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漫画家まどの一哉ブログ

   
いつもながら編集長の巻頭言は名文だ。大震災で西野空男は精神的に疲弊・消耗し、斎藤種魚は現実に被災し、ワタクシは関係ない家庭的事情で精神的に不安定となって、全く創作活動に従事できていない。さすがに甲野酉さんは落ち着いているようだがどうなのだろうか。

「キクチヒロノリ特集」に寄せられた文章では、堀さんのものが素直によかった。それにしても漫画という分野は、ストーリーと絵の比率がどんな割合でも成立してしまう分野だな。キクチさんのデザイン遍歴を読んでも、あの独特のデフォルメがどこから来るのか謎のままだった。

自分は今回ひさびさに登場の香山哲と炭子部山貝十のコミカルなデフォルメが大好きで、おおいに親近感を持つ。ところがキクチ氏のデフォルメはそのギャグ漫画の安心感を破壊する力があって、そういえばエルンストといわれてぼんやり繋がったかもしれない。

ところで甲野酉「未踏」が、こんなに超能力自体の話になるとは驚いたが、この描線は余計な力が抜けていて、非常に馴染みやすい。

さて「西遊」だが、次回分は完成していて、後一回最終話を描けば完結である。努力します。

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3.11以降、世界が変わったかどうか自分の知るところではないが、そんなことを考えることにあまり意味があるとも思えない。果たして世界が変わるのかと言えば、変わらないと思う。

確実なことは被災者の人生は激変した。そして今日一日避難所で生きていけるのか、今日の衣食住の問題。そして肉親の安否、失った仕事。これらの強烈に具体的なことを考え、言葉にしていくしかほかにない。
翻って自分など平和なものだが、やはり計画停電と納期を考えた仕事のやりくり、品不足の中での買い物、電車の運行状況、そして自分の作品の構想。など具体的なことについて発言していくしかない。同じといっては申し訳ないが、やはりこの具体的なことだけが真実で、概念的なことは不毛を感じる。

もちろん放射能に襲われて関東地方がもぬけの殻になるかも知れない。私も政府や東京電力の発表を信じているわけではない。東電の体質からして触れたくない重大事項は先送りして、当座の責めを免れようとしているだろう。原子力行政を継続したい政府も問題を過小に発表したいだろう。
しかしそのことは、今現在福島原発が既に破滅的状況であることとイコールではない。破滅の可能性はあるが、例えばプルサーマルである3号機の炉心が熔解しているのを、我々がこの目で見てきたわけではないのだから、我々の乏しい知識で、もう破滅しかないと決めつけることはできないのだ。
すると専門家の話を聞くしかないのだが、これまた一人一説で、たとえ御用学者のいうことを否定しても反原発派の現状認識が正しいと、一方的に信じ込むのもつまらない話だ。つまり福島原発の状況に対して、推論ではなく具体的なことしか語れないとすれば、我々庶民に言えることはなにもないのだ。あきらめろ。

復興ということは今までの世界を取り戻すことであり、また被害に遭っていない地域の暮らしが今まで通りであるかぎり、世界はそう簡単に変わらない。そして我々は今まで通り小さな世界で仕事をして生活費を得て、生きて死んで行くしかない。この具体性が人生であり、歴史的な視点で概括するのは後世の人間の仕事で、今現在の人間は毎日を虫のように生きて死ぬしかないのだ。

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巨大地震が東北を襲った日、揺れには驚いたが家の中は無事だった。妻の部屋を含めて幸いにも何一つ倒れていない。不思議なことに本やCDも整然と並んだままだった。
しかし終日余震が続いて、神経を消耗している妻には酷だった。

あろうことか、この未曾有の危機的状況のなかで、仕事がいつもにも増して連続していて、拡大する被害状況を気にしながら、レイアウトワークから手が離せず、なんとも落ち着かない数日を過ごした。

