子が登場するけど…。)
この極端な男と女で構成された社会が、本宮ひろ志が「男一匹ガキ大将」で憧れた世界で、つまり既に失われていた社会なのかも知れない。それとも自分が知らないだけで、相変わらずヤンキーの世界は同じような精神性なのかな?
高橋英樹は若いくせにゴツ過ぎるが、川津祐介がやはりカッコイイ(自分は川津祐介の「三回死にかけてわかったこと」という妙な本を読んだことがある)。
北一輝が登場し、二・二六事件が起こり、主人公が東京へ赴こうとするラストはかなり唐突な感じがするが、この作品が公開された当時、学生運動の時代の雰囲気から歓迎されたようだ。どんな作品もその時代の若者が共有する感覚を描いて評価される部分がある。時間が経ち、世代が変わるとさっぱりわからない。それについては、いいとも悪いとも思わないが。
映画(mixi過去日記より)
「煙突の見える場所」
1953年
監督 五所平之助
原作 椎名麟三
出演 田中絹代 上原謙 高峰秀子 芥川比呂志
椎名麟三を読んだところなので、椎名麟三原作の映画を観てみた。
昭和20年代の下町。場所によって2本にも4本にも3本にもなる、大きな煙突が見える下町を舞台にしたヒューマンドラマ。舞台となる小さな家の1階には、田中絹代と上原謙の夫婦が住んでいて、2階の二間をそれぞれ高峰秀子と芥川比呂志に安く貸しているという設定。その家の一階にある日、見知らぬ赤ん坊が預けられ、しかも添付された戸籍謄本を見ると、妻(田中絹代)の籍は空襲で死んだはずの前夫の籍となっているというややこしい展開に。社会正義をふりかざす芥川比呂志は、言い出した手前、想いを寄せる高峰秀子の目もあって、赤ん坊の父親を捜してまわるハメに落ち入るが…。(役名省略)
田中絹代と上原謙は昔風の日本的美男美女だが、くらべて若い高峰秀子と芥川比呂志がぐっと現代的な顔立ちで、俳優といっても時代によってだいぶ違うもんだと思う。
上原謙は気の弱い亭主の役がぴったりだ。そして若い高峰秀子は凛とした美しさがあった。
それにしても昭和20年代の街と暮らしの、いかに現代と隔たっていることよ。
昨今、昭和30年代がブームだが、かなり美化されていると思うので、やはり昔の日本映画を観たほうがいいと思うよ。まずボクらあたりが、高度成長以前の日本を知っている最後の世代だと思うので、若い人はこの映画を観てもなにやってるのかわからないかも。例えば炭をおこして火鉢に入れるとか…。
「煙突の見える場所」
1953年
監督 五所平之助
原作 椎名麟三
出演 田中絹代 上原謙 高峰秀子 芥川比呂志
椎名麟三を読んだところなので、椎名麟三原作の映画を観てみた。
昭和20年代の下町。場所によって2本にも4本にも3本にもなる、大きな煙突が見える下町を舞台にしたヒューマンドラマ。舞台となる小さな家の1階には、田中絹代と上原謙の夫婦が住んでいて、2階の二間をそれぞれ高峰秀子と芥川比呂志に安く貸しているという設定。その家の一階にある日、見知らぬ赤ん坊が預けられ、しかも添付された戸籍謄本を見ると、妻(田中絹代)の籍は空襲で死んだはずの前夫の籍となっているというややこしい展開に。社会正義をふりかざす芥川比呂志は、言い出した手前、想いを寄せる高峰秀子の目もあって、赤ん坊の父親を捜してまわるハメに落ち入るが…。(役名省略)
田中絹代と上原謙は昔風の日本的美男美女だが、くらべて若い高峰秀子と芥川比呂志がぐっと現代的な顔立ちで、俳優といっても時代によってだいぶ違うもんだと思う。
上原謙は気の弱い亭主の役がぴったりだ。そして若い高峰秀子は凛とした美しさがあった。
それにしても昭和20年代の街と暮らしの、いかに現代と隔たっていることよ。
昨今、昭和30年代がブームだが、かなり美化されていると思うので、やはり昔の日本映画を観たほうがいいと思うよ。まずボクらあたりが、高度成長以前の日本を知っている最後の世代だと思うので、若い人はこの映画を観てもなにやってるのかわからないかも。例えば炭をおこして火鉢に入れるとか…。
