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漫画家まどの一哉ブログ

   
カテゴリー「映画鑑賞記」の記事一覧

映画
「パルプ・フィクション」 1994年 アメリカ
監督 クエンティン・タランティーノ
出演 ジョン・トラボルタ、サミュエル・L・ジャクソン、ブルース・ウィリス


ヤクザやマフィアが出てくる映画をあんまり観ていないので、突然銃殺シーンなど出てくるとそれだけでドキドキしてしまう。アウトロー(または刑事)の二人組がたわいのない冗談を交わしながら、緊迫したシーンに臨むのはエンターテイメントの常道であろう。これが人物に必要以上に性格付けしてあるとわざとらしくて見るに耐えないものとなるが、ジョン・トラボルタとサミュエル・L・ジャクソンのコンビは存在が納得できる範囲で良かった。実録ヤクザ映画ならもっとそれもんのアウトローが登場するだろうが、フィクションの場合人物のリアリティがむずかしい。漫画で言えばつげ忠男作品にはリアルなチンピラも出てくるが、いかにも個性を味付けされたキャラクターも出てくる。これが許せる範囲かどうかは、人それぞれエンターテイメントの楽しみ方によって変わってくる気がする。いかにも映画のために作られた人物でも、描き方によって単なるストーリー進行のための道具で終わらない魅力が出てくるのか、リアリズムでなくてもそうなる場合があって、この作品は成功していると思う。


ボクサー役のブルース・ウィリスが、SM嗜好の男達に偶然捕まってしまい、日本刀を持って切り抜けるなど、ふざけたネタ満載だがコントにならないところが不思議だ。味わいというとちょっと違うが、奇妙な空気感があって、大げさに言えば鑑賞してしまう。すべてのドタバタネタが許せる。


ところで以前反薬物依存キャンペーンの漫画を描いたときちょっと勉強したので、薬物に溺れるシーンは怖かった。

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映画
「知りすぎていた男」
 1956年 アメリカ
監督 アルフレッド・ヒッチコック
出演 ジェームズ・スチュアート、ドリス・デイ


少しだらだらしていると言われればそうだが、自分は緊張感を持って観れた。オープニングでオーケストラのシンバルが大写しになり、この話のキーになる小道具だと分かる。やがてまさに殺人は、そのシンバルが大きく打ち鳴らされる瞬間に拳銃の引き金が引かれるというクライマックスに及び、ヒロインの叫び声のため犯人は銃を撃つタイミングを逃すというオチがつく。それまでの演奏会場でのはらはらする引っぱりは、まるで作家が描きながら解決策を考えているくらい長かったが、けっこう楽しめた。


ところが実はこのストーリーはここで終わりではなく、このあと人質となった子供を救出する展開へと繋がる。シンバルのシーンはクライマックスではなかったのである。大使館に子供が囚われていることが、ヒロインの歌声に呼応する子供の口笛でわかるのだが、これも物語の最初にホテルの部屋で親子で歌うシーンがあって、ちゃんと伏線が敷いてあるのだ。


ということはシンバルのタネと歌のタネの2つの仕掛けが重なって仕掛けられているわけで、これは自分は失敗だと思う。オーケストラの演奏会場で殺人が未遂に終わって話も終わるのが納得できる。その他スパイの変装や、実は悪人の牧師、動きの鈍い警察、善人過ぎる主人公など、今観れば手垢のついた設定でも面白ければまったく気にならない。アナログ時代のサスペンスの楽しさ!

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映画

「ガルシアの首」 1974年 アメリカ

監督 サム・ペキンパー

出演 ウォーレン・オーツ、イセラ・ベガ


ペキンパーと聞けば素人の自分でもバイオレンスと認識する監督だが、自分はそもそもバイオレンスに関しては感受性が鈍い方らしく、銃撃戦自体はなんとも思わなかった。砂塵舞い飛ぶメキシコの田舎で、汗臭く泥臭く、つまり男臭く繰り広げられる闘い。そこで恋人を失った賞金稼ぎの主人公が、虚しくも死んで最後かと思いきや、しつこく生き延びてヤクザを葬り、依頼主の大地主の屋敷にまで乗り込んで行こうとは!このあたりやや蛇足の感があったがエンターテイメントの法則としては正解なのだろう。冗漫になるところを主人公が恋敵でもあるガルシアの首につねに語りかけているところが大切な描写だと思う。


