漫画家まどの一哉ブログ
「チル」
松井雪子 作
(講談社文庫 2008年)
山里で暮らす少女チルのまわりには彼女以外には見えない不思議な存在がいっぱい。珠玉のファンタジー4編。
天は二物を与える。自分にとっては「マヨネーズ姫」でおなじみの漫画家松井雪子さんは、れっきとした作家でもあるのだ。とは言っても「日曜農園」しか読んだことはないが、じんわり心に染み込む実に癒される筆致で、個人的にはベストの文体だった。
さて、この作品「チル」は松井さんが本格的に小説を書き始めるきっかけとなったものらしく、ファンタジーだとしても小説というものとはちょっと違う感触。
生と死の合間に漂う者たちがそれぞれの願いを持って少女に近づいてくる。どうしてあげるのが正解なのか大人でも悩む事態。少女も悩みながら成長する。大人になっても見えない彼らに出会えるのかな?
全編イラストで埋め尽くされた楽しい本です。
「掃除婦のための手引き書」
ルシア・ベルリン 作
(講談社文庫)
波乱万丈の人生から生まれた魂を揺さぶる言葉の魔術。熱く美しい世界に押し流されて息つく暇もない短編集。
作者の人生をベースにした短編だとわかってはいるものの、これだけ次から次へと波乱含みの様々な内容だと心が疲れてしまってついていくのが大変だ。
幼い頃の話では父親の鉱山技師という仕事がけっこう上流階層であることを知る。また彼らが周囲の低階層住民と共産主義者をどんな目で見ているかもわかる。
やがて彼女は4人の息子を育てるシングルマザーとなりアル中にもなるが、息子たちはけっこうしっかりしているみたいだ。仕事は掃除婦などブルーカラーもあるが、教師として刑務所で若い奴らに教える経験もあって面白い。
作品はすべてごく短いものだが、事態の進行に躊躇がなくアクセルは常にベタ踏み。物語的には上質の素材をバッサリ大胆に切りさばいたようでいて、実は料理人の腕が存分に生かされた美食だ。さばさばしているのだが乱暴でなく充分に拵えられた言葉でできている。あたりまえと言えばそうだがこれが文芸だ。それでなくては読めないだろう。
過酷な人生だとしても読んでいて沈むようなところはないのは、彼女が全てを肯定的に受け入れているからで、この人生に対する全体的な肯定感が救いになっていると思われる。
「誘惑者」
高橋たか子 作
(小学館 P+D BOOKS)
昭和25年。生きることに厭いた女学生・鳥居哲代は自殺志願者の友人を幇助する目的で三原山火口へと向かう。友人の自死をしだいに避けられないところまで導く誘惑者としての彼女の生き方は?
二人の女学生が三原山へ登り帰りは一人だけ。これが二度繰り返される。けっして謎解きではないが、きわめてミステリアスな全編不穏な色合いで塗られた長編小説。
主人公鳥居哲代の抱えた深い虚無が彼女の動向のそこここに垣間見られ、人間的なぬくもりから始終引き離される。自死に至るだけのきっかけを持たない彼女が、死のうとする友人を無意識に誘導してしまうのが恐ろしく、常に冷たく感情を持たないような人間が、果たして友人をほんとうに自殺させてしまうのか、それこそミステリーを読むように緊張して読んでしまう。
分野としては純文学であるが、作者にはストーリーを面白く組む天性の能力があるらしく、2回の三原山火口投身の事件の間に、悪魔学研究家宅への訪問を挟んだり、大学での資本論を読む会の青年との会話シーンなど飽きさせない。
今まで読んだものはわずかだが、自分に向いていると思っていた作家なので、もう少し読んでみよう。
「待望の短編は忘却の彼方に」
中原昌也 作
(河出文庫)
混沌とイレギュラー、はみ出しと番外を感じさせる破格の短編集。
この作家は自分の知らないうちにどうも奇妙な短編を書いているのでは?と思って読んでみると果たしてそうだった。ふざけているのかとも思われるが全く気にならない。いい加減なのか、よくできているのかわからない。駄菓子のようなチープな感触もあるが、ひょっとすると名作かもしれない。イラストで出来た作品もある。