それでも街の人々はのんきなもので、地震などなかったかのようにふらふらと出歩いている人が多かったが、ついに計画停電が始まると一転した。ガソリンを求めるクルマの列。半日しか開かないスーパーで買いだめする人々。わさわさとした空気が街中にあふれる。

やがて原発の様子が刻一刻報道されると、ネット内では今にも最悪の事態が起きるかのように大騒ぎする書き込みが増えて、嫌な気がした。最悪の事態は自分も否定はしないが、あまりに情緒的な反応はやめてほしかった。自分一人になにができようか。
それより多くの人が津波にのまれて一瞬のうちに死んでいるではないか。生き残った人も街も暮らしも壊滅している。原発報道は真実を判断する能力が自分にはないが、被災地の状況は現実だ。これを直視するしかない。

幸い自分の関係する漫画家達はみな無事だったが、編集・出版は計画通りにはいかないようだ。まあ、よいよい。今はアイデアを練るチャンスだと思おう。

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巻頭特集、近藤聡乃さんへのインタビューを見よ。大学での実績を糧として文化庁の奨学金を受け、ニューヨークに留学し成果を出す。もちろんアニメばかりでなくその核として漫画がある。漫画学部が盛んな昨今、これぞ今日本でもっとも有効に使われたアニメ教育ではないか。専門学校や大学での漫画教育というものに、自分は正直かなり疑問を持っているが、結局のところ全ては近藤さんのように本人の才能あってこそのものであり、それ以外のなにものでもない。

その近藤さんにインタビューしている中野シズカさんの連載「モリミテ」が始まって、自分は驚いた。いつもにも増して細密なトーンによる描写の連続。これで連載とは!このトーンは、いわゆる中間色という役割じゃないよ。役割としてはカラーなんですよね、モノクロだけど。
その中野シズカさんとオカダシゲヒロさんと藤宮史さんという「三大時間かかりそう漫画家」は、実はけっこう仕事早いんじゃないか?みんな自家薬籠中のワザだし。

あらいあきさんの「ヒネヤ2の8」を読んでいて、おなじみの人物がいつもの町でうろうろしているこの感じ。なんかどこかで知っていると気になっていたが、ひょっとしたら滝田ゆうかもしれない。

川崎タカオさんの「待ちぼうけ紳士」が壮大なドラマとして終わった。連作中いつのまにやらボケ役が紳士本人じゃなくなっていたが、同じパターンで落とすという設定の難しさを感じるよね。

オカダシゲヒロさんの「半熟キッズ」もラストへ向かって大きく動いているが、この漫画もハダカで登場している時点で出オチであり、そこからその後を描いていく漫画だから大変だ。

藤枝さんはやっぱり元気でおもしろいわ。いちばん元気。
具井さんはいつも期待しています。元気が無くていい。

●ボクは「宇宙恐るるに足らず」というSFを(SFなわけないだろ!)巻頭近くに掲載してもらっております。自分でも気に入っている作品です。ぜひお楽しみください。

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キクチヒロノリさんの漫画はひとつひとつの絵のすき間にのめり込んでしまう。天才というか異才というかバキトマというか、そのいずれも正解であるが、これが漫画かというと広い意味では漫画だ。コラージュ的な作品を作る人は、一編の漫画が一冊の独立した同人誌のような感覚をもっているのか、編集感覚で描いている気がする。この編集感覚はいつもの斎藤種魚作品にも感じるところ。いうまでもなくこのキクチヒロノリ作品は、絵と話のバランスを著しく欠いて絵に偏っているので、他誌ではムリだな。

絵に偏っているといえば非常夢遊口さんの作品も絵の内容に見入ってしまう漫画だが、これも漫画としてはギリだな。ここまで絵が魅力的だとおそらくもう多くのイラスト作品をものにしているはずで、細密に描かれたカラーの一枚絵があるとすれば、そっちを見たいと思ってしまうのも人情であろうよ。もしこの絵でストーリーと渾然一体となった漫画が完成したら、つまり絵だけに過度に引きずられない漫画があったらそれはすごいよ。

