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漫画家まどの一哉ブログ

   

読書
「修繕屋マルゴ」フジュレ・ド・モンブロン 作
(幻戯書房ルリユール叢書)

辛辣なパロディで世間を敵に回して生きた作家モンブロンの艶笑小説2編と旅行記を収録。18世紀フランス文学。

思ったより全編艶笑文学で、読み進むうち、なぜ自分はこんなものを読んでいるのか不思議な気になる。
表題作「修繕屋マルゴ」は恵まれた容姿を武器に、貧窮する身の上から娼婦としてのし上がっていく女性の物語。大枚を払ってでも彼女をものにしようと言い寄ってくる男たちのいかにバカで情けない連中かを歯に衣着せぬ毒舌でこきおろす。しかし高級役人や聖職者にこの手合いが多いのは、ことさら説明されなくとも容易に理解できて意外でもない話。
それなら短編の「深紅のソファー」の方がふざけていて面白い。姿をソファに変えられた男という設定は元ネタがあるらしいが、彼(ソファー)の上で性行為が繰り返され、行為が男性の不発に終わると人間の姿に戻るのが愉快。

作者モンブロンは時代に先んじて合理的な思考の持ち主で、身分や階層による権威を否定しているうえ、宗教的習慣も非合理な迷信として顧みない。なかなか18世紀のフランスでは生きにくい性格だっただろうと思う。
「コスモポリット」はさばさばした旅行記で、あっという間にヨーロッパあちこちを巡ってしまうが、これは作者が逮捕を恐れて逃げ回っている境遇であったせいでもあるらしい。たいへんだね。

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読書
「ヌメロ・ゼロ」ウンベルト・エーコ 作
(河出文庫)

大衆向け日刊紙の創刊企画のため集められた編集者達。創刊準備号(0号)発刊のため連日会議や取材に励むが、実はこの企画自体が大きなフェイクなのだ。エーコ最後の長編。

底辺ではあるが登場人物は手練れの俗流ジャーナリストばかりで、社会派というとちょっと違うが、冷たくてざらざらした感触。こういった作品を読むのは個人的には珍しい体験だった。

世間のゴシップをいかに責任を取らない形であおり立てるか、歴史の闇を興味本位でどのように掘り起こすか、通俗に徹した編集技術があれこれと駆使される。


加えて小説としての膨らみには、この企画の裏事情を知っている主人公の編集長と唯一の女性編集者との恋愛があり、同僚の編集者が追求する政治史の闇など。とくにムッソリーニは生きていた説には延々とページが割かれ、イタリア史に詳しいはずがない読者としてはついていくのはいささか大変である。

それでもなかなかミステリアスで面白かった。ちなみに私には他のウンベルト・エーコ体験はない。

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読書
「ヘンリー四世」全二部
シェイクスピア 作
(ちくま文庫)

ヘンリー四世の治世下、反旗を翻す熱血漢ホットスパー。対する放蕩息子のハル王子と友人の俗物フォルスタック。個性豊かな人物を中心に展開する人間味豊かな歴史ドラマ。

貴族階級に属しながら安酒場を飲み歩く肥満漢フォルスタック。戦闘には全く向かない減らず口の凡人だが、実際貴族といってもこういった人物はごくふつうにいっぱいいただろう。
そしてハル王子ハル王子は最高級の身分でありながらフォルスタックと一緒に放蕩を続けるといったキャラクター設定も、その落差がおもしろく、この作品がこの種の設定の嚆矢かもしれない。

かたや敵対するヒーロー、ホットスパーはまさに煮え滾る性格で、剣をとっては勇士だが、自身の激情をコントロールすることができない。これもハル王子と対立的な性格設定となっている。

内戦という国の行方を決する一大事でありながら、飲み屋の女将や娼婦も登場し、伯爵や大司教といった面々も深刻な顔をして大論を叫んでいるわけでもない。みな迷い苦しみオロオロする人間的な感情を豊かに持った人物ばかりだ。いわゆる大河ドラマ的ではない面白さ。
ヘンリー四世の出世や、その王子達の振舞いを見ると、平気で裏切れる人間が最後には勝つといったところが、権力闘争の真実か。

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読書
「天使の蝶」プリーモ・レーヴィ 作
(光文社古典新訳文庫)

