忍者ブログ

漫画家まどの一哉ブログ

   

読書
「星の時」クラリッセ・リスペクトル 作
(河出書房新社)

地方からリオへやってきた瘦せぎすで貧困な女マカベーア。不遇な身の上だが自身の不幸を意識せず、欲望も持たず、コーラとホットドッグで生きてゆく。ブラジル文学。

語り手は一人称で登場する男性作家ロドリーゴという設定で、語られるのがマカベーアという女性の生涯。「マカベーアは」「彼女は」という主語で彼女とその周辺が逐一見てきたように語られるが、本来それは物語の作者の視点だからこそ可能なはず。ところがときどき「ぼくは」という主語で語り手の作家自身の日常が顔をだすという不思議な感覚に当初とまどった。

主人公マカベーアはあるべき幸福を初めから知らないまま、無欲で与えられた人生を生きて行く人間。見かけも発言も薄く空気のような存在だ。一時の恋人や恋敵など、肉体的にも精神的にも欲望のままにエネルギッシュで虚妄にまみれた平凡な人間も登場するが、その正反対に思えるマカベーアにも案外実在感を感じた。ここまで極端でなくともこういう人間もいるものだ。そしてそんな彼女でも隠れている性欲は強いものがあるというのも、命あるものとしての納得感があった。

語り方の二重構造を気にしなければ、充分平易で素直に読める。マカベーアの人生は悲劇ではあるが平穏で、これは読み手が人生の基準をどこに置いているかで印象が違ってくる気がした。

拍手[0回]

PR

読書
「田園交響楽」ジッド 作
(新潮文庫)

キリスト者としての使命感から、孤児となった盲目の少女を引き取った牧師。批判的であった妻も協力するが、少女が成長するにつれしだいに牧師自身も気づかなかった愛が見えてくる。

ジッドは信念を持ったプロテスタントであるが、この作品の中でもカトリックとの相克・問題提議が多く見られる。牧師の長男が頑なな性格で律法による信仰を旨とする立場をとり、プロテスタンティズムに疑義を投げかけるが、それでも自身の自由な愛と信仰を捨てない牧師。これらの問題提議がパウロやキリスト自身の言葉を引きながら繰り返される。「もし盲目なりせば、罪なかりしならん」(キリスト)対して「いましめによりて罪さらに猛しくなれり」(パウロ)などなど…。
そして1匹の迷える子羊(盲目の少女)を救うために、他の子羊(自身の子供達)を山に残すのは正しいのかという問いも、妻からの問題提議として物語のはじめから未解決だ。
前半「第1の手紙」を、そのあたりを巡りながら読んでいると、なんだか不穏な雲行きが…。

そして後半「第2の手紙」になると、実は牧師自身も気づかず、彼の妻は見抜いていたほんとうの問題。彼による少女への恋愛、少女から彼への愛がしだいにあきらかになり、信仰の問題と重ねてどんな解決を選ぶのが人として正しいのか、混乱のなかでいっきに悲劇へと突き進んで終わってしまう。文学作品としての面白さここにあり。これはジッドの人生をモデルに作品化されているとのことだが、実際のジッドの人生の方がかなりたいへんだぞ。

拍手[0回]

読書
「恐ろしき媒(なかだち)」ホセ・エチェガライ 作
(岩波文庫・1928年初版)

一家の主人と同居する主人の恩人の息子。世間では主人の若き妻とのあらぬ疑いをかけられ、噂はさらに疑念をよぶ。平和だった一家が、根も葉もない噂によって破滅へと至る三幕劇。

スペインの作家エチェガライの1881年作品。
一家の主人、若き妻、同居する恩人の息子はいたって善良で上品な人々であるのに比べ、主人の弟家族は下卑た連中でいわゆる無責任な世間そのもの。登場人物はこの2家族だけだが、スキャンダルを好む世間と誤情報によって、善良な一家がじりじりと崩壊してゆく様子に目が離せなく、心痛む。

まことに世の中とは下品なもので、無償で恩人の息子を同居させているなど、奇特な善行は気に食わないのである。ここでは弟家族がその代表として登場。典型的な徳なき凡人で情けない限りだが、これが現実というものだろう。そして自分の中の小さな疑いをついに消し去ることができず、そのとりこになってしまった一家の主人も悲しいかな人間の典型である。

誤解が誤解を生んで正義が報われないまま終わるタイプの悲劇。

拍手[0回]

読書
「とどめの一撃」ユルスナール 作
(岩波文庫)