そういう意味で絵と話が渾然一体となって分離せずに自然に出てくるという、フツーの漫画の才能が勝見華子さんにはおおいにある。構成・構図・場面転換・コマ展開・セリフ・その他なんの問題もない。小さなコマを使って人物の行動を刻んでいるのも効果的。オチしか読めない人は「なんだ、リストカッターの話か」と思うだろうが、オチに騙されるなよ。そこに至るまでの内容にリアルがあるんだ。しかし内容のわりに絵に情感がないのが不思議で、技術不足の線でも雑に見えない作家もいるが、そういうタイプではないのが損だな。しかしたのしみだ。

西野空男はアベシンの原作をもうかなり自分のものにしていて、ごくごく静かな日常のエピソードを丁寧に描いてゆくことによって、ゆったりと流れる時間が生まれていく。絵もハナシにちょうどよく馴染んでいて作品世界の魅力が倍増である。絵を見ているのとハナシを追っていることが分離しない、まさに漫画というジャンルならではの楽しみが熟成された最高のコラボになってきた。

私の「西遊8話」は自分ではけっこう気に入っている一話です。お楽しみください。

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つげ義春がその黄金期に一連の旅モノを発表して、それまでの漫画概念を革新した。これがいわゆる「つげ義春インパクト」である。当時の世間の反応としては、こんなものは漫画ではない(漫画はデフォルメでわかりやすく娯楽を表現するものだから)。すでに漫画を越えて文学にまで達した(優れた内容なので漫画という娯楽の域を越えた)。などさまざまなもので、さらに「ねじ式」が発表されるに及んで、全否定されたりアートとして祭り上げられたりしたらしい。
したらしいと書くのは、私はとうぜんリアルタイムでその作品群に接していないからで、私が少年漫画からやや青年のものへ興味が移りだした頃には、「つげ義春」という一大ムーブメントは既に終わっていたのである。

つまり時代の流れのまま「つげ義春インパクト」を語れる人はしだいに少数となり、多くの漫画読者が、自分なりのタイミングで「つげ義春」を体験しているから、純粋な意味でインパクトを受けているわけではない。かくいう私もすでにつげ忠男や勝又進、安部慎一らに衝撃を受けてから、はじめて「つげ義春」に接している。たのしく読んでいたが、「ねじ式」には特に関心は持てなかった。

さて世間はどうだろうか。先にあげた文学への分類などジャンルを内容で分ける見方はもとより、多くの読者は方法のみを内容から分けてみる必要がないから、「つげ義春」の表現の革新に気付かない。私小説漫画・旅エッセイ漫画などという見方で今も昔も理解されているのではないか。ここにはつげ義春の方法が漫画のリアリズムを一歩前進させたという発見はなくて、もし私小説でない大ドラマを描くならば、当時の手塚治虫の方法でなんら問題はない。といった漫画の見方がある。これはいつの時代でも変わりはなく、評論家でも、大学の偉い先生でも、漫画作品の表現力の差をまったく気にしない読者のほうが大半であるから、私小説漫画・旅エッセイ漫画といったジャンルを読まないのであれば、べつに「つげ義春」という革新はいらなかったのだ。

したがって手塚治虫以降の漫画の革新は、24年組や大友克宏をまってなしとげられ、その後岡崎京子以降となるわけで、「つげ義春」は一部の私小説漫画が好きな人がやれば良いことになった。
その証拠につげ義春の衣鉢を継いで輩出した「ガロ」漫画家は、つげ忠男や鈴木翁二・安部慎一に至るまで、みな私小説(私漫画)ではないか。やはり「つげ義春」の方法とは私小説(私漫画)を書くための方法だったのか。
しかしこの理解では「無頼平野」「こくう物語」「筑豊漫画」などの漫画史に残る、私小説でない作品群がなぜ存在しているのかわからない。私小説でないドラマ一般を、記号的表現を排した方法で描くことにより、作品は確たるリアリズムを得ることができる。これが実は「つげ義春インパクト」の正体である。というのはいろんな漫画をたくさん読んでいる人にとっては、たぶんまだ大ざっぱな、何を言ってるのかわからない話であるが、この文章のつづきはないのである。