化学者としての知見を活かし、奇想天外な発明品の数々がもたらす悲喜劇を描いたSF的短編集。

NATCA社が開発する画期的な新発明・新商品を抱えて、今日もまた馴染みの営業マン、シンプソンが現れる。詩歌作成機、三次元複写機、美の測定装置、その他とんでもない発明品のあれこれ。昆虫とのコミュニケーションを発展させて雇用関係を結ぶなど、アイデアは尽きない。
このシリーズの他、痛みを快感に変えてしまう薬剤の悲劇や、冷蔵庫で眠りつ続け、誕生日にのみ喝采されて起こされる美女の話など、すべては現代文明への巧みなアイロニーとなっている。
人生や内面に届くような描写はないが、単純な落とし噺とは一味違う展開があり、いわゆるショートショート的な読み物以上のおもしろさ。

作者プリーモ・レーヴィはアウシュビッツからの生還者として知られる作家で、その方面の著作も多数。実は私の書棚にも「これが人間かーアウシュヴィッツは終わらない」があるのだが、なんとなく文体に馴染めなくて読み進まないままになっているのだった。

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読書
「ほら吹き男爵の冒険」ビュルガー 作
(光文社古典新訳文庫)

実在の人物ミュンヒハウゼン男爵の体験記が大きく膨らみ、荒唐無稽な冒険譚として広がったもの。ドイツの作家ビュルガーが加筆・翻案。

18世紀後期の作品だが、今からみるとユーモアのセンスも違うし、だいたい話が荒唐無稽すぎてリアリズムのかけらもないものを現代のわれわれが楽しめるわけがないのでは?と予想するところだが、豈図らんやこれが楽しく読めてしまった。

とんでもない怪力やスタミナをもって、海中から月世界までわたり歩き、クマもワニもライオンもものともしない。いくらホラ話とはいえそこまでやってはシラけるのでは?というレベルを最初から最後まで貫き通すので、かえって圧巻である。

もちろん直接笑いにつながる内容ではないが、このスタイルで現代まで生き残っているのも、ユーモア小説のひとつの在り方かもしれない。読者の緊張を緩和した状態にするという効果においてひとつのジャンルなのだ。

文庫本にはふんだんに挿絵が掲載されていて、漫画として申し分ない出来栄えだと感心していたが、描き手はドレだった。

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読書
「怪奇小説集 共犯者」遠藤周作 作
(角川文庫)

中間小説も多く手掛けた遠藤周作のミステリー短編集。

元となった70年の講談社本刊行時から「怪奇小説集」と題されているが、もとより幻想味はまるでなくミステリーですらない。やや暗い影を帯びたショートストーリーといった風味。通俗小説といえばそうだが、さすがに表現は抑制されていて読んでいて嫌な感じはしない。そのせいで殺伐とした内容でも読み進むことはできる。

「偽作」:小説修行に励むことを結婚の条件とする女性と再婚し、やがて彼女は賞を受賞して有名作家に…。しかしその影には常に叔父と称する人物の影が…。はたして作品を書いたのは誰か…。二転三転するラスト。この作品がもっともミステリー感あり。

「人喰い虎」:インドで日本領事館に属官として勤める男。日本からの代議士連を接待するがどうもうまくいかない。インドの自然や人間性を愛する彼は、現地人を馬鹿にしている役人や代議士たちの間で苦闘する。俗物たちに囲まれてもがく彼が、退治される虎に重ね合わされている。佳作。

「憑かれた人」:素人でありながら吉利支丹文献発掘に取り憑かれて泥沼にはまり込む人は多い。古書店主のそんな心配をよそに世紀の大発見に取り憑かれた男の最期は?作者自家薬籠中の吉利支丹もの。こんな料理の仕方があるとは。

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読書
「門」夏目漱石 作
(新潮文庫)

許されない愛に走った2人のその後の人生は?「三四郎」「それから」に続く三部作最後の作品。

何気なくふと読みだすと、平凡な日常会話のやり取りが面白く、ついつい引き込まれて読んでしまった。もっとも話は半ばくらいまで大きな出来事もなく進行し、やや飽きてきた。
「それから」で親類や世間すべてを敵に回して縁を切った2人だから、生活は世間との交流も少ない。お互いをかけがいのないものとして慈愛を深め合ってゆく生き方が静かに胸を打つ。我が家も子供のいない夫婦生活だから他人事とは思えない。

それでも弟を引き取ったり、妻が病気になったりと、ちょっとした起伏はあって面白く読めた。終盤ついに自分が裏切ったかつての友人が近くに現れるいきさつとなり、主人公は大いに動揺するが、彼にアドバイスするならば、これは覚悟を決めるしか仕方がないのではないか。略奪愛が旧道徳に反するといっても、愛に従ったこと自体は悪いことではないし、すでにやってしまった事を今更思い悩んでも救われない。その必要もないと思う。

