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漫画家まどの一哉ブログ

   
読書
「原民喜ー死と愛と孤独の肖像」
梯 久美子 著


原民喜評伝。他人とコミュニケーションをとることが極端に苦手で、ほとんど喋らない。世間知がまるでなく、奥さんが生きている間は世間との交渉はつねに奥さんを介して行った原民喜。そんなふつうなら厄介がられる人間に周りの文学者たちは魅了され、こぞって親切にした。なんと不思議な人物だろう。その瑞々しい才能に引かれるのもさりながら、自身に厳しく他人を責めない無私の人格に放っておけないものを感じたのかもしれない。

代表作「夏の花」が書かれ発表に至る経緯が解説されているが、被爆当初から避難生活の間に実際見聞きしたことを、小さな手帳にカタカナでメモしていて、それがそのまま小説に作品化されている。そのメモ自体が既に透徹した美しい文体だ。詩を書いても散文を書いても美しいだけでなく、迫り来る躍動感がある。この稀有の才能。

性格的に一見正反対に見える遠藤周作との交流が面白く感動的。

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読書
「燃える平原」
フアン・ルルフォ 作


短編集。巷間耳にするフアン・ルルフォの多大なる評価が自分にはもうひとつわからなくて、先に読んだ代表作「ペドロ・パラモ」はマジックリアリズムの嚆矢としては面白いが、20世紀文学の最高峰といわれると首をかしげてしまう。この短編集はマジックリアリズムではなく、ほんとうのリアリズムで十分面白いが衝撃というほどのことはなかった。

革命前後の騒乱で国情安定せず、暮らしもままならぬ多くの農民。跋扈するあらくれ者集団とボスたち。くりかえされる銃撃戦。放浪する土地を捨てた人々。殺伐とした世界をまさに民衆当事者の語り口で語るから、読みやすいしリアルに伝わってくる。過酷な運命の中で格闘する人々が登場するが、そんな社会条件では実際そうだろうなと思うことばかりで、人間そんなこともするのか!といった驚きや意外性はない。

むしろ文庫本解説では異質とされている2作が面白かった。
「ルビーナ」:あまりにも何もない町ルビーナ。土地は痩せていて雨も降らず、始終石灰を含んだ猛烈な風が吹き荒れ、年寄りと女しかいなくて店もない。ルビーナがいかにひどいところかを切々と語り続けるだけの話。
「アナクレト・モローレス」:捕まったアナクレト・モローレスを聖人と崇め奉る女たちが、村はずれに住む第一の弟子を証人にたてようと連れもどしにやってくる。ところがこのアナクレト様、実はたいしたペテン師で女たちはまんまと騙されているが、結局はエロオヤジらしい。

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読書
「キルプの軍団」大江健三郎 作


主人公であり語り手の少年は、刑事の叔父とディケンズの「骨董屋」を原文で読みながら英語の学習をしているオリエンテーリング部所属の高校生。その叔父が昔から気にかけて見守っている元サーカス団員の一輪車乗りの女性と映画監督である夫は、金融業者に追われて山中に身を隠している。少年が彼らと出会うところから話が膨らんでゆくのだが、金融業者との問題はすでに解決されていて、事件は彼らの映画製作の過程で、対立する新左翼活動家の抗争として起きる。

小説の中で登場人物がディケンズやドストエフスキーの作品解釈をやりながら話が進むという珍しい展開。読書体験が人生の実体験として重要視されているが、けっして一般的なものではあるまい。罪と赦しというテーマを扱うに当たって、ディケンズの登場人物とこの作品の登場人物を重ね合わせながら進行する。キリスト教的な見方に限定されているわけではないが、死によって初めて赦しを得るという方法が問題とされている。大いに問題だ。

世間的には忘れられている極左暴力集団の対立が今も続いていて、映画監督たちは事件の犠牲者となるが、この若い極左活動家たちの過度に理念的で短絡な社会改革思想と視野狭窄は昔のままで、現代社会を舞台とする作品の中で出会うとそうと解っていても驚いてしまう。

