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漫画家まどの一哉ブログ

   
読書
「SOY!大いなる豆の物語」 瀬川深 作


無職ながら突然パラグアイの食品総合商社オーナーの遺産を受け継ぐこととなった主人公の青年。はたして遠く南米の地で大豆農園を開拓した創業者は、ほんとうに青年の血縁なのか?いったいどんな人物だったのか?歴史を繙く東北の旅が始まる。


主人公の無職青年はぼんやりした人間で、現在の境遇やふりかかった事態からすれば、もっといろいろ考えたっていいだろうに、それほどでもない。かといってとんでもない失敗を次々としでかすワケでもなく、言ってみれば平凡な男。これもリアルな若者なのかもしれないな。大学卒業後も集まってネットゲームを立ち上げたり、あるいは食のイベントに参加したり、主人公とまわりの同世代の人間達との交流は、実はあまり興味を持てなかった。(これは個人的な体験が違っているせいと思う)


この主人公青年のエピソードにくらべれば創業者の立志伝がはるかにおもしろく、日本近代の東北史でもあり、パラグアイ移民と開拓の歴史でもあり、筆禍事件を期に生地を離れ大陸へと勇躍する屈折した事業家である創業者の人生。それを追っていく展開は実にわくわくする。また仙台に事務所を構える正義派老弁護士も痛快であり、まさしくこういう爺様は実在するはずで、こんな人がいないと世の中はおもしろくない。


そしてなにより魅力的なのは東北の雑穀を事業化している叔父とその息子で、まさに地方の俗物の代表選手であり、またその息子のイヤなヤツっぷりも捨てがたい。この2人がおおいに活躍するのを期待したが、そんなにも登場しなかったのは残念。ここでこの叔父の日常をストーリーとは離れて細かく描き、小人物の悲喜こもごもの人生を味わえたらさぞ楽しいだろうと想像するが、そうすると物語小説ではなくなってしまうだろう。


それにしても全てのエピソードに興味をもつのはむつかしい。
近現代のアジア・南米・東北をかけめぐり、食やゲームや大衆演劇まで登場する実にてんこもりの作品です。

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読書
「椿姫」 デュマ・フィス
 作


かの有名なオペラの原作。大デュマの息子デュマ・フィスのヒット作。
冒頭、悲嘆にくれる男主人公アルマンが今は亡き恋人マルグリットの墓を移送するため死体認知を行うまでのくだりが異様におもしろく、わくわくして読みはじめた。ところがアルマンがかつての思い出を語る形で、女主人公マルグリットが登場すると、とたんにありきたりの恋物語になってしまい、面白みは半減した。

これはここで描かれる女というものが、19世紀のフランス小説ではたいがいそうなのだが、恋愛しかやることがない画一的な存在であるからだろう。マルグリット本人は娼婦であり貴族達とは違うのだが、ステージが有閑階級の日常であり、男も女も誰も働かないから話題の乏しさは拭いがたい。


もっとも若きアルマンも思慮浅い感情的な男でちっともおもしろくない。彼がマルグリットを失ってからがおもしろい。死を前にした病床のマルグリットや、彼女が死んだあと絶望の日々を送るアルマンなど、恋の駆け引き以外のほうがはるかによい。

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読書
「明日死ぬかもしれない自分、そしてあなたたち」

山田詠美 作


連れ子同士で再婚した夫婦と4人の子供達。母親の溺愛する長男の突然の死により平和な家庭は崩壊してゆく。アルコール中毒となった母親。大切な人が明日死ぬかもしれないという思いを心の底に抱きながら成長していく3人のこどもたちが、それぞれの視点で描かれる。


母親が死んだ長男にあまりにも依存していたため、残された家族全員が気持ちを切り替えることができないという特殊な状況。普通の供養と一般的な法事をしていればこんなことにはならなかったかもしれない。自分も愛する人も明日死ぬかもしれないと考えることによって緊張感も生まれるが、一歩踏み出す勇気も持てなくなってしまう。