それよりも恋人エリータと育まれる愛の語らいが、なんとも心温まるもので、言葉には出さない表情やしぐささえもが二人が愛し合っているのがよく分かって微笑ましかった。これは後半エリータが犠牲になってからの復讐劇を盛り上げるために必要な伏線であると、ストーリー構成上理解することはもちろん出来るが、銃撃戦よりはよっぽどリアリティを感じられた。旅に出た二人が樹のたもとで結婚を誓い合うシーンが素敵だ。銃撃戦は主人公だけ弾に当らず、相手には当たるから妙だ。

   


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映画(mixi過去日記)

「花実のない森」 1965 

監督:富本壮吉 

原作:松本清張 

出演:若尾文子・園井啓介・田村高廣・江波杏子・船越英二 

 

一介の車のセールスマン梅木(園井啓介)は、ある偶然から江藤みゆき(若尾文子)と出会い、その魅力の虜となってしまう。みゆきは山口県に車椅子の夫を持ちながら、東京で奔放に遊び回る謎の女。みゆきの兄元華族の楠尾(田村高廣 )は、そんなみゆきを手放そうとしない。みゆきの正体を探るため、梅木は恋人の節子(江波杏子)を楠尾家に家政婦として侵入させる。やがて次々と起る殺人事件。梅木が山口県のみゆきの家で出会った車椅子の夫の意外な正体とは? 

 

松本清張は昔「点と線」を読んだとき、文体に鑑賞する部分がまるでなく、その新聞記事を読んでいるような読みやすさに驚いて、以来二度と読まないが、これがストーリーテラーというものか。この映画も事実がサクサクと進み、飽きさせないが、粘度は低い。それよりこの時代の日本映画の感触を味わいたくて観た。情報が少なくて、画面が分かりやすいね。 

若尾文子は確かに美人だが、やや優等生的か?園井啓介という俳優は、目の小さな二枚目で庶民からの離脱感がない。その点江波杏子はたんなる若い恋人役にしては、妖し過ぎる! 

 

ケータイもPCもない時代のミステリーを見ると、手塚治虫の大人モノを思い出すよ。やっぱみんな青春を投げ捨てて、大人モノを楽しもうよ。

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映画(mixi過去日記)

「波止場」 ON the Waterfront 1954年  

監督 エリア・カザン 出演 マーロン・ブランド、 エヴァ・マリー・セイント

アカデミー賞8部門を受賞、実話に基づいて作られた社会派ドラマ。 手配師に指示されるままその日その日の仕事にありつく、ニューヨークの港湾労働者たち。だが実質ヤクザ組織の支配下にあり、給金すらピンハネされている始末だ。その不正を警察に訴えようとした者は、容赦なく暗殺され、仲間にはチクリ屋の汚名を着せられてしまう。

主人公、元ボクサーのテリー(マーロン・ブランド)は友人の殺される現場を目撃。友人の妹と正義派の神父が、ヤクザ組織との戦いを決意する中で、テリーの心もゆれ動いて行く。神父の立ち上げた集会に参加した労働者は殺され、ヤクザ組織の顧問だった法律家の実兄も殺害され、ついにテリーは法廷で証言に立った。

と、ここまではセオリーどおりの展開で、ヒロインや悪者の設定といい、あまりにもパターン的。実話がもとになっているとは言え、こうまでエンターテイメントの約束の中で作られると、まるでリアリティを感じない。なぜこれがアカデミー賞か?と疑問を感じるところ。

だが、主人公が証言に立った後がややリアルで、テリーは正義に従ったのだが、保身を第一とする港湾労働者仲間からは、サツにちくった裏切り者として扱われてしまい、仕事も失ってしまう。ついにヤクザのボスとテリーの素手の決闘となり、テリーは半殺しの目に遭うのだが、そのとき初めて労働者たちはヤクザの命令に背くのだった。

マーロン・ブランドって不思議な顔してるねえ。 かなり奥目で腫れぼったい上まぶたなのだが、濃い二重という複雑な目!

