漫画家まどの一哉ブログ
依存性人格障害
まえから気付いていたことだが、はっきりと自分に該当する病名をみつけた。「依存性人格障害」である。私のように子どもの頃、母親から過保護・過干渉で育てられた人間は、成長の過程で独立した人格を形成できない。どうしても母親に依存した状態で性格が形成される。母親はいつまでも子どもを手放さないので、子どもは心地よい保護された状態に安住し、大人へのステップを登ることができない。これは私が高校入学時にその精神的未熟さ・幼児性のため高校生活についていけず、パニックから神経症への転落というカタチで身をもって経験している。
その後長年の努力で仕事も配偶者も手に入れたわけだが、これで生来の人格障害が快癒されていると思いきやそうではなく、今度は対象が妻というカタチで温存されていくのであった。相手に依存していないと自分の存在理由を確立できないという点では同じで、妻の人生を支えるように寄り添って、頑張ってきたつもりだが、これは言い方を変えればつきまとっている・干渉していることと同じだ。つねに相手の気に入るように自分の欲求をも合わせて、相手から見放されることを異常に恐れているのである。
そんな私であるが、現在妻は双極性障害のため別宅にて静養中であり、鬱状態の時にはろくにコミュニケーションがとれない。そうなると私は「見捨てられ恐怖」に陥ってしまい、孤独と不安感でおろおろとするのであった。
その後長年の努力で仕事も配偶者も手に入れたわけだが、これで生来の人格障害が快癒されていると思いきやそうではなく、今度は対象が妻というカタチで温存されていくのであった。相手に依存していないと自分の存在理由を確立できないという点では同じで、妻の人生を支えるように寄り添って、頑張ってきたつもりだが、これは言い方を変えればつきまとっている・干渉していることと同じだ。つねに相手の気に入るように自分の欲求をも合わせて、相手から見放されることを異常に恐れているのである。
そんな私であるが、現在妻は双極性障害のため別宅にて静養中であり、鬱状態の時にはろくにコミュニケーションがとれない。そうなると私は「見捨てられ恐怖」に陥ってしまい、孤独と不安感でおろおろとするのであった。
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