かなり濃い内容でずっしりと重く、遊びのないストレートな作品。現代人、とりわけ家族を描いたものに共感しようとはまったく思わないのに、読みはじめたらなんとなく読んでしまったのは、自分も現代人だからしょうがない。ラストではじんわりと感動した。いつのまにか変わっている一人称の使い方が心憎い。

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読書
「イキルキス」 舞城王太郎 作


「イキルキス」 田舎の中学校で女子生徒が次々と謎の突然死。主人公の少年は同級の女子と自宅の蔵の中で初めてのキスに至りおっぱいも触るが、ひょっとしたらこれで謎の突然死をくい止めることができるかも。やがて街の上空を怪音とともに飛行する物体が現れ怪死事件は一件落着する。
以下2作に比べてこの作品は人物の行動心理がまともな範囲で推移して納得できるテンポで進む。エロ妄想も盛んな中学生が可愛らしい。この表題作がいちばん楽しい。
以下2作は主人公が犯罪に至る心理をとりたてて分析するでもなく、そこはあえて簡単に済ませることにより話がどんどん進む仕掛け。それはそれでアリだ。


「鼻クソご飯」 性犯罪者の独白だが、露骨な下ネタを読むのは正直ツライ。


「パッキャラ魔道」 交通事故で父親が家族を見捨てて人命救助に走ったことから離婚に至る夫婦。次男の小学生を語り手として、彼がおおいに道を外れながら大人に成っていく過程を描く。
青少年の内面を緻密に追っていくわけではなく、サクサクと非行や蛮行が連続して、このスピード感が人生のなにもかもがネタであるかのような、ある種達観した感覚を生む。
自分は同時代の人間達の人生物語にあまり共感できたことはないが、このくらいの距離感があれば、コンテンポラリーなものも読めるかもしれない。

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読書
「顔のない裸体たち」

平野啓一郎 作


平凡な中学教師である女が、ネットの交流サイトである男と知り合い性的な関係を続ける。やがてその変態的なプレイはネット上にさらされ、匿名で顔は隠されたままではあるが、投稿サイトの人気者になっていく。ネット上の自分と日常の自分の二重性に戸惑う女。そしてとうとう男の逸脱した行為が事件を起こしてしまう。


多少理屈っぽい表現はきらいではないが、そのおもしろさは背景に原体験あってこそ生きてくると思う。非常に怜悧に男の犯罪者気質や、巻き込まれていく女の深層心理などが語られていて、そりゃまあそうだろうが、それだけではあたりまえではないか?これがもし実際作者が各種変態プレイ等を実践してみていろいろ危ない目にあった体験があれば、かなり面白いものになったと思うが、男性誌のエロ記事を観念的に考察してみたという範囲を超えない気もするし、そこはものたりない。


女は自己省察のない平凡な人間で、男は少年時から常に仲間はずれにされてひねくれている自己中心的なヤツ。両者とも実に嫌な人物で、読者としては思い入れは持てない。ネット上での匿名を使うことによって日常の自分とは違うかたちで、誰もが自身の本音あるいは別の面を世界に解放していくことができる現代の世の中。このテーマを表現したいという理由だけで、この登場人物を扱えるのが作家の才能なのかもしれないが、何が楽しくて書いたんだろうか?という疑問は残る。

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読書
「英雄はそこにいる」島田雅彦 作


警視庁特別捜査対策室が扱う重要未解決事件。警察に協力したシャーマンボーイ鳥飼稔彦(ナルヒコ)の霊感により、それまでまったく無関係と思われていた幾つもの事件の同一犯が明らかとなる。その犯人とは世界を影で支配する世界経済評議会、通称「ブラックハウス」に操られる天才殺人犯サトウイチローだった。やがて「ブラックハウス」に反旗を翻すイチローと、ナルヒコ達の戦いが始まる。
シャーマンボーイは霊感使い放題でなんでもわかる。ピカレスクヒーローイチローの犯罪計画も次々と進行。そして真の悪役は世界経済を私物化する「ブラックハウス」のボスでありイチローの実の父親なのだ。