バルト海沿岸の地方都市で反ボルシェビキ闘争に身を投じるエリックとコンラート。そしてコンラートの姉ソフィーのエリックへの届かぬ愛。内戦下の青年の愛と悲哀を描く。

この話にはモデルがあり、ユルスナールは事実を忠実になぞったとのことだが、文庫解説にもあるとおり元となった実話にはソフィーのエピソードはほとんどなく、この作品でのソフィーの役割はあたかも当時実らぬ恋に悩んでいたユルスナール本人の投影らしい。そしてそのソフィーの内心の変転と絶望がこの作品の主軸となっている。

ただ相手のエリックのほうでも自分がソフィーの求愛を拒絶しているかどうかはっきりせず、心は揺れ動く。ここに二人の意地や嫉妬、怒りと信頼、そして喜びと悲しみが描かれるわけだが、さすがユルスナールの細かい心理描写は、私のような人間心理に疎い者には読んでいても忠実には理解出来ない。ただ最終的にソフィーが敵である赤軍へ味方して破滅するので、やはりこの物語は充分悲劇である。

拍手[0回]

読書
「デイジー・ミラー」
ヘンリー・ジェイムズ 作
(新潮文庫)

旧弊にとらわれず、誰とでも自由に大胆に付き合うアメリカ人女性デイジー。彼女に魅せられた青年はスイスの町からローマへと彼女を追う。いったいデイジーとはどういう女性なのか?

夜遅くとも平気で男性と遊びに行き、その非常識と奔放ぶりを非難されるデイジー。確かに極めて外交的・社交的な人格というのはあるもので、初対面でも誰とでも遠慮なく話し、行動を共にし、男女の垣根も低い人間はいる。
デイジーも自由な新しい女と言うよりは、極めて社交的な人間として繰り返し描写されている。世代や階層による女性観の違い・相克をテーマとしている面も少しはあるのかもしれないが、観察的な視点で描くという方法のためか、説明だけで一編の小説が終わっているフラットな印象。劇性が薄く、だからどうしたという感覚になってしまうかも。

拍手[1回]

読書
「ガラスの動物園」
テネシー・ウィリアムズ 作
(新潮文庫)

裏町のアパートで3人暮らしの一家。ヴァイタリティ溢れる母親と倉庫勤めの息子。そしてあまりにも内気で引きこもりぎみの姉。姉のお相手探しのため青年紳士が夕食に招かれるが…。

以前から今ひとつ頭に入ってこないテネシー・ウィリアムズに再挑戦。ようやく面白く読めた。舞台(アパート)・人数(4人)と限定された設定。
若い頃から派手好きで人付き合いも多い母親がとにかく口うるさく、大人である息子に細かなことまで、それこそ箸の上げ下ろしまで干渉するので、これでは息子も父親の真似をして蒸発しようかというもの。
またあまりに自罰的で自信がなく、学校や職場で緊張に耐えられない姉の性格も、多かれ少なかれ自分を見るように思う人も多いのではなかろうか。



そういう意味では分かりやすく楽しみやすい作品。後半訪れる青年がこの姉の心を解きほぐして、彼女の自信を取り戻そうとしていくところも、なかなかに優しさと人間愛にあふれる展開で、静かな感動をよぶ。
なんだこんなにわかりやすいヒューマンストーリーだったのか。

拍手[0回]

読書
「仮面の陰に」あるいは女の力
ルイザ・メイ・オルコット 作
(幻戯書房ルリユール叢書)

名門コヴェントリー家に新たに雇われた家庭教師ジーン・ミュア。彼女は身分・本心を偽りながら成り上がろうとするしたたかな女だった。「若草物語」の作者オルコットが男性名義で書いた煽情小説。

物語のはじめにこの新任家庭教師が野心を抱いたただならぬ女であることが読者には明かされてしまうので、そのあとは彼女の誠実な言動ひとつひとつが実は底意を含んだ演技であることを知りながら読み進むことになる。涙や笑顔も実は周到に準備された芝居なのだ。果たしてなにを企んでいるのかという疑念である。

実に巧みに一家の一人一人がたらし込まれていくわけだが、その悪計を破綻させるある証拠が密かに積み上げられており、最後に彼女がそれをどう乗り切って悪事(この家の乗っ取り)を成功させるのかが山場だ。悪が敗北するかもしれないが、こうなったらこの悪女を応援したくなる気持ちもある。実際世間には頭の回転が早く様々な能力に秀でていながら、倫理観だけは欠落している人間がいるから、ピカレスクはおもしろいのである。