少年の語りで書いてあって読みやすく、山中で事件が起こってからは興奮して止まらなかった。

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読書
「ドン・ジュアン」モリエール 作


モリエールはこの作品を経済的な必要に迫られて大急ぎで作ったらしいけど、何種類もの劇作がすでに出て世間で有名なこの作品の、面白い部分だけつなぎ合わせたものに、さらに盛り付けて仕上げたような感じだ。だから時間的推移を無視してどんどん別のエピソードに飛んでいくが、それがまったく気にならず、主人公ドン・ジュアンの放埓ぶりがよりエスカレートして愉快だ。

ドン・ジュアンは女たらしとして理解していたが、この作品ではさらに無神論者としての逸脱ぶりが大いに描かれている。この二つは必ずしも同一人物に並存していなければならないわけではないとは思うが、神をも恐れぬ男ゆえの無軌道ぶりというこの設定が痛快で、さらに話が面白くなったと思う。

それにしてもひどいやつだな。

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読書
「化鳥・三尺角」泉鏡花 作


鏡花の小説は出来事の叙述と会話でできあがっていて、舞台を見るようなわかりやすさがある。文章の美しさは言うまでもないが、セリフも地の文も口調にリズムがあって、目の前で客を相手にしているような感覚だ。飽きさせないように次々に拍子を変えてくる、歌を聴いているような心地よさ。とくにセリフがリアルでありながら躍動していて、くりかえし味わいたい。

「あれ、また何をぢやアありませんよ。盗人を捕へてみれば我が児なりか、内の御新造様のいい人は、お目にかかるとお前様だもの。驚くぢあアありませんか。え、千ちゃん、まあ何でも可いから、お前様ひとつなんとかいつて、内の御新造様を返して下さい。ーー」「否(や)、実際山を歩行いたんだ。それ、日曜さ、昨日は_源助、お前は自ずから得て居る。私は本と首引きだが、本草が好物でな、知ってる通り。で、昨日些と山を奥まで入ったーー」

怪奇・幻想短編集。身の不幸にさらされる男女の念が不思議を成す。なかでも「朱日記」が傑作。迷った山中で見た赤合羽の大坊主と赤い猿の群れ、これが大火の予兆。そして大風の日に現れて町を大火に陥れる女の亡霊。少年の命を助ける赤い茱萸(ぐみ)の実など、目も眩むようなイメージが容赦なく炸裂する珠玉の幻想譚。

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読書
「秘密の武器」コルタサル 作

コルタサルは恐怖と戦慄の幻想文学として紹介されているようだが、どうも以前からそんな気がしない。多少不思議なことも起きるが、文庫本2冊読んだだけの印象で恐縮だが、幻想文学と呼べるものは1割くらいで現実を揺さぶられるような驚きはなかった。
かといって面白くないわけではなく、短編小説としてはぞんぶんに面白い。

「女中勤め」:夫に先立たれた後、お屋敷に女中奉公をして暮らしている女性。臨時に雇われたと思ったら飼い犬6匹のお守りだったり、パーティーで知り合った裕福な青年の葬式で母親役になったり。彼女のやさしい細やかな心の動きが縷々描かれて味わい深い。

「追い求める男」:チャーリー・パーカーをモデルに天才サックス奏者の日常と内面を描写。いわゆるインテリ層の言葉を持たない、音楽を通じて表現するプレーヤーにこれだけ言葉を語らせた小説も珍しいのではないか。よく書けるなと感心する。時間の感覚が不思議で、演奏中に「この曲は明日やった曲だろ!」とか言い出す。言葉ではとらえきれない哲学的な感覚を言葉にしている感覚。

「秘密の武器」:恋人同士で別荘に行くが、語り手の男は自分でも知らない妙な記憶を抱いている。しだいに過去のいまわしい事件の人物に乗り移られてゆく男。というとオカルトみたいだが、全くそうではなく現実は渾然と書かれている。これぞ恐怖と戦慄の幻想文学。