ふつうのミステリーなら1册になるくらいの難事件がサクサクと繋がって行く、大味をものともしない大サービスの展開。悪の組織の設定もネーミング(ブラックハウスって…)も、親子対決も、世界市民のネット上での叛乱も王道をはずれないベタ設定。ベタにベタを重ねて、ひょっとしてこれはなにかの冗談なのか?と思って読んでいるうちバタバタと終わってしまった。


いっさいムダがないが、細かい味わいもない。二人の主人公ナルヒコとイチローの日常と喜怒哀楽をもっと丁寧に描いて、キャラクターに感情移入させてくれれば心を揺さぶられるエンターテイメントとなっただろうが、そんなものはムダだとばかりに骨格と記号でどんどん進むから、狐につままれたような読後感。なんだったんだろうこれは。いっぱいくわされたのか?

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読書
「絶叫師タコグルメと百人の「普通」の男」

笙野頼子 作


作家八百木千本は国家によって高級アートマンションに監禁された状態で、小説を書くことを強要されている。この国家を牛耳っているのは絶叫師タコグルメを総帥とするロリコン政治団体「知と感性の野党労働者会議」略して「知感野労」。ブス作家の代表である八百木千本はいよいよ二次元アイドル美ガ原キレ子と、わずかな脳神経を残して少女の着ぐるみを着た状態で合体させられようとしている。間もなく殺されるのだ。たいへんだ!「うわーっ」


かつて「二百回忌」「タイムスリップ・コンビナート」「レストレス・ドリーム」など絶品とも言える名作を残してきた笙野頼子の近年の作品はみなこんな調子の連作で、やりたいほうだいであるがたいへん楽しい。空想的で私小説の裏をかいた設定。本人が太っていてブスであるという、そのブ貌を売りにしてきた話が延々と続き、作家本人に興味の無い読者としてはなにもそんなに…と不思議な気がするが、これもあくまでも創作。また文壇の論争等にも興味がないので、連作の「おんたこ」という敵設定もよくわからないところではある。
それにも増して作者のロリコンに対する敵意・糾弾は猛烈なものがあり、作品全体を通して始めから終わりまでけっして手を緩めることはない。まるでロリコン罵倒がテーマであるかのような小説だ。


これだけ好きなように書いていても、さすがに文章を追っているときの快楽は充分にあって、くだけていても通俗的でない。ところどころ大きな字で「うわーっ」と叫ぶのが効いている。以前読んだ「だいにっほん、おんたこめいわく史」はこの続編で、やはり順番に読まねばなりませんな。

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読書
「無限」 ジョン・バンヴィル 


アイルランドの郊外に建つ古い屋敷で、病床の老学者アダムがまさに死を迎えようとしている。アダムの死に際して集まってくる人々。残されようとしている妻、息子夫婦、孤独な娘、娘が思いを寄せる男、使用人達、そして神様。この話の語り手はなんと神様ヘルメスで、その父ゼウスも登場するが、ゼウスは人間の女にしか興味のないエロ親父。家族の息子の身体を借りてその妻とセックスすることができるのだ。ヘルメスはなにがおもしろいのか、家族ひとりひとりの行動を追ってなりゆきを見物しているといった次第。


この平凡な人々のなかでいちばん魅力的なのはチビで痩身の娘ピートラで、頭を坊主刈りにして世間との交渉を避けて暮らし、この世で人間のかかる病気を全てノートに記述しようとしているリストカッターである。また飼い犬のレックスも健気に家族の動向に気を配っているのだ。不思議なのはふらりとやって来た老学者アダムのかつての同僚ベニー・グレースで、こいつはどうやら神様の仲間であるらしく、その目的も謎のままである。