その流れで彼は禅寺へ短期間の体験修養に出るが、やはりいきなり事態を解決するほどの得心は得られない。それでもこのエピソードはおもしろかった。
「それから」の激震的な内容から比べると静かな内容だが、人生には静かな波風が立つものである。

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読書
「妻を帽子とまちがえた男」オリヴァー・サックス 著
(ハヤカワノンフィクション文庫)

脳神経科学者が出会った驚きの患者たち。その症状を喪失・過剰・移行・純真のキーワードで読み解いていく。脳の障害から見える人間を形成しているものは何なのか?温かみ溢れる科学エッセイの傑作。

ここには直近の記憶を失ってしまう人が出てくるが、書かれている通りもし記憶というものがなかったら、人は自分の人生の移り行きを意識できるだろうか。また半身の体の感覚を無くした人を見ても思うが、もし体からのフィードバックが全く無ければ自分が存在している確信をどうやって得るのだろうか。
表題「妻を帽子とまちがえた男」は右脳に障害を受けて、物の姿形は正確に把握できるが、それが何でどういう役割を持つものか分からなくなった人の話だが、我々と我々を含む世界は脳の絶妙な働きで、さもあたりまえのように成立しているらしい。

側頭葉発作によって脳内に起こる非常にリアルな追想や音楽は、わずらわしいものもあるが、人生に喜びをもたらすものもある。刺激される側頭葉の箇所によって、発現する幻想の種類が特定できるのも、なんだかさみしいような気がする。

知的障害とされる人々の天才的な画力や記憶力はしばしば耳にするが、こればかりは脳神経のどういう作用によるのかわからない。最近もそういう女性が話題になったが、素数が螺旋系のピラミッドのごとく繋がって見える人がいるのは、数というもに対する我々の認識からはるか彼方の世界だ。

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読書
「理不尽ゲーム」サーシャ・フィリペンコ 作
(集英社)

事故により植物人間となり回復不可能と診断された青年ツィスク。10年に及ぶ祖母の献身的な看病の末、奇跡的に目をさますが、そこで彼が見たものは独裁国家ベラルーシの恐ろしい現実だった。

音楽学校に通いながらチェロ演奏家を目指す彼はほぼ落第生。そうこうしてるうち地下鉄での群衆将棋倒し事故に巻き込まれて昏睡状態となる。ここまでの社会の描写ですでにベラルーシが民主化とは逆方向に少しづつ動いている様子がわかる。

その後物語の半分あたりまで彼は植物状態で、いつになったら覚醒するのかもどかしい思いだが、たった一人病室へ通うおばあちゃんの献身的な働きが感動的だ。
そしてついに奇跡の覚醒。しかしベラルーシは現在も進行するルカシェンコ大統領の独裁国家が完成されており、3%の支持率でも軍と警察を掌握している限り、恐怖政治は揺るぎないのだった。

セリフが生き生きとして、人物が皆等身大で生きている実感が伝わって来る。社会派小説といった風情はまるでなくて、青春小説のような味わい。
起きている現実は絶望的で、社会は止まったままだが、それでも個々の人生は進まざるをえない。果たして未来があるのかどうかもわからない悲しい人生がつらい。

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読書
「沈黙」ドン・デリーロ 作
(水声社)

突然の大停電に襲われた街で、とあるマンションの一部屋に集まった5人。会話ならぬばらばらの沈黙がひとりひとり訪ずれる。

飛行機の不時着事故から始まって、街は停電になり、それでもフットボールの試合をみんなでテレビ観戦しようと予定していた5人は部屋に集まった。
パニック小説かと思いきやそうではなく、突然の停電に右往左往する街の人々の様子は、後半一瞬触れられる程度で事体自体の進展はまったくない。

ほとんど部屋の中のシーンで、夫婦や友人が5人も集まっているのに、今回の状況についてあたふたと語り合ったりしない。沈黙であり、モノローグである。ただ一人物理学の若手教師である青年が憑かれたようにとうとうと、アインシュタインの言行をもとに文明世界を概観して喋っている。彼がやや異常な役割だが、あとの4人はきわめて日常的なぼんやりした思いが頭の中を行き来していて、ときどきふと人生や世の中をふりかえるばかりだ。

この静かな静かな展開を楽しめるかどうかがこの作品を受け入れる鍵だ。私にはその力はなかった。

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