巻頭「待望の短編は忘却の彼方に」の書き出しが、巻末「音楽は目に見えない」でやや視点を変えてもう一度出てくるという趣向になっている。
短編でありながら話が逸脱してどこへ行くのやらわからないまま終わる。いわゆる伝統的な文学の枠組みが見えないので、自分のように不慣れな読者はなにか騙されたような気がする…。
「臨海楼綺譚」
スティーヴンスン 作
(光文社古典新訳文庫)
稀代のストーリーテラー、スティーヴンスンの面白短編4編。
「臨海楼綺譚」:王道をいく冒険譚。海岸近くの望楼で炭焼党員を迎え撃つ。タッグを組む旧友の性格が勇敢だが正義漢でもなく、いい味出してる。
「その夜の宿」:教養人でありながら荒くれた下層生活を続ける詩人ヴィヨン。財布をすられた深夜、とある代官の家に一夜の宿を求めるが…。
珍しくストーリー本位な書き方ではなく、主人公ヴィヨンの屈折した思想・心情に焦点を当てた佳編。代官の重んずる礼節と名誉が裕福である故のものであることをヴィヨンは明らかにするが、通じる相手ではない。
「マレトロワの殿の扉」:仕掛けられた扉から、さる名門の屋敷に捕らわれてしまい、令嬢とむりやり結婚させられそうになるという大変な設定。ものすごい無理筋。分からず屋の老叔父が相手。短編なのでそれだけで十分面白い。(個人的にオチはよくわからない)
「天意とギター」:歌と演奏で皆様のごきげんをうかがう旅芸人の夫婦。この旦那は自身の職業を芸術と吹聴しているが、芸能も含めて芸術全般を広く解釈している様子。楽天的な性格が愉快。妻とともに大声で歌い続けるが、はたしてうまいのか下手なのかわからない。後半登場する貧乏画家の画力もそう。それにしても町の連中が何故か芸人にあまりに冷たい。
「不思議な少年」
マーク・トウェイン 作
(岩波文庫)
平凡な3少年の友人として突然現れた天使サタン。天界の住人として万能の力を持つ彼は、人間の救い難い愚かさ・残酷さを容赦なく明らかにしてみせる。
なんとなく遠ざけていた著者代表作だが、まさかこんな内容だとは思わなかった。不思議な少年であるサタンは天使であり、人間より遙かに優れた存在なのでなんでもできる。簡単に時空を飛び越え一瞬で過去へも未来へも行くし、誰の意志をも自在に操る。運命も操作できる。ここまで万能のかけ離れた存在を設定すると、話はなんでもありで面白くないんじゃないかと疑念を持ったが、これが面白い。
彼サタンは人間など目に見えない小虫くらいにしか思っていないので、問題解決のため簡単に殺したり発狂させたりしてなんの痛痒も覚えない。我々が共有するヒューマニズムの視点を超えて、人間の愚かさ・残酷さ・卑小さを徹底的に明らかにする。しかもそれを人間のみが持つ良心という名で呼ぶとは、なんとアイロニカルな視点だろう。
しかしこれはアイロニーではなく事実だから仕方がない。長い歴史の中で飽きることなく権力闘争・殺戮・戦争を繰り返す、残忍で卑屈で愚かなる人類。晩年のマーク・トウェインがたどり着いた絶望は残念ながら正しい。しかしご安心あれ、サタンの言うように人生は全て幻。存在とは虚しい永遠の中をただひとり永劫にさまよい歩く一片の思惟にすぎないのだから…。
「蛇口」
シルビナ・オカンポ 作
(東宣出版)
現代アルゼンチン短編小説。短いことを存分に活かした幻想文学集。
ごく短い小品ばかりで手軽に読めるが、充分な幻想性があって楽しい。前半、とらえどころのない、ややわかりにくい作品もあるが、本も半ばにさしかかると読みやすく次々と読める。
短いから不思議なことがすぐ出てくる。そしてそのまま捨ておかれて解決しない。これが小気味よいというか心地よくて、これも小品の効能というものだろう。もちろん構成が単純というわけではない。