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読書
「辺境を歩いた人々」
宮本常一 著


菅江真澄、松浦武四郎など、江戸時代から明治にかけて、東北・北海道・樺太・千島列島・八丈島・沖縄・奄美・石垣島など未開の地域を精力的に探検した人々の物語。頻繁に出没するロシア船及び諸外国の圧力に危機感を感じ、国土防衛の意識から辺境を調査・記録しようとした人も多かったようだ。資本と手を組んだ藩や地方官僚による辺境への進出は、実際にはアイヌや沖縄県民など土地の人々への詐欺的支配であったのだが、ここに登場する探検家たちの意識は国防と地域住民への慈愛がイコールで結ばれていて、無私の人格者として描かれているのが特徴。

ずいぶん平易な読みやすい文章だなと思ったら、「こういう話は少年少女のみなさんにすべきことではないかもわかりません」とあり、なんだこれは子供たちのために書かれた本だったのか。それでも平易すぎて飽きてしまう文章ではなく、他の宮本作品と同じように興味深く読める。親本は1966年刊行だが、なんとなく子供たちに向けて、版図を広げてゆく近代日本の興隆を誇らしげに書いている印象はある。確かに自分の子供の頃の出版物を省みてもそういう雰囲気はあった。それでも基本的に宮本の視点は辺境に生きる漂白の民への親愛と平等観で貫かれているのは変わらないのが感じられた。

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読書
「サロメ」ワイルド 作


数々の絵画作品で目にするサロメの物語。元ネタの新約聖書に関する知識はまったくないが、ビアズレーの挿絵で有名なオスカー・ワイルドの戯曲を読んでみた。話自体は聖書の逸話をふくらませてもいないのでかなり短く、起伏の少ない単線的な構成のまま、あっという間に終わってしまう。それでもおもしろかった。

父親である王様エロドがふつうの人間・普通の現世的な権力者として描かれているのにくらべ、娘サロメのほうは淫蕩で耽美的な雰囲気をただよわせているいかにも創作上の人物である。原典ではサロメは母親エロディアスのいいつけでヨハネ(ヨカナーン)の首を求めたようだが、ワイルド作ではサロメ自身がヨカナーンを気に入り、その首を求め口づけをするという、おどろおどろしい味付けとなっている。大人たちの政治的な思惑で動く無垢な娘ではなく、悪魔的でエロティックなヒロインとなっているところがこの劇作のおもしろさ。

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読書
「硝子戸の中」
夏目漱石 著

年にひと月は病気に伏せるようになっていた漱石。去来する人々や懐かしい思い出をふりかえった随想集。
まだ老境というほどの年でもなく、この著作の後も名作長編をものにするわけだから悟ったようなところはない。それでも則天去私を理想とする漱石だから、人間関係における明朗さや偽らぬ真の心の交流を追い求めているようだ。しかし著名人として一読者など初見の人々とも触れ合わねばならないの立場では、これがいかに難しいか。つねに悩みの種といった有様である。

それとはべつに幼い頃のかすかな思い出を、小さな手がかりを元に探り当てようとする。当時から見ても東京の街はおおいに変わっていて、漱石が子供の頃の風情は既に失われてゆく風物。通った寄席や手にした本などを思い起こす。盛衰激し。

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読書
「父と私 恋愛のようなもの」森茉莉 著


森茉莉のエッセイは雑貨へのこだわりや貧乏暮らしなどを面白おかしく書いたものを読む事が多いが、このように最愛の父鴎外の思い出を丁寧に綴ったものを読むと、その文章の美しさに脳がとろける思いだ。

「乙女椿、過ぎ去った夏の日に、海岸で拾った桜貝が何枚となく集まって、私をおどかそうとして秘密に重なり、夜の内に出来ていた、そんなようにも見える乙女椿も、あった。」などなど…。

鴎外は茉莉をひざの上に乗せて溺愛するが、茉莉たち兄弟姉妹は鴎外が50歳を過ぎてから生まれた子供であったため、親子というよりは祖父と孫の感覚だったのだろうか。自分は鴎外も好きで幾つか読んだが、物静かで綺麗好きで繊細でやさしい、そんな鴎外の人柄がよくわかる。

森茉莉に言わせると鴎外の本質は詩人で、偉大なる名翻訳家。小説は膨大な学問の力と怜悧な頭脳でこしらえたそんなに面白くないもの、きちんとしすぎているものらしい。森茉莉のほうが父鴎外より享楽的なタイプだったかもしれないです。

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