そんな設定でなにが起きるかといえばなにも起きない。ただ静かに時が過ぎ行くが、自然の風景も内面の描写も抑えた筆致で美しく書かれている。わずかな起伏といえば、病床の老学者が前妻を亡くした頃に傷心のままベネチアを旅する回想シーン。もの哀しくて良かった。

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読書
「死んでいる」

ジム・クレイス 作


動物学者の夫婦が自分達の愛が始まった思い出の海岸に出向き、誰も来ないはずの人目につかない砂丘の影で愛を育んでいると、突然見知らぬ男に背後から花崗岩で頭を連打され、なにが起きたのか分からぬうちに死んでしまう。襲った男は単なる金目当ての暴漢だ。
砂漠に横たわる夫婦の死骸が日を追うごとにどんなふうに雨風や動植物などの自然に浸食され変化していくか、実に念入りに描写される。まさに「死んでいる」ことを描いた小説。それは殺された直後の体内物質の流れから始まっている。


この動物学者夫婦がいかにして出会うことになったか、若き日のこの海辺の街での合宿生活から語り起こされ、やがて出奔していった一人娘を持つ現在の生活まで、二人の感情のやりとりもたくさん語られるが、そこは自分の興味の対象外だ。


この学者の両親とはまるで違うタイプの一人娘が、行方不明になった両親を偶然出会った建築科の青年と探し始めることになり、市の死体安置室に行ったり、警察の実地検分があったりと、ミステリー風味のところは読み物としてのおもしろさがあった。


そんなわけでモザイクのように違った局面が組み合わさって出てくるので、たいくつだったり面白かったり交互に体験できる。

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読書
「工場日記」

シモーヌ・ヴェイユ 著


1934年、25歳の若き哲学者シモーヌ・ヴェイユが、教職を投げ打って飛び込んだ実働の世界。アルストム電気工場やルノーなどの大工場で、プレス・旋盤・フライス盤などの機械を前に、圧延・ねじ切り・研磨などの作業に挑む。
彼女は社会経験をともなわない単なる観念は少なからずエゴイズムを孕むことを見抜いていたようで、天性の平等感覚を持って社会に飛び込んで行くその態度はけっして物見遊山的なものではない。機械の調整についても頻繁に日記に書き込んでいるくらい仕事に打ち込んでいる。


一日のうちで仕事内容はいろいろと変わり、彼女は作業時間や仕上がった部品の数、稼いだ金額まで克明に日記に記している。この賃金が実質どれくらいの値打ちであるのか分からないが、オシャカになってしまう部品もたくさんあり、機械は必ずと言っていいほど調子の波があるし、たびたび故障しては作業は中断されるので、とうぜんわりのいい職場ではあるまい。
また求められる作業量が過酷なので、のんびり他のことを考えている余裕もなく、ただただ集中して機械を動かさなければならない。終わるころにはぐったりと疲れ足を引きずるようにして帰宅しても、翌朝にはまた元気に出社するのはまだまだ若いせいもあろう。それでも頭痛持ちでもあるし、体調が悪いときにはせっかくの休日も寝たままで終わってしまう。この苛烈な環境をのりきるためには何も考えないで黙って過ごすしかなく、そうやって一日一日を過ごすうち、だんだんと考えることを奪われた人間になって行く。なんと隷属的な労働環境だろうか。
そうは言っても休憩時間や仕事がうまくいっているとき、親切な仲間に助けてもらったときなど楽しい一面もたしかにあるのだ。


脳内で観念的なことを操ることにかけては人一倍巧みな哲学者でさえも、一労働者となってみれば、現代の我々が労働現場で感じていることとまったく変わらない。人間性を容赦なく奪う賃労働の哀しさよ。雇われて働くということは常にこういうものなのか。ああ…。

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