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映画(mixi過去日記)
「眠らない街・新宿鮫」1993年
監督:滝田洋二郎
原作:大沢在昌
出演:真田広之/田中美奈子/奥田瑛二


大沢在昌のハードボイルド小説「新宿鮫」シリーズを、自分は過去8作ほど読んでいる。主人公の鮫島刑事が孤立した設定で、そういう枠が嵌められているせいか、スラスラと読めて、エンターテイメントの醍醐味を味わうことができる。もっとも大沢在昌で一番面白かったのは「天使の牙」で、ほかに3作ほど挑戦したが、ばかばかしくてついていけなかった。とは言っても、「天使の牙」だって脳が移植されている女刑事という、かなり奇想天外な設定で、このあくまで自分にとっての読める読めないの違いが、どこからくるのか自分でもわからない。

さて、映画は「おくりびと」で各種賞をもらった滝田洋二郎監督作品だが、全体に平板な印象だった。ストーリーと役どころに一歩踏み込んだものがない。でも真田広之は理想通りのかっこよさ。
それにも増して良かったのは、奥田瑛二演ずるゲイの改造銃を製作する男で、アジトに真田広之を捕まえて、なぶり殺しにしようとするシーンが迫真的だった。へらへらと笑いながら、相手の肉体を欲しつつもナイフで傷つけ、拳銃を口に差し込み「俺の銃を舐めてほしいと言ってみろ」と迫る。まさに異常な人格だが、こんな人間は実際いくらでもいるはず。いかにも人間とは破綻したものである。そして共同体に常に内包されているものである。

これは奥田瑛二の表現力が優れているのだと思う。例えば田中美奈子は、絵に描いたようなロック少女というダッサイ役を、まったく膨らませていない。他の刑事役も同じ。奥田瑛二の狂気が観れてよかった。

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映画(mixi過去日記)
「崖」
1955年
監督 フェデリコ・フェリーニ
出演 ブローデリック・クロウフォード

詐欺師として生きる中年男の話。

「この仕事に家族があっちゃいけない。いつどこへでも動ける身軽さがないと」
やっぱりアウトローは孤独が信条か。画家志望の仲間は、女房に隠して詐欺で稼いだ金を、すべて女房に渡していたが、やがて夫婦仲は破綻する。主人公の中年男も、離れて暮らす娘に偶然出会い、進学のための費用を工面することを約束してしまう。
この進学費用30万リラという金額は、物語の最後に貧しい農家から、聖職者のふりをして贋の宝物とひきかえにせしめる金額35万リラと、繋がってくる。その農家には自分の娘と同年代の足の不自由な健気な娘がいて、その娘に祝福を請われたとき、さすがの詐欺師の良心も動揺を来すのだった。
主人公は、仲間を偽って金を独り占めしようとするが結局失敗。フクロにされて崖下に放り出された翌朝、崖上を通る土地の子供達にかけた声は届かなかった。

というぐあいで、悪人の心も揺れるが、けっして善人にもなりきれないところがイイですねえ。ほんとうの詐欺師は平気でウソをつく人だから、もうちょっとイヤな人間だと思うが、映画ではフツーの人として描かれていた。いやいや人間はなかなかに二重三重の人格を持ってるから、天使でもあり悪魔でもあり。でもこの映画では、ふつうの人間の情けない面が見れてよかった。

ところで群衆のシーンがすごくおもしろいが、これってフェリーニ流なのか?