たとえば残雪やルーセルの作品にある夢幻的世界にはまり込んで抜け出せない息苦しさがない。充分息がつける書き方が嬉しい。これはシュールな出来事に対して語り手がどれくらいの距離をとって書いているかによる違いと思うが、これが息がつけすぎると人畜無害のショートショートのようになってしまう。そこはちゃんと読む者の存在を揺らしてくれるのでありがたい。短編であることが最も活かされた作家
「ウィステリアと三人の女たち」
川上未映子 作
(新潮文庫)
平凡な日常の中にもちょっとした異変が潜んでいて、ある日ふと顔を出す。短編4作。
文章が美しいだけでなく心躍るリズムがあって、読むことが楽しい。選ばれる言葉は上品だけど大胆。つねに動きを孕んでいて止まろうとしないため、呑まれるように読み進んでしまった。
「ウィステリアと三人の女たち」:夫の留守中に解体途中の旧家に深夜忍び込んだ主婦の話が、いつのまにやらウィステリアと最愛のイギリス人女性の悲しい思い出に。ここまで違う内容を半分づつ繋げた短編も珍しい。妄想はうつろな日常から飛躍して現実を解体する。
「彼女と彼女の記憶について」:女優となって謂わば出世した彼女が、ふと気まぐれに故郷の中学校の同窓会に出席してみると…。彼女がクラスメイトのことを全く覚えていないのも極端だが、自分が裸にして弄んだ友人のことさえ忘れている。そして繊細な人間も無神経な人間もどこでも同じだけいる。彼女を含めて。
「シャンデリア」:終日デパートで過ごすなんて物好きな人間だと思ったが、彼女は急な成金。またほんとうの金持ちの老婦人も登場。金はあるところにはある。彼女は突然大金を持ったことを受け入れ難く蕩尽しているが、これは貧しい育ちの庶民にはありがちかもしれない。
「樹影譚」
丸谷才一 作
(文春文庫)
手を替え品を替え書かれた短編3作。風味馥郁たる名品を味わう楽しさ。
「樹影譚」:樹自体ではなく壁に映った樹の影の美しさにひかれるのは何故か?その感覚の由来をめぐる。作者はそれを短編小説に仕立て上げようと目論むが、ナボコフの同様の作品に思い当たり、調べてみるが判然としない。その過程を面白く読んだところで、さて仕立て上げた短編小説が始まる。
主人公はやはり小説家であり、その短編小説の中でも壁に映った樹の影に魅せられる由来をあれこれ思い巡らすという二重構造で、箱の中に箱があるようなカラクリだ。
最後には愛読者である老婆が登場し、幼き作者が樹の影にとりつかれた所以を明かすが、これも狂人のたわごとという実に手の込んだ傑作。
「夢を買います」:夜の店で働いているらしい女性が友人へ語りかける態で書かれた、最初から最後まで彼女の口調で終始する短編。客である宗教学者のしつこさがおかしい。砕けた口調でこの面白さはやはり手練れならでは。
「鈍感な青年」:図書館で知り合った初心な二人が佃島を散歩したのち、初めての体験に至る様子。会話がどれも最小限の短さで、軽快なリズムで読める仕上がり。
「遮光」
中村文則 作
(新潮文庫)
恋人の死を周囲に隠しながら生きる、言動のすべてが他者の目を意識した虚言で占められる青年。病的な日常を描いた恐ろしい小説。
幼き頃に両親を亡くし、以後周囲の人間に嫌われないよう他人の顔色ばかり見て生きてきた男。自分の言動がすべてそれらしい演技であることを、常に自分でも意識している。しかし確固とした主体的意識が内奥にあるわけではなく、心の中心は空洞でほんとうの自分というものは終ぞ無い。
読みだすとわかるがこの青年の人格は明らかに病的で、それが一人称で書かれているため、他人事で無い空恐ろしさがひしひしと伝わる。虚言癖とはそんなものかもしれないが、罪の無い虚言を超えた暴力や奇行が連続して、読んでいて心苦しい。選んだのを後悔したがそれも遅く、短いものなので読んでしまったが、これも文学の力だ。