映画(mixi過去日記より)
「フェリーニのローマ」ROMA
監督:フェデリコ・フェリーニ 1972年
フィルム・ドキュメンタリーという設定で描かれた、今と昔のローマ。
一貫したストーリーは無く、過去と現代を行きつ戻りつしながら、数々の細切れにされたエピソードが連続する。もちろん創作である。
●猥雑な下宿に群れ集う人々。子供や年寄りが主役だ。
●雨中の外環道渋滞、悪路ぶりがすさまじい。
●ステージのショーとちっともおとなしく観ない観客。やがて空襲警報。
●遺跡が連続して発見され、なかなか進まないローマの地下鉄工事。フレスコ画が発見されるが、外気に当たって消えて行く。
●売春宿に群れ集う男達と、呼びかける売春婦達。これが安売春宿も高級店もまったく同じシステムで紹介される。
●教会に枢機卿様を迎え、なんと始まったのは僧服のファッションショー。しかし枢機卿様は寝ていた。
●最後は深夜の市街をぐるぐる廻る暴走族。
ひとつひとつのエピソードの中身も、四コマ漫画の繋がりみたいで、おもしろくて笑ってしまう。下宿アパート下での往来に設定された、ピザ&パスタでの夕食風景が騒がしいことこの上なく、いちばん面白かった。ローマではじっとしているヤツが居ないというか、人間は面白いことに正直なのがいいよ。
「フェリーニのローマ」ROMA
監督:フェデリコ・フェリーニ 1972年
フィルム・ドキュメンタリーという設定で描かれた、今と昔のローマ。
一貫したストーリーは無く、過去と現代を行きつ戻りつしながら、数々の細切れにされたエピソードが連続する。もちろん創作である。
●猥雑な下宿に群れ集う人々。子供や年寄りが主役だ。
●雨中の外環道渋滞、悪路ぶりがすさまじい。
●ステージのショーとちっともおとなしく観ない観客。やがて空襲警報。
●遺跡が連続して発見され、なかなか進まないローマの地下鉄工事。フレスコ画が発見されるが、外気に当たって消えて行く。
●売春宿に群れ集う男達と、呼びかける売春婦達。これが安売春宿も高級店もまったく同じシステムで紹介される。
●教会に枢機卿様を迎え、なんと始まったのは僧服のファッションショー。しかし枢機卿様は寝ていた。
●最後は深夜の市街をぐるぐる廻る暴走族。
ひとつひとつのエピソードの中身も、四コマ漫画の繋がりみたいで、おもしろくて笑ってしまう。下宿アパート下での往来に設定された、ピザ&パスタでの夕食風景が騒がしいことこの上なく、いちばん面白かった。ローマではじっとしているヤツが居ないというか、人間は面白いことに正直なのがいいよ。
映画(mixi過去日記より)
「地下室のメロディ」Mélodie en sous-sol
監督:アンリ・ヴェルヌイユ
出演:ジャン・ギャバン、アラン・ドロン
1963年 モノクロ
高級リゾートホテルからカジノの大金を強奪する計画を立てた主人公達(アラン・ドロンとジャン・ギャバン)、金持ちの振りをして2週間ホテルに泊まり込んだ。最後の金曜の深夜、支配人が金庫をチェックしにくると同時に、換気口からエレベーターの天井を抜け、まんまと金庫室に突入。強奪成功後は現金を詰めた鞄を受け渡しして、逃げるはずだったが…。
人情の絡まない犯罪ドラマで、気持ちよかった。犯罪自体もとくにトリック的なことは無く、アラン・ドロンが体を張って、ダクトを抜けたり、エレベーターのロープを伝ったりするのが見どころ。ルパンでも多用されている泥棒映画の定番が、このころ確立されたのかも知れない。
音楽も建物も題字も、ミッドセンチュリーならではのオシャレ感に溢れていた。
こういう犯罪ドラマは、計画がまんまと成功するところはもちろん観たいし、また最後にどうやって失敗するのかが見どころで、両方楽しめるようになっております。
それにしても、やはり野沢那智と森山 周一郎の声が浮かんでしまう…。