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映画
「めまい」
 1958年 アメリカ
監督 アルフレッド・ヒッチコック
出演 ジェームズ・スチュアート、キム・ノヴァク


これが有名な「めまい」か。昔の映画は観やすい。
高所恐怖症が話のポイントになっているのだが、そのわりにはさほどふれられていなくて、じっさいめまいのシーンなどほとんど登場しない。それでも主人公がなぜ高所恐怖症になったか、そもそもの事件から始まっている丁寧さ。
前半はキム・ノヴァク演じる妖艶な美人妻の、心霊に憑かれているかのような不思議な行動。いやいやこれはミステリーだから何かわけがあるよ。と思っていると、謎の美人妻はおはなしの途中であわれ塔から落ちて死んでしまう。
これはおかしい、なにか裏がある。という気持ちを抱きながら後半へ。 

やはり娯楽作品で、美しいヒロインを登場させるからには、ラブロマンスは不可欠の要素なのだろう。死んだ美人妻そっくりの女が登場し、事件の謎について気がかりなまま、表面上ラブロマンスを追いかけているといった具合。先ず観ているわれわれにヒロインの正体が分かり、その後主人公の男にもバレるという順番で、クライマックスへ。もちろん危険がいっぱいの高い高い鐘楼の上、なんせ高所恐怖症だからな。とはいっても高所恐怖症の克服に悩む場面は無く、主人公は病をやすやすと克服したと思ったらラストは重大事が簡単に起きて、あっというまに終わってしまうのが、昔の映画のあっさりしているところか。おもしろかった。

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映画(mixi過去日記より)
「宿無し犬」
1964年
監督 田中徳三
脚本 藤本義一
出演 田宮二郎・天知茂・江波杏子・坂本スミ子・成田三樹夫

拳銃大好きのアウトロー鴨井大介の活躍を、田宮二郎が演じる大映の「犬シリーズ」
全部で9作あるうち、以前偶然観ておもしろかったのが何作目の「○○犬」だったのかわからなかったが、シリーズ一作目のこれだった!二回観てもおもしろかった。

田宮二郎というと「白い巨塔」など影のある二枚目のイメージが強いが、この主人公はいたって軽薄な関西弁のチンピラで、たぶん同じ監督の「悪名」での役どころを再現しているのだろう。この演技で映画自体がすごく痛快なものになっている。
天地茂も眉間にシワをよせた影のある二枚目だが、ここではあたかもコロンボのような、さえないヨレヨレコートに無精髭の刑事役で、ボクははじめて天地茂に魅力を感じた。この配役は当時すでに意外だったのかどうか?
とにかく若い成田三樹夫があまりにカッコよくて、もう一度観ようと思ったのもそのためだが、あのカッコよさを自分の漫画で再現できたらと思うが、今のところ失敗している。 江波杏子のあの眼差しも、自作でぜひ描いてみたいが、難しそうだ。

ストーリー自体はそう珍しいものではないので詳述しないが、藤本義一がうまいのか、それとも田中徳三が撮ったからおもしろいのか。シリーズ9作で監督5人なので、他のを観てみないとなんとも言えない。

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映画
「第三の男」 1949年 イギリス
監督 キャロル・リード
出演 ジョセフ・コットン、オーソン・ウェルズ

子どもの時、淀川長治の日曜洋画劇場で観覧車のシーンを垣間見た記憶があって、今回観たのはそれ以来だが、やはり記憶とは違うもんだ。なにか地面に落ちた眼鏡のレンズ越しに人物をとらえていた記憶があったが、別の映画だったようだ。それでも殺人事件が起きるかも知れないくらいの緊迫した場面で、ワザと使われる軽快な音楽。この裏腹な効果は予想通りだった。巷間、その観覧車のシーンが有名でラストシーンのように思っていたが、ラストは長々とした下水道での逃走シーンだった。これはやや冗長な気がした。

「第三の男」とはつまり事件の現場にもう一人目撃者がいたらしいが、だれもそんなヤツはいなくて二人だけだったと証言するという謎からきたタイトルである。はたして「第三の男」の男は誰だったのか?という謎解き的な面白さは、グレアム・グリーンの原作を読むと感じられるのかもしれない。映画でのストーリーのバランスは、謎が解けてからに置かれていて、それは女を裏切るか、女はそれでも男を信じ続けるのかという部分を描きたかったからだろう。

ジョセフ・コットンもオーソン・ウェルズも顔立ちが個性的で説得力がある。警官は正義漢だが細い口ひげをはやしているのでイヤなヤツにみえた。

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