「若草物語」は未読だがこちらの煽情小説はスリリングなエンターテイメントだった。煽情小説というと現代ではなにか性的な興奮を煽るものという意味に誤解されそうだ。ふつうにエンターテイメント小説といえばいいのではないか。煽情小説と言っても下品なところもなければ無駄に大げさな表現もなく、セリフも人間の心理を巧みに演出してあり、充分に古典名作文学だ。

拍手[1回]

読書
「戦いの後の光景」フアン・ゴイティソーロ 作
(みすず書房 1996年)

移民で溢れかえるパリを愛し、少女との裸の交流を妄想する主人公。細かいエピソードがモザイク状に折り重なる奇作。

1982年、パリ郊外の町ではしだいに移民が溢れて、知らない文字や言葉が飛び交うようになり、従来からの住人はもはや少数の側になるかの勢い。そんな町で暮らす男は、引きこもる妻とは別居同然の毎日で、ハツカネズミをポケットに忍ばせながら公園に出かける。神父を名乗り幼い少女達と交流を重ね、いやらしい裸の写真を撮るためである。そして家ではひたすら少女に裸身を責められる妄想を綴っているのだ。

全体像はごく短いエピソードを切れ切れに章立てした構成の間から立ち上がってきてわかるのだが、直接関係のない話題も挟まれており入り組んでいる。
それがわかりづらくて苦痛かというとそうではなくて、この自由な書きっぷりを追うのがだんだん楽しくなってくるから不思議だ。少数民族解放運動の地下組織とのあらぬつながりを疑われたりもして、面白く仕上げてある。

拍手[1回]

読書
「軋む心」ドナル・ライアン 
(白水社EXLIBRIS)

アイルランドの田舎町で起きた殺人と幼児誘拐。街に暮らす21人のモノローグで事件のありさまがしだいに浮かび上がる。

会社経営を引き継いだ御曹司は資金をドバイの不動産に投資して会社を倒産させてしまうが、社会保険料を払っておらず社員などいないことになっていた。多くの失業者が苦闘する中で皆の信頼を集める青年は仕事を立ち上げようとするが、家には財産を散在して使い果たした父親がいて全てを冷笑するのである。
やがて父親は殺され、それとは別に保育園から幼児が誘拐される。

一人ずつ順不同のモノローグにより事件が次第に明らかになる仕掛けで、不景気にあえぐ田舎町の人々の鬱屈した心境が浮かび上がる。犯罪が明らかになってゆく過程はミステリーを読むような面白さがあり、すべて口語体なので読みやすいが、名前だけを記憶して21人もの語り手の人間関係を把握するには努力がいるので、そこがやや難点である。

拍手[0回]

読書
「オネーギン」プーシキン 作
(岩波文庫)

オネーギンは才ある青年でありながら、タチヤーナの求愛に真剣になれず無碍に断ってしまう。その後友人との決闘沙汰を起こし、行くへ定まらぬ人生の果てに、今度こそタチヤーナを愛そうとするが…。

19世紀文学の舞台となる恵まれた貴族社会にあって、多方面に才能があり社交界でも人気の青年が、やがてなにもかもに興味を失い虚無的な態度に傾いて行くのは、小説の上でも実際にもよくある現象だと思う。
このような主人公がやがてどのような大人になって行くかまで書かれることはあまりなく、青年のうちに破滅する役割が文学史上の通例だ。

プーシキンは自身が活動的で派手な人生を送るタイプであるからか、この作品の語り口は非常に面白く飽きさせない。一語一語が魅力的で、数行追うだけで興奮してしまう。まさに登場人物が時代を飛び越えて我々に迫る出来栄え。ひょっとしたら原文の韻文を現代語訳して散文に置き換えた効果というものがあるのかもしれない。

拍手[0回]

  
カレンダー
04 2024/05 06
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31
フリーエリア

「世の終りのためのお伽噺」
アックスストア
「洞窟ゲーム」
アックスストア 西遊
「西遊」
amazon ヨドバシ.com
アックス75号
アックスストア

祭り前

秘密諜報家
最新コメント
[08/13 筒井ヒロミ]
[02/24 おんちみどり]
[05/10 まどの]
[05/10 西野空男]
[01/19 斎藤潤一郎]
最新トラックバック
プロフィール
HN:
madonokazuya
性別:
非公開
自己紹介:
漫画家
バーコード
ブログ内検索
カウンター
アクセス解析
カウンター
カウンター
フリーエリア
Copyright ©  -- まどの一哉 「絵空事ノート」 --  All Rights Reserved

Design by CriCri / powered by NINJA TOOLS / 忍者ブログ / [PR]