「地下室のメロディ」Mélodie en sous-sol
監督:アンリ・ヴェルヌイユ
出演:ジャン・ギャバン、アラン・ドロン
1963年 モノクロ
高級リゾートホテルからカジノの大金を強奪する計画を立てた主人公達(アラン・ドロンとジャン・ギャバン)、金持ちの振りをして2週間ホテルに泊まり込んだ。最後の金曜の深夜、支配人が金庫をチェックしにくると同時に、換気口からエレベーターの天井を抜け、まんまと金庫室に突入。強奪成功後は現金を詰めた鞄を受け渡しして、逃げるはずだったが…。
人情の絡まない犯罪ドラマで、気持ちよかった。犯罪自体もとくにトリック的なことは無く、アラン・ドロンが体を張って、ダクトを抜けたり、エレベーターのロープを伝ったりするのが見どころ。ルパンでも多用されている泥棒映画の定番が、このころ確立されたのかも知れない。
音楽も建物も題字も、ミッドセンチュリーならではのオシャレ感に溢れていた。
こういう犯罪ドラマは、計画がまんまと成功するところはもちろん観たいし、また最後にどうやって失敗するのかが見どころで、両方楽しめるようになっております。
それにしても、やはり野沢那智と森山 周一郎の声が浮かんでしまう…。
映画(mixi過去日記より)
「街灯」
監督:中平康
原作:永井龍男
出演:月丘夢路 南田洋子 葉山良二 岡田眞澄
1957年
銀座に華やかな洋裁店を経営するマダム(月丘夢路)と、そこで働く若きツバメながら、次々と女に手を出す優男(岡田眞澄)。マダムの友人で、やはりささやかな洋裁店を営む女性(南田洋子)と、落とした定期が縁で近づきになる保険会社の社員(葉山良二)。この二組を中心に、金持ちの遊蕩娘や金をたかるゴロつき達も登場して進む、ほのかな恋愛コメディ。
始まってすぐ、そのテンポのよい場面の切り替えや、話の進行に引き込まれてしまった。
大爆笑するギャグはなく、ゆったりと長く感情を描いたりもしない。恋もほんの芽生え程度で、極端な感情の高ぶりに寄らずに、ほんの小さな面白いことをいっぱい作って、全くムダ無く繋いでいく方法が観ていて気持ちよい。
例えば、遊び人の金持ち令嬢が、プレイボーイの青年(岡田眞澄)の実家を訪れてみると、どぶの流れる裏長屋。令嬢が一人乗りのコンパクトカー(メッサーシュミット)で乗り付けた時に、近所のはな垂れっ子たちが、「おもしろい自動車がきたぞー!」と、取り巻きにくるところが愉快だった。
個人的には、若い南田洋子が可愛い。大地真央から瀬戸朝香ラインを彷彿とさせる、オデコに主張があって、鼻の付け根の低い顔立ち。
映画に疎いが、中平康という人が、日本の名監督らしいので観てみました。よかったです。
原作が永井龍男だから、名人永井龍男を読み返してもいいかもしれない。
「街灯」
監督:中平康
原作:永井龍男
出演:月丘夢路 南田洋子 葉山良二 岡田眞澄
1957年
銀座に華やかな洋裁店を経営するマダム(月丘夢路)と、そこで働く若きツバメながら、次々と女に手を出す優男(岡田眞澄)。マダムの友人で、やはりささやかな洋裁店を営む女性(南田洋子)と、落とした定期が縁で近づきになる保険会社の社員(葉山良二)。この二組を中心に、金持ちの遊蕩娘や金をたかるゴロつき達も登場して進む、ほのかな恋愛コメディ。
始まってすぐ、そのテンポのよい場面の切り替えや、話の進行に引き込まれてしまった。
大爆笑するギャグはなく、ゆったりと長く感情を描いたりもしない。恋もほんの芽生え程度で、極端な感情の高ぶりに寄らずに、ほんの小さな面白いことをいっぱい作って、全くムダ無く繋いでいく方法が観ていて気持ちよい。
例えば、遊び人の金持ち令嬢が、プレイボーイの青年(岡田眞澄)の実家を訪れてみると、どぶの流れる裏長屋。令嬢が一人乗りのコンパクトカー(メッサーシュミット)で乗り付けた時に、近所のはな垂れっ子たちが、「おもしろい自動車がきたぞー!」と、取り巻きにくるところが愉快だった。