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斎藤種魚さんの「巻頭言」、なんだか楽しくて素敵だ。

非常夢遊口さんの「ユメノオト」いい絵だと思う。まさにペンネームそのままの世界。キミイルキミナル氏の解説がすべてを語っている。この作品を見ると、同人誌「走馬燈」が目指す菅野修以降の作法というものは、ほとんど絵の魅力で出来上がるのではないか?などと考えてしまう…。

ところが斎藤種魚さんの「ハダシ」を読むと、相変わらず言葉を駆使していて、言葉の魅力も捨てがたい。その言葉と絵がシンクロしていたりしてなかったり、このサジ加減が作者の自家薬籠中の技術だ。ハダシって結局誰だったんだろ?

川勝徳重さん「縁の下の蝸牛」見たか、このコマ展開!なんと自由で大胆な!非常夢遊口さんのようなタイプと違って、ストーリーを追っていける描き方で、これだけやりたい放題遊べるのは才能の所産である。愉快愉快。

バキトマ先生、キクチヒロノリ「(改訂版)犬がほしい」キクチさんは常識あるとてもいい人だが、心の中に蠢くバキトマ部分には、蛭子さんや根本さん以上に気色の悪い、見てはいけないものがあることが、この漫画から分かる。それってなんだろう?誰しもあるのだろうか?キクチさんは石を持ち上げて、下にいる虫を見ておかないと生きていけない人なのだろうか?

鳥子悟「サマー・サスピション」こんなに名人芸みたいでいいのだろうか。ショートストーリーの語り手としては、0.ヘンリーや星新一みたいに上手い。それでも漫画界が求めるもののなかではマイナーなのかな。もったいない。

安部慎一・西野空男「深夜の栄光」やっぱりアベシンの語り口がいいのかな。それとも言葉数の少なさが心地よいのか、ついつい面白く読んでしまう。西野さんの絵もアベシンの心情に沿う描線となっている。この作品をアベシンのことをまったく知らない読者がどんなふうに感じるのか、それも気になる。

オオタヤスシ「THE SCARBOYS SHOW」途中、夢のシーンがなんとフライング沖!なんでやねん!というツッコミが通じる年齢が限られる(笑)

三本義治「マシンガンぎゅんぎゅん」アックス主力漫画家は皆大量に映画を観るが、この作品、いかにも日本娯楽映画の王道を行くような話だと思いました。

さて私の絵を描く楽しみは、世界を輪郭線に省略してしまうところにあって、つまり半分は図を描く楽しみなのです。美よりも意味を上に置くやりかたです。それでいつも失敗しているのですが、死ぬまでこの方法でいくつもりです。よろしくお願いします。

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巻頭特集は、デビューほぼ30周年「MY WAY」と書いて「けものみち」と読む、泉晴紀・久住昌之・根本敬・みうらじゅん、お歴々の豪華対談だ。みなさん50歳を過ぎてますます意気盛んなご様子。実は自分もまったく同世代。むかし自分は赤瀬川先生の「美学校・絵文字工房」を卒業した翌年も、OB面して平口広美さんらと毎週顔を出していたが、そのとき現役の生徒として在籍しておられのが、泉晴紀さんと久住昌之さんである。

