漫画家まどの一哉ブログ
「亡命者」
高橋たか子 作
(講談社文芸文庫)
渡仏して安アパートを拠点に、各地の修道院を宿泊して歩く作者の体験記。そして体験をもとに生み出された小説も併録。キリスト教における亡命とは何か。
わからない。作者のたどり着こうとする「プスチニア(砂漠)」という何かも捨てたカトリックの概念がわからない。
体験記自体は驚きの連続でたいへん面白いのだが、小説の方で登場するアニーとダニエルの行動がまるで理解できない。愛し合っている二人なのに、わざわざ人間としての自然な体感に背を向け、別々に修道院を体験し、1年も2年も離れて暮らし、たどり着いたイスラエルでの共同生活もほとんど各自の部屋で過ごす。これが求道だとすれば仕方がないが、無宗教の自分には踏み込めない領域だ。
それにしても作者の体験したパリの安アパートの壮絶さは想像を超えるものだ。エレベーターのない8階であったり、極狭で窓は天窓のみ、風呂もシャワーもないなど。そこで鏡も持たない断捨離の極みのような生活を続けるのである。
作品が宗教的真理の解説書であっては文芸の敗北であるが、さすがにそんなことはなく、小説には小説の独立した立ち位置があって面白い。この求道的な精神が高橋たか子の魅力でなくてなんであろう。
「アルケミスト」
パウロ・コエーリョ 作
(KADOKAWA)
南スペインアンダルシアで暮らす羊飼いの少年。夢のお告げと不思議な老人の導きによってアフリカへ。ピラミッドに隠された宝物を探す旅で彼が見つけたものとは?
たしかに小説の形はとっているが、一般的な小説とは違った伝道書のような内容。まごうかたなきスピリチュアル小説だった。
それでも主人公の少年が丘の上のクリスタルショップで働き出し、いろいろと店をよくする工夫を考案するあたりまでは、ある種ビジネス指南書として読んでもいいかもしれない。ポジティヴ思考で運が開ける前兆を見逃さず、事業を広げるのだ。
個々の人間はどうしたってやがて死んでいく運命ならば、個人を超える大きな存在が自分をどう導こうとしているか、耳を傾けようとするのも現代人にとっては必要な視点かもしれない。そこに神とは言わないまでも超越した存在を見ようとするのがスピリチュアルなのか、一歩手前までは頷ける。
少年の旅は砂漠のオアシスに入り、錬金術士(アルケミスト)を探す。その前に一目見ただけで運命の恋人を発見するくだりなどは、やや単純な通俗性を感じた。錬金術士のかっこよさや、部族戦争で囚われたりする危機などはふつうに小説としての面白さがあった。
「いやいやながら医者にされ」
モリエール 作
(岩波文庫)
夫婦喧嘩のはらいせに、女房によって医者であるとの噂を流されたきこりの夫。そして巻き起こる騒動。傑作喜劇。
かなりドタバタと謂わゆるコント芝居が続いて、正真正銘の笑うための喜劇だなあと思う。すぐに棍棒で相手をぶんなぐるという手荒なシーンも多く、セリフもわざとらしい田舎訛りも多用した簡単なもの。許されない結婚を成就させるために一芝居うつところなど、典型的な新喜劇風味。それでも嫌な印象はないのは時代が離れているためか、訳文がいいからか、やはり原作がおもしろいからか、充分楽しめた。
それにしても1600年代後半の作品だが、すでにラテン語は知っていれば尊敬される教養の代表扱いであったことがわかる。
「虫喰仙次」
色川武大
(小学館P+D BOOKS)
親代わりとして兄弟たちの成長を見守ったため晩婚であった著者の父。幼き頃の著者と父親の思い出を中心に縁者の人々を描く短編集。
この短編連作の舞台である著者の実家は東京牛込であり、時代は1930年代である。当然親は兄弟が多く、家には兄弟以外の子も住んでいる。海軍勤めの父親や、あまり歳の違わない破滅型の伯父、観音信仰の祖母の話が記憶や調査をもとに綴られてゆく。様々な人間の生きざまが生々しく蘇って読まされてしまう。