個人的には、若い南田洋子が可愛い。大地真央から瀬戸朝香ラインを彷彿とさせる、オデコに主張があって、鼻の付け根の低い顔立ち。
映画に疎いが、中平康という人が、日本の名監督らしいので観てみました。よかったです。
原作が永井龍男だから、名人永井龍男を読み返してもいいかもしれない。
映画(mixi過去日記より)
「トランスポーター2」
監督 ルイ・レテリエ
製作 リュック・ベッソン
出演 ジェーソン・ステーサム
2005年
以前、前作「トランスポータ-」をチラ観して、面白かったので観てみた。
政治家の息子が誘拐されるが、犯行組織の目的は身代金ではなく、少年を介して政府に病原菌をばらまくことだった。主人公は本来「運び屋」だが、今回は少年救出&悪者退治に奮闘する。と、話の骨格は簡単。加えて、少年の母親の愛と、家族を放っておいた政治家の父、その確執も盛り込んで、ヒューマンドラマ仕立てもトッピング済みです。
登場人物が典型的すぎてアホみたいだが、これは描きたいのがアクションで、それ以外の設定を単純にしておかないと、アクションがぼやけるから。そしてそのアクションを痛快にするためには、敵役がいかにも悪者だと一目で分かるヤツでないとだめだ。漫画のようにデフォルメされた、非日常の世界からやってきたヤツ。
その意味で、この作品では、常時下着姿の殺人狂のネエチャン(ケイト・ノタ)が、イカレていて、魅力たっぷりだった。あんな細腕で重いマシンガン2丁連射できるわけないやん!いやいやいいんです。CG技術の発達のせいで、アクションシーンもだんだん過剰になり、全編「そんなこと出来るわけないやろ!」というツッコミどころ満載で構成されるようになったのです。その分、画面から来る情報量が多すぎて、肩の凝らないモノを観ようと思ったのに、脳が疲れた。
古くさいけどCG止めて、人間の脳が自然と認識できる範囲の画像に限定して、実力カンフーとカースタントで一発撮りしたほうが、かえってリアルに感じて良いのではないか?ストーリーも、もう少し屈折した設定でお願いしますよ。
よーし俺もカーアクション描くぞ!ただし牛車だ!
「トランスポーター2」
監督 ルイ・レテリエ
製作 リュック・ベッソン
出演 ジェーソン・ステーサム
2005年
以前、前作「トランスポータ-」をチラ観して、面白かったので観てみた。
政治家の息子が誘拐されるが、犯行組織の目的は身代金ではなく、少年を介して政府に病原菌をばらまくことだった。主人公は本来「運び屋」だが、今回は少年救出&悪者退治に奮闘する。と、話の骨格は簡単。加えて、少年の母親の愛と、家族を放っておいた政治家の父、その確執も盛り込んで、ヒューマンドラマ仕立てもトッピング済みです。
登場人物が典型的すぎてアホみたいだが、これは描きたいのがアクションで、それ以外の設定を単純にしておかないと、アクションがぼやけるから。そしてそのアクションを痛快にするためには、敵役がいかにも悪者だと一目で分かるヤツでないとだめだ。漫画のようにデフォルメされた、非日常の世界からやってきたヤツ。
その意味で、この作品では、常時下着姿の殺人狂のネエチャン(ケイト・ノタ)が、イカレていて、魅力たっぷりだった。あんな細腕で重いマシンガン2丁連射できるわけないやん!いやいやいいんです。CG技術の発達のせいで、アクションシーンもだんだん過剰になり、全編「そんなこと出来るわけないやろ!」というツッコミどころ満載で構成されるようになったのです。その分、画面から来る情報量が多すぎて、肩の凝らないモノを観ようと思ったのに、脳が疲れた。
古くさいけどCG止めて、人間の脳が自然と認識できる範囲の画像に限定して、実力カンフーとカースタントで一発撮りしたほうが、かえってリアルに感じて良いのではないか?ストーリーも、もう少し屈折した設定でお願いしますよ。
よーし俺もカーアクション描くぞ!ただし牛車だ!