ところでこの4人と久々に漫画を発表している川崎ゆきお氏とも、30年経ってもまったく変わらない印象を受ける。もちろんどんな作家も本質的には変わらないのかも知れないが、ヘタウマの資質を持っている人はとくにそうだ。自分はヘタウマをアール・ブリュットと同一視しているが、やはり直球で勝負しているからだろうか。おそらく今号も活躍の後藤友香さんや高橋宏幸さんも、30年経ってもまったく変わっていないのではないか。とくに川崎さんの今号の作品を読んで、そのあまりのいつもどおりさに、水を飲んでいるような気持ちになった。

さて私は「海の愉しみ」という漫画を後ろのほうに発表しています。単行本「洞窟ゲーム」の表紙絵の秘密が分かります。ぜひお楽しみください。

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独自の活動を続ける山坂書房。この漫画集には彼らが追求する日常切り取り漫画が集まっている。事件性は薄いが、その分リアリズムが大いにあって、いかにも日常そのものの迫真性を感じる。そこはかとない内容で、中身がないと言えばないが、そこを楽しむことができる。例えば代表される大西真人作品では、ふつう漫画では拾わないだろう日常の会話が、かなりゆっくりと丁寧に綴られてゆくので、読む者がその場に居合わせたようなリアリティが感じられておもしろい。この方法がやがてどう実を結ぶのか興味津々だ。それは日常の何処を切り取ってくるかという作者の目線にあるわけだが、いまのところ今までの漫画が描くべきだとしていた濃い部分を拾ってくる気はないとみえる。そこが既存の漫画を読み馴れた目からみればもの足りなく、また逆に風味なのです。

山坂の両輪のうち一方の三好吾一作品は、資料写真からフリーな描線で場の光を表現するのがうまいので、絵が心にしみてくる。これも小学校の小さなエピソードを描いた、秀逸の風味漫画。かってに風味漫画と呼んでいるが、この方法に徒に内容を求めるのでなく、じわりじわりと熟成してくるのを待ちたい。

そして炭子部山貝十先生の漫画はさすがに中身が濃い。このリアルなしっかりした生活者ドラマを、こんな粘りのある楽しい絵で読めるなんてシアワセ。作者の体験をしっかり活かして、ドラマに出来る。異才の中に実力あり。読もう!


miyazakikume     「友引の雨」
大鯵温州        「ふるさと小包」
大嶋宏和        「これからの私たちに起こること」
大西真人        「桃」
キクチヒロノリ      「ともだち」
高橋マナブ       「ニコニコ屋」 
炭子部山貝十     「ビバ限界集落」
永田智子        「白線」
藤田みゆき       「手駒」
藤本和也        「下校物語」
三好吾一        「ひとごと」
もぐこん(遠藤俊治)  「山坂それと知らず古戦場を歩く」

http://www.yamasaka-shobo.com/

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青林工藝舎から田中六大さんの新刊「クッキー缶の街めぐり」を、送ってもらった。多謝。
あらためて読むとさわやかにとぼけていて面白い。さわやかさんという名前のおじさんが登場するが、素敵にいいかげんな人間だ。なんだか若手漫画家にとって年長者の自分の頼りなさを見ているようで救われる。よく読んでみれば、登場する若者たちもかなりテキトーなヤツが多くて安心する。
これが田中六大のリアリズムで、メルヘン&ファンタジーの設定であるだけに、よけいに愉快です。自分のいちばん好きな作品は「さわやか魔法研究所」で、少女オルガは、かつてHIMEJOHNから発行された「魔法少女くるみちゃん」のごとくトボケた女の子であります。
ところで自分の好きなエリアーデというルーマニアの作家の作品には、よく戦争や空襲が登場して、いつの時代の空襲なのか調べもせずに読んでいたが、田中六大作品にも良く出てくる戦争や空襲の話題は、やはりヨーロッパの旧市街が戦禍を残しているという事実から発想しているのだろうか。そういった破滅や死が、このファンタジー作品集のなかに必ず顔を出しているのも、私の好むところです。
http://www.seirinkogeisha.com/

追記:トムズボックス「楽園へ行く」田中六大 この本も面白いよ。風味があって。

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