とはいっても読み進むにつれ、何故だかだんだん気持ちが暗くなってきた。特別劇的なわけでもないのだが、それだけにどうしようもない意図しない陰湿さを感じてしまう。おそらくこの暗さは作者の本質であり作者の見る人生の本質でもあるのだろう。
表題作「虫喰仙次」はギャンブラーの著者が競輪場で懇意になった編集者の話。社員も雑誌も使い捨ての娯楽雑誌出版社で生き残って行く個性的な男の世渡りを追う。まあ他人事といえばそうだが、こうやって知り合った人間の人生を連作しても面白いかもしれない。
色川武大は昔「狂人日記」を読んで絶望的なショックを受けたので信頼しているが、やはりどこかしら陰鬱なトーンを感じた。
「夜鳥(よどり)」
モーリス・ルヴェル 作
(創元推理文庫)
怪奇・残酷のみならず、心に響く悲話までも。わかりやすく読みやすい。「新青年」誌で人気を博した稀代の短編作家。
ポーの衣鉢を継ぐ、あるいはそれをも凌ぐ怪奇幻想作家という評価を聞いていたが、読み出してみるとポーの持つ耽美幻想性はまるで無く、簡単なショートストーリーのようなものなのでやや落胆した。
ところが読み進めていくとこれが実に多彩で、どちらかというと怪奇・犯罪ものは少なく、人情の機微をつくようなところが基本になっている。なにより着想が豊か、かといって奇想ではない。一つ読むたびに次が楽しみになる。
文庫底本は昭和3年の田中早苗訳だが、たしかに巻末の訳者解説を読むといかにも古風な文体。ところが本編にはそれがまるで感じられない。これも名訳というものか。またこの文庫本には甲賀三郎・江戸川乱歩・夢野久作の解説も掲載されていて、私は「新青年」周辺を読む趣味はないが、なるほどその通りと感じた。
「薬指の標本」
小川洋子 作
(新潮文庫)
思い出の品以外にも音楽や頬の傷まで、あらゆるものを試験管内に沈める謎の標本家。独り言を言うための小部屋を持ち運んで旅をする母と息子。幻想譚2編
「薬指の標本」:基本的な設定は充分ミステリーでありながら、事件と謎解きの快楽へ向かうわけではなく、謎めいた雰囲気を漂わせたまま終わる。古い4階建ての建物やしだいに体の一部と化す靴など、醸し出される不思議な空気感。怪しげな標本家のとりことなってしまう彼女。など神秘的な風味が味わえる。
「六角形の小部屋」:なんだか告解室のようだが、独り言でもあえて用意された場所で喋ると精神衛生上いいのかもしれない。登場する別れた元婚約者の男が真面目で優しいが諦めの悪い優柔不断な人間で、一転して嫌になる気持ちもわかる。
「時間はなぜあるのか?」
平田聡/島田珠巳 著
(ミネルヴァ書房)
霊長類学と言語学の知見を集めて時間認識の謎に迫る。野心的で楽しい共同研究。
時間の研究となると哲学や物理学の立場から描く、時間全体の大きな話になりがちだけど、言語学やチンパンジーの研究など一見専門外の各分野からのアプローチが案外核心に迫るかもしれない。
チンパンジーはじめ動物は今を中心としたごく狭い範囲の時間感覚しか持っていないのではないか?という仮説を検証するため様々な実験が行われる。成長したライオンが子供の頃世話してくれた人間に久しぶりに会って喜んでいるシーンなどネット内で見ると、動物にも人間と同じ時間感覚があるのが当然と思ってしまう。
言語によっては現在より等距離であれば過去も未来も同じ言葉を使う場合もあり、また「まえ」「さき」など過去にも未来にも使われるようになった言葉の経緯などがおもしろい。
「時間とは動きや状態の変化を捉えるための変数である」という結論は、先に読んだ話題書、カルロ・ロヴェッリ「時間は存在しない」と共通する視点があって興味深い。宇宙を流れる大きな一つの時間といったものはなく、出来事の連鎖を人間が時間と感じてしまう。といった内容だったか。