映画(mixi過去日記より)
「四谷怪談 お岩の亡霊」
監督 森一生
主演 佐藤慶
1969年
やっぱまだ暑いうちに、怪談のひとつも観とかないとね。
おなじみ四谷怪談、昔劇場で中川信夫版(天地茂主演)を観たことがあるが、比べてコッチのほうが良かった。
こういう誰でも知ってるストーリーは、てきぱきと展開してこそ、面白みも倍増。気持ちよくとんとんと進む。
そして絵がきれい。構図に緊張感があるんでしょうか、人物が画面の端っこで喋っていても、間抜けじゃない。空間がすごくカッコいかった。
現代ホラーと違うところは、幽霊はリアルより美学つーところか。
残念ながら、ウチの古いテレビだと、暗いシーンは細密な再現が不可能で、ぺたーっと一様に暗いだけ…。
「四谷怪談 お岩の亡霊」
監督 森一生
主演 佐藤慶
1969年
やっぱまだ暑いうちに、怪談のひとつも観とかないとね。
おなじみ四谷怪談、昔劇場で中川信夫版(天地茂主演)を観たことがあるが、比べてコッチのほうが良かった。
こういう誰でも知ってるストーリーは、てきぱきと展開してこそ、面白みも倍増。気持ちよくとんとんと進む。
そして絵がきれい。構図に緊張感があるんでしょうか、人物が画面の端っこで喋っていても、間抜けじゃない。空間がすごくカッコいかった。
現代ホラーと違うところは、幽霊はリアルより美学つーところか。
残念ながら、ウチの古いテレビだと、暗いシーンは細密な再現が不可能で、ぺたーっと一様に暗いだけ…。
映画(mixi過去日記より)
「街のあかり」
監督 アキ・カウリスマキ
警備員として働く主人公は、容易には他人と交わらない孤独な男。いつの日か起業家として成功する夢を見ていたが、ある日近づいてきた女に心を許し、まんまと犯罪に利用されてしまう。それでも、彼は警察に口を割らず、孤独な魂を抱えたまま、服役。そして出所。復讐のチャンスもさらなる敗北へつながって行く。
主人公が全く感情を表に出さない。自分の周りに壁を作って生きている性格。したがって話も淡々と進む。必要最小限の道具立て、少ないセリフなど、抑制された表現が心地よかった。
セリフのないシーンが連続する中で、ときどき人物を正面からとらえて、スーッとややアップするのがおもしろい。不思議な意味付けが生まれる。
食事や飲み物が、ほとんど一口つけただけで、おしまいにされていた。
「街のあかり」
監督 アキ・カウリスマキ
警備員として働く主人公は、容易には他人と交わらない孤独な男。いつの日か起業家として成功する夢を見ていたが、ある日近づいてきた女に心を許し、まんまと犯罪に利用されてしまう。それでも、彼は警察に口を割らず、孤独な魂を抱えたまま、服役。そして出所。復讐のチャンスもさらなる敗北へつながって行く。
主人公が全く感情を表に出さない。自分の周りに壁を作って生きている性格。したがって話も淡々と進む。必要最小限の道具立て、少ないセリフなど、抑制された表現が心地よかった。
セリフのないシーンが連続する中で、ときどき人物を正面からとらえて、スーッとややアップするのがおもしろい。不思議な意味付けが生まれる。
食事や飲み物が、ほとんど一口つけただけで、おしまいにされていた。