しかし物理学的には時間は空間と一体となった時空間として存在しているらしく、これはまた別の話なのか整合性がとれるのか、誰か考えてくれるとありがたい。
「チル」
松井雪子 作
(講談社文庫 2008年)
山里で暮らす少女チルのまわりには彼女以外には見えない不思議な存在がいっぱい。珠玉のファンタジー4編。
天は二物を与える。自分にとっては「マヨネーズ姫」でおなじみの漫画家松井雪子さんは、れっきとした作家でもあるのだ。とは言っても「日曜農園」しか読んだことはないが、じんわり心に染み込む実に癒される筆致で、個人的にはベストの文体だった。
さて、この作品「チル」は松井さんが本格的に小説を書き始めるきっかけとなったものらしく、ファンタジーだとしても小説というものとはちょっと違う感触。
生と死の合間に漂う者たちがそれぞれの願いを持って少女に近づいてくる。どうしてあげるのが正解なのか大人でも悩む事態。少女も悩みながら成長する。大人になっても見えない彼らに出会えるのかな?
全編イラストで埋め尽くされた楽しい本です。
「掃除婦のための手引き書」
ルシア・ベルリン 作
(講談社文庫)
波乱万丈の人生から生まれた魂を揺さぶる言葉の魔術。熱く美しい世界に押し流されて息つく暇もない短編集。
作者の人生をベースにした短編だとわかってはいるものの、これだけ次から次へと波乱含みの様々な内容だと心が疲れてしまってついていくのが大変だ。
幼い頃の話では父親の鉱山技師という仕事がけっこう上流階層であることを知る。また彼らが周囲の低階層住民と共産主義者をどんな目で見ているかもわかる。
やがて彼女は4人の息子を育てるシングルマザーとなりアル中にもなるが、息子たちはけっこうしっかりしているみたいだ。仕事は掃除婦などブルーカラーもあるが、教師として刑務所で若い奴らに教える経験もあって面白い。
作品はすべてごく短いものだが、事態の進行に躊躇がなくアクセルは常にベタ踏み。物語的には上質の素材をバッサリ大胆に切りさばいたようでいて、実は料理人の腕が存分に生かされた美食だ。さばさばしているのだが乱暴でなく充分に拵えられた言葉でできている。あたりまえと言えばそうだがこれが文芸だ。それでなくては読めないだろう。
過酷な人生だとしても読んでいて沈むようなところはないのは、彼女が全てを肯定的に受け入れているからで、この人生に対する全体的な肯定感が救いになっていると思われる。
「誘惑者」
高橋たか子 作
(小学館 P+D BOOKS)
昭和25年。生きることに厭いた女学生・鳥居哲代は自殺志願者の友人を幇助する目的で三原山火口へと向かう。友人の自死をしだいに避けられないところまで導く誘惑者としての彼女の生き方は?
二人の女学生が三原山へ登り帰りは一人だけ。これが二度繰り返される。けっして謎解きではないが、きわめてミステリアスな全編不穏な色合いで塗られた長編小説。
主人公鳥居哲代の抱えた深い虚無が彼女の動向のそこここに垣間見られ、人間的なぬくもりから始終引き離される。自死に至るだけのきっかけを持たない彼女が、死のうとする友人を無意識に誘導してしまうのが恐ろしく、常に冷たく感情を持たないような人間が、果たして友人をほんとうに自殺させてしまうのか、それこそミステリーを読むように緊張して読んでしまう。
分野としては純文学であるが、作者にはストーリーを面白く組む天性の能力があるらしく、2回の三原山火口投身の事件の間に、悪魔学研究家宅への訪問を挟んだり、大学での資本論を読む会の青年との会話シーンなど飽きさせない。
今まで読んだものはわずかだが、自分に向いていると思っていた作家なので、もう少し読んでみよう。